王子様に婚約破棄されたので黒魔術で復讐しましょう
王子様は私の憧れでした。
初めて王子様を拝見したのは宮廷の祭式のときでした。式典用の軍服を子供ながらに立派に着こなすお姿を、周りの大人達の隙間から首を出して眺めていました。私はその日からずっと王子様を夢見てきたのです。
将来の約束をした時もお互いまだ子供でした。「贅沢させてやるから俺の妃になれ」なんて尊大な言い方をされていましたが、視線をあさってに向けて、顔を真っ赤にしておっしゃるものですから、つい笑ってしまいました。私も「優しくしてくれたら考えてもいいですよ」って言い返してやりました。そしたら王子様はいきなり真顔になって「優しくしておるだろ」とおっしゃるのです。
気づかいはお下手でしたが、真っすぐな方でした。そんな王子様が私は大好きでした。
父から婚約が決まったと聞いた時には、それはもう天にも昇るような気持ちで嬉しかったものです。
んが、
「エミリア。君との婚約は破棄する。僕はこのリリスと結婚する」
王子様は隣のリリスとかいう小娘の肩を抱き寄せて、私を指差しながらそうおっしゃったのです。大勢の紳士淑女が集まった舞踏会でのことでした。
つらかった。地獄に突き落とされたようでした。私は手に持った扇子を床に叩きつけて、会場から逃げ出しました。靴を脱ぎ捨てて裸足で走りました。外に出て、そして誰もいない所で泣きました。月に向かって婚約指輪を投げ捨てました。
私がおうおうと泣いている後ろから、控えめなドレスを着た大人の女性が声をかけてきました。彼女は舞踏会に参加していた商人でした。彼女は私の背中を優しくさすってささやくのです。
「お気持ちはお察しします、エミリア様。復讐、してみませんか」
復讐。考えてもみませんでした。私は言い返しました。
「そんなことできるわけないじゃないの。相手は偉大な王子様よ」
「いいえ。あなたをこんなつらい目に遭わせる者には報いを与えるべきです」
「……でも。……でも、きっとうまくいかないわ」
「できます。黒魔術なら誰にも悟られずに報いを与えることができるのです」
その商人は黒魔術の使い手でした。私は彼女の言葉を聞いて、胸の内でめらめらと燃える黒い炎を自覚しました。そして私は彼女にこの身を預けたのです。
◇
ある月の無い夜。王子は婚約者であるリリスの邸宅を訪れていた。ある時から、王子が面会の誘いをする度に婚約者が断るようになったのだ。頭が痛い、歯が痛い、鼻が痛い、吐き気がするなど理由をつけて。直近に至っては、会える状態じゃないなどという理由で断ったのである。王子は不審に思って約束も取りつけずに、自ら邸宅まで押しかけて来たのだった。
王子は渋る使用人を抑えて、婚約者の部屋のドアを開いた。婚約者はベッドにうずくまるようにして壁を向いて寝ていた。
「リリス……なのか?」
婚約者は寝返りをうって、その生気の無い顔を王子の方に向けた。
すると王子は怯えたように「ひいっ」と声を上げた。婚約者は何か言いたげに口を開いたが、声が出せないでいた。
その姿は以前とは変わり果てていた。髪が抜け落ち、歯が欠け、鼻血が黒く固まっていた。そして、やつれた顔で吐き気をもよおしたような動作を繰り返した。
「何があったんだ!医者には診てもらってるのか!」
王子が大きな声で呼びかけても、婚約者は声が出せずに口を開けたり閉じたりするだけだった。
一瞬、婚約者の瞳がきらりと光った。すると急に白目を剥いて、顎が外れたように口がだらんと大きく開いた。そして急に勢いよく立ち上がってふらふら揺れるのである。まるで糸繰り人形のように不自然な関節の動きだった。
「私は性悪、盗人、腹黒女。私は性悪、盗人、腹黒女」
婚約者は白目を剥いたまま、感情の無い低い声で言葉をつなぐのだった。王子は壁に背中をへばりつけて固まっていた。
「お前は間違えた。お前は間違えた。お前は間違えた。お前は間違えた。・・・」
婚約者は壊れた機械のように延々と同じ言葉を繰り返すのだった。
王子はその恐怖が頂点に達すると太い声で叫びながら部屋から逃げ出ていった。
◇
狼の遠吠えが聞こえる暗い森の中、そこに小さな木の小屋があった。
ロウソクの光が揺らめく小屋の中では、一人の女が魔法陣の描かれたテーブルについている。女はテーブルの上にのっている水晶玉に手をかざして何やらつぶやいている。
「お前は間違えた。お前は間違えた」
水晶玉に映った男が消えていったのを見て、女は口を閉じ、テーブルの端にあるコーヒーカップに手を伸ばした。カップをすすって一息ついた。すると一転、裂けるように口角を引き上げ、恐ろしい笑みをうかべて「キェーッキェッキェッキェッキェ」と歓喜の奇声を上げた。
存分に喜びを吐き出し終えると、思い出したようにテーブルの奥に手をのばす。そこに置いてあった何本も針が刺さった藁人形をつかんで、乱雑にクズかごへと投げ入れたのだった。
◇
王宮の中。王子は消沈していた。悪魔にとりつかれたような婚約者の姿が脳裏にこびりついている。その姿が浮かんでは、汗がしたたり、息が荒くなった。もはや彼女に対する気持ちは恐怖が覆い尽くしてしまっていた。
