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Magic Number  作者: 椿 英雄
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第1話:才能

 運命は生まれたときから決まっている。戸田一樹として俺が生まれたときには、世界はそんな風にできていた。

 俺が生まれたその日、俺にはなんの才能もなく、サラリーマンとして人生を生きていくのだと医者に診断された。小説家の父と、ピアニストの母の間に生まれながら、なんの才能もないというのは、悲惨だと言う以外になかった。

 両親は僕に才能がないことをお互いのせいにして喧嘩ばかりしていた。今日の朝だって、寝室から出てきたときにはリビングのテーブルを挟んで口論をしていたのだ。

 朝からイライラしていた。親の喧嘩だけではない。今日から学校の中間テストが始まる。高校入学後、最初のテストだから、失敗はできない。そう思うと余計に気持ちが緊張していた。

 ゆっくりと窓際の自分の席に着く。

 入学式に咲いていた桜は全て散ってしまっていて、枝には花の変わりに青々とした葉が付き始めている。暖かな風景とは裏腹に、僕らの心は荒んでいるのだろう。教室の中を見渡してもあまり笑顔も見ることはない。成功できないことが約束された人生など、誰も楽しいはずがなかった。

 自分の席に着くとこの状況に怒りと絶望を覚えた。こんな人生から逃げ出したい。そう思いながら何もできない自分に腹が立つ。腹が立ちながらも、この状況を変えられないことを知っている。だから絶望するのだ。

 今日は特別にイライラしていた。顔に出ていたんだろう。前方から人懐っこい笑みを浮かべた巨人が近づいてくる。大井吉春だ。学年唯一のトラブルメイカーであり、俺のただ一人の友達。軽く2mはあるその体で廊下を走り回っては、そこかしこでいたずらをして帰ってくるのである。

 俺自身は全国の男子の平均身長より10cmも低く、性格も問題を起こして評判を落とすぐらいなら、歯を食いしばってジッといていることを選ぶ小心者だ。なぜ俺たちが絶妙に相性がいいのかは全くの謎である。

「よぉ」

「おはよ」

「どうしたよ、今日は。朝からご機嫌斜めじゃないか。俺と一緒にサボるか?」

 近くの空いた椅子に座り、身を乗り出して聞いてくる。俺は鼻であしらい、言った。

「お前みたいな不良と一緒にすんな。俺はいつだってこんなだよ」

「んじゃあ、いつもみたいに笑えよ。お前がそんなじゃ俺がつまんないだろ。さっさと機嫌治せ。テストだからな。笑ってた方が良い点取れるぞ、きっと」

 そう言って立ち上がり、俺の頭をなでると戻って行った。

 ムカつく奴だ。俺が小さいと思って子供扱いしやがって。もっともあいつの前では全員が子供のようなものだが。あいつといると自然に笑うことができた。たぶんそれがあいつの才能なんだ。運動も勉強もできるあいつが、この学校に通っていること自体理解できないが、いてくれてよかったと思う。

 短い会話だったが、吉春と話したことで少し気分が落ち着いた。筆箱から必要なものだけを取り出し、カバンにしまう。テスト開始まであと5分だ。

 気づくと担当の先生が教壇に立っており、受験の際の注意事項を説明していた。テスト時間は50分。机の中はカラにする。消しゴムを落としたら手を上げるなどなど。

 教室は静まり返っていて、クラスメートの背中からは「一点でも多く。」そんな言葉が見えてきそうな気がした。みんな筆箱をカバンに入れ、ペンと消しゴムを出していた。俺もテスト前の精神統一をする。空気を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

 チャイムがなった。配られたテスト用紙に急いで名前を書き込み、問題を解き始める。一時間目は物理。比較的得意な科目だ。 始めは順調に進んでいた。むしろ良すぎるほどだったが、20分を過ぎた頃から体調が悪くなってきた。大量の汗が吹き出る。頭で考えることが難しくなってきた。呼吸が少し荒くなる。

 だけど、どんなに体調が悪くても早退したら追試を受けることができない。それがサラリーマン学校の掟であり、ルールだった。

 だから俺は下唇を噛みつつ、テストを続行する。汗が目に入るようになり、そろそろ限界だと思い始めたころ、終了の鐘がなった。思わずため息をつく。吉春が一瞬俺の方を向いた。

