3話 王子と鍛治師
それからというもの、クルスは朝から晩まで工房に篭りきりになった。
決闘の日まで学園は休むこと、送り迎えはできなくなること、気が散るから工房には来ないでほしいと告げられ、三日が経った。
「今日こそは話聞かせてよモニカ、一体どうやってジャスティン殿下を射止めたの!?」
「ああ〜いいなあ〜女の夢よねぇ、王子様が自分を巡って決闘なんて……!」
「でもマデリーン様との婚約はどうなるのかしら?お貴族様の事情はよく知らないけど……」
「あら、マデリーン様はあくまで婚約者候補でしょう?本当の婚約でないならジャスティン殿下の意思が優先されるんじゃない?」
クラスメイト達のお祭り騒ぎも三日が経った今も収まる気配がない。まあモニカとて逆の立場であればこんな大事件気になって仕方がないので気持ちはわかる。
「それにしても良かったじゃないモニカ、夢が叶って。もしかしたら本当に王子様と結婚できるかもよ?」
「え?」
「決闘はまずジャスティン殿下が勝つはずだものね。その後の王妃教育とかはモニカが頑張るしかないけど……あの婚約者と結婚するよりはずっと頑張れるんじゃない?」
「んん?」
一日二日目はなんとか逃げ切ったモニカだったが、三日目にしてついに捕まってしまった。ジャスティンの真意が読めない以上、何を聞かれても答えられないと思っていたのだが。
「どういうこと?私、クルス以外の人となんて結婚したくないけど……」
「え……?だってモニカいつも政略結婚なんて嫌だって」
「ええ、好きな人と結婚するんだから政略じゃなくて愛し合って結婚したいもの」
なんだかクラスメイト達の言い分がおかしい。モニカがクルスとのことを詳しく話していたのはフローラだけであったが、フローラとは教室で話すことも多かったので、クラスメイト達も大体の事情を知っていると思っていた。
「ええ?あんな暗くていつも不機嫌そうな男のどこがいいの?」
「暗いのはクルスが私のことを好きじゃなくて義務で送り迎えしないといけないと思ってるからでしょう?仕方ないわ」
「でも私が不気味だって言った時もモニカも言い返さなかったじゃない」
「えっ?それ怖いくらい格好良いって意味で言ったんじゃなかったの!?」
全然話が噛み合わない。普通クラスは毎年クラス替えがあるので今年初めて同じクラスになった子も多いが、以前から同じクラスだった子だっているのに。
「ど、どういうこと……?」
「いやこっちがどういうことよ……?」
今更ながら、物凄く今更ながら。友人達との間に多大なる誤解が発生している可能性が浮上した。
「やぁ、モニカ嬢はいるかい?」
「ジャスティン殿下!」
お互いに首を傾げ合ってたところで、ガラリと教室のドアが開いた。そこにはにこやかに笑うこの国の王子の姿が。
「少し話をしたいんだ。いいかな?」
「は、はい、承知致しました……」
王子本人が現れてはクラスメイト達もこれ以上追及できなかったのだろう。一斉に口を閉じてモニカの後ろに下がった。
「中庭に行こうか。私達が逢瀬を重ねた場所に」
「はぁ……」
背後から全員の視線と圧を感じながら、モニカはジャスティンの後をおとなしくついて行った。
◆◆◆
「思えば君と初めて出会ったのもこの中庭だったね……一人になりたくて従者達に人払いをさせていたのに、どういうわけか彼らをすり抜けてやってきたのが君だった」
「え」
モニカは思い出した。四年前、食堂へ行く途中で財布を忘れたことに気づき、横着して渡り廊下から中庭を通り一年の教室の窓へとショートカットしようとした時のことを。
「も、申し訳ございません……人払いに気づかず、殿下の休息の邪魔をしてしまい……」
その時に食堂やカフェはいつも混んでいるのに中庭はこんなに空いてるのかと思い、穴場だと思って一人になりたい時は度々行くようになったのだ。主に前日にクルスが工房で作業しているのを見学して寝不足で睡眠を取りたい時とかに。
「ふふ、いいんだよ。あれから人払いをしても君だけは通すように従者達にも言いつけてたからね」
成る程立派なベンチがあるにも関わらずいつ来てもほぼ人がいなかったのは、そんな中ジャスティンとの遭遇率だけは高かったのはそういうことだったのか。
「ご容赦いただきありがとうございます。今後はそのようなことのないようにしますので」
「自由に来ていいんだよ?ここは私と君の場所だ」
「いえ、そういうわけには」
おそらくこれは婉曲な言い回しというものだ。人払いしてたのに空気読まずに来続けてたのはお前だけだぞ的な。そもそも人がいない場所でよく王子が現れる時点で気づくべきだった。学園の敷地である以上表立って私物化はできないのだろうが、暗黙の了解でこの場所はジャスティンのプライベートスペースだったのだ。
正直庶民にはそういう王族貴族特有のお約束事はわかりづらいのではっきり言ってほしい。
「まあいいさ。今のままでは君が遠慮してしまうのも仕方ない。四日後の決闘さえ終われば……」
「!あの、そのことですが、殿下」
決闘のこともそうだ。ジャスティンの真意がまったく読めない。クラスメイト達はさもジャスティンが本気でモニカと結婚するために婚約者を排除しようとしているかのように言っていたが、一国の王子がそんな馬鹿なことをするはずがないし、する理由もない。
