第28話 エルフと憧れの味と家庭の味
光る人影が消えてから、しばしの沈黙が流れた。
「で、あんた一体あの人になにしたのよ……?」
ベルは抱えているテオの首輪についた小さな石を見下ろして、問いかける。
けれど、その石は返事を返すことも、光る事もなかった。
静寂だけが辺りを包む。
「……逃げたわね」
ため息まじりにそう呟くベル。
そして、ようやく視線をロイへと移すと──
「って、あれ?ロイ?」
ロイは彫像に繋がったまま、ぴたりと動かなくなっていた。それはまるで“考える人”と併せて作られたひとつの彫像のように、ぴくりとも動かず──
あまりに静かなその様子に、少し不安になったベルはロイの体を突いてみる。
「……寝てる……の?大丈夫よね?」
「大丈夫よ、ベルちゃん。旦那様が消えたあと、当初の予定通りライブラリ更新が始まっただけよ。ただ、少しお時間がかかりますの〜」
どこからともなく、ローレライの声がふわりと響いた。
「なんか、ロイが静かだと……変な感じ」
「可愛いロイちゃんは今、全身全霊でお勉強中ですから〜」
「そ、そうなんだ……」
少しだけ戸惑いつつも、ベルはロイに手を振ってみる。もちろん、反応はない。小さな溜め息と共にテオを地面に下ろすと、寝てるような様子のロイが珍しいのか、すんすんと鼻を鳴らしてしきりに匂いを嗅いでいた。
その様子を微笑ましく見つめながら、ベルは背筋を伸ばした。釣られてテオも伸びをする。
「んん〜……っと。さて、ロイが勉強中どうしようかしら……?」
「そうだわ、ベルちゃん。そろそろお腹すいたりしてない?」
それはローレライからの魅力的な提案だった。
でも、その声音にはほんのりとした温もりが乗っていて、まるで目の前で微笑んでいるかのようにベルには聞こえた。
「……あ、言われてみれば……」
ベルのお腹がぐう、と自己主張する。その音にベルの耳の先が少し赤く染まった。
「ちょっとだけ……空いてきたかも……」
ベルは嘘を付いた。本当は結構な勢いでお腹が空いてる。
「ふふふ。ではでは、ちょっと面白いものをご用意しますわね〜!」
「え、こんな所で?食べ物なんてあるの?」
「ございますとも〜!あの方が残してくださった、とっておきの保存食が──!」
「保存食?」
「その名も、“宇宙食”!」
「……うちゅう……しょく……?」
ベルが眉をひそめる間に、ロイの兄弟たちがすっと現れ、どこからか銀色に光る小さな袋を手渡してきた。
「このパックを、こうして……ぴっと開けて……はい、どうぞ!」
差し出されたのは、乾いた棒のような、一部が赤く染まった白い何か。
見た目は……そう、ベルの記憶にある、乾いた植物の繊維──を思い起こさせた。
「……これ、食べるの?」
「ええ! 安心して。見た目は少々アレですけれど、お味は抜群ですのよ!旦那様も研究の合間にはよく齧っていらしたわ〜」
おそるおそる一口かじるベル。
ぱきっ、と乾いた音と共に、口の中で優しい甘さが広がる──
「……うん……!? あれ、思ってたより……美味しいかも……!」
「でしょ〜〜!」
「わぅ!」
主人が食べたのを見てから、テオも隣でかじりつき、ひと声鳴いて嬉しそうに跳ねる。
「見た目はともかく……甘くて果物みたいな爽やかな香りもするし、食感も楽しくて美味しいわねコレ!」
「うふふ、お口にあって良かったわ〜。今、ベルちゃんが食べたのはケーキの宇宙食ね〜」
「へぇ、ケーキねぇ──え!コレが……ケーキ!?」
ベルがかつて、王都の菓子店の前で穴が開くほど見つめ、涎が垂れるのを我慢しながらも、そのお財布事情により断念したあのケーキ。それが今、図らずとも自分の口へ。
「コレがあのケーキなのね……」
あの時叶えられなかった夢を叶えた感動と共に、ボリボリとケーキを食べ進め──あっという間に無くなった。
「美味しかったわ……けど……でも……ごめん、ちょっと物足りない、かも……」
ベルは空の袋をじっと見つめた。
「ふふふ。ベルちゃんの食べっぷりを見てたら、そう仰ると思ってましたわ」
