第16話 エルフと神殿食堂と食べられない食べ物
ロイの案内で食堂へと進もうとする一行だったが、廊下に入ったところで揃って足を止めた。
「これ以上は明かりが欲しいわね」
外は昼間ではあるが、明かりも窓も無い廊下はそのまま歩くには危うい程度には暗かった。
「では、ここはワタクシが。こんな事もあろうかと、ワタクシには高輝度LEDライトが──」
「ほい」
自分の出番とロイが張り切った様子で腕を上げ、瞳らしき部分の両隣にある四角い半透明部分を光らせる。しかし、ロイの言葉を遮り詠唱されたベルの魔法の明かりがその手に浮かび、彼が照らした範囲を超え部屋全体を明るく照らし出した。
「あれ? なんか思ったより、暗い?」
しかし、本人が思うほどの強さの明かりでは無かったようで、ベルの首は何度も右に左に傾いてた。
「……」
「ま、いっか。あれ、ロイ? どしたの?」
自分の仕事が無くなってしまったロイの腕が少し寂しげにゆっくりと下がる。やがて彼にしてはぎこちない動きでベルに向き直り、一点を見てピタリと止まった。
「ベル様? それは一体? ワタクシにはベル様の手元に支えもなく明かりが浮いてるように見えるのですが」
ロイはベルの左手の上でふわふわ浮く明かりを凝視しながら固まっていた。その無機質な瞳の奥で何かが細かく動く音が、だいぶ忙しなく鳴っている。凝視している彼の瞳の両脇が光っているため、その間ベルは眩しそうに目を細めるしかなかった。ベルの足元ではテオも同じ様に眩しそうにしていた。
「え? 何って明かりの魔法だけど……強さの違いはあれ、子供でも使える簡単な魔法じゃない。人によってはこれで目潰し出来るらしいけど、そんな人、母さんくらいしか知らないわね。それに今日は何だか調子悪いみたい。なんでかしら?」
ベルは手のひらに浮いた明かりを、空いてる手で突いたりしている。その明かりは部屋全体を照らしているのにも関わらず、様子を見る彼女に眩しがるそぶりは無い。
「魔法……ですか? ワタクシの知識では物語などに出てくる架空の技術だったかと思うのですが? 失礼ながら、手品の類では無いのですか?」
「手品なんて器用な事、私には無理よ! あんな一瞬で物やら人やら消したり出したり、普通のヒトに出来る事じゃ無いわよ」
「左様でございますか……しかし、見れば見るほど……ふむぅ……」
「て言うか、貴方の周りに居た人たちは魔法使わないの? 夜になると勝手に点く明かりって魔法じゃないの?」
「生憎とワタクシの周囲では、そういった技能をお持ちの方はいらっしゃいませんでしたね……勝手に点く明かりとは、街灯や看板の明かりの事でしょうか? あれはセンサーやタイマー設定などで自動的に点灯する仕組みになっている物でございます。電力も最近はソーラーパネルなど、いくつかの技術革新があったお陰で自前で賄っている物が殆どかと思います」
「ふーん??」
「簡単に言えば機械的な仕組みで勝手に点くようになっている物です」
「あー、なるほど、機械ね、そういうことねー理解したわー」
ベルは腕を組んでしきりに頷いて見せた。
「時にベル様、そちらの明かりをもう一度拝見させて頂いても?」
「えぇ、もちろん。気になるなら、触ってみても大丈夫よ」
「おぉ。誠にありがとうございます」
「あ、あと、こっち向く時は眩しいから、ロイのその明かりは消してもらえると助かるわ」
「ワタクシとした事が、申し訳ございません。それでは失礼して――ふむふむ、コレはコレは……手元から光っていると言うよりも――」
ロイは何事か呟きながら、ベルの手元の明かりに顔を近づけたり、手をかざしたりとひとしきり何かをした後、ふと我に返ったようにベルの顔を見上げた。
「――ハッ! ワタクシのせいでお時間を取らせてしまいました! これは大変失礼致しました! ささ、こちらを真っ直ぐ進めば、突き当りが食堂のはずです」
「もう大丈夫? それじゃ、行きましょ」
ベルの魔法の明かりに照らされた通路を、ロイは先導するように先を進む。なおもブツブツと呟きながら。
「まだなんか言ってる……フフッ。まだ短い付き合いだけど、こうなると長いのはもう分かったわよ」
「わぅ!」
