4話 真実の愛と幸せな未来
「改めてルールを説明する!」
演習場の端で、金髪碧眼の王子が高らかに剣を掲げる。
「この度の決闘は血を見るためのものではない。無血のまま優劣をはっきりさせるためのものだ。私と貴様のどちらが彼女の結婚相手として相応しいかを!」
この日を迎えるまで、モニカはついにあの本からジャスティンの真意を汲み取ることはできなかった。
「狙うのはお互いの剣のみ。勝利条件は相手に剣を手放させること!」
表向きは完全に平民の男から婚約者を奪おうと突っかかっている王子である。いやまさかそんな馬鹿なことはあるはずないのに。
「剣を構えることを放棄すること、故意に身体のどこかを狙うことをした場合はその時点で失格とする!」
観客も平民の生徒はまさに物語で見るような展開だと盛り上がっているが、貴族子女達はなんとも言えずに困惑しているのが殆どである。
「さあ、剣を構えたまえ!両者が構えた時が決闘開始の合図だ!」
「……いつでもどうぞ」
そんな温度差の激しい観客席で、モニカは痛い程に拳を握り締め、ただ一点を見つめていた。
「うっぐぅ……っ」
「モニカ!?どうしたの、大丈夫!?」
膝に乗せていた拳を胸に当て崩れ落ちたモニカをフローラが支える。
「うぅ……一週間ぶりに見るクルスが格好良過ぎて……」
「つける薬の無い方だったわ」
パッと支える手が外された。相変わらず薄情な親友である。
いやモニカとてこんな時にときめいてる場合ではないとはわかっている。でも仕方がなかったのだ。演習場に現れたクルスは鍛冶場スタイルだった。髪を縛り、前髪をかきあげて黒布を巻き、自身が打ったのであろう剣を構え、真っ直ぐに敵を見据えて立っている。
「わぁあ……剣身が透き通ってる……綺麗……でもそれに映ったクルスの目の方がもっと綺麗……好き……」
「確かに珍しい色の剣身ね。彼に限って見掛け倒しってことはないはずだし……何の素材を使ったのかしら?もしかして……」
語彙力をなくしたモニカの隣でフローラが冷静に分析するが、クルスの雄姿を見つめるのに忙しいモニカの頭では右から左に抜けていく。
「一瞬で終わらせてやろう、覚悟したまえ!」
しかしこのままずっと剣を構えるクルスを見ていたいとモニカが願ったところで、ジャスティンの宣言により決闘が始まった。
「うぉおおおおお!」
雄叫びをあげたジャスティンが一直線に駆けていく。クルスは動かない。あっという間に距離を詰めて身を屈めたジャスティンが、クルスの剣を斜め下から弾き飛ばすようにして自身の剣を振り上げた。
「クルスっ……!」
モニカが息を呑む。
スパァンと小気味良い音が響き、ジャスティンが静かに剣を鞘に仕舞う。その横の地面に、鈍色の光を放つ剣身がクルクルと舞って突き刺さった。
「ふっ、他愛もな……」
「剣を構えることを放棄したら、負けではありませんでしたか?」
「は?」
剣身が地面に突き刺さった。鈍色の光を放つ、クルスの構える透明な剣とは別の剣が。
「なっ!?」
慌てて鞘から剣を引き抜いたジャスティンの顔が驚愕に染まる。そこには上から半分程の刃を失った、真っ二つに折れた剣の片割れがあった。
「では、俺の勝ちということで……」
「ま、まだ終わってはいない!折れた剣では戦えぬなど誰が決めた!うぉおおおお!」
二度目の雄叫びと共に、ジャスティンがやけくそのように剣を振り上げた。瞬時に構え直されたクルスの透明な剣に向かって、折れた刃が振り下ろされる。
そして再び、スパァンと小気味良い音が響いた。
「……柄だけでも続けますか?」
鈍色の光を放つ剣身が地面に落ちる。
ジャスティンの手に残ったのは、支えるべきものを失ったただの柄だけであった。
◆◆◆
「え?えっと……これ、殿下の負けってこと……?」
「そ、そうみたいだね?えーとどうしよ、何か声かけた方がいいのかな?」
「ええ〜でも何も準備してないよ〜」
決闘に完全に決着がついてから数秒。大勢の生徒がひしめき合う観客席で、まず平民の生徒達が騒ぎ出した。どうやら王子への声援の台本を勝利パターンでしか用意してなかったので困っているらしい。
「まあ……勝ってしまったら本当に彼女と婚約するか否かで面倒なことになってましたし……」
「結果的には良かったですわね……」
「ではマデリーン様との婚約は維持の方向で……?」
続いて静かに見守っていた貴族の身分を持つ生徒達がコソコソと話し合いを始めた。お互いに顔を見合わせるフリをして、ちらちらと奥の席にいるマデリーンの様子を伺っている。
「モニカ!」
「えっ、は、はい!」
そんなざわついた空気の中、騒動の台風の目の中にいたクルスが顔を上げ、観客席を見渡しピタリと視線を定めた。
「俺は勝ったぞ」
