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第32話 エルフとニョロニョロとヌメヌメ

 気を取り直したロイはバケツとは別に箱を取り出し、カチリと開ける。細長い腕がその中から誇らしげに取り出したのは、黒くうごめく長い体がぬるりと光る、それはまるで蛇のような、見慣れぬ生き物だった。


「ベル様御所望の魚も無事、確保しました」


「え?……何、それ……なんかニョロニョロしてるけど……蛇じゃないの……?」


 ベルは旅の途中、食べるに困って手を出した蛇の泥臭い味を思い出し、じりっと後退る。テオも小さく唸って、耳を伏せる。リンだけが興味津々の様子でうねうね動く黒い魚を触ろうとしてロイに防がれていた。


「活きのよい天然物でございますので──近年は主に養殖によって安定供給されていた魚ではありますが、今回は首尾よく天然物を──」


「そんな天然物天然物って……まるで天然じゃない魚が居るみたいな──え、まさか魚も作ってるの……?」


 繰り返されるロイの天然という言葉に、ベルは素朴な疑問を投げかける。その頭の中では、先ほど見たゴーレム工場のように魚が作られる光景が浮かんでいた。


「いえ、作っているのとはまた違いますが、養殖とは、家畜のように魚を人の手で管理し、育ててから出荷する仕組みです。生け簀と呼ばれる囲いの中で育てることで逃げ出さず、外敵の心配もなく安全に育てら、供給や品質を安定させられます」


「魚を家畜のようにって……魚って、水の中で好き勝手に泳いでるものでしょ?こんな広い湖……閉じ込められるわけないし……あ、魚に首輪つけるとか?」


 首輪という言葉に反応したテオが、お気に入りのおもちゃを見せびらかす子供のように、胸を張って首輪を見せつけている。

 ベルは苦笑交じりに、その頭をそっと撫でた。


「今、ベル様が仰った通りに、まさに閉じ込めます。網などを柵として大きく広げ、水場を牧場さながらに囲ってしまうのです」


「うわぁ……ちょっと想像つかないわね……」


 ベルは関心したように広い湖を一瞥した後、黒光りする魚をやや遠巻きに覗き込む。蛇のような魚が牧草地をニョロニョロと飛ぶように泳いでいるのを想像して笑ってしまうベルだったが、目の前の不気味な姿にはまだ一歩踏み込む勇気が出ない。


「──で、これは何て魚なの?」


「うなぎ、でございます」


「へぇ~、()()()──」


 その名に反応したベルの長い耳がぴくんと跳ねる。それは道中で話に出ていた魚の名前だった。


「え、これが? あの? 美味しいって言ってた魚!?」


 件の魚を指さして、口をパクパクとさせるベル。ロイに掴み上げられている魚と同じ動きをしていた。


「左様でございます」


「へ、へぇ~……そう、期待、してる……わ」


 言葉とは裏腹に困惑の表情を隠さないベルだった。


「お任せくださいませ。では早速、調理に入ります」


 ロイはまな板の上へと、忙しなくうごめく長い体を置き、器用にぴたりとその身を押さえ込み首元へと包丁をひとつ入れる。そして、釘のような物を素早く頭へと打ち込んで板へと留めた。


「えっと、魚を捌くのよね……?なんか儀式でも始まるの……?」


「いえ、これがうなぎの捌き方です」


 およそ魚の捌き方とは思えない作業に慄くベル。


「串打ち三年、裂き八年、焼き一生──とは言いますが、アップデートされたライブラリがあれば問題ありません。完璧な物をご提供いたしますので、安心してお待ちください」


 ロイはそう得意げに語りながらも、鋭利な包丁を魚の背中へとスッと入れていく。何の抵抗も感じさせず開かれたその身は、柔らかく透けるようだった。その様子にベルとリンからは小さく歓声が上がる。


