第15話 エルフと白亜の神殿とキラキラ蝶々
新たな仲間を連れ、光の塔を後にしたベルたち。やがて日が傾き、辺りは夕暮れへと染まっていた。
「もう日が暮れて来ちゃった。そろそろ寝られる場所を探さないと」
「わぅ」
荷車を引くベルはテオ共々立ち止まり、丁度良い場所や建物が無いかと見回し始める。そんな二人へとロイが尋ねる。
「時に、ベル様たちは普段どこでお休みに?」
「それは、まぁ……その辺?」
ベルは適当に辺りをぐるりと指差した。
ベルとテオはこれまで様々な所で夜を明かしている。住居だったであろう部屋を使う事もあれば、時には手作りのテントのような物、時には野宿といった具合である。今まで過ごした寝床の話をするとロイは驚いて見せた。
「なんと……大変な旅をなさっていたのですね……」
「案外何とかなってるけどね」
「それはそれは、感服致しました……それでベル様たちは何処へと向かわれているのですか?」
「んー? どこへっていうか……どこだろね?」
「わぅ?」
ここまで大した目的地もなく歩いていたベルは首を傾げる。主人のその動きにテオも倣う。
「行き先を決めておられないのですか……?」
「まぁ、そうなるわね……そもそも何処へ向かうべきなのかさっぱり見当もつかないのよ」
「な、なるほど……ベル様は大変、その、剛毅なお方でありますね……」
「わっふ」
歯切れ悪くベルを称えるロイ。何故かテオがそれへと誇らしげに答える。
「……ん。褒められてる気がしないわね……」
当のベルは口をムニムニと動かして納得行かない顔をしていた。
実際問題、ベルは今後の行き先をどうするか考えあぐねている。生活の痕跡はあるのに周辺に人の気配は無く、この場所が何処なのか手掛かりも無い。途方に暮れ自暴自棄になったとしてもおかしくない状況に置かれ、それでも普段通りに振舞えているのは二人の連れと、存外に美味しい食事のお陰であるのは間違いなかった。
その連れの片方。ついさっき増えた方の顔を見て、ベルはふと思い出した事を聞いてみた。
「そう言えば……ロイはこの辺の地図が頭に入ってるって言ってたっけ?」
「はい、それは勿論――ワタクシのご案内が必要で!?」
自分の出番が来たとばかりに、ロイは車輪が地面を擦る甲高い音と共にベルへとずずいと詰め寄った。その勢いにベルは少々気圧されつつも質問をぶつける。
「え、えぇ。この辺りには居ないみたいだけど……人が居そうな場所に心当たりない?」
現状では何をしようにも情報が足りないとベルは考えていた。そして情報は人の居る所に集まる──人がまだ居るのならば、であるが。
「確かにベル様のお話通り、この辺りにはいらっしゃらない様子ですが……そうですね、それでしたら一つ心当たりがあります」
「え! ほんと? どこかしら?」
「国の中枢と言える場所です。あそこならば……」
答えたロイはその中枢があるだろう方向へ向きなおる。
「ふーん?」
「わぅ?」
ロイに倣ってベルとテオもそちらを向くも、見慣れて来た建物しか見えず、首を傾げる他無い。
「場所は間違えようありませんので、ワタクシがご案内致します」
「どうせ私には右も左も分からないし、貴方に任せるわ──よし! そうと決まったらさっさと寝ましょう!」
「わふ!」
結局その日は適当な場所で夜を明かし、翌日ロイの言う場所へ向かってみる事になった。
「こちらがこの国の中枢――国会議事堂で御座います」
一行がロイの案内でやって来たのは大きな白い建物。それはお城の尖塔にも似た構造物を中心に、横へと大きく広がる建物だった。
「はー、見事な建物……白亜の神殿って感じ?」
ベルは口をポカンと開けて建物を眺める。
均整のとれた左右対称の構造は建物だけでなく、入口へ伸びる道やエントランスにまで至っていた。それはこの建築物を造る際、多大な労力を払い、設計にも綿密な計算がされた事を伺わせ、どこか厳かな雰囲気をベルに感じさせていた。
「いえ。こちらは宗教関連の施設ではありません。この国の政治の中心にあたる場所です」
「じゃあ、王城とかそんな感じかしら」