「う、うん、見てたわ!」
「王子に勝ったぞ!」
重なった視線にモニカの心臓が跳ね上がる。勝った。勝ってくれた。たとえ家のためだとしても、モニカを賭けた決闘でクルスが勝ってくれたのだ。
感動で目を潤ませるモニカの前で、クルスはその透明な剣を掲げた。
「クリアライト鉱で作った剣だ。まだ誰も成功していない。切れ味は今見た通りだ」
「うん……!うん、凄いわクルス、本当に凄い!」
「国中探してもこれを打てるのは俺しかいないぞ。だから……」
なんて凄い人なのだろう。こんなに格好良くて、こんなに凄い人が婚約者になってくれていたというのに、今までの自分はなんて馬鹿だったのか。
「俺と結婚しろ、モニカ。王子だろうが何だろうが、俺以上の魔剣職人はいないんだからな!」
「勿論よ!貴方と結婚できるならもう政略でもなんでもいいわ!」
家だけ見られても嬉しくないなどと言ってる場合ではなかった。こんなに格好良い人、他のどんな家の女の子でも放っておかないだろう。その中でモニカを、フレイマ工房を選んでくれると言うのだ。それ以上望んではバチが当たる。
「大好きよクルス!いつか工房だけじゃなくて私も見てもらえるように頑張るから、私と結婚して!」
「……えっ?」
人生の長さを考えれば、結婚するまでより結婚してからの方がずっと長いのだ。何も結婚前に両想いになることに固執することはなかった。
「え……?いや……え?それは勿論……うん?」
「クルス?」
結婚してから生まれる愛もある、とモニカが決意を新たにしたところで。
「……いつ俺を好きになったんだ?」
「え?」
クルスの様子がおかしい。まるで大きなハンマーで頭を打たれたかのようにチカチカと目を回している。
「初めて会った時からよ?」
「はあ!?」
今更何の確認だろうか。いつからも何も、モニカは初めて会った時からずっとクルスにアタックを続けているのに。
「いや待て、でも婚約した時に『好きじゃないのに好きだって言われるのは嫌』だって!」
「そうよ、わかってるわ。クルスが私を好きじゃあないことくらい……婚約したからって嘘でそういうことを言われたら嫌だもの」
「せ、政略結婚が嫌だって言ってたのは……?」
「クルスとは政略じゃなくて恋愛して結婚したかったの!でももうそんなこと拘らないわ。政略でも何でも貴方と結婚できるなら」
カランと静かに音を立て、クルスの手からクリアライト鉱の剣が滑り落ちた。
「……工房に寄って帰る時に、何度も『部屋に来たりしないか』って用心深く聞いてきたのは」
「それはっ!しつこかったのは悪かったと思ってるわよ!でもクルスだって一回くらい来てくれてもいいじゃない、ずっとお菓子とか用意していつ来てくれてもいいようにしてたのに……」
それにしても本当に今更何の確認か。こんなこと何年も前からわかりきっていることである。
「……なるほど……」
「え?」
「つまり俺は……今まで何度チャンスをふいにして……」
「クルス!?どうしたの、どこか痛むの!?」
突然クルスが力無く地面にへたり込んだ。決闘の最中はまったくダメージを負った様子はなかったのに。もしかして死角でどこかをぶつけていたのかもしれない。
「クルス!」
いてもたってもいられず、モニカは観客席から駆け下りた。その勢いのまま座り込むクルスに飛びつき、その背中をさする。
「大丈夫?立てる?もしかして疲れちゃった?」
「ああ……」
考えてみればクルスはこの一週間ずっと魔剣を打ち続けていたのだ。怪我などはなくとも疲労は溜まっているに違いない。
「……ちょっと、疲れたみたいだ」
「ひゃっ!?」
決闘が無事終わり、今になって疲れが出たのだろう。
覆い被さるように倒れてきたクルスを、モニカは自分も倒れそうになりながらも何とか受け止めた。
◆◆◆
「モニカ、迎えに」
「クルスっ!」
教室のドアが開くや否や、モニカはそのドアを開けた男の胸に飛び込んだ。
「迎えに来てくれてありがとう!一緒に帰りましょ!」
「お、おお」
決闘の日以来、モニカは不満を言うことをやめた。以前は義務で迎えに来てくれても嬉しくないなどと可愛げのないことを言ってしまっていたが、本当はどんな理由だって来てくれるだけで嬉しかったのだ。
「じゃあ、カバンを」
「いいわ。これは自分で持つの」
満たされないことに文句を言ったところでいいことはない。そんなことより今ある幸せを素直に享受するべきである。
「カバンは自分で持つから、手を繋ぎたいわ。駄目?」
「……駄目ではない……」
「わあい!」
そして遠慮することもやめた。今までは政略的な婚約ということでどこか及び腰でいたが、婚約者は婚約者なのだからこれくらい押しても問題ないじゃないかという結論に至った。
