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第34話 エルフと学びと内緒の楽しい

 夕暮れの湖畔に、穏やかな時間が流れていた。


 焚き火の名残りがまだほのかに漂い、香ばしく焼けたタレの匂いが風に混じって鼻をくすぐる。

 お腹いっぱいになった一行は、それぞれ思い思いにくつろいでいた。


 ベルは地面に仰向けになりながら、ふくらんだお腹を片手でさする。


「……食べ過ぎたー……」


 その直後、お腹の上にテオがいそいそと乗ってくる。


「んぐ……重っ、苦しい……っ」


 テオはひょいと膝の方へとどけられると、その場でおとなしく丸まった。それでもやっぱりどこか名残惜しそうに、静かに鼻を鳴らす。

 その光景を、かたわらでじっと見ていたリンが、弾んでいるような声で、ぽんと口を開いた。


「ごはんって、みんなで食べると楽しいんだねー!」


 金属質な身体から発される声には、不思議とあたたかみがあった。

 その響きが耳に残り、ベルは目を細めてリンを見る。


「そうよー?みんなで食べると、何倍も美味しくなるの」


 表情の無い機械の体のはずなのに、本当に楽しんでいるのが声の調子だけで分かる──そんな不思議さに、ベルはちょっとだけ心が和らぐのを感じた。

 すると、リンはふと方向を変えて、今度はロイの方へ向き直った。


「ロイおじちゃんって、ホントにすごいと思うの。運転もできるし、お料理も上手だし、何でも知ってるし……!」


 その言葉には子供らしい憧れがにじんで聞こえた。


「あたしも、おじちゃんみたいになりたいなあ!」


 ベルはくすっと笑って、今日何度か聞いたうろ覚えの言葉を口にする。


「ふふ、それならロイがやってた“あっぷでーと”ってやつ?してみたらどう?」


「アップデート……したい!したい!」


 リンが両手を上げて跳ねるような動きを見せる。


「そうですね、リンとは同型機ですし、ワタクシのライブラリの共有を試してみましょうか」


 ロイが静かに手を差し出す。リンも、どこか期待を込めた様子でその手を取った。


 ……しかし、何も起こらない。


「……どうやら、リンはライブラリの共有には対応していないようですね。返ってきたエラーからすると、そもそもライブラリの仕様がワタクシと互換性が無い可能性が高いです」


 さらりとした口調でそう結論づけたロイの声に、リンの声音が沈んだ。


「え……?あたしって、ダメな子……?」


 ベルが思わずリンの方を見る。何が起きたかは良く分からないが、反射的にそんな事は無いと言おうとした、そのとき──

 ロイの体が一瞬、ビクリと跳ねたかと思うと、ぴたりと動きを止めた。


 不自然な沈黙。風の音だけが、静かに耳に届く。


「……ロイ?」


 ロイの様子に不安になったベルが声をかけたその瞬間、彼の口から、聞き慣れない調子の声がする。


「リンちゃん?そんなに落ち込まないで?」


「うわ!?ちょ、何その喋り方!?」


 いつものように渋い声質ながら、より高く、妙に優しげな声──それは、ベルが知っているロイのものとは明らかに違っていた。


「あらあら。ごめんなさいね〜、急いで口挟んだらちょっと声の設定間違えちゃったわ……今、調整するから」


 どこか聞き覚えのある、妙に軽やかな口調が続いたあと、ロイの身体から短い音がひとつ、ピッと鳴る。


「んん……はい、これでOK。改めましてこんばんは、ベルちゃん」


 咳払いひとつの後、今度は落ち着いたやわらかで品のある女性の声がロイの体から聞こえてくる。それはつい先ほどまで、よく聞いていた声だった。


「あー……その声は……ローレライかぁ」


「ママだー!」


 リンがぱたぱたと駆け寄りながら、嬉しそうに言った。


「今はね、ロイちゃんの口と体をちょっとだけ借りてるの。中身はそのままよ……多分、後で文句言われるけど」


 ベルが引きつったような笑みを浮かべる。


「どうやってるか知らないけど……ビックリするってば……」


「……リンちゃん。あなたはね、アップデートで知識を詰め込むタイプじゃないの」


 ロイの口から出てくるローレライの声はやわらかく、どこか包み込むような響きを帯びていた。

 その声を聞きながら、ベルはなんとも言えない感覚を覚える。見た目と音の印象があまりにもかけ離れていて、頭の中がぐるぐるしていた。


「自分の目で見て、手で触れて、誰かと笑って、戸惑って──そうやって世界を知っていくように作ったの。時間はかかるし、間違えることもあるけれど……それは、与えられたデータじゃない、あなたの中にちゃんと残っていく、あなただけの物なのよ」


