2話 巻貝と誤解
「何よ政略政略って、今は庶民は恋愛結婚の方が主流よ」
「そんなに家にしか興味ないならヤドカリと結婚しちゃえばいいんだわ!」
「やっぱりやだー!ヤドカリなんかに渡さないんだからー!巻貝に何がわかるって言うのよー!」
モニカ・フレイマ、17歳。先日長年の片想いを叩き潰され、現在絶賛大荒れ中である。
「落ち着きなさいモニカ、どんどんわけがわからなくなってるわよ」
「だってぇ……だってぇ……あんなにはっきり言うことないじゃない……」
今までもクルスは素っ気なかった。登下校は一緒でもあくまで『義務だから』だし、帰り道に何度部屋に誘っても『行かない』の一点張りだし、いくら恋愛結婚の良さを語ってもどこ吹く風。
それでもいつかはと希望を捨てずにいたのに、昨夜ついに『いい加減に諦めろ』と最後通牒を突きつけられてしまった。
「嘘でも愛の言葉くらい囁いてやればいいのにねぇ、あの男も」
「でも嘘がつけないのもクルスのいいところだから……その真っ直ぐな心が彼の打つ魔剣にも現れているんだわ……」
「はいはい」
というわけでモニカは今、昼休みに案外人のいない穴場スポットである中庭にフローラを引きずって泣きついているのである。
「……それに、好きじゃないのに好きって言われても嬉しくないって最初に言ったのは私だもの。婚約したからって無理させるのも嫌だったし……クルスはそれを守ってるだけよ」
「ふーん」
もうはやフローラが生返事になってしまった。親友だと思ってたのはこちらだけだったのだろうか。
「どうしてモニカみたいな夢見がちな子がそんなリアリストな男好きになっちゃったのかしら」
「あれは十歳の夏の日のこと……」
「馴れ初めを聞いたわけじゃないわ」
そんな薄情な親友からの問いかけに、モニカは待ってましたとばかりに語り出した。
◆◆◆
「あれ?知らない子がいる!」
「ああ、お嬢。アレはうちのせがれでさぁ。将来魔剣職人になりたいってんで、親方に頼んで見学させてもらってたところで」
ある夏の日のこと。午前中で家庭教師から出された課題を終わらせたモニカは、暇潰しに工房を覗きに来ていた。そろそろ昼休みの時間なので、誰かしらは構ってくれるだろうという目論見である。
「いやあ、親のあっしが言うのもなんでしゃーね、あいつは間違いなく魔剣を打つ才能が……」
見知った顔ばかりの職人達の中に、一人見慣れない顔があった。片側だけ長い前髪で左目を隠した、モニカと同じ年くらいの男の子。
「家でもあっしの真似事してやすが、筋もいいんでさぁ。今日だって初めて見る炉の威力に少しも怯まないんですぜ」
気さくな従業員の説明を聞きながら、モニカはその場から動けないでいた。
背筋を伸ばし、真っ直ぐに炉の中で燃える魔炎を見つめる少年。時折火の粉が飛んできてその頬を掠めようが身動ぎもしない。まるでその炎の中にある何かを探っているように。
「お?親方?」
視線の先で、モニカの父が少年の肩に手を置いた。それから何やら二言三言言葉を交わし、少年が頷く。この距離では二人の声は殆ど聞こえなかったが、父が一言『見えるか』と問うたのはわかった。
「名前は……」
「へい、なんですかいお嬢」
世の中には魔力の流れをその目に映せる者がいる。父が昔言っていた。そしてそれは、素材と魔炎の魔力を繋ぐ魔剣を打つ上でとても重要な力であると。
「あの子の、名前は」
「え?ああ」
少年がポケットから取り出した髪紐で自身の髪を縛った。前髪を全てかきあげたところで、モニカの父が渡した黒い布を頭に巻く。露わになった前髪の下には、額から左目にかけて火傷の跡があった。
「クルス。クルス・ランバートだ、覚えといておくれよお嬢」
作業台へと導かれたクルスの目の前に熱された刃が置かれる。魔力の渦を打てと父による指示と槌が手渡される。
「クルス……」
直後にカーンと強く清く鳴り響いた音と共に、モニカは恋に落ちた。
◆◆◆
「それから三日に一度は来るようになったクルスに偶然を装って会いに行って話しかけたり作業を見学させてもらったりして距離を詰めて」
「もう何回も聞いたわその話」
「あの左目の火傷が不法投棄されていた火属性の魔剣の魔力暴走で負ったものだと聞いた時は本当に“この人しかいない”って思ったわ……」
「何回聞いてもわからないわそのツボは」
クルスの才能は誰から見ても明らかであった。迷いがない。恐れもない。どれだけ扱いの難しい素材であっても、その渦巻く魔力の中心に正確に槌を打ちつける。
「あ、勿論打つだけじゃなくて塗りや砥ぎ作業だって格好いいんだからね?上辺しか見てないとか思わないでねっ」
「え?今上辺の話とか出てきた?どの辺?」
