第20.5話 フォールダウン
軌道エレベーターを思わせるカンダタワーの付近に、雷雲のごとき黒々としたエフェクトが生成されつつあった。
その漆黒の何かが身じろぐようにうごめき、地上の砂漠へ向けて一斉に汚物を吐き出していく。
「アァ……アァァ……!」
汚泥のような、糞便のような、毒沼のようなそれらが絶え間なく降り注ぐ。
やがて小高い丘が形成され――
リョウコ・ジャニングバートはその頂上に悪夢から目覚めるように顕現した。
おぞましいほどの酩酊感を必死にこらえながら。
両の腕でわずかに羽ばたき、すぐ下方の砂漠へフラフラと降下していく。
そこはちょうどカンダタワーのエントランス前だった。
「アァ……罠の存在を警戒してなお……配下の大隊を肉盾にしてなお……これほどの屈辱……これほどの失態を! アァ! この身までもが……ッ!」
設定情報を改ざんされてしまうとは!
「極端な移動制限と思考の侵食……ああ、そうでした。わたくしは魔軍将の末席にあらず。カンダタワーの守護者にして女王陛下の特異点を鳥瞰する者。ですが」
積み上げられた汚物の丘を忌々しげににらみつける。
あれらはおそらく肉盾にした部下数千名の死骸だろう。
もとより戦力になど数えていなかった。所詮はただの情報リソース。
だが将を守る盾として、想定以上の働きをしてくれたようだ。
「我らが受け継ぎしこの憎しみの炎だけは、誰にも消せはしないのでしょう」
そう、例えこいつらが死骸と化そうと、幾千もの肉片に斬り刻まれようと!
その屍を糧とし、『ハチドリ』は種の使命をまっとうするのみ。
かつてこの星を支配した羽なしどもに風の裁きを。
絶滅種としての怨念を混ぜ合わせ、人間種に永劫の報復を!
「ふふふ。また……憎悪のチャージがはかどってしまいますわね。はて」
ふと同じタイミングで乗り込んだはずの同僚の存在を思い出す。
丸っこくて暑苦しそうなスーツを装備した変人だ。
「……あのキテレツはどこへ」
まさか迷子か。まあネットワーク空間の立ち回りなんてまったく理解していないだろうし、多少の遅れは仕方あるまい。むしろ鬱陶しいので迷って消えろ。
そんな風に新参者を疎ましく思っていた時だった。
ずもももとすぐそばの砂漠がそそり立ち、白い耐圧スーツの巨像に変化していく。
「?」
そこには二十メートル近いサイズの宇宙服が石像のように佇んでいた。
佇むだけだった。
「レオナルド?」
返事はない。ただの置き物のようだ。
というかですね……
なんかデカすぎない? そして中身は?
「本当にキテレツですねアレは」
リョウコはひとまず、不可解な同僚を居ないものとして扱う事にした。
自分はこの場からほとんど動けず、塔を守る以外の行動なども選択できない設定にあるようだが。
どうせ周りはカンダタワーの安寧を脅かす敵だらけだ。
それに何より、使える手駒はいくらでもいる。
「女王陛下の特異点。全ては我が視界のうちに」
特異点の走査はたったいま隅から隅まで完了した。
どこで何が起きているか手に取るように把握できる。
だだっ広いだけの砂漠。中央には高い塔。ランダムに配置された七つの砦。
「北西に帝国軍の混成部隊。東一帯には魔王軍――『ハチドリ』と『クロヘビ』の小競り合いですか。まあいつもの光景ですね。この期に及んでご苦労な事で」
七つの砦のうち、二つは未使用。三つはすでに崩壊状態。一つは帝国軍が占拠し、残る一つを『ハチドリ』の別動隊が空襲しようとしている。
「ちょうどいい。まずは白の砦を落としましょう。辺境の『ハチドリ』たちよ。我がスキルの情報リソースとして用いるために――自害せよ」
◇◇◇
白の砦上空。なぜか城門を開けてどこかへ走り去ろうとした馬鹿のおかげで『ハチドリ』の部隊は大いに盛り上がっていた。
馬鹿な犬だ。逃げ場なんてどこにもねえ。てめえらはこれから全員殺されるんだよ。
ゲラゲラとした笑い声が何重にも響く中、隊長格と思しきバードマンだけはピンク色の羽毛で覆われた全身が青ざめ、恐怖に震えていた。
「なぜこのような場所に……しかも塔の守護者だと? わけがわからん。一体どういう事なのだ我が将よ」
部下の中でも小隊長クラスの連中には『指令』が理解できたのか、過度のストレスでへしゃげそうな表情をしている者が多い。
未知のエリアで雑魚相手に遊んでいたら絶対的な上司が現れて自害を強要する――これほどストレスを感じる事などそうそうないだろう。
いずれにせよ、遊びの時間は終わりか。
元より我らは決死隊。
暗黒大陸の辺境にて、愚にもつかない戦を重ねて命を消費し、上層部の回りくどい策だか何かでこの地に送り込まれたに過ぎない。
