プロローグ
私は両の手の大きな赤黒いハサミを使うのにだいぶ慣れて来た。そんなある日の出来事が私のカニ生を大きく変貌させるのであった。
私は長年の間目の前にある両の大きな赤黒いハサミを見て生き続けている。いったい全体なぜこんな生まれ変わりをしたのであろうか?
私は大のカニ好きで生まれ変わったらカニになりたいとそう願ってはいた。
だが退屈だ。
光も届かない深海の暮らしにはもう辟易としているのだ。
僕はジャック!今日はとうとう僕の考えた創作の賜物!潜水樽が完成したんだ!
大きな木の樽にコールタールで水が入らない様にして中には前方だけ分厚いガラス板がはめ込んであってね!
樽の外側、そう下には重りがくくりつけてあるんだ。
中でおかしいな?とおもったらレバーを引けば重りが外れて樽が勝手に浮上する仕組みなんだぜ!
合理的!
船に潜水樽を積んでもらっていざ出航!
ちょっと沖へ出ればこの土地の海は直ぐに深い海になるんだ!
『おーい!ジャック!そろそろ樽に入れや!』
『わかったよ!ダニエル!直ぐに行くよ!』
僕は樽の中にうつ伏せで乗り込む、船の船員が樽の蓋を釘でバンバン打ち込みコールタールで水漏れしないようにする!
僕にはもう前方のガラス窓からしか外界は見えない。
『よーし!樽を放り投げろ!』
ダニエルはニヤニヤしながら船員に指示をする!
ドッパーーーン!
『ダニエルは荒っぽいのが悪いところだよ!まったく!いててっ!』
しこたま樽に頭をぶつけた僕は誰にも聞こえない悪態をつく。
走行している間に潜水樽はどんどん海中深く沈んで行く!耳がギュッと圧迫されてきた!
僕は耳抜きをしてこれに耐える。
どんどん潜水樽は海中深くへ進む。
初めて見る深海の世界だ素潜りではここまでは誰一人来ることは出来ないはずだ!
耳がギュット圧迫される、あれ?耳抜きできない!!
そして息も苦しく感じる!
ガラス板の向こうは暗闇だけが広がっている。僕にはバランタインという新妻がいるんだ!
最近、子供が出来たかも?って話してるんだ!ここは、戦略的撤退一択だ!
僕は躊躇わずレバーを引き重しを全て切り離した!
潜水樽は急浮上を始める!
『うっ、気持ち悪い!オエッ!』
なんとも言えない不快感が僕を襲うそして僕は意識を手放したのだった。
私はいつものルーティーンで餌場をヨチヨチと移動してはツマツマと餌を口に放り込む。
うーん、不思議と旨いんだよなあ。ツマツマ。
そんな時背中に物凄い圧迫感を感じた!
大丈夫だ!私の甲羅は頑丈に出来ている!
これが私の2度目の人生?カニ生の最後の思考だった。
良く解らない重量物にグシャリと押し潰された哀れなカニはもうピクリとも動かなくなっていた。
それから9ヶ月程月日は過ぎた。
バランタインは24才を迎えていた、女性として成熟してくる年頃である。
彼女は助産婦に助けられて必死で出産に挑んでいた。今は亡き冒険者である夫の面影を想いながら。
『ひっひっ!ふっー!』
『さあ!バランタインちゃん!いきんでちょうだい!』
『うーーん!!』
『オギャア!オギャア!』
『バランタインちゃん!元気な男の子だよ!』
『主人が居れば名前をつけて貰えるのに』
バランタインは一筋の涙を流していた。
『ジャック・ジュニアで良いんじゃないかしらね?バランタイン?』
助産婦の一人がぼそりと呟いた。
『ジャック・ジュニア、ジャック・ジュニア!うん!私とても気に入ったわ!』
私は硬い甲羅が自慢の存在だ!
この重しから抜け出なければ!
『ひっひっ!ふっー!ひっひっ!ふっー!』
何か聞こえるぞ?
全身が締め付けられて苦しい!!
息も出来ないー!
ツルリと何かから抜け出た私は目を開ける事さえ出来ない!
微かに聞こえるのは『ジャック・ジュニア!気に入ったわ!』という若い女性の声だけ。ああ、苦しい!
『オギャア!オギャア!』
私は自分の出した声に驚いていた!なんだ?
そう私は私を殺した男の妻の息子として生まれ変わったのであった!この事を知るのは数年後になるのではあるが。
私は3度目の人生をどう生きるか考えながら、あがなえない睡魔に襲われて眠りにつくのであった。
久しぶりの人間としての肉体に不思議と戸惑う主人公ジャック・ジュニア。はてさてどのように生きて行くのか?