 解答用紙を回収した教師が教室を出て行くと、また吉春が飛んできた。今にも怒り出しそうだった。

「お前、体調が悪いなら悪いって言えよ。すぐ保健室行くぞ。ほら」

俺の右腕を掴んで立たせようとする。俺はその手を振り払った。

「よせよ。自分のことは自分で分かる。心配しなくてもまだ俺はやれる」

吉春が俺の目を覗き込んできた。本当はつらくてしょうがなかったが、精一杯吉春をにらみ返す。

「本当だな?」

「本当だ。誓うよ」

 左手を上げ、宣誓する。それを見て吉春がしぶしぶといった感じで頷く。

「わかった」

 軽く俺の机を叩いて、さっきと同じように席に戻った。少し寂しそうな空気を感じた気がしたが、今は無視しよう。 せっかく心配してくれていたのに、俺はなんて薄情な奴なんだ。だけどこればかりは許してくれという他なかった。

 次のテストで挽回しよう。それで今のことはチャラだ。次は数学なんだ。きっと何も考えなくても解けるだろう。それぐらい自信があった。体調不良でも俺はやれる。

 次の担当が入ってくると同時にチャイムが鳴り、解答用紙が配られる。

 問題を解かなければいけなかった。今にも飛んでいきそうな意識の中で、手を止めることだけは決してしたくなかった。

 額の汗が紙に落ちる。気づけば紙が汗染みでいっぱいになっていく。

 くそ。なんで俺がこんなことしなきゃいけないんだ。自然に涙が出てきた。今まで溜まっていた何かが、俺が弱ったことをいいことに、今にも気持ちが爆発しそうだった。

 この紙を破いて逃げ出してしまいたい。いつのまにか時計の秒針を眺めていた。あと十分。なのに解答欄は半分も埋まっていなかった。もうこれじゃ赤点は間違いなかった。もういい。吉春に約束したが、ここが俺の限界だった。もうこんなテスト終わりにしよう。

 そう覚悟を決め解答用紙をクラス中に見えるように高く掲げた。そして、破いた。

 異様な高揚感があった。そして安堵感も。自分はバカなことをしてしまったのだと感じながらも、居心地のよさを感じるのだ。そうか、分かった。これは破くのが正解だったんだ。

 そう思った瞬間、俺だけの世界が教室に広がった。

 最初は小さな変化だった。誰かが貧乏ゆすりをしているみたいに小さく揺れる。それを合図に窓際のカーテンが波打ちながら教室を丸ごと包み、窓という窓が音もなく割れた。教室を包んだ布はいつしか黒く色づき始め、宙を舞うガラスの破片はきらきらと輝いた。それは宇宙だった。いつか見てみたいと思っていた空が目の前にあった。 美しかった。写真やテレビで見るよりも鮮やかで力強かった。感動で俺の鼓動が早くなる。これを作ったのは俺なんだ。おかしくて、腹の底から笑いがこみ上げてきた。

 おかしい。おかしすぎる!俺がこれを作ったなんて!!星たちが僕を中心に回り始めた。もうダメだ。お腹が痛い。

 笑いすぎて目から涙が出る。先ほどの涙とは違い、不快ではなかった。その涙に反応するように雷が落ちてくる。一際大きな雷が教室の真ん中に落ちた。そこが終幕だった。

 はっと気がつくと、元の教室に戻っていて、割れた窓と焦げ跡が夢ではなかったことを告げていた。クラスメートはぽかんとして固まり、いつまでも笑っている俺をただただ眺めていた。見られていると感じながらも笑いを抑えることができなかった。

 いち早く我に返った担当の先生が、俺に問いかけた。

「今のはお前がやったのか?」

 恐怖を貼り付けたような顔だった。なんとか気分を落ち着かせてはっきりと答えた。

「はい。たぶん、僕がやりました」

 破いた紙は手に持ったままで先生に促されるまま教室を出た。目をこすり、半ば得意げに。ドアをくぐるとき、教室中の人間が恐ろしい怪物を見るような目で俺を見ていた。ただ吉春だけは俺に手を振り笑っていた。俺も小さくVサインを作って応える。

 とんでもないことしちゃったんだな。だけど気分は最高だった。

 長い廊下を囚人のように歩いていく。これから起こること全てに期待と不安を抱きながら。

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