第20話 包囲殲滅白の陣~私はたぶん、人間でした~
ある少女の話をしよう。
いわゆるモブキャラみたいなもので、特殊能力があるわけでも人より優れた技能があるわけでもない普通の女の子だ。
祖父が趣味で営んでいる喫茶店の看板娘。
そんなちょっぴり素敵な響きのする肩書きが自慢だった。
彼女はいま夢を見ていた。
狐耳の生えた獣人になって、ヘンな名前の喫茶店で働く夢だ。
そこの店長がなんというか祖父の面影があるヤギ系の獣人で、姿がちょっと変わってる以外は現実とあんまり変わらなくない!? みたいな気分で過ごしていた。
ある日の事だ。なんかこう、幼馴染的な……ゲーム脳で戦闘狂な男の子と少しだけ接触したのだけど、知らない女の子を連れていたので温かく見守るつもりだった。
そっかそっか。ショウト君もついにそういうお年頃かぁ……みたいなね。
それからトカゲの子供たちがちょろちょろやってきて、ちょっとしたパーティみたいな感じになって……平和なひと時だった。
すぐにひどい目にあったけど、おじいちゃん含めてたくさん人が死んだけど、どうせ夢だし別にいいよね。ああでも、必死に戦ってくれた人たちにはせめてもの感謝を。
――私の現実はまあまあ平和で、夢でも平和なのが一番いいと思ってたのにな。
獣人の都の人々は半分以上が殺されて、残ったメンバーも生き延びる事を諦めたくなるような厳しい状況が続いている。
空の女王が即興で展開した極小特異点――『地獄極楽殲滅陣』。
その砂漠にある拠点の一つ、『白の砦』と呼ばれる場所に少女らは逃げ込んでいた。
「もうダメだワン。次のウェーブで僕ら獣人軍は壊滅するワン。詰んでるワン」
「まさかこの砦そのものが罠だったとは釣られたクマー。無念だクマー」
「外に出てもあのエンカラッシュが待ってますしねえ」
城壁の上歩廊では作戦会議という名の絶望を確認する作業が行われていた。
みんな疲労と負傷でいっぱいいっぱいなのだ。
少女に出来る事といえば、料理スキルと配膳スキルで味方の後方から料理系のアイテムをちぎっては投げちぎっては投げ、ひたすら補助に回るぐらいだった。
ぶっちゃけ最重要クラスのサポートキャラなのだが、本人はみんなに迷惑をかけまくる足手まといでごめんなさいみたいに考えている。
ゲームオンチなのが災いし、ヒーラーの重要性を理解していないのも辛い所だった。
「……?」
その時、やわらかな風が城壁を吹き抜けていった。
ただのそよ風である。そのはずなのに、少女は妙な気配を感じて振り返った。
「ウーム。何やら嵐が来そうであるな」
不思議な猫が胸壁の上に立ち、東の空をにらんでいた。
仁王立ちの猫獣人である。ボロボロのマントにテンガロンハットと歩行補助のステッキを装備している。なんとなくおじいちゃん猫のような風格なのだが、声自体は可愛らしかった。
「嵐って? ネコさんネコさん、ここって天気が変わるんですか?」
「それがしの名はネコAである。名前はまだ……いやありはするのだが。あ、ニャー」
「???」
変な名乗り方だ。ネコAというのもいかにも偽名っぽいし。語尾が雑だし。
「ネコAさん? ネコAが名前!? それ絶対変だよね!? 名前にやる気がないよ!」
「良いのだ娘よ。この『A』には姫様の特別な想いが込められていて……」
「どう考えても適当に作ったとしか思えないんだけどー!」
「ウーム。似たようなツッコミを前にもされた気がするにゃあ」
騒がしくも和やかな雰囲気の中、次なるウェーブの到来を告げる角笛が響いた。
ウェーブとは、言ってしまえばモンスターが砦を包囲するように次々出現する特殊エンカウントである。相手にとっては攻城戦で、こちらには籠城戦を強いる形か。
「はあ。実質死の宣告ですよねコレ。ま、やるだけやりましょうか。どうせ夢だし」
一人の青年が弓矢を装備したのを皮切りに、それぞれが戦闘準備に入っていった。
この時、誰もが絶望的な思考でいた。
私達は――獣人軍は、このウェーブで全滅する、と。
ただ一人、ふらりと出現したネコAを除いては。
「これはなんともマズいタイミングで現れてしまったような……ウーム、それがしの戦闘レベルではどうにもならんニャ。姫様も来てはおらんようだし。ウムウム」
そしてやはり、性別不詳のネコ獣人は東の空を見据えてつぶやく。
