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第37話 エルフと白き勇者と神の椅子

 それぞれの前へと器が並べられていく。

 様々な具材の浮かぶ濃い茶色のスープの中で、白くふくよかな太い麺が輝きと共に湯気を立てていた。

 おがくずのような魚から取った出汁はやわらかく香り、野菜や肉団子、薄切りの肉が湯面に彩りを添える。

 見た目に賑やかなその麺料理は人気のない茶屋となったこの場所に、かつての人の往来を思わせるような温もりを与えていた。


「では──」


 ロイの整然とした配膳を前に、ベルは軽く目を閉じて略式の祈りを捧げる。そして一言。


「今日もごはんが食べられることに、感謝!」


 次の瞬間、ベルは勢いよくフォークを構え、目を輝かせながら白く輝く麺を一口──山の上だと言うのに、まず口の中に広がったのは魚の旨味だった。それに併せて、黒い調味料の豊かな背景を感じさせる塩味が、ただでさえ頂点を越えてそうな食欲を更に刺激してくる。

 そしてなにより、ロイの打った()()()なる白い麺である。

 モチモチとした食感につるりとしたのど越しを経て、淡白な味ながら最後に残るのはほんのりとした小麦の甘み。スープの塩味と相まって、お互いに高め合っているようだった。


「ん~~~っ! おいしっ!!」


「恐れいります」


 この見たこともない程に太く切られた麺は、空腹の絶頂を迎えたベルにはこれ以上ないほどの頼もしさを感じさせた。

 間違いなく、この無限とも思えそうな飢餓感を打倒してくれるだろう。そんな、物語の勇者の如き頼もしさだった。


 二口、三口と麺をたぐり、目を細めてとろけるベル。勢いそのままに具材に箸を伸ばそうとして、ここでようやく周囲に目を向ける余裕が生まれた。


「テオもおいしい?」


「わぅっ!」


 テオの器には、塩分控えめに調整され、短く切られた専用うどん。しっぽをちぎれそうな勢いで振りながら、夢中で食べている。

 ネスカはというと、最初の一口で不思議そうに目をパチクリ、次の一口で小首をかしげ──三口目にはしみじみと呟いた。


「……なんだろう。君たちと、あのもんじゃ焼きを食べてからさ。なんか、食べ物が美味しいって感じるようになっちゃって……お腹もすくようになっちゃったんだよねぇ……」


 言いながらもネスカの箸は止まらなかった。麺を啜り、肉を頬張り、根菜をしゃくしゃくと咀嚼し、出汁をすすってホッと息をつく。


「うん、やっぱりおいしいなぁ……」


「なぁに、あたりまえの事言ってるんだか──わっ、このお肉、ほろほろしててスープに合う~っ!」


 珍しくしんみりした雰囲気のネスカよそに、ベルは具材に夢中になった。


「それはつくばうどんの特徴的な具材の一つ、鶏のつくねです。地元の野菜とともに煮込むことで、旨味がスープに溶け出し、独特の風味を生み出します」


 ロイが落ち着いた口調で説明を添える。器の中には他にも、細長い根菜や甘辛く味付けされた薄切りの肉、刻まれた緑の野菜が彩りを添えていた。


「この根菜、しゃくしゃくしてる……香りがすごい!」


「ゴボウですね。ネスカ様が持って来て下さった物を軽く煮て仕上げました」


「おいしいんだけど……なんて言うか、土の味がするわね」


 ベルがやや悔しそうに言ったその一言には、食材に宿る野趣の風味に加えて、どこか“ネスカの手柄が美味しいのが悔しい”という気持ちも滲んでいた。

 ロイはベルの雰囲気にわずかに首をかしげたが、その心情までは察していないようで、ただ静かに頷いた。





「ふぅ~~……満たされたぁ……」


 茶屋の前に並べられた長椅子へと、行儀悪くも両手を広げてごろんと寝転ぶベル。その隣で、テオが同じようにお腹を見せて転がっていた。


「白き勇者に……感謝ね……!」


 魔王のようなベルの飢餓感を打倒した白き勇者──それは白くふくよかなうどんだった。満たされたベルは、小さく、しかし心からの賛辞を贈る。

 すると、それを耳ざとく聞きつけたネスカが、にゅっとベルの視界に割り込んできた。


「おやおや〜? それって、食材を調達した功労者である僕のことかな〜?」


 確かに、ベルの目の前でニヤニヤしている自称神は、白いローブをまとっていた。


「違うわよ……いや、食材はありがたかったけど……一番の功労者は、あのうどんを作ったロイでしょ」


 そう返しながら、ベルは顔をしかめた。

 ベルをからかうようなネスカに対し、しばしば始まる言い合いが、案の定ここでも繰り広げられる。

 白だのローブだの勇者だのと、どうにかして手柄を主張しようとするネスカと、全力でそれを否定しようとするベル。

 喧嘩というよりは、恒例行事のような賑やかさであった。


 そこへ、ロイの落ち着いた声が割って入る。


「お二人とも……腹ごなしであれば、少し散歩をしましょう……この先に展望台がありますので」


 散歩という声に真っ先にテオが反応し駆け出した事で、ベルとネスカのじゃれ合いはなぁなぁに収まった。




 テオを追って茶屋の前から続く細道を抜けると、視界が急に開けた。

 広場のように整地されたその場所は柵に囲まれており、遠くの景色が一望できる小高い展望台となっていた。


 ベルは思わず、足を止めて息を呑む。

 青空の下、山の稜線の向こうに広がる広大な平野。そこには人のかつての営みを思わせる建物がそこかしこに見て取れた。

 そして、展望台の階段を昇れば、遥か遠く──薄く霞む空の彼方、見覚えのある塔の姿がかすかに見える。


