第6話 小さな世界
「なんか随分としおらしくなったな。よーしよしよし、こいつめこいつめー」
『ギュオ、ギュオ』
うりうりとヒポグリフの首まわりを撫であげ、ショウトがその背に騎乗する。
「いいねー、視界が高い! 乗り心地も文句なしだ」
「そりゃもうれっきとしたシステムですからね。乗り物システムが稼働していれば落馬などの心配もありませんし。ではわたしも失礼して……」
続いてステラがヒポグリフの背にすすっと乗り込んだ。のだが。
「ん……あれ?」
なぜだろう。ステラはショウトと背中合わせになるような形でちょこんと座り込んでいた。体育座りである。
「では、いつでも。発進おっけーです」
なんとなく声のトーンも下がっている気がする。
「うーん? まあいっか。んじゃ、東を目指してしゅっぱーつ!」
「おー」
『ギュオー!」
ショウトの合図を受けて優雅に砂漠を駆けだすヒポグリフ。
その走りは一定以上の速度を維持しながらも安定感抜群で、搭乗者に一切の疲労を感じさせないものだった。吹き付ける風の流れがなんとも心地よく、真っ白な景色がぐんぐん過ぎ去っていく。
「そういやこいつ、翼あるけど飛べないのかな?」
「飛べませんね。レベル一のIEMは飛行にかなりの制限があります。完全な鳥タイプであれば少しは飛べるはずですけど、この子は鳥と獣が混ざった種族のようですし」
「そりゃ残念だ。しかし、鳥タイプ……鳥のIEMねえ」
「なにか?」
「…………」
――なにか? じゃないよ! ステラちゃんのキャラが急におかしくない? なんで感情に乏しいクールキャラみたいになってんの!?
といった感じのセリフをめっちゃ言いたいショウトは、しかしそのツッコミを押し殺して本来言おうとしていたことを言葉にした。
「さっきのさ、ジャガーAさんを攻撃したやつって、鳥のIEMじゃないかなーと」
「どうでしょうね……野良のIEM同士のケンカなんて、わたしが知る限りこれまで一度もなかったもので」
「そっか……いちおう根拠はあるんだけどね。ジャガーAさんが倒れてたあたり、足跡とかの痕跡が何もなかったじゃん? 空を飛べるやつの仕業っぽいなって」
「だとしたら」
ステラが語気を少しだけ弱める。
「わからない……みんな同じ世界で生まれた、兄弟や姉妹みたいなものなのに……どうしてあんな、一方的に痛めつけるようなまねを……」
今にも泣いてしまいそうな雰囲気だ。そしてやはりキャラがおかしい。口調だって普段のですます調じゃなくなってるし。
――いやいやいや! わかんねーのはこっちだよ! ほんとマジでどうしちゃったの君!? ジャガーAさんの件がそんなにショックだったの!?
