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第38話 エルフと大木と白い霧

 ケーブルカーの駅を後にし、ゆるやかな参道を歩き始め、盛大に取り乱していたベルがようやく落ち着きを取り戻した頃。 

 一行の前では静かに揺れる木漏れ日が、石畳の道に模様を描き、さきほどまでの騒ぎが嘘のように、境内は落ち着いた空気に包まれていた。


「……ああもう、騙されたわ……」


 ベルは眉間にうっすらと皺を寄せつつ、ぶつぶつと文句をこぼしながらも、足取りが重くなることはない。むしろ、この静けさに心のどこかが和らいでいるのをなんとなく感じていた。


 うなだれ気味のベルの視線の先では石畳の隙間から覗くように、苔や小さな草が陽を浴びて揺れている。奥へと延びる参道は、手入れこそ行き届かなくなって久しいはずなのに、どこか凛とした気配を保っていた。


 ──まるで、まだ誰かがここを守っているかのように。


 そんな言葉が、ベルの頭にふと浮かぶ。


「相変わらず、ここは密度が高いなぁ」


 先を歩いていたネスカが、足を止めて深呼吸した。まるで空気を味わうような仕草だ。


「密度……? まぁ、何となく神聖な感じなのは分かるけど……」


 ベルが小首を傾げると、すぐ横でロイが静かに補足する。


「この場所は『神社』と呼ばれ、この国では古くから神々を祀る場とされてきました。特にこの筑波山神社は、万葉集にも詠まれる由緒ある古社であり、男体山と女体山──それぞれの山頂に祖神、伊弉諾命(いざなぎのみこと)伊弉冉命(いざなみのみこと)が祀られています」


 ベルはロイの言葉を聞いてはいたが、目は木々の間から差し込む光に向いていた。


「山そのものが御神体とされ、神体山信仰の名残を色濃く残している神域です。そして神話によれば天之瓊矛(あめのぬぼこ)を使っておのころ島を作ったと言われていますが、それがまさにこの地で──」


