第24話 エルフと鉄の箱と懐かしい風
テオの首輪騒動の翌日。
朝日に照らされた、廃墟と化した都市の道端には、かつての暮らしの名残が静かに転がっていた。ふやけた車輪のせいで傾いた車体、大きく開けた鉄の口の隙間から雑草が顔を覗かせる鉄の箱たちが、整然とも無造作とも言えない配置で並んでいる。
状態の良いと思われる物は道端ではなく、建物の中に鉄の箱が整然と並ぶ箇所に集まっていた。
それらのひとつへと目星をつけたロイはいくつか停められた鉄の箱たちを観察し出す。
「これは……だいぶ放置されておりますが、屋根のある駐車場にあったお陰か車両の損傷自体は小さいですね。キーがその場に落ちていたのも僥倖です」
恐らく車で出ようとしたところで管理者によっての転移が開始されたのだろうとロイは付け加えた。
「更に比較的構造が単純なタイプの廉価な電気自動車のようですので、タイヤの空気とバッテリーの充電をどうにかする位で動くかも知れません」
ロイが状態を確認しようと周囲を一周するさなか、テオはその鉄の箱の上によじ登ろうとしており登山ごっこに夢中だ。
「ってことは、これ──走るの?」
「見える範囲以上の内部の劣化が問題ではございますが……電気自動車ですので、バッテリーが放電しているだけであれば、応急対応で始動できる可能性が高いかと」
「ば、ってリー?」
「ええと……要はお腹が空いているような物です」
「あぁ!なるほど、それは動けないわ」
ロイの説明に珍しく手を打って理解を示すベル。その様子にロイの光学センサーが小さな音を立てた。
「じゃあ何か食べ物あげた方がいい?カリカリは?この子食べれるの?口はどこかしら?」
「あ、いえ、ベル様。ものの例えですので……実際に食事を必要とする訳ではございません」
「……ネスカもあなたもこの子も……なんでご飯なくても動けるの……」
食事を必要としない、という事が心底腑に落ちない様子のベル。そんな彼女をよそにロイの胴体側面がシュッと開き、中から赤と黒の紐のような物がするすると伸びる。
「ええと……ワタクシがこれで……そう、魔力的な物を──給餌、致します」
「えぇ、そんなのがご飯で良いの……?」
ベルが呆れとも感心ともつかない声を漏らす傍らで、ロイは器用に鉄の箱の大口を開き、どこかへと赤と黒の紐を繋いでいく。
「多少動ける程度の充電にはしばらく時間が必要となります。しばしご歓談を」
「はーい。じゃあ、テオ!ちょっと周りで遊んでよっか?」
「わぅ!」
ロイが車と向き合い始めたのを見て、ベルはテオを呼んで一緒に遊び始める。
やがてテオが遊び疲れてお昼寝を始めた頃──
少し離れたところで、ベルが別の乗り物に視線を向けていた。
「ねぇロイ、あの鉄の仔馬みたいな子は? こっちなら私、馬乗れるし乗れそうじゃない?」
指差す先には、道の脇で休むように斜めに立つ鉄の箱と似た車輪を持つ鉄の仔馬。
「いわゆるバイクと呼ばれる乗り物でございます。荷物はさほど積めませんが軽量で機動性に優れ、放置された車両の間を縫って移動するには便利な手段ではありますが……操縦を十分に習熟していないと非常に危険です。正直、おすすめは致しません」
「あら?」
「付け加えると、ワタクシが乗れません。そして、追いつけません」
「あら……」
そう言いながら、ベルは興味津々でバイクとやらに近づく。その仕組みも分からないまま手をかけ──
鉄が岩に打ち付けられる悲しげな断末魔をあげて鉄の仔馬は倒れ込んだ。
「きゃっ!? なっ……なんで倒れるのよ!?し、死んじゃった!?」
「人が乗って足をつくか“スタンド”という支えがないと自立出来ない物なのです。大丈夫です元々生命活動はしておりません」
鉄の仔馬が倒れた音で起きたテオがぴょんとその上に飛び乗って鳴く。仔馬を仕留めたつもりのようだ。
「なら良かったけど……えぇ……生まれたての仔馬ですら自力で立てるわよ……? うーん、これは確かにダメかもね……」
「危険ですので、不用意に触らない方がよろしいかと思われます」
「はーい……」
仔馬とのふれあい(?)を終えて戻ってくると、ロイの赤と黒の紐は既に元の場所へと巻き戻されていた。餌やりは終わったようだ。
「充電は完了いたしました。始動いたします」
ロイが右側の扉へ回り込み、器用に動く指の先で先ほどのもんじゃ焼き屋にあった自動販売機で見たような、赤く光る“ボタン”を押す。
ボタンの光が緑に変わると同時に、ベルの耳にはまるで耳鳴りのような高音がかすかに響き始めた。
「え? これで動いたの?なんか……鳴いてる?耳鳴りみたいな鳴き声ね」