モニカの父がクルスをフレイマ工房に入れたいと、後継者にしたいと望むに至るまで時間はかからなかった。丁度いいことに同い年の娘がいて随分と懐いている様子。そう考えた父からクルスを婿にどうだと話をされ、一も二もなく頷いたのは記憶に新しい。
ただモニカとしては将来の職場の長からそんなことを言われてクルスが断れずに困るのは本意ではなく、彼から結婚を望んでくれるようになるまではその話はしないようにと父に釘を刺した。
「なのにあの馬鹿父め……!」
釘を刺した……のだが、後日父はあっさりクルスにその話をした。なんでも『一番出来のいい奴を娘の婿にして継がせようと思ってる』と仄かしたら食いついてきたからと。そしてクルスの才能に気づいたライバル工房の者から横槍を入れられる前にと、学園入学直前に正式に婚約が結ばれることになったのである。
「いいじゃない、向こうも望んでくれたんでしょ?モニカとの結婚」
「家付きで望まれても嬉しくない〜!下手したら家付きでどころか家だけだし……っ」
これでは完全に政略結婚になってしまうと焦ったモニカはクルスに正直に打ち明けた。自分は恋愛結婚がしたいこと、婚約したからと言って好きでもないのに好きだと言われるのは辛いこと、これからの学園生活でゆっくりでいいから愛を育んでいきたいこと。それに対するクルスの答えは『恋愛感情はどうしようもできないが、婚約者となった以上は最低限の義務は果たさせてもらう』であった。
「そりゃあそんなクールなところも格好良いけど」
「じゃあもう解決ねハイ終了」
「冷たい!」
ついにフローラが完全に飽きてしまったようだ。まあ入学以来同じようなやり取りを何十回もしてると思えば仕方なくもあるが、今回ばかりは今までとは違うのに。
「私にとっては同じよ」
心も読まれてしまった。いつもこのあたりで今までとは違うと言うので先回りされたようである。
「午後の授業移動教室だから先に行ってるわね」
「わ〜っ待って置いてかないで〜!」
こういうときのフローラはフリではなく本当に待ってくれないので、モニカは慌てて開けっ放しであったランチボックスを包み直した。まだ殆ど食べていなかったが、どうせ食欲はないのでこれ以上広げていても変わらない。
しかし人間焦ると単純なことでも上手くいかないもので、膝の上でバランスの取りづらい箱と布相手に少し手こずっていると。
「モニカ嬢」
「すみません今急いで……あっ、ジャスティン殿下!」
頭上から降ってきた声に顔も見ず返事をしかけ、しかしすぐにその声の主に思い当たり姿勢を正した。
「大変失礼致しました、何か御用でしょうか……あ、あの、先日の件については本当に申し訳ございません、とんだ無礼を……」
ランチボックスを放り出し、ベンチの横に立って深く頭を下げる。このまま昼休みが終わるまで頭を下げ続ける所存であったが、ジャスティンはクスリと笑って顔を上げるように言った。
「構わないよ。私こそ君の気持ちも考えずに無神経だった」
どうやら許してもらえそうである。モニカはほっと息を吐いた。
「君の気持ちには前々から気付いていた……今まで気を持たせるようなことばかりして、何の力にもなれずにすまなかった」
「いいえ、私こそ身の程もわきまえずに失礼致しました」
ジャスティンに弟はいない。王子の成人式のパレードは今回を逃したら後がないと思っていた。
しかし露骨に王子という地位を、権力を利用しようとする下心を見透かされればジャスティンが気分を悪くするのは当然だろう。
「だが、先程の君の叫びを聞いて決心がついたよ。私も同じ気持ちだ」
とはいえあと二十年も待てば将来産まれるであろうジャスティンの子の成人式がある。その時こそは必ず……その頃にはモニカもクルスとの間にも子供ができているはず……男の子と女の子どちらだろう、どちらもかもしれない、どちらであろうと可愛いに違いない……とついつい思考が明後日の方向に飛び出し。
「政略結婚が嫌だと、巻貝なんぞに負けたくないという君の気持ちはよくわかった」
「っ!?」
一気に現実に引き戻され、モニカはすんでのところで悲鳴を飲み込んだ。まさかアレを聞かれていたなんて。
「次は私が覚悟を見せる番だ。待っていてくれたまえ。必ず君を助け出してみせよう」
「は、はあ……」
ちょっとよく意味がわからない。しかし王子に向かってどういう意味などと聞き返すのも憚られる。せっかく先日の無礼を許してもらったところなのだから。
「証明してみせよう。最後には必ず真実の愛が勝つと!」
ますます意味がわからない。内心で首を傾げるモニカを残し、ジャスティンは颯爽と中庭を去って行った。
「なんだったのかしら……」
