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第25話 エルフと遠ざかる塔と道端の石

 ベルはぎこちなくも慎重に鉄の箱の手綱を握り、車を前へと進めていく。

 廃墟となった道には、砂埃をかぶったままの車両が数多く並んでいる。


「あっちもこっちも、動かなくなってる車があるわね……」


「はい。状況からして、稼働を停止した車両の多くは、管理者による転移の際、運転手と共にその場にあったものと思われます」


「よく分かんないけど──よ、ほっ、おっとと──走りにくいったらないわね」


 主の居ない車体の間を縫うように進むベルは、車をぶつけそうになるたびに眉をひそめた。

 そんなベルを横目に、ロイが冷静に提案する。


「無人の状況下においては、歩道や自転車道の走行も一案です。比較的障害物が少なく、直線的な進路を保てるでしょう」


「え、歩道って道の端ってこと? そこって、人が通る道でしょ? そんなところこんな物で走っていいの?私だって王都では道の真ん中に出ないように気を付けてたわよ?」


 ベルは馬車が行き交う道で、無暗に道を塞がないよう気をつけていたことを思い出す。うっかり忘れて撥ねられそうにはなったが。

 一応周囲を見渡してみるベルだったが、当然のように周囲には誰の姿も見えない。


「現在の環境においては、その懸念は不要です。歩行者も他の車両も存在しない以上、通行区分にこだわる必要はないかと存じます」


「あ、それもそうね。だったら少しだけ、お邪魔しちゃおうかな」


 慎重に手綱を歩道側へとを切るベル。車輪が段差を乗り上げると、軽い振動が足元に伝わってきた。

 ガタゴトという感触に戸惑いながらも、車は問題なく前へ進む。


「ふふん、なんだ、これなら楽勝じゃない!」


「油断は禁物です、ベル様。引き続き慎重な操作をお願い致します」


「わぅ!」


 窓から顔を出したテオが、風を受けて楽しげに耳をはためかせる。

 そんな穏やかな一瞬を背景に、車は無人の町を進み続ける──


 無人の街を進む車。ベルは少しずつだが手綱の感覚を掴み始めていた。


 道の両脇にはかつての暮らしの名残が並んでいる。崩れた看板らしき物、ひび割れた道、放置されたままの車。けれど、そんな中でもベルの視線は、遠くにそびえる見覚えのあるものを捉えていた。


「あ……ロイ、見て!光の塔!」


 指差したのは、あの巨大な塔――ロイと初めて出会った場所だった。


「はい。距離にして5㎞程でしょうか、視覚的にはそろそろ小さく見えはじめる頃合いですね」


 ロイは淡々と答えるが、ベルの心にはしんとした感情が広がっていく。


 ──あんなに大きかったのに。


 目の前にそびえ、首を痛めそうなほど見上げていたあの塔が、今ではやや小さく見える。少し寂しいような、けれど前に進んでいることを実感させられる光景だった。


「……ふふ、なんだか変なの。遠くに行けば行くほど、あの塔も小さくなって、消えちゃいそうね」


「塔そのものが消失することはございませんので、ご安心を」


「馬鹿にしてるでしょ、ロイ。それくらい分かってるわよ、もう!」


 苦笑しながら、ベルは右の(あぶみ)を少しだけ踏み込んだ。


 

 しばらく進むと、視界の端に広がる水面が見えてくる。川幅の広いそれは、キラキラと陽の光を反射しながら、静かに流れていた。

 ベルはその景色に目を奪われると、車を停め、窓から身を乗り出した。


「わぁ……すごい。あの川、広いわね!」


「あれは荒川でございます。東京湾へと注ぐ一級河川であり、大雨時の氾濫対策として大規模な治水工事が施された歴史もございます──」


「へー……」


 ロイの解説はベルの耳をすり抜けていく。今、彼女の興味はただ、目の前の水の流れにあった。


「ねぇテオ、前にあたしが魚を捕った川より、ずっと大きいね!」


「わぅっ!」


 窓から顔を出して風を感じていたテオが、尻尾を振りながら応える。


「それで、ここの川にも美味しい魚はいるの?」


「はい。淡水魚や汽水魚を含め、多種多様な生物が生息していたかと。代表的なものとしては、ハゼ、うなぎ、ボラなど──」


「うなぎ……なんだか 美味しそうな響きね……!」


 ベルの目が輝いた。美味しいものに敏感な彼女の表情に、ロイはわずかに沈黙した後、静かに続ける。


「そうですね──恐らく目的地近くの霞ヶ浦と言う湖でも獲れるかと。うなぎは古くからこの国の食文化に根付いた食材でして、国中の人がこの魚を食べる日があったほどです」


「へぇ~、良いわね!今度は湖でもっといろんな魚を捕ってみようかしら!」


 意気込むベルに、テオも賛同するように鳴いた。


 

