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第20話 エルフと再びのカリカリと赤い巨灯

 ベルはネスカの言葉を反芻するように、小さく呟いた。


「私……帰れる、の……?」


 遠い、けれど確かな希望の兆し。そう思えば胸の奥に、ふっと小さな明かりが灯った気がした。


「うん。君がいた世界がどこかを特定できれば、帰還の手段を整えることもできると思う。でもそのためには調べなきゃいけない場所があるんだ」


 ネスカはステンドグラスから差す光の中でいくつか色の違う部分を指差す。


「ここでは魔力を他の世界へ“輸出”していたって言ったけど、そのための拠点が点在していてね。そこにはかつて接続されていた世界との座標情報が、記録として残っている可能性があるんだ。君の魂の“匂い”と照合すれば、どのシーツから来たのか、絞り込めるかも──君と同じ干したてのシーツのようなお日様の匂いがする世界を」


 ネスカの芝居がかった台詞にも慣れてきたベルはそれらを軽く受け流して話を進める。


「何そのへんな言い回し……つまり、その拠点ってのを回って手がかりを集めろってこと?」


「その通り!」


 ネスカは出来のいい生徒の回答に喜ぶかの如く、楽しそうに指を鳴らした。


「それはどれだけあるの? どれだけ探せば良いの? 本当に見つかるの?」


 ベルは不安げに質問を投げかけていく。本当に帰れるのか、彼女にとっては文字通りの死活問題だった。


「それは……流石のボクも分かんないよ。何もしないまま匂いが消えちゃうのを待つよりは良いでしょ? もしかしたら最初の一個目で手がかりが見つかるかも知れないし」


「それは……まぁ、あなたの言う通りね……」


 一度目を伏せたベルだったが、すぐに納得したように顔をあげる。あるいは自分を無理やり納得させたかのように。


 その様子にネスカは優しげに軽く目を細めたのを、ロイの高性能な光学センサーは見逃さなかった。


「でもちょうど良かった。この国会議事堂から歩いて行けなくもない範囲に、ひとつ古い拠点があるんだ。まずはそこから行ってみようよ」


「まずは最初の一歩……ね。了解。距離は問題じゃないわ、可能性があるなら行ってみましょ! もちろん案内はお願いできるのよね?」


「もちろんさ!」


 そうして、ベルたちはネスカに導かれながら国会議事堂を後にした。


 * * *

 

 美味しい物を食べたばかりだと言うのに、ネスカに放った魔法矢のせいでベルは腹ペコになっていた。

 国会議事堂とやらを出るや否や、石畳の上を歩きながらベルは鞄の中からいそいそと小袋を取り出す。待ちきれないとばかりに手のひらに中身をあけ、茶色くてカリカリとした粒をいくつか指で摘み上げ口へと運ぶ。


「んー……やっぱり味は薄いけど、妙にクセになるのよねぇ、これ」


 以前、見つけた保存食。硬いけれど、滋味がある──と本人は思っている。


 足元をとことこと歩いていたテオが立ち止まり、じっとそれを見つめた。ベルは苦笑して、何粒かをテオの前に差し出す。


「はいはい、しょうがないわね? ……って、そういえば、これって元々はあなたのだったっけ?」


「わぅ!」


 得意げに尻尾を振るテオ。その様子を少し後ろから見ていたロイの光学センサーが、二人が食べているカリカリの袋をしっかり捉える。


 ロイの内部で、自動照合プロセスが静かに動作し、数秒後に一致するデータが浮かび上がった。


(……該当商品名:ドッグフード。分類:愛玩動物用。成分:肉副産物、穀物──栄養バランス良好。人間が食しても健康被害の恐れはなし)


 ロイはほんのわずかに沈黙したあと、無機質な声で静かに口を開いた。


「ベル様、その食品は……ええと、非常に保存性が高く、栄養バランスにも優れた補助食でございますね!」


「でしょう? 見た目はアレだけど、意外と悪くないのよ」


 満足そうにぽりぽりとカリカリを噛むベル。その様子に、ロイの発声装置は一瞬ノイズを走らせたが──


「……ええ、実に理にかなったご判断でございます」


 隣ではネスカが、何とも言えない表情で口元を歪めていた。


「さすがだね……いやもう、さすがだよ、ベル君……」


「ん?あなたも食べる?ちょっとくらいなら分けてあげなくもないわよ」


 そう言ってベルは何粒かネスカの方へと差し向けた。


「いいえ、私は遠慮しておきます」


 それはこれまでのネスカらしからぬとても丁寧なお断りであった。



 そうして、食事(?)を終えた一行は再び歩みを進め、遠くに見える朱塗りの大きな門へと近づいていく。ロイはその門を見ながら、ふとネスカへと問いかける。


「失礼、ネスカ様。ワタクシから少し質問よろしいでしょうか?」


「お、なんだいロイ君? なんでも聞いてくれたまえよ」


「魔力の輸出と仰ってましたが……いったい誰がどうやってたのですか? そのような装置、ワタクシ今まで見たことありませんが」


「ふふん、それはね。昔は“契約者”と呼ばれる管理者から選ばれた地球の人たちがいて、その人たちが各地の輸出拠点と外の世界を繋いでいたんだよ。輸出用の魔力は魂由来のマナが天に昇って魔力に変換されると地上に降りてくるんだけど、それを集めて送り出してたってわけ。魔力の集積装置であり貿易港みたいなもんだね」