ベルは 自身が馬車に轢かれかけた大通りから見えた王城を思い出す。ついこの間の事であるはずなのに、その姿は既に遠い思い出のようだった。
「この国は王政ではありませんが、そうですね、近い表現ではあるかと。国の体裁が残っていれば、或いはここになら人が居るかと思うのですが……」
「ふむ……」
普段あまり見せない真剣な顔をしたベルはその長い耳をピクピクと動かし、些細な気配も見逃すまいとあたりを伺う。主人に倣うようにテオもふんふんと鼻を鳴らしながら辺りをウロウロとしていた。
暫しそんな事を続けていた二人だが、やがて──
「建物はパッと見で荒らされた感じは無いし、綺麗なものだけど……正直、人の気配がしないわね……テオは何か感じた?」
ベルが相棒に顔を向けると、そこではテオが申し訳なさそうに尻尾を垂らしていた。
「ダメそうね」
「きゅーん……」
「左様でございますか……ベル様、テオ殿、申し訳ございません。ここにも人が居ないとなれば我々の国は本格的に……」
「…………」
真っ直ぐに建物を見据えつつも尻すぼみがちに喋るロイの無機質な瞳の光が少し弱くなる。それを見たベルは、箱のような体のロイの頭らしき部分に手を置いた。
「あなたの所為じゃないでしょ……入ってみないと確かな事は分からないわ! それに折角の探索しがいのありそうな建物よ! 何か良い物が無いか探してみましょうよ!」
「わぅ!」
「ベル様……はい!」
明るく振る舞うベルにテオは尻尾を振りながらついていく。それに続くロイの車輪の音は心なしか寂しげだった。役に立てなかった事への自責か、はたまた──
****◆****
建物に近づいたベルの目の前には、背丈の倍はありそうな大きな扉を持つ入り口が等間隔に並んでいた。
「この扉まさか銅製……? 凄いわね……うわ、重っ」
ベルはおもむろに扉へと手を伸ばし、それを見たロイが声をかける。
「あ、ベル様。その扉は──」
「んぐ……あ、開いた──何か言った?」
「あ、いえ。正面の扉は普段は使われないので施錠されているかと……」
「そうなの? 正面なのに普段使わないって変わってるわね」
「ちなみにその扉、片側だけでも1トンはあるはずなのですが……その重量全てが取手に掛かるわけでは無いとは言え、ベル様は力持ちでいらっしゃいますね」
ロイの言葉を聞いたベルは、引き締まってはいるもののさほど筋肉質でも無い腕で小さく力こぶを作ってみせる。
「森暮らしのエルフを舐めたらいけないわよ。さて、お邪魔しまーす」
開けた扉からベルはそっと中を伺う。少々埃っぽい臭いが鼻を突くが、それよりもベルの気を引いたのは入り口から差し込んだ光に照らされ、煌びやかに輝く見事な装飾が施された室内だった。
「わぁ……」
思わず感嘆の声が漏れたベルの前には荘厳と言う言葉がぴったりの空間が広がっていた。それらは石造りに見えるが、ベルの知っているくすんだ色ではなく光を受けて白く輝いている。床は白と黒の石のタイルが交互に組み合わさり、その中央にはたわみの一つなく延びた赤いカーペットの敷かれた階段が奥へと続く。精緻な設計に意匠も相まって、神々しさすら醸し出していた。
「いやぁ、神殿でしょ、これは……」
中を覗き込んで固まるベルの足の間で黒い毛玉がモゾモゾ動いたかと思うと子犬の頭がムギュッと顔を出す。
「わっふ」
「あ、ごめんごめん」
入り口を塞いでいたベルが足の間を少し広げてやるとテオが建物の中へと駆け入る。ベルとロイも続いて中へと入ろうとすると、その脇をひらりと小さな影が過ぎる。
「ん? 蝶々?」
その小さな影は薄明かりを反射し、幻想的な雰囲気を纏っていた。ふわふわと頭上を飛ぶ何かに気づいたテオは尻尾を振り乱し、じゃれつくように飛び跳ねながらそれを追いかけ回し始める。しかし蝶々は捉えどころ無い動きで、からかうようにテオの前脚を巧みに躱していた。
「キラキラ光って妖精みたい……って、テオ! あんまり蝶々さん虐めちゃダメよー! んもう、あの子ってば結構やんちゃね。ロイも何か言ってやって──どうしたの?」