 川を渡り、しばらく走ると、ベルの目に映る景色が徐々に変わり始める。

 これまでの高い石塔群は姿を消し、代わりに低い建物が目立ってきた。窓にカーテンが掛かったままの家々、草木が自由に伸びる小さな庭。それでもどこか、人の温もりを感じさせる場所だった。


「あ……なんだか、建物の形が変わってきたわね」


「はい。この付近は住宅地でございます。都市部に比べ、土地の広さを活かした一戸建ての住宅が多く見られます」


 ベルは車をゆっくりと進めながら、家々の並ぶ景色をじっと見つめる。


「ここに住んでた人たちも、毎日、誰かと一緒にご飯を食べてたのよね……」


 ふと、ベルの脳裏に浮かぶのは自分の故郷。木造の小さな家の食卓。焼きたてのパン、湯気の立つスープ、テーブルを囲む家族の笑顔。


「……ねぇ、ロイ。人がいなくなってから、ここのおうちの食卓はどうなっちゃったのかしら?」


「食材の腐敗や劣化が進み、やがて廃棄物として処理されることもございます。ただし、気密、密閉により保存状態が保たれている場合もあり──」


「……ロイ。そういうことを聞きたかったんじゃないのよ」


 少し呆れたようにベルは言うが、ロイは申し訳なさそうに小さく頭を下げる。


「失礼いたしました、ベル様」


 ベルはふっと笑い、改めて静かな住宅街を見渡した。


「あ、ねぇ、ロイ。こういう家に住んでた普通の人達って、どういうご飯を食べてたのか分かる?」


「はい、こう言った一般家庭でよく食べられていた物と言いますと、カレー、ラーメン、コロッケ、肉じゃが、唐揚げ、ハンバーグ──」


「へえ……名前だけじゃ分からないけど、色々あるのね──あ!ハンバーグは食べさせてくれたやつね!」


「左様でございます。ベル様が光の塔と呼ぶあの場所の食堂で、私がお出しした食事も、家庭で一般的によく食べられていたメニューの組み合わせでございますね」


「あぁ……えっと、なんだっけ……おこさまらんち?確かにあれをみんなで食べるのは楽しそうね!」


 家族で“おこさまらんち”を囲む情景を思い浮かべ、にこにこと笑うベル。


「いえ、あのメニューを召し上がるのは基本的に外食の時が多かったようです」


「え!?美味しいのに!」


「そこは否定いたしません」


 ベルが車の手綱を握ったまま、前方の風景を見てふっと目を細める。


「あ、ねぇロイ……なんか……あれ、山?」


「はい。前方に見えるのが──ネスカ様曰く輸出拠点があると言う、筑波山です。標高877メートル、東の方角より見ると二つの峰が並ぶ特徴的な形状をしており。平地にそびえる独立峰として一目置かれ、霊山として──」


「ぽこっとしてて可愛い形ね。なんだろ、こう……山っていうより、お菓子みたい」


「昔は“紫峰”とも呼ばれていた名山でございます。神話や伝承にも名が登場し、古くから信仰の対象として──」


「はいはいはい、本当に解説好きなんだから……ふふ、でも……なんかちょっと、ワクワクしてきたかも」


 その瞬間、不意に後部座席、テオの胸元から、あの青い石の声が響く。


「ねぇ、そろそろ筑波山着いた~?」


「うわっ!?ちょっ、いきなり喋んないでってば!びっくりす──!」


 驚いたベルが手綱捌きを誤り、車体を軽く道の端の石へとぶつける。


「きゃあ!」

「わぅ!」


 車内がにわかに騒がしくなったその時、足元から重たい音が響き、ゴリゴリ、ガラガラ、と嫌な音が続く。


「もう……みんな大丈夫……ん?この音、なに?」


「車体下部、動力伝達機構に重大な損傷が発生した模様です……!」


「えっ、えっ?なにそれ?どうなるの!?」


「──とにかく減速を──!」


 車体は大きく揺れはじめ、黒煙がモクモクと立ち昇る。そのまま車は脇の畑へと突っ込んで行った。


「うわあああああーーっ!!???」


 手綱を握ったまま叫ぶベル、その後ろでテオは窓からひょいと抜け出して──


「わぅ?」


 車はそのまま、ガクン、と音を立てて停止した。

 

「──ネスカ、あんたのせいよ!?」


「濡れ衣にもほどがない!?」

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