王子は結局、父である王に婚約を破棄する事を願い出た。王は息子を王族の威信を汚すものと強く叱責した。そして王は今一度王族の権威を示すために、王子が主役となる舞踏会を大々的に催すことを決めた。必ず良き相手を見つけよと王子に厳命したのである。
◇
森の小屋にいる女は、鼻歌を歌いながらテーブルについて、タロットカードの山を慣れた手つきで小気味良くきっていた。
カードを裏面にして一枚一枚テーブルの上に円を描くように並べた。
そのカードの円の上をゆっくりと手をかざして回していく。手を止めると、その下のカードを手に取って顔の前で表の図柄を確認した。
「いよいよだわ。準備をしなきゃ」
そう言って女は立ち上がり、調理台に移動した。
女は鍋に酒瓶を傾けて液体を注ぎ入れ、鍋を火にかけた。しばらく待って、ぐつぐつと煮立ったのを確かめると、女は鍋の中に変わった材料を入れてゆく。ヘビの目玉、モグラの爪、イモリの尾、ヒキガエルの油、・・・。鍋から立ち昇る強烈な悪臭に女はせきこんだ。女は鼻と口を片手で押さえながら鍋の中を杓子でかき混ぜる。しばらくかき混ぜるといくらか匂いが収まってきた。最後に黒い薔薇の花びらを鍋の中に散らしてから、火を消して鍋にふたをした。
女はこぶしを握り、体を震わせながら鍋を眺める。そして恐ろしい笑みを浮かべて奇声を上げる。
「キェーッキェッキェッキェッキェ」
小屋の屋根に止まっていた小鳥たちが一斉に飛び立つのだった。
◇
王宮の中にある大広間に、美しい衣装に身をつつんだ女性達が集まっていた。王子の婚約者を探すための舞踏会が始まるのだ。未婚の女性にとってはまたと無いチャンスである。赤、白、黄色、至る所に鮮やかなドレスがあり、みな金銀に輝く装飾を添えていた。
奥の分厚い扉が開いて、王子が現れると女性達は色めき立った。
みな我先に王子に近づきたいのは山々なのだが、それはマナー違反になる。王子の動静を目で追いながら、彼から歩み寄ってくるの待っていた。王子が順番に女性達に声をかけて、一人一人と挨拶を交わしていく。
初めにダンスの相手となったのは公爵家の令嬢だった。王子が令嬢をリードして会場の中央でダンスが始まった。有力貴族の令嬢に見合う一際豪華なドレスであり、ダンスも一流の優雅さであった。周囲の女性達は華麗な貴人のダンスを楽しむ一方、きっと1人目は出来レースだったのだろうと妬んでもいた。
二人のダンスは見る物を魅了する巧みな舞いであったのだが、どういうわけか途中から二人の息が合わず、ぎこちないステップに変わってゆく。やがて二人はダンスをやめて立ち止まってしまった。すると令嬢の方が王子の耳元で何かをささやいた。王子の顔はみるみる青ざめて、しまいには令嬢を両手で突き飛ばしてしまった。
倒れこんだ令嬢を男性の護衛官が2人がかりで肩を持って、外に連れ出す。会場から出る直前、令嬢は意識を取り戻し、大声でこう叫んだ。
「お前は間違えた」
王子は茫然とその場に立ち尽くしたままだった。女性達もみな固まって息を飲んでいた。
だれもが声を発せず、動けないでいる中、一人の美女がゆったりと歩いて王子に近づいていくのであった。その美女は場違いな真っ黒のドレスを着ていた。衣装に映える金色につやめく髪にも、黒い薔薇の髪留めをつけていた。みなが何者かとその黒の美女に視線を集めた。
王子は黒の美女を確かめるなり、それがかつて自分が婚約破棄を言い渡した相手だと気づいた。
「エミリア?――」
驚いたのも束の間、その美女から漂う強い薔薇の香りを感じた。それはあらがいようのない魅惑的な甘い香りであった。王子はその甘い香りを深く吸い入れると、彼の意識が恍惚としてくる。そして視線の先にある美女の真っ赤な唇に釘付けになった。
王子は引きこまれるように自ら彼女に歩み寄り、その手を乱暴に引っ張って抱き寄せ、強引に彼女の真っ赤な唇に食らいついた。
周囲の女性たちがあっと声を上げる。
熱い口づけの最中、王子は目を閉じ、走馬灯を見ていた。
自分が初めて宮廷の祭式に登場した時の映像だった。青い空に祝砲が上がった。居並ぶ騎士や賓客の間から、ひょっこり顔をだす女の子がいた。その弾けるような純粋な笑顔が輝いて見えた。自分はその女の子をお妃にしてあげようと決めたのだった。
王子が黒の美女を口づけから解放すると、彼女はいたずらっぽく王子に笑いかける。
「相変わらず優しくありませんね」
「そんなことは……いや、君の言う通りだ」
王子はしばしうつむいた後、眉を下げて申し訳なさそうにこう言った。
「僕が間違ってた」
二人は互いに手を取り合って、ゆったりとしたステップを踏み始めた。管弦楽団の指揮者が慌ててタクトを振って演奏を始めた。色とりどりのドレスの輪の中を大輪の黒い薔薇が縦横に舞った。彼女はうっとりとした表情で王子を見つめるのであった。
しかし突然、黒の美女が倒れ込んだ。
会場は騒然とする。
王子は倒れた彼女を抱きかかえる。その時、王子の視界の端に別の黒いドレスの女性が映った。髪が抜け落ち、歯の欠けた女が口を裂いて笑っていた。
「キェーッキェッキェッキェッキェ」
女は高らかに歓喜の奇声を上げるのであった。
王子はその日、自分の犯した罪と、逃れられない報いを悟るのである。
<了> 蜜柑プラム