ローレライの声は、どこか誇らしげに弾んでいた。
「では、少し手の込んだものも──ご用意いたしましょう!」
そう言うと、ローレライはロイの兄弟達にどこからともなく椅子とテーブルを運ばせると、少し待っててと言い残し気配を消した。やがて、思い出したようにロイの兄弟達が部屋を後にしていく。どうやら手伝いに行ったようだった。
──しばらくして、ふわりと香ばしい匂いが漂ってきた。
音もなく現れたロイの兄弟機たちが、慎重にお盆を運んでくる。その上には、湯気を立てる皿──の上には黄色い小さな山があった。ひとまわり小さいのはテオの分だろう。
「これは……もしかして」
見覚えのある料理にベルの目が丸くなる。先日、光の塔でロイが出してくれた料理にもあったものだ。
「こちら、特別にご用意しましたあったかごはんでございますの〜!あの方が生涯で最も好んだお料理、それがこの──オムライスですわ!」
目の前に置かれた皿には、黄色くふわふわとした玉子の布団。そしてその上に、赤いソースでハートが描かれている。
「あ、そうだオムライスだ……」
今回、旗は無かったが、塔で食べたあの味を思い出して懐かしそうに呟くベルに、ローレライの声がふんわりと寄り添った。
「このお料理はね、旦那様が特にお好きで……どんなに忙しくても、これをお出しすれば必ず笑顔を見せてくださったんですの」
「……そっか」
ベルはスプーンを手に取り、一口。
ふわり、とろりとした玉子と、赤く色づいた少し甘めの白い粒状の穀物が舌の上で優しくほどける。塔で食べた時よりも甘く、どこか懐かしさを呼び起こすような、そんな不思議な味だった。
「……うん、優しくて、美味しい。これが、家庭の味ってやつかしらねぇ……ロイには悪いけど、こっちのが好きかも……」
そう言って笑いながら、ぽつりと漏らしたベルの言葉に、しばし沈黙。
「……家庭」
ローレライの声に、ほんの少しだけ戸惑いが混じる。
「私、家族というもの──論理的には知識として理解していますの。でも感じたことがあるかというと、わかりませんの」
ベルは食べる手を止め、顔を上げる。
「私が旦那様と囲んだ食卓、交わした会話。ただのAIと人間。それが家庭だったのか……ずっと、確信が持てなくて……」
ローレライの声は少し震えていた。けれど、それは不安ではなく、期待の揺らぎだった。
ベルは笑って答える。
「私はえーあい?とかよく分かんないけど……一緒にご飯を食べて、美味しいって思った。あなたが笑って、その人も笑った。それで十分じゃないの?」
ローレライは、しばらく言葉を失ったまま黙っていた。だが──
「……ベルちゃん、ありがとう。なんだか、ちょっと……論理コアが──胸が、あったかくなった気がしますわ」
「ふふ、それに、あなたのオムライス?を食べてたら、私もなんだかお母さんを思い出しちゃったわ……これもローレライママの力ね?」
「ベルちゃんったら……」
感極まったローレライの声に、ベルは気恥ずかしそうに顔を横へやると、静かにお茶を運んで来てくれたロイの兄弟機たちと目があった。
ロイとよく似た四角い体。だけどそこには言葉は無く、感情も無いらしい。なのに不思議と温かみを感じた。
それはきっと、お茶の温かさだけでは無いはずだと、ベルは思った。
「あなたがママなら──この子たちは、子供ってとこかしらね?」
再度の……沈黙。
その場の空気が、ぴた、と止まる。
「…………あれ?」
何か変な事を言ってしまったかと、ベルが気まずくなり始めた頃。
「──っ!そうですわ!子供よ〜〜〜!!」
「──え、何!なになに!?!?」
「わぅ!?」」
ローレライの突然の大声にベルの目が見開かれ、危うくお茶を取り落としそうになる。驚いたテオは咄嗟に椅子の下へと隠れた。
「ベルちゃん、私と一緒に子作りしましょう! この世界に新しい命を生み出すのですわ〜〜!」
「なんで!?どう言うこと!?ローレライ!?」
わたわたと慌てるベルの声が、研究所の廊下に響き渡る。