ベルの魔法に照らされた道を進みながら、怪しげに独り言を続けるロイ。後ろには、それを見て楽しげに笑うベルと、主人に同意するように一声鳴いたテオが続いた。
思考の海に沈みっぱなしのロイを先頭に少し歩くと、ガラスで出来た戸棚を脇に備えた扉が見えて来た。
「透明なガラスで出来た戸棚? もうこれくらいじゃ驚かなくなってきたわね──」
ベルが棚を覗き込むとそこには沢山の料理が並べてあり、すぐにでも宴会を始められそうな様相を呈していた。
「わぁ!? 何これ、美味しそう!」
ベルとテオは顔を輝かせ、ガラス戸にかじりつくように取り付く。しかし、途端にベルの顔が訝しげに歪んだ。
「だけど……何でこんなところに出来立ての料理が……?」
床に埃が積もるほどの長期間、人の出入りが無く放置されていた建物にも関わらず、目の前には出来立ての料理が、それも何故か入り口脇の戸棚にである。
ベルは不思議に思いながらも、その棚の中に見覚えのある料理をいくつか見つけた。
「あ、この間の麺料理とかシチューと同じぽいのがある……こっちは昨日食べたヤツと同じ料理かしら? ……んん?」
特に目を惹いたのはつい先日、塔で食べたナポリタンなる物だった。
そのナポリタンに刺さったフォークは、何故か麺を巻き取り空中に浮いた状態で静止していた。さながら時間でも止められたかのように。
「フォークが浮いてる……なんで……?」
ベルがウンウンと唸りながら料理を睨んでいる脇で、ガラス戸にカチャカチャと前脚を立てているテオを、細長い腕がヒョイっと抱え上げた。
「テオ殿、これは食べられませんよ」
「わっふわっふ!」
ロイに抱え上げられながら、テオは料理に向かって前脚をしきりに動かしていた。
「──え!? 食べられないの!?」
何気ないロイの言葉に、棚の料理に夢中になっていたベルの反応が少し遅れた。
「これらは見本ですので、食べ物ではございませんよ。樹脂などの食べられない物で作られております。メニューを見た目にも分かりやすく、再現した物ですね」
「はぇー、信じられない……私が作るより美味しそうなのに、これが食べられない物で作られてるなんて……なんか悔しいわね……」
ベルは改めて戸棚を覗き込む。そこには湯気を立てそうなほど、出来立てとしか思えない物が並んでいる。この戸棚を今すぐ開け放ち、中に浮いたフォークやを手に取りたいと思わずにはいられなかった。
「でも料理の見本って事は、これと同じ物がそこの食堂で出されてた訳よね。勿論食べられるやつが。」
「はい、左様でございます。現状では新鮮な生野菜は望めませんが、それ以外はなんとかなるかもしれません。昨今の冷凍食品の技術は素晴らしい物ですから」
「やった! それじゃ、どうしようかしら……どれも美味しそう……ね、テオはどれが良い?」
「わっふ!」
ロイの腕から飛び降りたテオは、戸棚へと飛びつき――
「──んぎゅ」
――ガラス戸に阻まれた。
「ちょっと、大丈夫? 結構、勢いよく行ったけど……これが良いの?」
テオは戸棚にぶつかった衝撃もなんのその、その場でおすわりすると尻尾をブンブンと振って答えた。
その料理は深い器に盛られており、トロトロとした白と黄色が混じり合ったベールが全体を覆っていた。その下には、茶色い衣を纏った分厚いお肉が存在感を主張しており、これがテオの目を惹いたようだった。
「これは……お肉と……卵? お肉は”えびふらい”ってやつに似た衣を纏ってるのね」
「はい。こちらはカツ丼ですね。豚肉に衣をつけて揚げ、玉ねぎと煮込み、玉子で綴じてご飯に乗せた料理でございます」
「へぇ〜。聞きなれない響きだけど、見た目は美味しそうね──って、テオ?」
先程まで興奮していたテオが、いつの間にか地面に鼻を擦り付けるようにしていた。
「フンフン……」
テオは気になる匂いを感じたのか、しきりに鼻をひくつかせ辺りを見回す。
「あ、テオ! ちょっと!」
やがて、テオはぱっと顔を上げ、食堂の方へ駆け出した。そこはカーテンの隙間からしか光が差さない、やや薄暗い部屋だった。
「もう、急にどうし──あら、食器が出しっぱなしじゃない。もう、お行儀の悪い」