「はてさて、今回のあやつはどこまで覚えておるのやら。記憶ガチャ対策の成果やいかに、であるな。あ、ニャー」
◇◇◇
砂漠に突き落とされた獣人の都一行。
彼らはログイン時に『白』のチーム――獣人軍と名付けられた。
エンカウントするモンスターを退けながら、多くの犠牲者を出しつつも近場にあった『白』の砦とやらに逃げ込み安堵したのも束の間。
本当の地獄はそこからだった。
砂で作った小規模なお城を思わせる『白』の砦は、少女の感覚で説明すると野球場やサッカースタジアムぐらいの広さの建物だった。
四方を囲む高めの外壁。内部には食堂、武器庫、鍛錬場、休憩所、保管庫などが設けられており、いかにも――
「籠城戦なんて、援軍との挟撃がなきゃただの狩られ場だと思うんですがねえ。あー夢でも死ぬのは嫌だなあ……まさか初陣が生身とは……」
暗い表情で弓矢を装備した狐耳の青年がぶつぶつと不満をこぼしている。
そう、少女を含めた獣人軍の残存メンバーは、これからまた絶望的な戦闘を強いられるのだ。おそらくは全滅するまで何度でも。愚痴の一つや二つ当然だろう。
詰みといっても差し支えない状況だが、少女はなるべく明るく振舞った。
「あのあの、狐のお兄さんー!」
「はいはいなんでしょ」
狐耳の少女は後方支援である。負傷した味方に料理を食べさせ、あるいは投げつけての回復やらパワーアップやらを担当するのが主な仕事だ。今回もがんばるぞ!
「こうやってお話しするのは初めてですよね。ええとその、お兄さんはたぶん、私と一緒なんじゃないかなって思って」
「ああ、耳が一緒で兄妹みたいですよね」
それはちょっと思ってたけど今はそっちに置いておくとして。
砦の外壁、見晴らしのいい場所で少女は少し気合いを入れた。
「単刀直入に言います。私はたぶん、人間です。人間でした」
「んー、まあ……わかります。あれですよね、あなた先生の生徒でしょう」
お兄さんは容姿も性格ものんびりした感じの人だ。目が細くて割とぼんやりさん。
耳がなくても狐っぽい外見だと思う。
「そうです! ……ゲームの腕がクソザコすぎてただのモブキャラですけど」
「別にいいじゃないですか。後ろから応援してくれるだけでも嬉しいもんですよ」
「でも……ここには誰もいない。先生も、ショウト君も、みんなも」
お兄さんは小麦色のまとまりがない髪をモサモサといじくる。
「まあ、はい。いない人をアテにしてもしょうがないですし。今できる事をやれるだけやって、ダメなら大人しく諦めましょう。どうせ夢だし」
「で、ですよねー! 夢ならいっそ、こう、お約束的に超強力な味方NPCとかが助けに来てくれないかな……」
ふとネコAの存在が脳裏をよぎるが、戦闘能力の低い少女から見てもあのネコさんはどことなく頼りなさげだった。過度な期待はしない方がいいだろう。
「強力なNPCですか……そういうウワサはあるんですがねえ」
「もしかしてリーダーの事です?」
「はい。各チームにはレベル二のリーダーがいるって話だったのに、ウチ、いないじゃないですか」
「確かに……獣人のリーダーなら、かなり強そうな感じしますもんね。増援かな?」
「だといいんですけど……」
そうこうしているうちに城門の周囲はモンスターで埋め尽くされ、籠城戦のセオリーともいえる高所からの遠距離攻撃で手堅く対応していった。
下からの攻撃もまたシンプルだった。投擲や低級魔術などは各自が自己判断で対処し、素早い個体が壁に取り付こうとすれば長物装備の前衛が徹底的にこれを叩く。
おかしい。手ごたえがない。
空を飛ぶモンスターがいないのはいつも通りだけど、それ以外が異常に弱い。
応戦する誰もが同じような疑問を抱いていたが、答えを得るより早く第八ウェーブが終わってしまった。
また――生き延びた。不気味なほど簡単に。
◇◇◇
砦の中央には鍛錬場があった。吹き抜けになっており外の状況が確認しやすい。
物見として、狩人スタイルがサマになっている狐のお兄さんを上に配置し、訪れないと思われていた九回目の集会が始まるところだった。
話題になるのはやはり第八ウェーブがぬるすぎた件と不在のリーダーについてだ。
すでに生還条件を満たした? 次が本命なのでは? リーダーどこいった!?
