第4話:ミイラ男
昨日の授業はさんざんだった。中級魔法の授業に出ていたのだが、先生から俺のことを転入生だと紹介された途端、教室中の人間が隠すこともせずにくすくすと笑っていた。わざと俺に聞こえるような声で俺の悪口を言う生徒もいる。先生に至っては、授業の中盤でほかの生徒たちには呪文書のようなものを配っていたのに、君には必要ないからとそれを手渡してもくれなかった。
仕方なく俺は見よう見まねで練習するしかなく、もちろん上手くいくはずもなかった。周囲から憐みの目を向けられた時には、どうしようもなくみじめな気持になる。
職員室を出て、初めの授業に向かう途中に辰川がこんなことを言っていた。
「私は必要ないって言ったんだけど、校長が初日は必ず一般の授業を受けさせるんだって言ってうるさいから。あなたはきっと後悔するだろうけど、私を怨まないでね」
その意味が分かった気がした。
辰川によると、どうやらここでは転入生は一応形だけクラスに籍を置いているが、基本的には個人の特徴に合わせた個別授業か、転入生合同の実践トレーニングかのどちらかを受けるのだそうだ。
結局、授業が終わり、辰川が教室に迎えに来て俺の部屋に着くまでの間、俺たちは口を利かず仕舞いだった。
今はベッドの上で、本棚にあった教科書を開き、迎えがくるのを待つ。
俺の右手には一冊のスケッチブックと万年筆があった。昨日職員室で渡されたものだ。使っても減らないだろうが、大事にしろよ、と言われた。これが俺の魔法なのだから。
スケッチブックに乗せた手に力が入る。絶対に使いこなしてみせる。
昨日と同様、ドアをノックする音が部屋に響いた。
「ああ、入れよ」 ドアから顔を出したのは、ニット帽を被った辰川ではなく、包帯でぐるぐる巻きにされた男の顔だった。目、鼻、口、それと髪の一部が包帯から露出していたが、それは正真正銘のミイラ男だった。
「へへっ、君が一樹君かい?」
少しは驚いたが、昨日一日だけでも、驚くことばかりだったので、この程度ではさほど驚かなくなった。
「はい。そうです」
身だしなみを整える。
敬語を使ったのは、初対面だからではなく、その男が着ていたのが、生徒用の制服ではなく、ジャケットだったからだ。生徒として最低限のマナーは守る。
「そうかぁ。それじゃあこれから教室まで移動するからついてきてぇ」
喋りはのんびりしていたが、動きはきびきびとしていた。軽く返事をして男の後ろをついて歩く。
昨日は下に降っていったが、今日は上に昇っていくようだ。どこまで昇るのだろうか。いくらなんでも高すぎである。
「これから行くところはねぇ、君たちの訓練場なんだよぅ。君たちそれぞれに合わせて作ってあるんだぁ」
だけどと言いかけてミイラ男の視線が空中で止まった。
目線を追いかけて顔を上げると、突然地響きが起きた。建物全体が揺れてリフトにも影響が出ていた。俺はバランスを取ろうとして中腰の姿勢になっていたが、男はこれだけ足場が悪いにも関わらず、微動だにしなかった。
「しゃがんでてぇ」
見上げると、まだ遠くて小さいが、車ぐらいの大きさはある岩がこちらに向かって落下してきていた。
俺は声も出なかった。先生を見上げると、この男は緊急事態だというのに、うでをひらひらとしならせて奇妙な舞を踊り始めた。何をしているのかといぶかしんでいると、左右の袖から包帯が数本ゆっくりと伸びてきて、リフトからはみ出る長さまでになった。
いくら魔法だといっても包帯でどうにかなるとも思えなかった。呆然と見ていると、目にも止まらぬ速さで右手が振り上げられ、包帯の先が触れる。その瞬間、先生の真上にまで来ていた岩が駐車場にあるコンクリートのかけらほどの大きさとなって落ちてきた。
続いて両腕を床に叩きつけると、リフトの横をすり抜けようとした三つを、見事に包帯で絡め捕り、これで終わったと思った。
だが、見落としていた一つがリフトを無視して下の大広間に急速落下していく。まだ下には生徒たちがいるようだ。ミイラはもう一度両腕を振り上げ、床に叩きつけた。包帯から三つの岩すべてが勢いよく放たれ、前方の岩を追いかけていく。
隕石と化した岩は、もう地上近くまで来ていた。下方からは生徒たちの叫び声が起きる。もうだめだと思ったそのとき、四つの岩が衝突し、はじけた。命を脅かす隕石の大群が、一瞬にして砂のシャワーになったのである。広場で腰を抜かして固まっていた生徒も、自分は死んだのか、それとも無事なのかを確かめようと、恐る恐る閉じた目を上に向ける。こちらを向く生徒たちにミイラ男は手を振っていた。下から大歓声が巻き起こる。
「すげぇ」
俺も感嘆の声を上げる。
「まぁこんなもんだよぉ」
包帯でぐるぐる巻きにされた状態では、ミイラ男の表情を読み取ることはできなかったが、声色でなんとなく照れていることが分かった。
そうこうしているうちに、天井近くまでリフトは近づいていた。上方で誰かが飛び跳ねている。
「先生!先生!大変だよう!!」
啓だった。顔が蒼白になっている。
「どうしたのぅ」
「辰ちゃんが、辰ちゃんが、沢田と喧嘩してるんだよう」
「なんだぁてぇ!?」
リフトがある程度近づいたところで俺たちはは啓がいる場所に飛び移り、奥の部屋へと突進していった。