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第22話 エルフとドロドロとちゅるちゅる

 軋む床を踏みしめ、ベルは何故か入口に垂れていた布を避けてくぐり店の中へと足を踏み入れた。


「邪魔じゃないのこの布?」

 

「それは暖簾という屋号や営業中を示す物でございます」

 

「ふーん」

 

 中は当然のように静けさに包まれていた。

 奥に続く細長い形の狭い空間には長机が3つだけ。その天板には四角い鉄板が嵌め込まれており、その周囲を囲むように椅子が整然と置かれている。


 照明はほのかに灯っており、埃こそ積もっていないものの、どこか人の手がしばらく加わっていない気配が漂っていた。


「……ねぇ、誰もいないのに、本当に開いてるの?」


 ベルが小声で尋ねると、ロイがすぐに応じた。


「はい、営業中の表示は継続しております。おそらく内部システムが定期的に清掃・管理を行っていたものかと──このように」


 ベルたちの足元を丸い円盤状の物体が滑るようにすり抜けていく。

 

「ひゃ!何これ!びっくりしたぁ……」


 主人を驚かせた物体にテオは飛び掛かるが、円盤状の物体は我関せずとばかりにスイスイと動いている。上に乗ったままのテオは物体が動くのに合わせてクルクルと踊るように回るのが段々と楽しくなっていた。


「清掃の仕事をするワタクシの兄弟のような物です」


「あ、そうなのね。どうも、あなたのお兄さん?にはお世話になってるわ。ほらテオ、お仕事の邪魔だから降りなさい」


 ベルは円盤状のロイの弟?に挨拶をしながら、その上で遊び始めたテオを抱えて降ろした。


「兄弟と言ってもその機械は言語を解しませんので、お気遣いなく」


「あら残念」


 それなら良いよねとばかりに、再度円盤に飛び乗って遊び始めるテオにベルは苦笑するしかなかった。


 


「それにしても、食事を出す場所なのに人が必要ないなんて……どうなってるのよ、この世界は」


「“自動販売”という形態でございます。こちらをご覧ください──」


 ロイが案内したのは、店の隅に設置された機械。人の背丈ほどの大きさで、前面に食べ物らしき絵が並んでいる。


「この装置により、材料の提供が行われておりました。ご注文内容に応じて、食材が内部から取り出され、調理前の形で供給されます。こちらのお店では基本的な組み合わせの他に追加でお好みの食材が買えるようですね」


「つまり、お店だけどここでは調理は自分でやりなさいってことね」


 ベルはぼやきつつも、透明な扉の奥に並ぶ具材の袋を興味深そうに見つめる。その脇からネスカも同じように覗き込んできた。


「うわぁ〜、ほんとにあるんだ……もんじゃ焼きの元って、こういう感じなんだねぇ。知識としては知ってたけど、実際見るのは初めて。ボク、食べたことないんだよね」


「食べたことないの?」


「うん。ボク、別に食べる必要はないからさ」


 その衝撃的な言葉にベルは信じられない物を見た顔でネスカを一瞥した。

 その時、弟?の上で遊ぶのに飽きたテオが漂ってきた匂いに反応したのか、機械の足元に寄ってきて尻尾をふりだした。


「ふふ……じゃあ、せっかくだから作ってみましょ。“もんじゃ焼き”ってやつを」


 ベルは気合を入れて手を握る。店内にわずかに満ちる湯気と油の残り香が、これから始まるちいさな食卓の時間を予感させていた。


 


「さてと、うーん……えい」


 ベルが興味深げに自販機の前面を眺めながら、いくつかの──押せと言わんばかりに赤く光る──場所をおもむろに押してみる。しかし、何の反応も返ってこない。


「失礼いたします、ベル様。恐れながら先にお金を投入していただく必要がございます」


 ロイは一歩前に出ながら、機械に開いた穴のような構造を指さす。


「これら機械全面に並ぶ“絵”は、それぞれの商品を表す物でございます。そして、この下にございます丸い出っ張り──これが“ボタン”と呼ばれる装置でして、注文選択の指示をこの機械へと与えるためのものです。が、動作にはまず、代価となる通貨の投入が必要となります」


