第5話:喧嘩
喧嘩を見るのはいつぶりだろう。中学校に入学するころには、みんな世間での自分たちの立ち位置をよく理解していたので、本能的に人前で目立つ行動は控えるようになっていた。
だから最後に見たのは小学校のときだ。
小学校五年生のとき、吉春と共に他校の生徒に殴りこみをかけたことがあった。学校では二人とも成績は良かったし、周りの子どもよりも抜群に運動能力が高い自信があった。
彼らと俺たちの間にどんな違いがあるのか、はっきりとさせたかった。
結果は惨敗。相手は教師学校体育科の生徒。背も低く、筋力もあるようにも見えなかったので、四、五人のグループを相手にしても十分やれると思っていた。
甘かった。結局俺たちが触れることができたのは手前にいた三人まで。あとの二人には指一本ですら届かず、はた目から見ればいじめと言ってもいいほど、一方的にぼこぼこにされてしまった。 生徒が立ち去り、ぼろぼろのまま空き地で寝っ転がっていた。
俺は自分の非力さに泣けてきたが、吉春は笑っていた。
「俺たちやっぱ変人だよなぁ」
空を見上げる吉春の顔は汗できらきらと輝いていた。
「あぁ」
そうだな。俺たちはどこまでも同じだった。やり方は違っていたが、お互い、いつか常識を出し抜いてやろうと考えてばかりいた。
思えば、吉春とはあのときから親友になったのだと思う。
俺たち三人は駆け込むようにして部屋の中に入った。
中はドーム型で、昨日の体育館のような野外を模した部屋ではなく、共通点は部屋に扉がたくさんあることだけだった。壁一面にカラフルな幾何学模様が描かれ、使用用途が分からないトレーニング器具が散在している。
沢田と呼ばれた男と辰川は、このホールの中心でにらみ合っていた。二人の背後では俺の二倍ほどの高さはある雪男と石の蛇が対峙していた。
昨日は無表情を決め込んでいた辰川が鬼のような顔で取り乱している。辰川に妙な違和感を感じたのは、その初めて見せる激しい感情と、白いニット帽を被っていない辰川とのギャップにあった。
帽子を外した辰川は大和撫子と呼ぶにふさわしい長い豊かな黒髪と透き通った肌をしていた。
「あんたがリリィを隠したんでしょ!?」
「はっ!知るかよ!どっかで忘れてきたんじゃないの?」
舌を出して辰川を挑発するこの少年は改造された制服を身にまとっていた。ブレザーの袖は肩口で完全に外されており、何本ものひもでなんとか繋がっているような状態だ。ズボンは七分丈。かなりごつい赤のスニーカーを履き、ブレザーの右ポケットに大量の缶バッチが飾られている。
見た目はパンクバンドをしているやんちゃなギター少年という感じ。かなりの美系である。
辰川が言い返す。
「嘘よ!!あんた以外にこんなことするわけないでしょ!?白状しなさい、このハリネズミ!!」
「はぁ!?寝ぼけてんじゃねぇぞ、この道化ばばぁ!!」
「あったまきた!あんたなんかボコよ、ボコ!覚悟しなさい!!」
「望むところだ!!」
さっきここから落ちたものと同じ岩が辰川を取り囲むように現れ、辰川を潰そうと襲いかかった。辰川は雪男に担ぎ上げられ、空高く舞い上がると、そのまま辰川を沢田めがけ投げる。
沢田は敏感にその状況を察知し、蛇を呼び寄せ背中に乗り、辰川に突進した。
さすがに沢田も生身の辰川に蛇をぶつけるようなマネはせず、辰川にこぶしを叩きこむ。
当然足場のない辰川は後ろに吹き飛ばされた。が、見事雪男が辰川をキャッチし、戦闘態勢を整える。辰川が叫ぶ。
「なめるなぁ!!」
「そこまでよ」
辰川の体をクモの巣状の膜が覆う。動けなくなってしまった。
「なによ、これ!?」
「うわぁぁぁぁぁ!!」
さっきのミイラ男が包帯で蛇ごと沢田を拘束している。
気付くと俺の隣に黒い白衣を着た女が立っていた。あまりの気配のなさに唾を飲み込む。
「あらあらあらあら。授業前から随分とはしゃいでいるようねぇ」
つかつかと歩み寄る。
「転入生同士の争いはルール違反。じゃなかったかしら?」
あの巨大な生き物は消え、無防備になった二人を、ライオンでさえ逃げ出してしまいそうな瞳で睨む。
「処分が決まるまでの一週間、部屋で謹慎していなさい」
腹の底にくる声だった。女は二人を無視して奥に隠れていた生徒たちのケアに向かう。
すでに拘束は解かれていたが、二人は動かない。
辰川は大粒の涙を流していた。
くそっ、くそっ。
辰川は医務室に連れて行かれるまでずっと、ひとり言のようにつぶやき続けた。