 リンは黙ったまま、じっとロイ……いや、ローレライの方を見ていた。

 顔にあたる部分はつるりとした光沢のある桃色の鉄板で、そこから感情は読み取れない。けれど、その動きには真剣な雰囲気があった。


「今日、ベルちゃんと一緒に魚を捌いたでしょう? できなくて困ったり、ちょっと失敗もして……でも教えてもらったら最後にはちゃんとできた。楽しかったんじゃないかしら?」


 リンが小さく体を動かす。ベルには、それがうなずいたように見えた。


 「ふふ、あなたの感情共鳴アーキテクチャの定性的偏移を見てたら、私まで楽しくなっちゃう」


 言っていることはよく分からない。けれど、その慈愛に満ちた声の調子だけで、なんとなく伝わってくる。


「アップデートじゃ手に入らない、あなただけの経験──誰かと一緒に過ごして、同じものを見て、分かち合って、積み重なっていく……私はね、リンちゃんにそういう風に成長していける子になって欲しかったの」


「──人間みたいに、ね──」


 最後の言葉に込められたものが、ベルの胸に響いた。


「……なるほど、そういう事でしたか」


 ローレライの声が静かに止み、しばしの沈黙ののち、ロイのいつもの声が帰ってくる。


「まったく……この体で『あらあら』などと言われると、尊厳の維持が困難になりますね……」


 ロイが一歩引いたように冗談めかすと、ほんのわずかに間を置いて、目線を少しだけ落とした。


「……リン、あなたのような学び方は、ワタクシには難しい。ワタクシは情報を取り入れるのは得意ですが、それらを経験として積み重ねた()()がありません。誰かと一緒に過ごして、喜んだり悩んだりして得られるもの──そういった記憶が……ワタクシには乏しいですから」


 それは、誰にも責められたわけではないのに、まるで自分で自分を罰するような声音だった。


「今日、あなたがベル様と一緒に魚を捌いて、笑っていたあの光景を見て、ワタクシは──」


 静かな言葉だった。声を張ることもなく、ただ淡々と。

 リンはしばらく黙って聞いていたが、小さくぽつりと言った。


「ロイおじちゃんも、楽しいって思った?」


「……ええ、とても──羨ましいほどに」


 ロイは少しだけ視線を逸らしながら、静かに微笑んだような声で答えた。


「だったらさ、これから一緒に作っていこうよ、ロイのたのしい()()


 ベルは、あたりまえのようにそう言って笑った。


「ていうか、出会ってからここまでの経験も、楽しくなかった?私は楽しかったけど?」


 その問いかけに、ロイは少し間を置いてから、静かにうなずいた。


「……言われてみれば、そうですね」


 ロイは改めてリンへと向き直る。


「ワタクシは少し……リンに嫉妬していたのかもしれません」


「……?」


 その言葉にポカンとした様子で体を傾けるリン。


「ベル様──いえ、人と感情や体験を共有し、学習して成長する様子に……リン、アナタはワタクシよりもずっと先へ行ける可能性を秘めています」


「おじちゃん……うん──わたし、もっといろんなこと出来るようになりたい!」


 リンの声には、どこか決意のような響きがあった。

 それを聞いたベルが満足げにうなずく。


「うんうん、良い心がけだわ。じゃあ──」


「──そうねえ、まずはしっかりお勉強することかしら。努力は裏切らないものよ?」


「わかった! あたし、いーっぱい勉強する!」


「──って、だから、急にロイの体で喋らないでよ!ビックリするじゃない!?」


 リンは嬉しそうに体を跳ねさせるような動きを見せる。その様子に、ロイがそっと声を添える。


「……リン。ワタクシも、学ばせてもらいます」


 それは、少し照れたような、けれど誠実な声だった。




 しばらくして、ふと気づくと、テオはベルの膝の間でぐっすりと眠っていた。


「あら。珍しく静かにしてると思ったら、すっかり熟睡しちゃって……」


 静かな寝息に、ベルは苦笑しながら小さく頭をかいた。


「さて、どうしようかな……」


「問題ありません。こんな事もあろうかと、テントの用意もしてあります」


 つい最近どこかで聞いた言葉と共に、ロイがさらりと手を差し伸べると、そこにはすでに整然と並べられた野営のための道具の数々があった。


「流石、準備いいわね!」


「これも楽しい経験のひとつということで」


 ロイの言葉に、リンが手を叩いて頷いた。


「わーい!リン、テントたてるー!」


 リンがきゃいきゃいとはしゃぎながらテントの骨組みに取り掛かるのを見て、テオを起こさないようにしてベルも立ち上がる。


「私も手伝うわよー。この“楽しい”は寝坊助のテオには内緒ね?」


 そう言って、にやっと笑うベルの声に、焚き火の名残りの香りがふたたび風に運ばれていくのだった。

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