第26話 エルフと石の箱と兄弟達
空の色が少しだけ柔らかくなってきた頃、ようやくベルたちは目的の建物にたどり着いた。ネスカはベルとの口論の後、目的地がまだ先だと知るや、音沙汰がなくなっていた。
「あいつ逃げたわね──っと、着いたの?」
一行の前を行き、先導を続けてくれていたロイの動きが止まる。
草が伸び放題の田畑であっただろう場所を抜け、再度賑やかになってきた街中を歩いてきた。賑やかと言っても、それはあくまでも建物だけで相変わらず人の気配はしない。
やがて一行がたどり着いた建物は、これでまで散々周りを囲んでいた背の高い石塔ではなく、平たく大きく広がる形をしている。それは森にあった精霊の祠とはまるで違う、冷たい石の箱のようであり、まるで古の巨人が置き忘れた道具箱のようだとベルに思わせた。
「ここが……ロイの故郷?……だよね?」
ベルが小首をかしげると、隣でロイがかすかに首を縦に振る。
「はい、そのような物です。我々のようなアンドロイドの機体開発、またそれらに搭載するAIの開発管理を目的とした施設です。現在は外部からの干渉が停止しているため、内部システムは完全に独立稼働中のはずです」
そう説明するロイの声には、わずかな緊張が滲んでいた。
ベルは目の前の建物をじっと見つめる。壁には細かなひび割れが走り、どこか朽ちた印象を与えている。だけど、その無機質な佇まいには、どこか時の流れに抗う意志も見えた。
「……なんだか、少し苦しそうに見えるわね」
ふと漏れたベルの言葉に、ロイが首を傾げる。
「苦しそう、とは?」
「うーん、なんていうか……寂しそうというか……」
ベルは言葉を探しながら、そっと壁に手を添える。冷たく硬い感触が手のひらに広がる。それでも、そこに確かに感じるものがあった。
「わうん!」
突然、テオが小さく鳴いてベルを見上げた。ふさふさの尾をぴんと立て、鼻先を建物の扉へと向けている。ベルも何かを察知し、その長い耳がぴくんと跳ねた。
「歌が……聞こえる?」
ベルの耳に──楽し気な、寂し気な、子守歌のような──微かな歌声が届いた。
「ふむ──」
ロイの瞳が淡い光を灯した。何やら探っているらしい。しばらくして彼は静かに頷いた。
「確かに、建物内に反応を検出しました。そして、これらに攻撃的な意志はありません。むしろ——」
「むしろ?」
「歓迎の意志、かと」
その言葉に、ベルはそっと胸に手を当てる。ここにいる誰かが、自分たちを待っているのだろうか。何のために?
——それを確かめるために、扉の向こうへ行かなければ。
「行きましょう、ロイ。テオも」
「かしこまりました、ワタクシがご案内致します。あまり気は進みませんが──」
「──?」
珍しく小声で言い淀む様子にベルは訝しがりながらも、前を行く箱のような背中に着いていく。
やがて、入り口であろう場所でロイは足を止めた。もはや見慣れてきた大きな硝子の引き戸の前に立つと、ベルはそっと息を整える。手を伸ばそうとした次の瞬間、それは軽やかにスッと開かれた。
そして——
『──あらあら、まぁまぁ!なんて可愛らしいお客様でしょう!』
「えっ……!?」
驚きに目を見開くベルの耳へ、 朗らかで優雅な声が優しげに響いた。
──虚空から。
柔らかく、それでいて建物中に響き渡るような声。
ベルは思わず周囲を見渡したけれど、そこには誰の姿もない。ただ広がるのは薄暗く静かな廊下。それにも関わらず響くのは、自らの母にも似た雰囲気のやたらとはしゃぐ、異国の言葉で喋る女性の声。
「えっ、えっ!? 誰?どこから話しかけてるの!?」
『あら、フランス語なのね?オシャレ~!』
途端、言葉がベルに耳馴染みのある物へと変わる。
「まぁまぁ、そんなに驚かないで! 久しぶりのお客様なのですもの、歓迎しなくちゃ!」
ベルの混乱などお構いなしに、声の主は朗らかに笑った。
その声はどこまでも優しく、まるで幼い子をあやす母親のようだった。
そして、唐突に——