「はへぇ~……外見はともかく、中身は美味しそう……」


 ベルは目を見開いて捌きの一部始終を見守る。その横ではリンもじーっと無言で見ていたが、テオは箱の中でうごめくうなぎに触ろうと、手を伸ばしては引っ込めるのを繰り返していた。


「ちょっとテオ、いたずらしないの──まぁ、でもちょっと気になるわよね」


 テオをたしなめつつも、そのためらいがちな小さな前足を追い抜いて、ベルは箱の中の魚へと指を伸ばす。


「少し触ってみても……わ、なんかヌメヌメしてる!?」

「わふ──!?」


 主人の驚いた様子にテオの腰が更に引ける。


「そういう魚でございます」


「いやもうこれ魚じゃないでしょ!?カエルとかそっちの感触すぎる……!」


「ですが、焼けば絶品です──ハッ!?」


 ひるむベルに、ロイは静かに答えたが、何かを思い出し体を震わせた。


「どしたの?」


「──ワタクシとした事が、捌くのに集中するあまり大事な準備を失念しておりました。ベル様、折角なので七輪をお借りしても?」


 貸してくれと言われた物の名前に心当たりがなく、首を傾げるベル。


「しちりん?」


「もんじゃ焼き屋で取り出そうとしていた調理器具でございます」


 当時の流れを思い出し、ぽんと手を打つベル。同時に少し苦々しい顔になる。


「あぁ、あなた達に止められたアレね……今回は活用していいのね?」


「はい。蒲焼きはやはり炭火が良いかと」


「任せて!取ってくるわ!リンちゃんも手伝って!」


「はーい!」


 そして二人は車の荷台へと走って行く。未だにうなぎに手を伸ばしては引っ込めるを繰り返していたテオも、慌てて後を追って走り出した。




 ベルは開けたままだった車の荷台へ上半身を突っ込み荷物を漁る。そこは自分の物ではない見慣れない荷物で溢れかえっていた。


「いつの間にこんな大荷物に──えっと、これと……あと炭もよね。リンちゃんこっちの箱持ってくれる?重かったら無理しないでね」


「まかせてー!これぐらいなら楽勝だよー」


 リンは渡された箱を細長い腕でしっかりと掴むと、自分の頭の上へと乗せた。四角い物同士、非常に安定している様子にベルは安心すると、リンを急がせない程度の速度で歩き出した。


 ロイの元へ戻るその最中、リンはふと思いついたように口を開く。


「リンもロイおじちゃんみたいに、お魚さんシャシャッってやってみたいなぁ~」


 荷物は頭の上に乗せているため、リンの自由な両手が何かを切るように動く。釣られて頭上の荷物がぐらぐらと揺れ、ベルとテオは少し焦ったが、箱が落ちるほどでは無かったのでほっと胸をなでおろした。


 どうやらリンは自らで魚を捌いてみたいようだが、子供に刃物を扱わせるのは如何な物かとベルは思い悩む。しかし、改めてリンの体を見れば、それが刃物程度で傷が付くような物で出来ていないのが分かる。