「もっと早くこうしていれば良かったわ」
火傷の跡の残るクルスの手をぎゅっと握り、モニカはその肩に頬を寄せた。
クルスがモニカを賭けた決闘で、新素材の魔剣を作り出して王子を打ち負かしてくれたこと。この時のことを思い出すだけで、モニカはもうなんだってできるような気持ちになる。
「……こっちの方がいいんじゃないか?」
「!」
繋いだ手が一瞬離れたと思いきや、指と指を絡ませる形で握り直された。
「うん!!」
変わったのはモニカだけではない。あの日以来、クルスも前よりもずっとモニカに歩み寄ってくれるようになったのである。こうやって手を繋ぎ直してくれたのもその一例だ。
「うふふふふ、クルスの手大きいね」
「モニカが小さいだけだろ」
こんなきっかけを作ってくれたジャスティンには感謝してもしきれない。まさに恋のキューピットである。あの時はジャスティンの真意がわからなかったが、今は。
「あ、ジャスティン殿下!」
「や、やあモニカ嬢、ランバートも」
そう心の中でジャスティンに感謝の念を送っていると、ちょうど目の前に本人が現れた。
「その節はありがとうございました、ジャスティン殿下」
「お陰様でこの通り良好でございます」
手を繋いだまま、二人揃って頭を下げる。王族の前でこのような体勢のままでは失礼にあたるが、ジャスティンに限ってはむしろこの方が良いと判断した結果である。
「は、はは、それは何よりである……私も一肌脱いだ甲斐があったぞよ、はは、ハ、ハハハハハ……」
あの決闘の日、モニカは観客席から駆け下りて、倒れたクルスを支えて寄り添っていた。幸いクルスは疲れていただけで何も怪我はなく、でもしばらくこのままでいたいと言われ、一も二もなく頷いた。
そんな時ジャスティンが地団駄を踏んで叫んだのだ。『何故だ、何故貴様が愛されるのだ』と。
それを聞いてようやくモニカは気付いた。この決闘を仕掛けたジャスティンの真意に。
その台詞は先日ジャスティンが渡してきた小説の、姫をさらって王子に戦いを仕掛けた魔王の断末魔の台詞と全く同じもの。
つまりジャスティンはモニカとクルスの仲を取り持つため、敢えて悪役を演じていたのだと。
「で、では私はもう行くとしよう!さあ、さらばだ、ハハ、アーハッハッハッハ!」
「はい、それでは」
なのでモニカはあの後に「何がどうなってるんだ」と押し掛けて来たクラスメイトを中心とする生徒達に、事のあらましや王子からのメッセージをキチンと説明した。
王子の婚約者筆頭候補であるマデリーンが「殿下がわたくしに仰った、『すまないマデリーン。だが私は真実の愛の為に戦う。どうか許してくれ』とはそういう意味だったのですね……わたくしこそ殿下の真意に気付けず申し訳ございません。民を想うお優しい殿下を誇りに思いますわ」と語ったこともあり、悪役に徹しようとしていた王子の評判は無事守られている。
「……だけどなんでいまだに魔王みたいな話し方なんだろうな?」
「役に入り込むと抜けないタイプだったのかしら」
今も大袈裟なくらい肩を張り、乾いた高笑いをあげながら去っていく王子を、モニカは感謝しつつ少々不思議な気持ちでクルスと共に見送ったのだった。
◆◆◆
時折繋いだ手の感触を確かめながら、夕暮れの道をゆっくりと歩く。今日初めて知ったことであるが、この手の繋ぎ方だと身体をぴったりくっつけていないと歩きづらい。そしてぴったりくっついていては歩くスピードが遅くなる。
それでもクルスがまったく手を離そうとしないことに、モニカは一歩歩くごとに幸せを噛みしめていた。
「そうだクルス、今日はウチ寄ってくの?」
「ああ」
「私の部屋にも」
「行く」
少し前までは考えられなかったこんなやり取りを、今はもう自然にすることができる。
「工房に行く前に来る?後で来る?」
「……いや」
先日はクルスが初めてモニカの部屋に来てくれた。工房での作業の後、帰る前の十数分という短い時間であったが、とても楽しかった。
「……工房に寄ってたら時間なくなるから……今日はモニカの部屋だけに寄る」
「えっ」
「駄目か?」
「駄目じゃない!」
クルスからこんなことを言ってくれるのは初めてである。モニカが驚いて顔を上げれば、クルスは少し照れたように目を逸らした。
「その、話したいこともあるし」
「勿論、大歓迎よクルス!」
これはもう恋愛結婚も夢じゃないのでは。
繋いだ手を握り締め、モニカはカバンを放り出して愛しい人の腕に飛びついた。話とはなんだろう。でもきっといい話に違いないと確信を胸に抱きながら。
お読みいただきありがとうございました!
今後思いついたら番外編とか上げたいと思います。
感想もらえるととても嬉しいです(*´∀`*)