「はいはいはい、ありがと。もう大体分かったから」


 軽くロイの言葉を遮って、ベルは肩をすくめる。


「とりあえずあの大きな門の先が目的地でいいのよね?」


 そう言って、奥に見える厳かな神殿らしき建物を指差すと、ネスカが首を横に振った。


「んー、惜しい。こっちこっち」


 ネスカは振り返りながら、参道の中央から外れ、門の脇──大きな木の方へと歩き出す。

 ベルは小さくため息をついた後、無言でその後を追いかけた。



 ネスカが立ち止まったのは、参道脇にそびえ立つ、一本の巨大な木だった。

 その幹は何人で囲めば届くのかも分からないほど太く、根元はまるで地面から隆起したように盛り上がっている。

 目を凝らせば、その木肌に深く刻まれた皺の一つ一つが、まるで幾年の記憶を物語っているようだった。


「わぁ……うちの森でもこの大きさの木はそうそう見ないわね……」


 ベルは故郷の森に想いを馳せながら木を見上げる。その隣で主人に倣おうとしたテオは、見上げようとしすぎて後ろにひっくり返っていた。


「ここが鍵。もしくは……アンテナみたいなものさ」


 木の幹に手をかざしながら、ネスカが呟く。


「あん……てな……?」


 理解できない言葉にベルが眉をひそめると、ネスカは肩をすくめて笑った。


「あー……魔力の流れを決めたり、送ったりするような……そんな感じ」


「ふーん……で、次は触ってみろとか言うんでしょ?」


 ベルはジト目でネスカを睨む。


「お見通しだね。それじゃ早速──」

「──少々お待ちください」


 二人のやり取りを遮りつつ、立ちはだかる様にしてロイが前へと出る。

 その手には小型の機械がいくつも付いた棒のような物が握られていた。


「まずは物理的な影響を確認しましょう。熱、気流、空間電位、分光データ……このために研究所より色々持ちだして参りました」


 木肌や周囲の空間に、ロイが機材を順にかざしていく。その動きは静かで的確だったが、どこか無音の演奏のようでもあった。

 やがて一通りの測定を終え、ロイが軽く体を横に振る。


「数値はすべて通常範囲内。背景ノイズと有意差なしです」


「まあ、だろうね。こっちの世界の機械じゃ、なかなか掴めない波だから」


 その言葉にロイの体がしょんぼりと沈み込んだように見えた。

 ネスカが肩をすくめると、ベルは再び木を見上げた。その幹は、今も黙して語らず、ただそこに立っている。


「……やっぱり私がやるしかないってことね」


「うん。今度は君の中にある()()()()で感じ取る番さ」


「私、今は魔法も使えないんだけど……」


 ベルは少し不安げに自分の手のひらを見つめながら、ぽつりとつぶやいた。


「そりゃまあ、使えないだろうね。今の君は、扱い慣れた向こうの魔力を使い果たしてるんだから」


 ネスカはそう言いながら、ベルの額をいたずらっぽくつんと指先で軽く突いた。


「いい? “魔法が使えない”ってことと、“魔力がない”ってのは、同じじゃ無いんだよ」


 ベルはきょとんとしながら、首を傾げた。


「え、でも……この前、明かりの魔法を試してみたけど、全然反応なかったのよ?パチッとも光らなかったんだから」


「そりゃそうだよ。あれは向こうの魔力が前提で動く術式でしょ? 地球の魔力じゃ、そもそも扱い方が違うんだよ」


「は……?なにそれ、魔力は魔力でしょ……?」


「うーん、例えば“薪”と“炭”とじゃ、火のつけ方も燃え方も違うでしょ?そういう話さ」


 ベルは微妙に納得したようなしないような顔をしつつ、視線をさまよわせた。


「……で、その“地球の魔力”ってやつ。私の中にもあるって?本当に?」


「あるさ、絶対に」


 ネスカはきっぱりと頷いた。


「だって君、こっちで色々食べてるじゃないか。カツ丼とか、もんじゃとか、うどんとか。食いしん坊なキミのことだから、他にもきっと色々──」


「余計なお世話よ。まぁ、そりゃ食べたけど──」


 ネスカの余計な一言にベルは文句を言いながら、内心でハッとした。そういえば、食べてから元気になった気がすること、何度もあったような。


「……じゃあ、もしかして……私は、その食べ物から……」


「うん。少しずつ、こっちの魔力を取り込んでるはずだよ。今の君には、向こうの世界とは違う色の魔力が、ちゃんと宿ってる」


 ネスカの言葉に背を押されるようにして、ベルはそっと目を閉じ、お腹の辺りへと意識を向ける。

 呼吸を整え、意識を内側に沈めていく、今まで食べた物を想いながら──


(……なにか……いる?あったかい……ような……)


 淡く灯る火種のような、見慣れない感覚。形も、手触りも、慣れた物と違う。それでも、確かにそこにある。


「……在った……ちょっと、変な感じだけど」


 ベルがぼそりと呟くと、ネスカは嬉しそうに笑った。


「それが“こっちの”魔力さ。じゃあ次は、その魔力をちょっとだけ動かしてみよう。木に手を当てて、魔力の波を感じてみて……そして、自分の中の魔力をその波と合わせるんだ」


 簡単そうに言う……と呟きつつも、ベルは一つ深呼吸をした。

 そしてそっと、巨木に手を添える。


 触れた瞬間、何かがかすかに揺れた──気がした。

 陽の光の色も、木々の揺れも、全てが遠くなり、淡い霧があたりを包んでいるようだった。


「そう、良い感じ──そのまま──」


 ネスカの声が遠く、薄い膜を隔てた向こう側から聞こえる。


(……なんだろ、これ……)


 ベルは目を閉じ、木に添えた掌から流れ込んでくる感覚に意識を傾けた。

 自分の中にある、あの小さな火種のような魔力が、少しずつその波に引かれて揺れ始める。

 呼吸と魔力が重なるように、深く、静かに。


 やがて景色がふっと変わる。


(幻視?)


 不安と共に、霧の奥を見つめたベルの目に、ぼんやりとした光の群れが浮かび上がる。

 やがてその光は形を成し、人々の姿になった。


 神殿のような建物の前では静かに祈りを捧げる様子の人々、対照的にその反対では何かを祝っているようにすら見える賑やかな人々。


(宴かしら?……でも、もっと静かで、温かい……)


 様々な服装をした老若男女が、この場所に集まり、談笑し、温かな湯気が上る何かを手にして笑っている。


(なんだか分からないけど……美味しそう……)


 ベルが目の前の光景に戸惑っていると、ふと、視線を感じる──それは、人混みの向こう。

 赤いズボンの様な物に白い上衣をまとった小さな女の子が、人の波間をすり抜ける視線でこちらをじっと見つめていた。


 姿こそ年端もいかない様子ながら、その瞳は静かに、深く、まるで悠久の歳月を経た大木の年輪のような雰囲気を纏っている。

 長い黒髪が風もないのにふわりと揺れ、水面のように周囲がゆらめいた。


 女の子はなにも言わない。ただ、そっと──地面を指差す。

 まるで、何かを告げるように。


 そして再度、二人の目が合う。

 黒髪の女の子が小さく手を振ると、その姿と景色は霧の中へと溶けていく。

 つられるように振りかえそうと伸びたベルの手は、虚空に浮かび、その手も白い霧へと紛れていった。

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