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第36話 エルフと空飛ぶ箱と食べられるおがくず

 道が、塞がれていた。


「うそ……」


 ベルがぽかんと口を開け、正面の窓の向こうに伸びる倒木を見つめる。根元からバキリと折れたらしいそれは、まるで山の意思が通すまいとでも言っているように横たわっていた。

 運転席から降りたロイが状況を確認し、すぐに戻ってくる。


「倒木のため、車での通行は不可能ですね……」


「……なんなのよぉ~。せっかくここまで来たってのに……」


 恨めしそうに、ベルは重く溜息をついた。

 そんなベルの膝のではテオがちょこんと座っている。そして、その首元にある石は寝ているかのように、淡い光をゆらゆらさせていた。


「ネスカー!? 聞こえてる!? ちょっと、返事しなさいよー!」


 ベルはテオの首元のネスカ石を掴んで持ち上げる。しかし──


「……無反応。いつも通りね」


 何も答えない石に肩を落とすベル。石を揺らせばテオまでがっくんがっくんと揺れて、情けない声を上げた。


「わぅ、わぅ……」


「あわわ、ごめんテオ……つい……」


 助手席の窓の外からその様子を見ていたロイが静かに口を開いた。


「ネスカ様は“次の目的地は筑波山”とだけ仰っていましたが、具体的な位置情報は提供されておりませんでしたね」


「どういうことよ。この山のどこなのかくらい教えてくれても──」


「筑波山そのものがご神体であり、山全体が信仰対象とされています。従って、山頂もしくは……中腹の神社周辺が輸出拠点である可能性が高いと考えられます」


「……そっか、つまり“とりあえず登れ”ってことね」


 ベルはため息をつきながら天を仰いだ。


「では、現在地から迂回ルートを検索します──」


 ロイは車内に戻ってなにやら瞑想を始める。数秒後、ピコンと音を立てて報告した。


「現在地から直接神社方面へ向かう道路は、倒木により封鎖されています。代替ルートとして、つつじヶ丘駅まで車で移動し、ロープウェイを利用するのが良さそうです」


 ロイがすっと顔を上げて言った。


「ろーぷ……うぇい……?」


 聞きなれない言葉にベルが怪訝そうに眉を寄せる。そんな彼女の頭の中では、なぜかロイが器用に綱渡りを始めていた。


「乗り物です。これに乗れば、比較的楽に山の上まで移動できますし、見どころも沢山あるかと」


「……? なんだか分からないけど、ロイに任せれば安心ね!」


 想像の中のロイが無事綱を渡り切ったところで、ベルは大丈夫と結論付けた。




 ──数十分後。


「──は!? ちょっと待って! 空飛ぶなんて聞いてないんだけど!? え、え、ちょっ──騙されたぁぁぁぁ!!」


「アップデートしたばかりの電気工事士ライブラリが早速役に立ちました」


 空中に浮いたまま移動する箱の中で、満足そうにロイは言った。




 山頂に着いても、ベルはすぐには立ち上がれなかった。

 おあつらえ向きに用意されていた椅子にへたり込むと、ぐったりとしたまま空を見上げる。


「あ……まだ……ふわふわしてる……」


 頭が揺れる。足元も揺れる。地面は動いていないはずなのに、体だけがふわりと浮いているような──そんな感覚。


「……はふ……」

 ベルの膝の上で、テオもまた同じようにぐったりしていた。お腹を下にしてぺたんと伏せ、耳がぴょこりと揺れている。

 ──どうやら、怯えたベルに揺さぶられすぎて気力を使い果たしたらしい。


「ちなみに、空を飛んでいたわけではなく──ロープで吊るされたゴンドラが──」


「聞きたくなーい!!」


 ロイの説明に、ベルは反射的に叫んで長い耳をつまんで塞いだ。


 やがて、少しずつ体に戻ってくる母なる大地の感覚。

 風が気持ちいい。空は高く、緑の木々が目の前に広がっている。


「……ふぅ。なんとか……生きてる……」


 深呼吸を一つしてから、ふらりと立ち上がる。足元はまだふわつくけど、もう歩けそう。


「……よし、行きましょ」


 そんな言葉と同時に、唐突に辺りへ響いたお腹の音に、テオがぴくりと反応した。


「わぅ?」


「お腹、空いてきたし!」


 立ち上がったベルの声に、ロイが頷く。


「付近に、茶屋だった建物があります。状態は不明ですが、調査も兼ねて立ち寄ってみましょう」


「茶屋……ってことは、食べ物もあったりするかしら?」


「元々は観光客向けに食事や土産物を取り扱っていたようです。期待しすぎるのは禁物ですが、調理器具や保存食品が残っている可能性もあります」


「なるほどねー……とりあえず、何か食べられそうな物があるといいけど」


 ベルが腰に手を当てて歩き出すと、テオもぱたぱたと後ろをついていく。



 ロイに案内されるまま、ベルたちは近くにあった茶屋へと足を運んだ。

 建物は金属の外壁が少し色あせてはいるものの、ガラス戸やひさしはまだしっかりしていた。ただ、掃除されなくなって久しいのだろう、窓越しの陽光に、舞い上がった埃がきらきらと浮かんで見えた。