「ああ、なるほど先払いって訳ね。お金……一応、あるにはあるけど……たぶん、これには使えないと思うわ」


 そう言いながら、ベルは小さな革袋を取り出し、その中のわずかな金属の硬貨をちらりと見せた。


「ここのお金って、違うのよね?」


「はい。この日本の通貨は、金属や紙で作られた特定の規格品でございまして。この装置はそれを読み取り、作動する仕組みになっております」


「ふぅん……“その国で決まったお金じゃないと動かない機械”ってことね。じゃあ、あたしの硬貨じゃ役に立たないわよね……」


 ベルが困ったように自販機を見つめていると── 


 「ボクが今持ってる日本円は……古いけど使えたりして」


 そう言って、ネスカはポケットから取り出した鈍く光る硬貨をひらりと放り、自販機の投入口へと入れた。


 機械はごく自然にそれを認識し、赤く光っていた表示が一斉に緑へと変わる。


「あ、動いたんじゃない?」

 ベルが目を輝かせる。

 ネスカは小さく目を見開いて自販機を見つめた。


「……え、ホントにいけたんだ。明治時代の通貨だったんだけど……」


「はい。極めて広範な通貨認識機能が実装されているものと思われます、おそらく──」


 ロイの補足説明を遮るようにベルがずいっと機械の前に立つ。


「動いてるならなんでもいいわ、で?」


 ベルは自販機を指差しながら前面を覗き込む。


「どれが一番おいしいの?」


 その視線は、先ほどまでとはまるで別人のように鋭い物だった。



 

 ロイによる細かい説明のもと、いつになく真剣なベルは装置の出っ張りをひとつひとつ慎重に押していき──結果、抱えるほどの食材が机の上に並べられることとなった。


 鉄板の前に座ったベルは、生地の袋を取り出してしげしげと眺める。


「これ……液体なのよね。うーん、なんだか粘っこいわね」


「それが“もんじゃ焼き”の生地でございます。まずはその液体を、土手状にした具材の中央へ──」


 ロイの説明が最後まで届く前に、ベルは意気込んで机の上に置いてあった食材を鉄板に広げようとする。ロイがその動きを止めようとする寸前で、ベルの手はぴたりと止まった。


「そういえば火を使うのよね?」


 そう呟いたベルは、くるりと身を翻して荷車へ向かい、何やらごそごそとし始めた。


「これこれ、前に拾った火鉢!これがあれば火種も作れるし、机の下に置けば鉄板温められるかな──」


 荷車の上には以前廃屋で拾った火鉢がしっかりと括り付けられていた。ベルはそれを取り外そうと手をかけ──


「ベル様!」

「いやいや、ベル君!?」


 ロイとネスカが慌てて制止する。


「この鉄板は内部から機械的に加熱される仕組みでございます! 火鉢での加熱は不要、というよりも……危険でございます!」


「えっ、でも火を使わないで、どうやって焼くのよ……?」


「こうだよ」


 ネスカはそう短くいうと自身の目の前の出っ張りを押した。ピッという音と共に早くも鉄板が温まりだす。

 

 「……おぉー……」


 ベルが珍しそうに覗き込み、ほんのり熱を感じる鉄板に手をかざしてみたりした。


「ほんとに温まってる。これ、液を流せばいいの?」

 

「はい。基本的にはこの液体を鉄板に流し、中央で加熱しつつ混ぜて作って行きます」


 火鉢を片付けたベルは楽しそうに、袋の中身を取り出し始める。その横で、テオが匂いに誘われてぴょこんと椅子に飛び乗り、ネスカと一緒にじっと鉄板を見つめていた。

 

「テオ君、なんか楽しくなってきたね!」


「わぅ!」

 