あともう少しで昼休みが終わる。そろそろモニカも教室に行かねばならないが、ジャスティンの背中がまだ見えている以上動くわけにはいかない。
まあ少しくらい遅刻しても普通クラスなら特にお咎めなしだろうと呑気に構えていたところ。
「……モニカ・フレイマさん」
「ま、マデリーン様!?」
なんということだ。今日は立て続けに高貴な人に会う日らしい。ようやくジャスティンが見えなくなるや否や、今度はその婚約者が現れた。
「そう構えなくてもよろしくてよ」
マデリーン・マッキンレイ。マッキンレイ公爵家の長女にして王子の最有力婚約者候補。つまり次期王妃。この学園で王子の次に身分の高い人物である。
「一言忠告しておこうと思っただけですの」
「大変申し訳ありませんでした!!」
そんな人物から直々に声をかけられた意味。もしかしなくとも先日マデリーンの贈った魔剣を差し置いて、ジャスティンにクルスの魔剣を成人式のパレードにとアピールしてしまった件についてだろう。
「決してマデリーン様と争うつもりはなく……浅慮でありました、何卒ご容赦を……!」
「そう。わかっているのならよろしいわ」
つくづく馬鹿なことをしてしまったものである。モニカは土下座せんばかりに頭を下げた。
「恋愛にうつつを抜かすのも程々にしておきなさい。若気の至りと大目に見るのも限度がありますのよ」
パチンと扇子が閉じられた音がする。きっとマデリーンは閉じた扇子を突きつけてその台詞を言ってるのだろう。モニカは頭を下げたままなので確認のしようがないが。
「申し訳ありませんでした……」
それきり何も音がしなくなった。足音もしないがそれは来た時も同じである。きっと公爵令嬢たるもの音を立てずに歩く歩き方もマナーのうちなのだろう。
そろそろ行ってくれただろうかとモニカがそっと顔を上げると。
視界の先には、巻貝のように硬質な縦ロールを靡かせ、天井から糸で釣ったように美しく歩くマデリーンの後ろ姿があった。
◆◆◆
「あ、そういえば……」
マデリーンの登場により失念してしまっていたが、ジャスティンが言っていたことは何だったのだろうか。
「どうしたの?モニカ」
全ての授業が終わり、帰り支度を整えながらモニカはふと思い出した。昼休み終了間際にジャスティンが残した言葉を。
「ううん、なんでもないわ」
思い出したが、やはりよく意味はわからない。フローラに相談するにしても微妙である。
「そうだ、置いていっといてなんだけど、今日の午後の授業、随分遅刻してたわね。何かあったの?」
「まあちょっとね、迂闊に動けない事態が連続したというか」
そんなことよりもうすぐクルスが迎えに来る時間だ。それに比べれば王子の多少不可解な言動など取るに足らぬこと。モニカの意識はあっさりとそちらに向いた。
「……モニカ、迎えに」
「クルス・ランバート!やはりここにいたか!」
「え?」
義務感故だとわかってるとはいえ、あんなことがあった次の日でも迎えに来てくれるのは嬉しい。教室のドアが開き、顔を出したクルスにモニカが振り返ったその時。
「……?ジャスティン殿下?」
廊下からジャスティンの声がした。何故か怒りを孕んだ声でクルスを呼んでいる。
「クルス・ランバート!モニカ嬢を賭け、お前に決闘を申し込む!」
「は?」
「殿下!?」
意味がわからない。一体何が。驚いたモニカが廊下に駆けつけると、そこにはクルスに鞘付きの剣をつきつけて立つジャスティンがいた。
「ジャ、ジャスティン殿下、何を……!」
「案ずるな、モニカ嬢。君の気持ちはわかっている。このまま政略結婚など嫌なのだろう?」
「だからって!何故殿下がこんなこと……!」
モニカは混乱の渦にいた。ジャスティンの行動の意味がわからない。まさかこれが昼休みに言っていた『君を助け出してみせる』の内容なのか。
「腕に怪我を負いたくはないのですが」
「フッ、安心したまえ。狙うのは互いの剣だけ、どちらかが剣を落とせばその者の負け。構えを放棄するのは禁止の一番安全で簡単なルールにしよう。どんなルールでも私が怪我を負うことはないが、彼女を心配させるのは本意ではないからな」
「使う剣は自前でよろしいですか?」
「よかろう。いくら剣に細工をしたところで無駄だがな」
モニカが呆然としているうちにどんどん話が進んでいく。
「場所と日時は」
「一週間後、この時間に学園の演習場でだ」
止めなければと口を開きかけるも、クルスに片手で制されてしまった。
「逃げるなよ。逃げた時点で貴様の負けとする」
「承知致しました」
剣を腰に戻して高らかに言い放つジャスティンに、胸に手を当て恭しく一礼をするクルス。
こうしてわけがわからぬまま、婚約者と王子の決闘が決まってしまったのだった。