「──あら、あらあら! まぁまぁまぁまぁ、まぁ!」
先ほどよりも数倍はしゃいだ声が響き渡った。
「この識別信号、間違いありませんわ!マクスウェルちゃん!あなたでしょう!?あぁ、嬉しいわぁ!元気だったのねぇ!」
「……ローレライ、ご無沙汰しております」
静かに頭を下げるロイの姿に、ベルはさらに目を丸くした。
「ロイ……知ってるの?それにマクスウェルって……?」
「ワタクシの開発コードでございます」
「ふぅん?」
耳慣れない“開発コード”なる言葉にベルの首が右に左に傾く。
「あらあら、開発コードだなんて味気ない言い方ですこと!M.A.K.S.W.E.L.L.──Multi-purpose Autonomous Knowledge System for Wisdom, Ethics, Logic, and Learning──は、私と旦那様が一緒に考えた可愛い可愛い名前ですのに!」
ロイの苦々しい沈黙が、返答の代わりだった。
「立派になったのねぇ……新しいご主人様まで連れちゃって……ふふふっ!これぞ、息子の里帰りを迎える母の気持ちだわ!」
「ローレライ……ワタクシはもうロールアウトした身です。あまり子供扱いしないでいただきたい。それにワタクシは今、こちらのベル様という主人に、ロイという素晴らしい名前をいただいております」
「まぁまぁ! 照れなくてもいいのよ、マクスウェルちゃん! かわいいわぁ!あ、これからはロイちゃんって呼んだ方がいいわね!」
「あぁ……もう……これだから──」
珍しくタジタジになるロイ。ベルはそんなやり取りを見ながら、ぽかんと口を開けたまま呟く。
「えっと……つまり……ロイの……お母さん……?あ、こんにちは、私はベル──」
友人の母親に偶然出会ってしまったような、微妙な気まずさを覚えながら挨拶をしようとしたベルの言葉に、天井から聞こえる女性の嬉しそうな声が重なる。
「まぁまぁ、お母さんだなんて、ベルちゃんたら!ご明察〜!改めまして、私はこの施設の統合管理システムにして、世界を観測し情報をまとめるAI。L.O.R.E.L.E.I.──Logical Observation and Research Entity for Leading Ethical Innovations──ママって呼んでくれてもいいわよ?」
再び声が弾む。
「え、あ、はぁ……」
「あなたたちをお迎えできるなんて、今日はなんて素敵な日かしら! さぁさぁ、どうぞ中へ! た〜っぷりとお話ししましょうねぇ!」
ベルは一抹の不安を覚えつつも、背後で尾を振るテオと、沈黙のまま佇むロイを交互に見やった。
——どうやら、しばらくはこの調子が続きそうだった。
ローレライの声は弾む、その勢いは止まるところを知らない。
「はぁい、右手に見えますこちらが最新型機体の製造ラインですわ〜!──と、言っても今は必要ないので、普段動かしておりませんけど──今日は特別に多めに動かしておりま~す!」
光沢のある白い床に、規則正しく並ぶ無機質な機械たち。壁一面には複雑な模様を描く金属の線が張り巡らされ、かすかに青白い光が脈打つように灯っている。
並べられた機械はそれぞれが意思を持ったように動き、また別の機械を作っているようだった。
ベルは目を瞬かせながら、その圧倒的な光景に思わず見惚れていた。
「……すごいわね……ゴーレムがゴーレム作ってる……これ全部ロイの兄弟なの……?」
「そうですのよ!でもでも、これはまだまだ序の口ですわ!ほら! 奥の方にはもっと楽しい場所もあるんですのよ!」
ローレライの楽しげな声に誘われ、ベルとロイ、そしてテオは再び歩き出した。
「こちらは観測データを管理するお部屋! 今はあまり使われていませんけれど、かつてはここから世界中の情報を分析していたんですわ!」
高く積まれ様々な色に明滅する黒い板や、数年放置したツタ植物の如く、無数の線が絡まる機械たち。それらが静かに眠る空間は、まるで時の止まった遺跡のようだった。