それも理由の一つではあるのだろうが、他にもっと根本的な原因があるように思えた。
「…………」
少し考えてみたが見当もつかない。答えがあるとすれば、やはりステラだけが持っている情報に他ならないだろう。
だが、しかし。
率直に尋ねるのはゲームプレイヤーとしてのプライドが邪魔をする。冗談で茶化せるような雰囲気でもない。
「えー、げふんげふん」
なのでショウトは、自分なりのスタイルでステラの内面を探ることにした。
疾走中のヒポグリフの背からスッと立ち上がり後ろを向く。
「えェ~、右手を~、右手をご覧くださァい(裏声)」
「はえ!?」
振り向いたステラの頭部にビックリ&クエッションマークが飛び出る。
「あちらにィ~おりますのがァ~……アレはなんだ? 耳がでかいキツネとタヌキ?」
ショウトが右手で示した先には耳の大きなキツネとタヌキらしき動物がうろちょろしていた。もちろん白い。
ちなみにこの場合、右手ではなく左手をご覧ください、というべきである。
「え、あの、そ、そうですね……フェネックAさんとアライさんAだと思います」
「アライさんA……アライグマか。あいつだけAの前にさん付けするんだ」
「お約束ではそういう風になってますね」
なにやら独特なルールがあるらしい。
アライさんAたちにはそれ以上触れず、今度は左手で左方向を指し示した。
「それでは続いて~、左手をォご覧にィなられましてはァ~(裏声)」
くどいようだが左右が逆。
「イルカとォ~アシカの群れが砂漠を泳いでおりましてェ~その向こうではライオンと巨大なシカが仲良く追いかけっこをォ~」
「????????」
ステラはわけがわからない様子。
「あの、大丈夫ですかショウト? 頭の方が」
「俺は平気だよ……」
フッとニヒルな感じに笑って、やわらかい表情で左右に広がる砂漠を見渡す。
「何もない砂漠だと思ってたけど、こうして見るとサファリパークみたいだね」
「そうですね……この小さな世界にはたくさんの動物型IEMが暮らしています。それと、名前にAがついている子はわたしの眷属です」
「けんぞくって?」
「自分で作ったペットのようなものでしょうか……」
CGモデルとAIを組み合わせて作るナビゲーターみたいなものか、とショウトは自分なりに納得した。それらはかつて市販品として流通してはいたが、その道のマニアであればゼロから作り上げるのも珍しくなかったという。
そのとき、流れゆく景色の中からたくさんの鳴き声が聞こえてきた。
『うみゃー』『クオーン』『ワンオワンオ!』『クルルルル』『コォーン』
景色が何度移り変わっても、そのたびに異なる鳴き声がこちらに届いてくる。
「ほら、みんな心配してるよ。ご主人様がお困りだーって」
「……………………ふぎゅ」
ふぎゅ?
ステラから変な声が漏れた。
「ふぎゅう……」
これは――泣いているのだろうか。こちらに背を向けているのでよくわからないが、小さな背中がかすかに震えてるように見える。
「ふぎゅぎゅぎゅう…………」
本当に泣き声なのかこれ?
なんだか変な感じだが、少しのあいだそっとしておこうと思いショウトは前向きに座り直した。
しばらく風の流れを感じるままにぼんやりしていると、ふいに一つの映像が脳裏をよぎった。
その映像は今の自分たちにそっくりだった。白馬を思わせる動物の背に乗り、背中合わせの体勢で囁くように会話している。
おそらくは、かつての旅のワンシーン。
――もしもショウトが、夢と現実のどちらかを選ばなければならないとしたら……あなたは、どちらを選びますか?
ステラにそう問われ、ショウトはなんの迷いもなくこう答えていた。
――両方!
えぇ……という感じで困惑するステラ。
――ていうかさ、どっちか片方に決める必要なんてないじゃん? 俺は永遠に夢を見続けるのも、永遠に現実を生きるのもごめんだよ。行きたい時に行きたい方に行く!
ちなみに推測だが、この質問における『夢』というのは、すなわちゲームの世界を示す言葉だとかつての自分は解釈しているように思う。
ずっとゲームをし続けていればそのうち苦痛になってくるし、かといってゲームをやめて漫然と生きるのも性に合わない。
そんな考えから導かれた答えなのだろうが、ステラは納得いかない様子だ。
――で、ですから……その、選択肢! 選択肢を選ぶ感じで!
――じゃあ、その選択肢ごとぶった斬って前に進んでやる! 俺は自由だー!
――すいません、聞いたわたしがおバカでした。
映像はそこで途切れ、代わりにステラのつぶやきが背後から聞こえてきた。
「もう、ずっと前に決心したつもりだったんですけどね。それなのに……あの子たちの声を聞いていると、どうしても自分の選択に自信がなくなってしまって」
「あいつらはなんて言ってんの?」
「普通にあいさつしてる感じですよ。ひめさまー、ひめさまー、みたいな」
「そっか。それならさ、まずはちゃんと応えてやらないと」
「はい……そうですよね……!」
かすかに涙を浮かべ、ぎこちない笑顔で周りの動物たちに向かって手を振るステラ。
その姿は確かにお姫様のようだった。
着ているドレスはボロボロで、白く長い髪はモワモワで、お姫様どころか平民よりも身分が低そうな身なりではある。だが下々の者に儚く笑いかけるような姿から、どこか気品あふれる印象をショウトは確かに受け取っていた。
妹を見守る兄のように優しい笑みをステラに向け、遥かな蒼穹に想いを馳せる。
――IEM、モンスターの……敵種族のお姫様か。いいねー燃えるねー!