「う~ん……そうねぇ、ロイに任せっきりなのも悪いし……リンちゃん、私たちも一緒にやってみよっか?」


「うん!リンもおじちゃんのお手伝いするー!」


「あとリンちゃん、危ないから箱は手で支えててね」


「はーい」


 その後、リンが慎重に運んだ炭と七輪をざっと設置したベルは、手をぱんぱんと叩きながらロイに声をかけた。


「よーし、私たちも魚捌くから、あと火の管理とかお願いねー!」


「──かしこまりました」


 淡々とうなぎを串打ちしながら、ロイは深々とお辞儀をした。



 ロイの仕事をかえって増やしたかも知れないとベルは思いつつも、自分たち用に魚を手に取った。


「よーし、リンちゃん。まずは私のお手本をよーく見ててね?」


「はーい!」


 隣でぴょこぴょこと跳ねるように答えるリンに微笑みかけると、ベルは以前廃屋で手に入れた、波目模様が綺麗なナイフを握る。

 魚の頭を押さえ、すっと刃を入れる──その動きはぎこちなくも確実で、旅の中で鍛えた手つきがそこにはあった。


「魚はね、まず鱗と頭を落として……次にお腹を開いて、内臓を取るの。ほら、こうやって……力を入れすぎないように、優しく──」


 やがて、ベルの手の中できれいに捌かれた魚が一匹完成する。


「すごーい!パパ、かっこいい~!」


 リンは瞳のようなガラスをきらきら輝かせて、感嘆の声をあげる。取ったばかりの内臓はテオが美味しく頂いていた。


「ふふん。じゃあ次はリンちゃんの番よ!お腹を開く所からお願いね!」


「やるー!!」


 リンは意気揚々と、別に用意された小さな包丁を手に取る。

 ベルがはらはらしながら見守る中、リンは魚をまな板の上に置き、慎重に包丁をあてがった。


 ──が。


「えいっ──……ううっ?」


 思ったようにいかず、魚の骨へと包丁が引っかかる。リンは小さな体で一生懸命力を込めた。


「うりゃっ──!」


 ぐいっと力を入れた瞬間、包丁は魚の骨ごと身をいびつに切り裂き──刃がすごい音を立てて、リンの頭へ激突した。


「ひゃあああああ!?!?」


 ベルは思わず叫び、リンに駆け寄る。内臓を食べていたテオも何事かと飛び跳ね、ロイまで振り向いた。


 しかし──


「えへへ……だいじょうぶ!」


 リンは、何事もなかったかのようにしていた。その体には傷一つない。


「……よ、よかったぁ……」


 膝から崩れ落ちるベル。テオも心配そうにリンをのぞき込んでいた。


「でも、リンちゃん。よく覚えておいてね」


 ベルはリンの頭にそっと手を置いて、真剣な顔で言った。


「リンちゃんの体は頑丈でも、他の人や動物に包丁が当たったら、大怪我になっちゃう。だから、刃物はちゃんと慎重に扱わなきゃダメよ」


「……うん!」


 リンはまっすぐに頷いた。


「それに……私も、ごめんね。ちゃんと、最初に教えてあげなきゃいけなかったよね」


 自分の配慮が足りなかったことを、ベルは素直に認めた。

 リンはふるふると首を振り、小さな手をベルに伸ばした。


「パパはわるくないよ!リン、もっとがんばる!」


 その手を、ベルはしっかりと握った。


「ありがとう──よし、それじゃあ、もう一回!今度は一緒にやってみよっか!」


「うん!」


 ベルはリンの手を優しく包み込むようにして、包丁を握らせた。

 魚の骨をなぞるように、そっと力を込める。ベルが手を添えて支えてあげながら、ゆっくり、ゆっくりと包丁を滑らせる。


 ──そして。


「できた!」


 小さな叫びと共に、リンが一匹の魚を無事に捌き上げた。

 丸いガラスの様な光学センサーしかない顔の表情こそ変わらないが、その声は誇らしさと喜びに満ちあふれていた。


「やったぁ!やったぁ~!!」


 両手を広げてベルに抱きつくリン。テオも周りを駆け回り喜びの輪に加わる。


「お見事です、リン」


 ロイも優しげな声と共に拍手を送った。




 やがてロイは、準備の出来た七輪を使い、焼きの工程へと入っていく。濃い茶色のタレが絡んだ白身を、炭火の熱がじりじりと焼き上げる。ときおり落ちるタレの雫がじゅわっと音を立てた。


 甘く、香ばしく、たまらなく腹を刺激する匂いが、風に乗って辺りを支配する。


「……っ、なにこれ……」

「……おいしそー……」

「わぅぅぅ……」


 ベル、リン、テオの三者三様の腹が同時に鳴った。


「ずるい……こんな変な見た目してるくせに……匂いが反則でしょ……」

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