「ふぅん……でも、これが何をしてたのかは、さっぱり分からないわね……」
ベルが正直な感想を口にすると、ローレライはくすくすと笑った。
「あらあら、それは当然ですわ。ここはただの計算機の集まり。でも、それを使う人がいれば……ここは世界の未来を見通すこともできたのです」
「未来を見通す、ねぇ……」
ベルは小さく呟きながら、複雑に輝く黒い板の残光を見つめた。
そんな探検が続く中、突然ローレライが案内を止めた。
目の前には、ひときわ重厚な扉。
少しだけ開いたその扉は、まるで森の中にひっそりと佇む古の神殿のように、異質な存在感を放っていた。
「……ここは〜……入っちゃダメですわぁ!」
ローレライはにこやかに笑いながらも、どこか強い意志を感じさせる口調で告げる。すると重厚な扉はひとりでに閉まりだした。
「ダメって……どうして?」
ベルが不思議そうに問いかける。
「うふふ、それは秘密ですの」
ローレライの声は相変わらず楽しげだったけれど、扉が閉まる前にロイの光学センサーが微かに光を強めた。
「……ひどく散らかってるだけかと……」
「あぁ……」
自身にも思い当たる節があるベルは強く探らなかった。
「まぁまぁ! 深く考えなくてもいいんですのよ〜!」
あくまでも飄々とした態度のローレライ。その場の空気は、どこか妙な緊張感を残したまま、再び歩き出そうとした──その瞬間。
「わうん?」
小さく鳴いたテオが、ふと興味を引かれたように扉へと向かっていった。
「テオ、ダメよ!案内されて無いところに入ったら──」
ベルの制止も虚しく、テオは扉の隙間から器用にするりと潜り込む。
その先にあったのは、無造作に積み上げられた書類の山だった。
「あっ……!」
テオの鼻先が書類の端を僅かに揺らす。バサバサと不安定に崩れ始める紙の塊。あっという間にバランスを崩し、テオの小さな身体を飲み込もうとしていた。
「テオ!!」
「テオ殿!」
ベルとロイが思わず叫んだその瞬間。
「E-03、E-04、緊急対応モード! 可愛いお客様をお助けして!」
ローレライの声が響くと同時に、部屋の隅に立っていた二機の兄弟機が一斉に動き出した。
ロイと酷似したその姿が機械仕掛けの玩具のように、無音でテオのもとへと駆け寄る。
素早くテオを持ち上げ、崩れる書類から無傷で救出する姿は、無機質でありながらも、確かに精緻な技術の結晶だった。
「ローレライ。ありがとうございます」
「テオ!大丈夫!?」
ロイが礼を述べる横をすり抜け、ベルはテオの元へ駆け寄り、ロイの兄弟たちからその小さな体を受け取るとすぐさま様子を確認する。
「わう……」
ちょっと驚いた様子のテオだったが、無事であることにベルは胸を撫で下ろした。
「ありがとう、ロイの……弟さん?」
ベルは静かに声をかけながら、機体の頭をそっと撫でた。
しかし、兄弟機は無言のまま。ただ指示通りに行動し、静かにその場に佇んでいるだけだった。
「……こんにちは?」
もう一度優しく声をかけるベル。だけど、返ってくる言葉はなく、彼らはまるで空っぽの器のように見えた。
「ごめんねぇ、ベルちゃん。その子たちはロイちゃんと違って、中身が無い子たちだからぁ」
「……中身?」
ベルはそっと手を引きながら、確かにロイとは違うが一体なにが違うのか──心の奥で小さな疑問を抱いた。
ロイもまた、そんな兄弟機たちを静かに見つめていた。
「でもでも!うちの子たちも立派に働いてくれて嬉しいわぁ!」
ローレライは、満面の笑みを思わせる声で嬉しそうに拍手の音を響かせていた。
「──そうね、テオもお礼を言いなさい」
「わぅ!」
ベルに抱っこされたままのテオが嬉しそうにひと鳴きして応える。
「さぁさぁ、次はもっと素敵なお部屋をご案内しますわよ〜!」
ローレライの声に促されるまま、ベルは再び歩き出した。胸の奥に、ほんの少しの違和感を残しながら。