「……あれって、光の塔?」


 ぽつりと呟いたベルの問いに、ロイが静かに頷く。


「ご明察です」


「へぇ……」


 ベルが平野を眺めるその横で、テオは広場の周りを尻尾をぶんぶん振りながら駆け回っていた。

 少し高台になっているその場所は風通しもよく、草の匂いや木々の香り、時折混じる山の土の匂いが心地よく鼻をかすめる。


「光の塔?もっとちゃんとした名前、なかったっけ?」


 ベルの隣で眺めていたネスカが、呑気な調子で口を挟んだ。


「正式名称もございますが、ベル様が“光の塔”と呼ぶのであれば、それが最も適切かと」


 そう言うロイに、ネスカはへぇ~と声を漏らし、鼻先をくすぐる風に白いローブの裾を揺らしながら二人へと向き直った。


「ちなみに、あのてっぺん、僕の指定席なんだよね~。風も気持ちいいし、見晴らしもバツグンだし!光の塔って言うより“神の椅子”だね!お、なんだかそっちのが格好良くないかい!?」


 ネスカは自分の思い付きに同意を求めるように視線を送る。


「ん~……どっちでも良いわよ……」


 そんなネスカをばっさり切り捨て、ベルは塔を見ながら小さくため息をついた。悲しい訳でも退屈な訳でもない。ただ、遠くまで来たという実感が付かせたため息。

 あの首が痛くなりそうなほど見上げていた塔が、今は小指の爪の程の大きさに見える。

 長い白金の髪が風になびくさらさらという音が、どこか静かな余韻を残していた。



「──で、結局この山のどこに用があるのよ?」



 ベルに習って静かに塔を見つめていた面々が、わずかに目を瞬かせて振り返る。

 そこではベルが藪睨みでネスカをねめつけていた。


「あれ? 言ってなかったっけ?」


 とぼけた調子で首を傾げるネスカ。

 その態度にベルの視線がさらに鋭くなる。


「うわ、こわ。いやまぁ、うっかりしてたかも。うんうん、神様も完璧じゃないし~」


 ネスカは苦笑いを浮かべながら、展望台から少し下を指差した。


「この山の中腹あたりにね、ちょっと由緒正しい神社があってさ。あ、ホラホラ、あそこ。昔から、そういう場所って決まってるのさ。大事な場所とか、門が近い場所とか、そういうの」


「またそれ系……」


 ベルがため息混じりに呟く。その横で、ロイが改めて説明を補った。


「筑波山神社のことかと思われます。中腹に位置し、古くから信仰の対象とされてきた由緒ある場所です。地形的にも神域と見なされやすい構造となっております」


「ふぅん……」


 ベルはロイの説明に軽く頷くも、どこか呆れ顔を隠しきれない様子だった。


「それを最初に言いなさいよ……」


「えー、だって山とか景色とか、先に見た方が雰囲気出るじゃん?ね? ほら、演出ってやつ」


 誤魔化すように笑うネスカを横目に、ベルはまたかといった顔で額を押さえた。


「で、その“じんじゃ”へはどう向かうの?」


 ベルの問いに、ロイがすぐさま応じる。


「ここからでしたら……中腹までは、ケーブルカーの利用が最も効率的かと」


「け、けーぶるかー……って、それ……また、空飛ぶ系じゃないわよね……?」


「ご安心ください。地上を走行する乗り物です。傾斜地に設けられたレール上を──」


「そ、そう……なら安心ね。……聞きなれない言葉で言われると、疑っちゃうのよ……」


 ロイの言葉に胸をなでおろしたベルは、そのまま軽い足取りで展望台を後にした。

 山道を少し進むと、木々の間から乗り場が見えてくる。そこには鮮やかな赤色をした乗り物が、一行を迎えるように待機していた。


「なんか……斜めってない?」


 ベルの目の前には、長方形の長辺をずらした様に斜めになった箱型の乗り物が鎮座していた。乗り物の斜め具合に合わせて、ベルも思わず傾いてしまう。


「山の傾斜に合わせた構造です。安全性は高く、登坂には適しています──動かせるか試して参りますので、少々お待ちください」


「はぁい……」


 ロイがどこかへ向かったのを見送りながら、ベルは車体が地面から浮いていないのを確認し、ホッと安堵の息を吐いた。





 ロイが全員の乗車を確認した後、ゆっくりと出発したケーブルカーは、ぎゅう、と音を立てて山肌を降っていく。


「またもや電気工事士ライブラリが役に立ちました」


「これは良いわね~。なんかお散歩してるみたいで気持ち良いわ」


 座って寛ぐベルの横で、テオとネスカはくっついて窓の外を食い入るように見ている。


 ゆっくりと降っていく車窓の外には、木立の間から時折、遠くの街並みが顔を覗かせ、風にそよぐ木々の葉音が微かに重なり、穏やかな気配を漂わせている。鼓動するように軋む車体の音すら、今は心地よい。


「帰りもこれに乗りますので、降りとはまた違った雰囲気が見えるかと思いますよ」


「へぇ~、それは楽しみ──」


 しばらくの沈黙の後──


「あれ? 帰りも……これに……ってことは……」


「はい。このルートを戻るのが、最も合理的かと」


「……ふーん、そう……」


 ふと、ベルの動きが止まる。


「……ちょっと待って? ってことは……さっきの空飛ぶ箱で、また帰るってこと!?」


「お気づきになりましたか」


「騙されたぁぁぁぁぁあ!!うわぁぁぁぁん!」

「わぅーーん!」


 絶叫するベルに合わせるように、テオは楽しそうに遠吠えをする。

 一人と一匹の声は、山の中腹へと吸い込まれていった。

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