「電気自動車は音がほとんどいたしません。これはいわば起動時の産声のようなものでございます」
「へぇ〜……」
ベルが感心したように車を眺めていると、ロイが小さく咳払いのような機械音を鳴らす。
「では──ワタクシが運転を……」
そう言って、車のドアを開き、伸びる腕を器用に使って座席へとよじ登った──が。
「……」
座席にすっぽり収まったロイの“顔”にあたる光学センサーは、目の前の丸い輪の影に隠れてしまっていた。
さらに、床に伸びる金属の踏み板のようなものをどうにか押そうと試みるが──座席がギシギシときしむばかりで、何ひとつ動かせる気配がない。
乗った時と同じように器用に腕を使いロイは席から降りた。
「……結論として」
ロイは一度沈黙し、機械的にきっぱりと告げた。
「物理的に、ワタクシの構造では運転操作が不可能でございます」
「え、ダメなの!?」
「座高が足りず前方視界が得られない上に、キャタピラによるペダル操作は非現実的でありました」
「じゃあどうするの?」
「運転操作の知識そのものはコモンセンスライブラリに収録されておりますので……助手席より指示を行う形であれば、最低限の教習は可能です」
ロイの声音は不本意を隠す事はなかった。
「よって少々不安ではありますが、ここはベル様にお願いするほか──」
「つまり、私の出番ってわけね!」
にっ、とベルが楽しそうに笑うと、ロイの体の中から小さな悲鳴のような機械音がした。
まずは、とロイによる車両の各部分の名称や操作の役割についての懇切丁寧な説明を受けたベル。
果たしてどれだけ理解してもらえたかと、ガラスの様な瞳を曇らせるロイをよそに、本人はやる気満々の様子で座席に座りうんうんと頷いて復習していた。
「えっと、これが絶対しなきゃいけないって言う“しーとべると”で……目の前のが“はんどる”……手綱ね。こっちが“あくせる”と“ぶれーき”……要は鐙よね。で、右の鐙を踏めば進んで、左を踏むと止まる……うん、簡単じゃない!」
「そうでございます。ただし、アクセルは非常に繊細な操作を求められますので──特に最初はゆっくりと、少しずつ、右足で、グッと踏むのではなく優しく押すように──」
「了解、任せてー!」
ベルの元気な声とともに、車が勢いよく前進する。
「急発進です! ベル様、右足を離して──いえ、ブレーキに踏み替えて──ああっ……!」
目の前の壁すんでのところでロイの伸びる腕が左の鐙──ブレーキを押し込み、車体が急停止。がくん、と揺れた車内で、テオが後部座席から前方へ転がり出た。
「きゃぅん!」
「わぅっ!?テオ ……!ご、ごめんってばー!!」
「ベル様…… 車の運転は非常に危険を伴いますので、慎重にお願いいたします……」
「はい、ごめんなさい……」
やがて、何度かロイの補助ブレーキを受けながらも、ベルはその場で車をゆっくり前後させられるようになってきた。
「では次は、方向転換の練習を──そのままゆっくり進んで、今度は前方で右へ曲がりましょう──はい、ここでハンドルを切って下さい!」
「え、“はんどる”切っちゃうの!?ナイフならカバンの中だけど!?」
そう言ってベルは自身の座席の裏にある鞄に手を伸ばそうとした──体に釣られて“手綱”が左へ回る。
「──いえ、ベル様、それは“切る”の意味が違います!」
今度は流石のロイも間に合わず、ゴン、と壁にぶつかる衝撃と音が響いた。
「ベル様…… ワタクシの説明漏れでございました……ハンドルを切るとは回すと言う意味です……物理的に切ったら壊れます……」
「はい、すいません……」
その後も何度か小さな衝突や急停止を繰り返しながらも、車はゆっくりとではあるが前に進み続けていた。
「ふふん、なんだ、やればできるじゃない……」
ベルがにやりと笑う。余裕が出てきたせいか、右足にかける力がいつの間にかじわじわと強くなっていた。
「ベル様、速度が……あっ、アクセルを緩めてください! そろそろ制限速度を──」
「よしよし、感覚つかめてきた! 馬でなら森の中でももっと早く走ってたから大丈夫!この風の感じ懐かしい──!」
「わぅっ!」
後部座席では、開け放たれた窓からテオが顔を出し、耳をばたつかせながら、気持ちよさそうに風を受けていた。舌をぺろっと出して、しっぽをぶんぶん振っている。
「テオも楽しそうね! よーし、行くわよー!!」
「ベル様!!だからその発想が一番危険なのですッ!!」
車体はぐんと加速し、埃を巻き上げながら廃墟の大通りを突き進んでいく──




