番外編 その後の二人
最終話直後の話です。
「さあいらっしゃい、ゆっくりしていってね!」
意気揚々とクルスを部屋に招き入れ、モニカはサッとたった今開けたばかりのドアを閉めた。そんなに急いで閉めなくともクルスに帰る気はないことはわかってるが、気持ちの問題である。青い鳥を鳥籠に納めるハンターもこんな気持ちだったのかもしれない。
「逆じゃねぇかなぁ」
「え?」
ついつい鍵まで閉めてしまった(内鍵だからほぼ意味はない)が、長年逃げ続けられた反動である。致し方ない。
「遠慮しないで好きなとこ座ってね!」
「うぉっ」
ベッドを背にして床に座ろうと膝を落としかけていたクルスの腕に飛びつき、そのまま腕を引いて二人並んでベッドに腰を掛けることに成功。
「だから逆……」
「?何が?」
来てすぐ帰る時間になってしまった前回と違い、今日はたっぷり時間がある。警戒されないように口には出していないが、帰り道でクルスの提案を受けてから、モニカは今の『手を繋いで登下校する関係』からもう一歩進む気満々であった。
「ところで話ってなあに?」
「あー……もう話す前に解決しそうな気はする」
「?」
とはいえまずはクルスの話を聞いてからにしようと思い促すと、クルスは喜なのか哀なのかはたまた両方なのかわからない表情で話し出した。
「俺が今まで、部屋に誘われてるんじゃなくて警戒されてるんだと思ってた話は前にしたよな」
「うん……私の必死さが裏目に出ちゃってたのよね。それで一切来ようとしなかったクルスも紳士的で素敵だと思うけど私は本当にクルスに来てほしくて」
先日初めてクルスを部屋に招いた時の話だ。なんと今までクルスがモニカの誘いを頑なに断っていたのは、モニカの誘いが誘いではなく『工房には寄ったとしてもこっちには来ないで』という念押しだと思っていたせいだと。
「わかってるわかってる。勿体ないことをした」
その真相を聞いた時、モニカは開いた口が塞がらなかった。つまりもうちょっと分かりやすく誘っていればクルスは部屋に来てくれたはずだったのだ。それは今までなんて惜しいことをしたのだと。
「……本当に勿体ないことをしたと思ってるんだ」
義務だ義務だと言っていたとはいえ、クルスにはちゃんと婚約者として親睦を深める気はあったのだ。モニカが警戒しているという誤解さえしなければ。
「何回だ?何十回俺は君の誘いを断った?何十時間分この部屋で君と過ごす権利を手放したんだ?」
些細なボタンのかけ違いからどれだけすれ違ってきたか、どれだけのチャンスを逃してきたかを思うと悔しくてたまらない。
「取り戻したい。今まで逃した分全部」
「クルス……!」
不意に肩を掴まれ、至近距離で見つめ合う形になる。そしてわかった。クルスも同じ気持ちなのだと。
「うん、うん!私も!私も今までの分まで全部……っ」
今度こそすれ違わない。そう思って答えるや否や急に視界が藍色に染まった。
「ちょ、ちょっと待って!」
「……嫌だったか?」
「違う違う!嫌じゃない!嫌じゃないわむしろ嬉しいけど!でもちょっと待って……っ」
もう少しで唇が塞がる、その直前でモニカが手のひらでそれを防いだ。この展開は予想外だった。だってこんなに急展開になるなど、理由は一つしか思い浮かばない。
「こ、ここまでするってことは、クルスも私のこと好きなの!?」
「は?そんな今更……あ」
少し距離を取り、怪訝そうな顔をしたクルスがピタリと固まった。
「……言ってなかったな……いや、昔言ったことはあるが多分何かしら誤解があったんだなきっと……」
「クルス?」
そう何やら口に手を当てて呟いた後。
おもむろにその胸ポケットから髪紐を取り出し、手早く後頭部で結んだ。続いていつもの黒布も取り出し、前髪をかき上げてその布で巻き留める。
「〜〜!」
「この格好が好きなんだってな、知らなかった」
「そう!でも常にそうしていてほしいわけじゃなくて普段の髪を下ろしている姿も好きだし大事な時にそうするそのギャップが」
「ああ、今は間違いなく大事な時だ」
髪を留める作業を終えたクルスが再びモニカに向き直った。普段は隠している火傷の跡に覆われた左目が真っ直ぐにモニカを見据える。
「好きだモニカ。初めて会った……いや、初めて見かけた時からずっと気になって、会う度に好きになっていったんだ。俺と結婚してほしい」
「ひぃやぁあ……」
「嫌?」
「あああ違うの、今のはあんまり格好良かったから悲鳴が漏れただけ……っ」
格好良過ぎて死ぬかと思った。生きてる。まだ生きてる。息ができるって素晴らしい。
「親方から『工房で一番出来のいい男を婿に取る』って話を聞いた時はこれしかないと思った。モニカのためなら国一番の魔剣職人になってやる。それくらい好きだ」
「はゃぁ……」
「何語だそれは」
生きてると思いきやもう死にそうである。嬉しい、格好良い、嬉しい、格好良いの大嵐で難破して死ぬ。
「わ、わた、私も好き、初めて会った時から大好き……!」
「ああ、もう知ってる」
するりとモニカの後頭部にクルスの左手が回った。再び近づいてくる藍色の目をもう躱す必要はない。
どちらからともなく目を閉じて、モニカもその背に両腕を回そうとした。
と、その時。
「モニカ〜!クルス君〜!ご飯できたわよ〜!」
一階のダイニングから、無情にも二人を呼ぶとても聞き慣れた声が響いた。
「クルス君がウチで晩ご飯食べてくなんて初めてじゃない?お母さん張り切っちゃったわ〜!」
続いてトントンと軽やかに階段を登ってくる音。おそらく悪気はない。悪気はないのはわかっているが物凄くタイミングは悪い。
「二人共聞こえてる?モニカ!クルス君!冷めないうちにどうぞ〜!」
「き、聞こえてる!わかった!今行く!今行くから!」
「はいただいま参りますお義母さん!」
どうやら来客に浮かれていたのはモニカだけではなかったようだ。
飛び退くように顔を離して返事をしながら、モニカは『あと少しだったのに』と悔しげに唇を噛んだ。
このテンションだと夕飯後もデザートだなんだ学校はどんな感じだとリビングに引き留められそうな気がする。
「……明日は夕飯後に来るから……!」
「う、うん!待ってる!」
同じことを考えてたのだろう。初めて見る破茶滅茶に悔しそうな表情で絞り出すように言ったクルスに、モニカはただただ頷いた。
次こそは…!