「なるほどそういった仕組みなのですね……ワタクシのコモンセンスライブラリには足りない事が多いようです」


「そんな事は無いさ、ロイ君、キミは優秀だよ! ──今のキミを見たら彼もきっと小躍りして喜ぶさ」


 最後の小声で付け足した言葉は風にかき消され、ロイの高性能な音声認識を少しばかりすり抜けた。


「すいません、最後の方が聞き取りづらく──」


「なんでもない! さぁ、そろそろ見えてきたよ!」



 そんな話をしながらたどり着いたのは、見上げるような巨大な朱塗りの門と、同じく真っ赤な巨大な物体が印象的な場所だった。その巨大な物体の中央にはベルの理解できない文字のような物が見てとれる。


「すごい……王都の城門さながらの大きさね。まさか、これが例の輸出拠点ってやつ?」


「そ。あの大きな提灯が魔力の転送装置そのものさ。こんな愉快な見た目だけど、精密だったんだよ」


 先ほど聞き逃した話をしたかったロイではあったが、ウンチク披露の場を逃す彼ではなかった。

 

「通常、“提灯”と言えば夜を照らす灯りのひとつでございますが──この雷門の大提灯は、浅草寺の象徴的存在であり、実際に火を灯す構造は持ち合わせておりません。また、その由来には興味深い逸話もございます。現在の大提灯は1960年、とある方が病気平癒の御礼として奉納されたものでございます。さらに提灯の底部には──ご覧いただけますでしょうか──精巧な龍の彫刻が施されております。これは浅草寺の守護神たる龍神を象徴しており、火災除けや五穀豊穣を願う意味が──」


「はぁ、そうなのねぇ……でも、灯りにする訳でもない提灯とやらなら、これで何をどうやって魔力を外へ送ってたっていうのよ……?」


 ベルはロイの長い説明を斜めに聞き流しながら、自分を軽く十人は詰め込めそうな大きさの赤い物体へと何気なく手を伸ばす。


「あ、不用意に触らない方が良いよ」


 ネスカの言葉にベルの手がぴたりと空中で止まる。


「え?なんでよ?」


「今は使ってないとはいえ、尋常じゃない濃さの魔力を扱ってた装置だからね。物理的に触る分には何も問題ないけど、ちょっと魔法的に変に触ったら精神がおかしくなったりするかも知れないからね」


 不穏当なネスカの説明に、提灯スレスレで止まっていたベルの手がゆっくりと下がっていく。


「え、何それ怖いんですけど……うっかり触るところだったじゃない!そんな物を私にあちこち探させる気なの?!テオもこっち来なさい!」


 大きな提灯に挑みかかろうと跳ねていたテオを空中で捕まえて、ベルは一気に後ずさる。


「まぁまぁ、下手に触ったらって言ったでしょ。今回は流石にボクがやるよ」


 そう言ってネスカはベルの前に出て、大提灯の目の前へと立つ。すぐに何か呟く声と共に大きな魔法陣のようなものが地面に広がり境内全体に広がって行った。


「うん。魔力の流れは綺麗に切れてる、安全だよ」


「それは良かったけど……私の帰るための手がかり……は?」


「それは……今見てるけど……あぁ、ごめん。まぁ、流石にいきなり大当たり〜とはいかないよね!」


 敢えての明るい口調のネスカの言葉に、ベルはほんの少し肩を落とした。抱えられたままのテオは主人を見上げて切なそうに声を上げた。

 そんな二人を見かねたようにロイがスッと前へと出る。


「失礼いたします、ネスカ様。ワタクシのような機械仕掛けであれば、原理的には精神への侵食や魔力的干渉といった影響を受けにくいかと──ただし、魔法に関する知見は未だ限定的でございます。保証とまでは申し上げられませんが、それでもベル様を危険に晒すよりは、今後の調査はワタクシが……」


「うーん、ロイ君は五感センサーは優秀だけど魔法的な物は機械的な物で検知できる物でもないからなぁ……難しいかも」


「左様でございますか……」


 ロイの上下動はしないはずの肩が落ちたように見えた。

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