動物たちは歓声を思わせる鳴き声を代わる代わる叫び続ける。それらの風景が移り変わっていくうちに、ステラの笑顔は少しずつ自然な感じに戻っていったようだ。
「ステラちゃん」ショウトが前方の砂漠を見据えたまま語りかける。
「君はこの世界で生まれて、ずっと砂漠を旅してきたんだね。ペットを、眷属を増やし、俺と出会って、難易度の高いゲームに挑戦しては失敗し、巻き戻っては再会して……そんな、決着のつかない旅を」
「はい。大正解と言いますか、今回のショウトはやはり記憶が……?」
「どうなんだろうなこれ。さっきふと映像が頭に流れてきてさ。俺たちが映ってたんだけど、何かこう、この世界に関するとても大事な話をしてるみたいだった」
「大事な話ですか。でしたらもう……わたしの隠し事なんてバレバレですよね」
あはははーと自嘲気味に笑うステラ。
「バレバレというほどではないよ。でもきっと、この質問一つで君の隠し事は完全に晒される形になると思う」
少し悩む。この『選択肢』はおそらく、ステラをもっとも苦しめているものだ。
住み慣れた場所を離れて未知の世界を目指すか、ずっとここに留まり続けるか。
ステラ自身がそう言っていたように、答え自体はもう決まっているのだろう。
それでも後ろ髪を引く思いが見受けられるのは、単なる郷愁のような感情なのか、あるいはもっと別の何かが――
「ステラちゃん。君は」
「はい」
考えがまとまらないうちに、ショウトは一つの問いを切り出していた。
「この、小さな世界を……」
「…………!」
背中越しでもはっきりとステラの動揺が感じられる。
「い、いえそのまあ! そういうアレがないとは言いませんけど……ですけどー!」
違うんです、そうじゃないんですと必死に否定しようとしている。
「そそ、それよりもですね、こうして二人で旅するのもこれが最後になってしまうのかと思うと、どうしてもこう、おセンチになってしまって」
それはきっと真実で、本当の気持ちで、だからこそ隠し事をするには最適だった。
「ですから、せめて」
「うん」
真実はここにある。けれど、その向こう側を知るにはまだ情報が足りなかった。
やはりステラの隠し事とは、何よりもショウトを想っての行動なのだろう。それゆえに、内容を聞き出す行為そのものがどうしても憚られるのだ。
だからショウトは、少なくとも今この時は諦めて、そばにいる少女の言葉を晴れやかな青空のような気持ちで受け止めることにした。
「わたしが生まれたこの小さな世界を、しっかりと記憶に残しておきたかったんです」
「……そっか。いいと思うよ。忘れないのは大事なことだ」
微笑んで、ショウトは珍しく真剣に思考を巡らす。
今しがた発せられたステラの言葉は、まるで――
まるで、この世界が記憶にしか残らないと確信しているかのような口ぶりだった。
その時、二人が乗り物として搭乗していたヒポグリフの双眸が赤い光を放ち始めた。
夢の世界で生きてさえいれば、ずっと幸せでいられたのに。
◇◇◇
ここまで拙作を読んでいただき、嬉しい気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございます。よろしければこれからも彼らの旅を見守ってやってください。
今回までが第一部の序盤ということで、後書きのような感じでさささっと。
数名の方に「ステラちゃん可愛い」と言ってもらえてとても嬉しかったです。
彼女の感情フルオープンな感じは書いててとても楽しいので、時には曇らせながらも最終的には明るい笑顔でいられるように頑張っていきたいと思います。
ショウト君もそろそろボコスカを卒業して本格的な戦闘に入るかもしれません。