 鉄板に生地が落ち、勢いよく音を立てて広がっていく。テオとネスカが鼻をひくつかせながら、楽しげに顔を傾ける。

ベルはヘラを両手に持ち、生地をくるくると混ぜながら嬉しそうに笑う。


「へへ……なんか、わくわくしてきた。こういうの、初めてだけど……楽しいかも!」


「もんじゃ焼きとは、“作る楽しさ”も含めて味わう料理でございますから。ワタクシの記録によれば、これは“食べる前から楽しい”という珍しい料理カテゴリに属するようでして。特に今作っているもち明太子チーズはその中でも人気の──」


「わかったわかった、うるさいわよロイ! 今は集中してるの!」


「はい、失礼いたしました」


 鉄板の上でくつくつと音を立てながら、香ばしい香りがふわりと広がり、ジュウジュウと音を立て、鉄板の上のもんじゃはゆっくりと仕上がりつつあった。

 ベルは慎重にヘラを動かしながら、中央に寄せては混ぜ、また広げて──を繰り返していたが、ふと手を止める。


「……ねぇロイ。これ、いつ固まるの?」


 鉄板の上のもんじゃは、いまだにトロトロのまま。焼けば固まってくると思っていたベルは、予想外の展開に戸惑いを隠せない。


「そのままで問題ございません。そろそろ完成の頃合いかと」


「えっ!? これで完成!? これじゃどう見ても……どう見ても吐──」


「それ以上はいけません!ベル様!」


 ロイが急いで割って入りベルの口を塞いだ。

 しかしベルはじとっと鉄板を見つめたまま、ヘラを手に呆然とする。


「……ほんとにこれ、食べ物なの?」


「はい。食材の安全性と味の評価は、いずれも高水準でございます」


 そこへ、テオがくんくんと鼻を鳴らしながら、鉄板に鼻先を近づけ──


「わぅっ!」


 思わず跳び退いた。どうやら熱かったらしいがベルには別の意味に取れた。


「ちょっと、今のテオの顔、全部を物語ってたわよ!?」


 それでも漂ってくる香ばしい匂いに、ベルのお腹がぐぅと鳴る。

 その音に、ネスカは笑いながらヘラを手に取った。


「あっはは!じゃあ、ボクが先にいただくよ。……ぱくっ」


 ネスカが小さなヘラで一口を取って、口に運ぶ。


「ん〜……うん、美味しい! これ、ちゃんと出汁の味もしてるし、思ったよりずっとソースが香ばしくて、餅の食感もクセになるね!明太子の辛味も活きてる〜」


「ほんとに……?」


 ベルは警戒心と好奇心の間で揺れるような顔をしながら、ぐぅともう一度お腹が鳴る。


「……ええい、ままよ!」


 ついに覚悟を決めて、ベルは片方の手でヘラを取り、もう片方の手で略式の祈りを捧げるとサッと自分の分をすくって勢いに任せて口に運んだ。


「……あれ? 思ったより、美味しい……いや、めちゃめちゃ美味しい!」


 驚きと喜びが混じったような声が漏れる。


「見た目がアレだったから不安だったけど……うん、これ、いいわね……!」


「わぅ……」

 

 テオはというと、まだ鉄板には近づかず、控えめに小さく鳴いている。

 その姿にベルは笑って、荷車のほうへ向き直った。


「あ、ごめんねテオ……はい、あんたにも“もんじゃ風”よー」


 ベルは荷車から取り出したちゅるちゅるを、小皿に絞り出して、テオの前に差し出す。


「これなら火傷もしないし、美味しいでしょ」


「わぅっ!」


 テオは嬉しそうにしっぽを振って、それをペロペロと食べ始める。


 鉄板の前では、ベルとネスカが並んでもんじゃ焼きをつつきながら、テオもその隣で“ちゅるちゅる”を堪能していた。

 小さな異世界の食卓には、ふわりと湯気と笑顔が立ちのぼっていた。

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