上の目的など知った事か。どうせ羽なしは全て敵。片っ端から殺すのみだ。
だが状況が変化し、この場にいるはずのない将からの『指令』が下った。
逆らう道理などあるはずがない。ゆえに今、やるべき事はたった一つ。
再び命を捨てる。それだけだ。
「おい、浮かれてるアホウどもを黙らせろ。これより我らはただのリソース。魔王軍の端くれとして、せめて目下の敵軍ぐらいはこの命で葬ってくれようぞ」
上空の部隊全体に緊張が走る。
最後の激だ。
「まもなく断空陣が発動される。そうとも! やつらは俺らの顔も名前も知らんだろうが、ゴミのように扱われるのならせめてゴミ程度の役には立ってみせようぞ!」
無数の雄叫びが空に響く。基本的にはチンピラの寄せ集めみたいな部隊だったが、誰もが翼持つ同胞である。最期ぐらいは誇りとともに在りたいものだ。
「我が将よ、受け取るがいい我らの構成情報を! この翼に誇りを、鳥類の空に悠久の自由あれ!」
「自由あれ!」
◇◇◇
数百に及ぶ同胞の命で構成されたリソースが流れ込んでくるのを感じる。
「良き心意気です。辺境の兵にもまっとうな同胞がいたようですね。いいでしょう、その方らの構成情報を贄とし、カンダタワーの安寧を脅かす侵略者に裁きの嵐を」
そしてリョウコは青黒い両翼を広げ、歌うように、呪うように不可解な言語で詠唱を始めた。
すべての風が止み、すべての風がその翼に集い、すべての風が溢れて天を覆う。
そういった風の流れを――特異点の中でたった一人、明確に感じ取った者がいた。
◇◇◇
北西に配置された青の砦。その外壁に立つ見張り塔の席で、一人の少年が対戦型ボードゲームの盤面を広げて肩肘をついていた。
「風が止まった……ああもうめちゃくちゃだよ。こんなんじゃ見えるものも見えないじゃないか」
長めの金髪に青いローブをまとった十代前半ぐらいの少年である。極めて人間に近い容姿だが、ぴょこんと伸びた長い耳が特徴的なエルフという種族を模したIEMだ。
向かいの席は無人だったが、赤く発光する粒子が集まり、徐々に一人の少女の姿を形作っていく。
「お兄さま、ヴァンパイアスレイブより報告が。何やらエンカウントに不自然な弱体化が見られるようで……」
「うん、青銅騎士団の方でも確認した。けどねシャロン、戦局はもうそういう段階じゃないんだよ」
長くゆるやかな金髪に赤いローブをまとい、両の瞳をサングラスで隠した少女はのんびりした様子で驚く。
「あらまぁ、そうだったんですの。では砦の周りからぽんぽん沸いてくる……ウェーブ? の方は本命じゃかったみたいですわねー」
「どうかな。あの悪名高い女王の事だ。ありとあらゆる手で自分勝手にゲームを進行できるような設定にしていても不思議じゃないよ」
しばらく青いローブの少年ことカロンの愚痴が続き、妹のシャロンはやはりのんびりと聞き流していた。
「デリフォードの部隊を南へ向かわせたんだ。これが盤面をひっくり返す一手になるはずだったんだよ。でも風の流れが完全に読めなくなってしまった。ああもう!」
「風のリソースが使えないとお兄さまは無能になってしまいますものねー」
実際問題、突如として現れた風属性のIEMはカロンよりも遥かに格上だった。
カロンとシャロン、おまけにそれぞれの配下を合わせた全軍でぶつかっても勝ち目は薄いだろう。
「ぐぬぬぬ。ちょっと悔しいけど、この砂漠は僕の戦場じゃないようだ」
「ではどうされます?」
「決まってる」
カロンは懐から人型の駒を取り出し、盤面の中央に配置する。
「盤外からの一手には盤外からの一手さ。大丈夫、すでに報酬は支払ってある」
「そうですわねー、お金で動くような方には見えませんでしたけども」
「だとしても、未来ってのは些細な行動でいくらでも変化するものさ。金銭の問題じゃない。獣人の都で、僕らが彼らに最初に接触した事が何よりも大事だったんだ」
シャロンが曖昧に頷いて南東の空を見やる。
「……空が落ちてきますわ。盤外にいるのはわたくし達の方なのでは」
「まあ、うん」
カロンは盤上の駒に視線を向けたままだった。
「どんな嵐も、どんな悪夢をも切り開く可能性がここにある。勇気ある者よ、見せておくれ。人の持つ可能性ってやつをさ」
◇◇◇
呪詛のような詠唱が終わった。
リョウコは発達し尽くした積乱雲で覆われた空を見上げ、わずかに大地を見下ろし、目を閉じ、両翼を掲げ、美しい声で冷静につぶやいた。
「フォールダウン」
次の瞬間、白の砦は逃げようのない暴風の結界に包まれた。