「使えそうなものは、これくらいですね……」


 棚の引き出しを開けながら、ロイがテーブルの上にいくつかの品を並べていく。

 小麦粉や塩、砂糖と思われる白い粉の入った袋、瓶に入った調味料らしき黒い液体。

 それらに紛れ、異彩を放つ木くずのような物がベルの目に留まる。


「これ……食べ物なの?」


 ベルが指差したのは、透明な袋に入った茶色の薄い欠片だった。まるで干からびた木の皮のようにも見えるそれに、ベルは怪訝そうに眉をひそめる。


「それは……削り節ですね。乾燥させた魚を薄く削ったものです。出汁を取るのに使われていました」


「魚!? おがくずじゃなくて……!?」


 ベルは半信半疑でそれをつまんでみたが、ぱきっと軽く折れた感触にますます首を傾げた。


「小麦粉、塩にかつお節とくれば──ご安心ください、ベル様。こんな事もあろうかと、学習しておいた物があります……」


 ロイはそこで言葉を区切ると何故か背を向けた。


「それは──」


「それは──?」


「うどん打ち──です!」


 そう言って振り返ったロイの頭には、いつの間にかねじり鉢巻きが巻かれていた。


「な、なんですって──!?」


 ロイの剣幕に押されて驚くベル。しかし、次の瞬間には疑問が頭を駆け巡る──うどんとは?──打つとは?


「──何ですって?」


 困惑を滲ませたベルの問いに、ロイは張り切った様子で手を広げた。


「うどんとは、小麦粉を練って伸ばして切った、この国を代表する麺料理の──」


 説明の途中、空気を切り裂くような重低音が辺りに響く。テオは音の出どころを探して警戒態勢を取っていた。

 恥ずかしそうにベルの手がお腹へと添えられる。


「ごめん……また鳴っちゃった」


「なるべく早くご用意します……!」


 ロイが手早く小麦粉をこね鉢へ広げようとしたその時──


「ふぁぁぁ……着いてたんなら教えてよ~。暇で暇で寝ちゃってたじゃん!」


 テオの首元から、鈴の音を思わせる澄んだ──ベルにとっては癪に障る声音が耳朶を打つ。


「アンタ……」


 普段のベルからは考えられない、地獄の底から響くような声が怒りと共に喉から這い出て来る。

 自分に向けられている訳では無いと理解しつつも、テオの尻尾は丸まり切って可哀そうなほど小さくなっていた。


「……何度呼んでも反応無かったのはアンタでしょうが……」


 ベルの声は静かだった。しかし、それが逆に怖い。


「それに……『暇で暇で』ですって……? 神様はやる事が一杯あるんじゃなかったかしらぁ……!?」


「ギクッ……い、いやぁ、それがですね、たまの──たまの休日!そう、休日さー!アハ!アハハハ!」


 ネスカが誤魔化すように乾いた笑いを漏らす。ベルはと言えば、腕を組んだまま、半目の湿度の高い視線でネスカ石を見据えていた。

 その空気をどうにか変えようとしたのか、ネスカは突然ぱっと声を上げた。


「──っていうか、何してるの? ロイ君。あれ、もしかしてこねてる? めっちゃこねてる? 生地こねてる?」


「はい。うどんです。ベル様がお腹が空いたと仰っていたので」


「おお~うどん!いいねいいね! 僕も混ざっていい?」


 そう言って石がパっと光ったかと思うと、テオの首元にあった青い石が消え、少年のような少女のような、見慣れた白いローブのネスカが姿を現した。自称神は気まずそうに、ちらちらとベルの様子をうかがっている。


「ふーん……」


 ベルが腕を組んだまま、じとりと睨む。ネスカはワタワタと視線を泳がせ、なんとか話題をひねり出した。


「そ、そうだ! あれ、具、そう、うどんの具は無いのかい?」


「はい……メニューにも記載されている名物“つくばうどん”が再現できれば良かったのですが……生憎、具材となる野菜や肉類はダメになっていました……」


「なるほど、そういうことか──まっかせて~!」


 ネスカが人差し指をぴんと立てるやいなや、また光と共に姿をかき消した。


「あ、こらッ! ……まったく。都合が悪くなるとすぐ逃げるわね、アイツ……」


 ベルは呆れたように吐き捨てたが、その顔には少しだけ笑みも浮かんでいた。


 その間にもロイの動きに迷いはなかった。手際よく粉と水を練り、生地を寝かせ──は最小限に。伸ばし、包丁で等間隔に切っていく。

 おがくずにしか見えなかった魚も、軽く煮る事で芳香を放つスープを作り出していた。その香りに空腹のベルは幾度となくお腹を鳴らし、そのたびにテオをビックリさせていた。


 やがて、白く湯気を立てる鍋からふわりと香る出汁と調味料の匂いが、腹の虫の限界を超えさせようとした頃──


「じゃじゃーん!」


 天井からするりと降りてきたネスカの腕の中には、キノコと肉、そして見慣れぬ何種類かの野菜がずらりと揃っていた。


「へへーん、神様の面目躍如ってやつでしょ!」


 ベルの目がキラリと光る。

 ゆらりと右手が伸び──ビシリと真っ直ぐ親指が突き立てられた。


「でかした!」


 先ほどまでの険悪な空気は、出汁の香りとともにすっかり溶けていた。

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