いくら議論しても答えは出ない。これまでの経験的に、そろそろ次のウェーブが始まる頃合いなのだが……そんなタイミングで、一人の獣人が口を開いた。
「おれぁいわゆるハグレ狼でよ。いっつもいっつも空腹に苛立ちながら生きてたんだ。食わなきゃ死ぬから食うしかねえ。こうやって知能を得た今となっちゃ、なんのために生きようとしてたのかもよくわからねえけどな」
それは武器屋の主人だった。動物で言えば狼が混じった人――人狼、あるいはワーウルフと呼ばれる種族になるのだろうか。
傭兵経験がありそうなコワモテの隻眼人狼おじさんだぁ……とは少女の感想。でもエプロンはちょっと可愛い。
「畜生のオツムでも理解してた事がある。それは『何が食えて何が食えねえか』だ。結論を言うと、テメェより小さくてトロくて柔らかい生き物が食うのに最適だった」
そこでワーウルフは生き残った中でも特に若い連中をにらみつけ、目をふさぐ。
「わかるだろ? ガキだよ。種族なんざどうでもいい。生まれて間もないガキを狙うのが俺なりに考えた生き延びる方法だったんだ。だがある日……今思えば、あれは人間のガキだったんだろうよ。仕留め損ねると、すぐさまデケェ人間がやってきて、何かが破裂するようなデケェ音がして……それが最後の記憶だ」
「…………?」
一体何の話だ?
全員の頭部にクエッションマークが浮かんでいると、ワーウルフはエプロンの中からボトボトといくつもの黒い筒のようなアイテムを取り出し地面にバラまいた。
猟銃である。少なくとも、ワーウルフの武器屋では扱っていなかった商品だ。
「これは『殺し』のお約束ってやつだ。レベル一のモンスターなら必ず効く。特に動物系には必殺に近い威力が出る。おれぁもう、生きるのにも死ぬのにもこだわらねえが……なんの価値もなくゴミみたいに潰されるのだけは我慢ならねえ。道連れだ。この砂漠にいる敵を一匹でも多く道連れにしてやる」
言いながら二丁の猟銃を手に取り、片方を物見の青年に向けてぶん投げた。
「おわっと! なんですか急に」
「コイツは特別製でな。引き金を引くだけであとは全部システムがやってくれる。このメンツの中じゃお前さんが一番うまく使えそうだからな」
「はぁ……まあ訓練はしてますけども」
それから鍛錬場にいる全員が使うように促され、大半はワーウルフに従った。
生き延びる確率を少しでも上げるためだった。
例え確実な死が待っていようとも、ゲームのNPCでしかないとしても、生きたいと願う気持ちは生物と変わりなかった。
受け取らなかったのは、少女とネコA.
「わ、私はさすがにこういうのはちょっと……アイテム投げます!」
「それがしは剣しか使えん。レベル一最下位の貧弱さを舐めるでない」
ワーウルフはケッと笑い飛ばして城門から外に出た。視界を砂漠が埋め尽くす。
「塔だ……エンカしたやつらを全部ぶち殺して塔へ行く……途中で力尽きるのは構わねえし帰りたいと思ってるわけでもねえ……オレは……」
どこまでも続く白の砂漠。それは先ほど蘇った記憶で幾度となく目にした景色によく似ていた。
銀雪の大地。そうだ、オレはまたここに帰ってきた。故郷の雪原を……ロクな思い出もねえ場所だが、それでも……
猟銃をエプロンにしまい、四肢に力を込め、獣のように大地を駆けよう。それだけでいい。もはや言葉も知能も理性もいらない。
思い出した。俺は食うために生きてたわけじゃねえ。
こんなふうに、
せかいを、
どこまでも、
じゆうに、
瞬間。
無数の槍がワーウルフめがけて上空から降り注ぎ。
彼の意識は、第二の生は、そこで途切れた。
空では、百を超えるであろうピンク色をした鳥獣の群れがゲラゲラと笑っていた。