「マデリーン様は今回のことをどう思っているのでしょうか……?」
「……ああ、彼女のことか。大丈夫だ。マデリーンには私からきちんと説明してある」
ならこちらにもきちんと説明してほしい。こちとらただの平民である。上流階級の言わずとも察する文化などわからないし、わけわかんねぇよ説明しろなんて王子相手に言えるわけがない。
「ええと……どうしても決闘でないといけないのでしょうか。もし殿下やクルスが怪我をすることになったら……」
決闘自体を止めようにも、ストレートに止めればまるで『私のために争わないで』とでも言っているようになってしまう。
「大丈夫、そのためのルールだよ。優しい君のことだから、私だけではなく彼が血を流すことになっても悲しむだろうことはわかっていたよ」
正直なところジャスティンが多少血を流してもそこまで気にならないがクルスには切り傷一つ作ってほしくない。
「ですが、血は流れずとも、決闘となれば殿下の名誉に傷がつくことになるのではないかと」
口に出してからクルスが勝つこと前提で言ってしまったことに気づく。これは不敬になるだろうか。
「……真実の愛を勝ち取るには、多少の犠牲は必要だ。私も君も政略という名の鎖に縛られている。それを断ち切るためには……ね」
思わず身構えたが、幸い咎められることはなかった。たとえ王子が相手だとして、婚約者に肩入れするのは仕方ないと大目に見てくれたのかもしれない。
「今はまだ多くは語れない。しかし約束しよう、必ず君の願いを叶えてみせると。そうだ、君は恋愛小説が好きだったね?よければこれを読んでくれ。ここに君の求める答えがあるから」
おもむろにジャスティンが懐から一冊の本を取り出し、モニカに向かって差し出した。
「あ、ありがとうございます……お預かりさせていただきます」
しかし高貴な人からの物の受け取り方がわからず、モニカはとりあえず卒業生が卒業証書を受け取る時のような動作を更に腰を低くして受け取った。
正解はわからないが多分これは間違いだとやりながらわかった。
「ぷっ、はは!やはり君は面白いな。他のマナーばかりに気を取られるつまらない女達とは違うよ」
これは笑えるくらいマナーがなってないぞという婉曲表現だろう。ジャスティンに悪気はない。これがお貴族様の文化なのだ。しかしやはりこの辺は平民とは相容れないなと、本を抱えて頭を下げながらモニカは口をへの字に曲げた。
◆◆◆
ジャスティンから本を受け取った日から、更に三日が経った。
「いやわからないわ……王族貴族特有の暗号だったら無理よ……」
この日モニカは学園を休み、朝から自室にて本の解読作業にあたっていた。ジャスティンが『ここに君の求める答えがある』と言った本であるが、極々普通の恋愛小説だったのだ。魔王に囚われた姫を王子が救い出し結婚するという王道ストーリー。
「炙り出したら文字が出てくるとかじゃないわよね?」
印字が不自然に太くなっているものを繋げると文章になる、行の最初の文字だけを読む、特定の文字を抜く、または変換する、逆さ読み。思いつく限りの暗号解読法を試したが、何をどう読んでもやはり囚われの姫を魔王から救い出してハッピーエンドな話だった。
最後に残る手段は炙り出しであるが、もし違った場合は洒落にならない。王子から預かったものを火にかけたなど不敬にも程がある。
「万事休す……」
物語自体は普通に面白かった。そのことが逆にちょっと腹立たしい。魔王と王子の手に汗握る決闘シーンは読み返し過ぎて台詞まで覚えてしまった。
朝から始めてもう夕方に差し掛かるが、何も収穫はなく。諦めて本を閉じ、モニカはベッドに倒れ込んだ。ごろんと寝返りを打つと視界が赤茶色に染まる。夕陽のせいではなく、いつも高い位置で二つ結びにしている髪の一束が目にかかっただけである。
ふと起き上がって窓から工房の方を見れば、煙突から噴き出た煙が夕暮れの空に溶けていくのが見えた。
……クルスはどう思ってるのだろうか。
もう六日も顔を見ていない、家目当ての婚約者のことを考える。
真意はどうあれ、モニカを賭けて勝負をするとジャスティンは言った。クルスはそれを受けた。今クルスが工房に篭りきりになってまで打っているのは、その決闘のための魔剣だろう。ハタから見れば婚約者を奪われまいとする行動に見える。
だがしかし、クルスが奪われたくないと思っているのは正確にはモニカではなくモニカについてくる工房だ。今現在篭りきってるその場所だ。
きっとモニカが誰と結婚しようとクルスを後継者にするとモニカの父が言えば、クルスが闘う意味はなくなる。いざとなれば婿でなくとも養子という手がある。父に事情を話し、今からでも養子縁組の方で話を進めれば、クルスは——。
「他の子と結婚しちゃうのは嫌だなぁ……」
そうすればわざわざ決闘で勝つ必要はなくなる。不戦敗で問題なくなる。ジャスティンが本当にモニカと結婚する気だとは思わないが、少なくともクルスは『モニカと結婚しなくてもいい』と思って決闘を辞する。そして工房を継いで、こんないざこざがあったモニカとはやっぱり結婚せずに、いつか他の誰かを選ぶ日が来るかもしれない。
そんなことになったら自分は一生実家には帰れないなと、モニカは窓の外を見ながらぼんやりと考えた。