テオに追いついた二人が見たのは、窓際のテーブルにポツンと置かれた一組の食器だった。底の深いボウルの様な器、それよりも小さい器が二つ、更にその脇に細長い棒が二本と空のコップが置かれている。
食後に片付けをしないのは行儀が悪いと言えるが、それには別に事情がありそうに思える程に、食器は綺麗に並べられていた。
食べ終えた誰かが、食器を残して忽然とその場から消えたような、そんな状況だった。
「……さっきまで誰か食事してた?」
椅子によじ登り、器に顔を突っ込もうとしていたテオを抱え上げながら、ベルは辺りを見回してみるが、当然のように自分たち以外の気配は無かった。
ロイは細長い腕をにゅっと伸ばし、テオが顔を突っ込みかけた器を手に取り調べ始めた。
「いえ……かなり前のようです。器にまで薄らと埃が積もっていますので」
やはりここにはもう人が居ない事を
「そっか……それにしても、何を食べてたのかしら?」
「これは、先程テオ殿がご所望されていたカツ丼でしょうか」
「器に何も残ってないけど、分かるの?」
ベルの言葉通り、メインの料理が載っていたであろう底の深い器は空になっており、辛うじて黄色い汁状の跡が見てとれる程度だった。
「残っている痕跡からは恐らく……あとは推測になりますが、まだこの食堂に人が居たであろう頃、この国は戦争と言う、かつてない難局を迎えていたはずです。そのような状況下での食事ですから、験を担いだのかも、と。」
「験を担ぐ?」
「カツ丼という料理は、その名前から縁起が良いとされ、勝負に“勝つ”、或いは難題に打ち“克つ”と、験を担いで食す方が多くいらっしゃいましたので」
ベルは今は何も載っていない、空となった器を見る。よほど丁寧に食したのか、食材のかけらすら残っておらず、黄色い汚れが少し残る以外は拭き取ったかのように綺麗だった。
「なるほどねぇ……」
どのような人物がここでカツ丼とやらを食べたのか、これほど綺麗に、それも恐らく一人で。
よほど味わって食べたのか、もしかしたら、その誰かにとってこのカツ丼は最後の食事だったのかも知れないと、ベルは思った。
「食べ終わった食器を出したままにするのも何ですので、今、片付けて綺麗にします」
テーブルの上を片付けるべく、ロイは器を手早く重ねていく。
「あ──待って!」
片付けようとするロイをベルが手で制する。
急に主人が出した大きな声に、抱えられたままだったテオが驚いた顔をしていた。
「はい? 如何なさいましたか?」
「折角だから、その器でカツ丼って言うの、食べられないかしら? とっても美味しそうだったし。テオも気になってるみたいだし、ね?」
ベルは、驚かせてしまったテオの肉球を、あやすようにふにふにと弄びながら尋ねる。
「わっふ!」
「器は洗えば使えるので問題ありませんが……カツ丼に関しては、そうですね……詳しくは冷凍庫の状況を見てからになりますが……同じ物がご用意出来ない場合は、少し内容を変更させて頂いてもよろしいですか?」
「その時はしょうがないわよ。貴方に任せるわ」
「かしこまりました。まずはカーテンを開けてまいります。その後、お水をお出ししますので、こちらの席でお待ちください」
「はーい!」
「わぅーん!」
窓のカーテンを開け放った事で、周囲は一気に明るくなったのでベルは魔法の明かりを消した。二人は席に座り、今は物珍しそうに周囲をジロジロと観察しているところだった。
「改めて見ると、ここも豪華な部屋ねぇ……」
縦長の部屋には、数十人は余裕を持って座れそうな大きなテーブルがいくつかと、数人がけの小さなテーブルが並び、頭の上には豪奢なシャンデリアが吊るされている。
壁や天井にも細工が施されており、細部まで職人の技術が光っていた。窓と反対側の壁にはカウンターがあり、大小様々な容器や、用途の分からない箱の様な物が並んでいる。
そしてベルの目の前には、水の入ったコップ、その下には同色の刺繍で上品に装飾された白いテーブルクロス。一拭きで綺麗になった真っ白なテーブルクロスは指を這わせるまでもなく、一目で良い生地であると分かった。
「神殿みたいな建物にこんな豪華な食堂があるなんて、なんか変な感じね?」
「わう?」
和やかに過ごす二人の少し遠くでは、ロイが調理をしているであろう音が聞こえていた。