「────」
蝶々を追いかけて室内を暴れ回るテオを気にしたそぶりもなく、ロイは辺りを見回していた。その最中、無機質な大きな瞳の奥で小さく何かが動く音がしきりに鳴っている。
普段とは違う様子にベルはロイの顔らしき部分を覗き込んだ。
「電源はまだ生きているようですが、照明や換気扇以外の空調が動いてない所を見ると本格的に人は居なさそうですね」
「……そうね。電源とかの事はよく分からないけど、ここは明かりが灯ってないのね。誰も足を踏み入れて無いのか、床も薄く埃が溜まってて──テオが掃除してくれてるわね」
ロイの言葉を受け床を注意深く見ていたベルの目の前に、黒い毛玉が転がり込んで盛大に埃を巻き上げた。その体は埃をその身でかき集めて薄汚れてしまっている。どうやら蝶々は捕まえられなかったようだが、その顔は何故か満足げだ。
「わっふ!」
「もう、体中埃まみれにして! 私の服まで汚れるじゃない! 折角綺麗な白い服なのにー、しょうがない子ね! このこのー!」
ベルはテオの体をポンポン撫でながら埃を落としてやる。一通り自分と相棒の埃を落とし終わった所で改めて室内を見渡すと、テオが暴れて舞った埃が差し込んだ光を受け、先ほどの蝶々程では無いがキラキラとしていた。散々テオをからかった蝶々は上手く逃れてどこかへ飛んで行ったようで見当たらなかった。
「こういう所は手入れがされてない家のソレね。まあ、今まで見た建物全部そんな感じだけど……まるで国中から急に人が消えたみたいよね……」
「ベル様の仰る通りかも知れませんね。戦争状態になっていたと言うログは残っているのですが、ここに至るまで戦闘などで荒らされたような様子はおろか避難した様子すらありませんでした。家財道具などは勿論、車も放置されてますし……人が消えるとは些か非科学的ですが、この状況を目にすればそう考えるのも無理もないかと」
「でも、現実にそんな事ありえないわ……人が消えるなんて──ぁ」
人が消える、と口にした所でベルは自分に降りかかった悲劇について思い出し、小さく声が漏れた。
馬車に轢かれそうになり、気づいたらこの場所に来ていたと言う現実。あの瞬間王国の大通りで、ベルを見ていた者の目には彼女が急に消えたように映った事だろう。自身に起きた事がこの国の人達に同じように起きていたとしたら──?
「如何致しましたか? 何か思い当たる事でも?」
「いえ……そんな、まさかね……」
突拍子も無い自分の考えにベルは頭を振った。母でも宮廷魔術師でも使えないおとぎ話の中でしか聞かない瞬間移動の魔法、それを自分だけでなく国中の人達へ使用するなど荒唐無稽もいい所だった。
(もう超常的過ぎて手に負えないわ……考えるの止めようかしら……)
ベルがふと視線を下げると、その足元ではテオがゴロンとお腹を向けて、心配事など何も無さそうな能天気な顔で主人を見上げている。埃を落とすついでに撫で回したと言うのにまだまだ物足りない様子だった。無邪気な相棒の顔にベルは思わずため息つくと、ふかふかと触り心地の良いお腹の毛を再度堪能するのだった。
(ま、どうしようもないなら……その時はその時ね)
「よし! 考えても分からない事は後回しにして、とりあえず何か食べ物でも探しましょうか! テオもお腹空いて来たでしょ?」
「わぅ!」
「それでしたら食堂だった場所がありますので、ご案内いたします」
「ほんと? またロイでも作れる物があるかしら?」
「電源も生きているようですし、営業してた時のまま放置されてると考えると、恐らくあるかと」
「やった! 期待してるわよ!」
「わう!」
昨日の味を思い出して一気に盛り上がるベルとテオ。しかし次の瞬間──
「あ、でも昨日のようなテオ殿のご飯は……無いかも知れません……犬を共に来る方はそういらっしゃらない場所ですので……」
「あら」
「わぅ……」
ロイの無慈悲な宣告に、テオの尻尾と首は見てる方が悲しくなるほど真下へと垂れ下がってしまった。
諸事情で2年以上間空けちゃいましたがまたちょっとずつ書いていけたらと思います。