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トンボを英語で言うとなんかかっこいいよな

 まずくもないが、うまくもない紅茶をすすりながら、下品な衣装をしている店員のほうを見ないように、窓の外を眺めていた。もうそろそろ、文化祭二日目も終了するなあと思っていた時に、キティは口を開いた。

「私、火は怖いんですよね」

 急に何を言い出すんだと思ったが、話題に合わせる。

「……俺も好きではないが、使わざるを得ないだろ」

 暖かいご飯と、風呂は人類に与えられた最上の喜びであると俺は思っている。

「それはそうなんですが。……美山さんって私の国のことどれくらい知っていますか?」

「UKの国の一つってことぐらいかな」

「ですよね……。こっちに来てから、日本がとても平和であることがとても羨ましく思っています」

「お前の国だって十分平和だろう」

「……やっぱりご存じないですか。今私の国はとても平和であるとは言えない状況です。各地で爆発テロが頻発し、多くの市民が犠牲となっています」

 俺は突然の話題に、言葉を失った。キティの国がそんな状況にあることを知らなかったのだ。

「なんで、そんなことが」

 そういってから、北アイルランドがどういう国であったかを思い出した。

 連合王国に支配され、その後に独立を果たしたアイルランド南部と連合王国に止まることにした北アイルランド。北が連合王国に帰属する決意をしたのはそもそも北部にはブリテン島の人間が多かったからだ。

 現在まで少数派であるカトリック系の元アイルランド人は差別的な扱いを受けている。

 目の前にいる少女が、俺が日本で過ごしてきた日々ほど弛緩しかんした日常を送ってきたはずがないのだ。

「私の国では、アイルランド共和軍、IRAがプロテスタント系の私兵団と政府とを相手取り、闘争とうそうを仕掛けています。美山さんは銃声を聞いたことがありますか」

「テレビでしかないな」

「あれってかなり大きな音なんですよ」

 そういうキティの声は震えていて、とても儚く聞こえた。

 俺の想像する以上にキティは辛いものを見てきたのかもしれない。


 最終日の体育祭をもって平日五日間連続で行われた学校祭は終わりを迎え、学校祭終了から一週間が経過し、熱狂も冷める頃になったとき、夜の山から夜景を見ようという話が部内で持ち上がった。

「どうやって登るんだよ」

「私の姉が、車を出してくれることになってるんです」

 綿貫が言った。

「お姉さんって、大学生の萌さん?」

 あの人は綿貫と違ってきつい感じがして少し苦手なんだよな。

「はい。キティさんも是非」

 綿貫はキティのほうを向き直って言った。

「私も行っていいんですか?」

「もちろんですよ」


 目的地は岐阜県の池田山。去年登っているが、夜の池田山から見る岐阜の街はきれいらしいというのを聞きつけて、夜行登山をしようということになったのだ。さすがに暗闇の中をヘッドライトの明かりで登るのは危険だと判断して、綿貫の姉である萌さんに協力を依頼するという形で話がまとまった。


 決行は金曜の夜。明日は第二土曜日であるので、学校は休みである。

 萌さんの車に乗って池田山の頂上へと向かった。他の客もちらほらと見える。

 その日は快晴で、岐阜の街がよく見えた。

「きれいですね」

 キティがうっとりとした声で言う。

「そうだな」

 夜景に加えて、街を外れたところにあるので、星も名古屋の空より多く見えた。

 登山というより、ドライブであったが、まあこれも悪くない。

 持ってきたコンロで、お湯を沸かし、紅茶を飲みながら、岐阜の夜景と遠くに見える名古屋の街、そして秋の夜空に映える星を眺めながら、楽しいひと時を過ごすことが出来た。


「またいつか来ましょうね。皆で」

 綿貫が帰りの車の中で言った。

「今度来るときは自分たちで運転してよ」

 綿貫の姉の萌さんがそういう。

「いつかか」

 果たしていつかはやってくるのだろうか。気づけば、キティの滞在期間もあと二週間となっていた。北アイルランドに帰れば、容易にはあえなくなってしまう。

 俺の言葉の意味に、その場にいた全員が気づき、しんみりした雰囲気になってしまった。

「大丈夫です。私は日本に絶対また来ますし、よろしかったら皆さんも北アイルランドに来てください。北アイルランドで見る星空は格別ですよ」

「私、行ってみたいかもです」

 綿貫がそういった。

「星空見るなら、日本アルプスから見るのも最高だぞ。キティは結局槍ヶ岳見てないよな」

「あっ、そうでした。そうですね、今度日本に来るときは自分の足で山にも登ってみたいですね」

「俺が連れて行ってやるよ」

「楽しみにしています」

 あんた、何かっこつけてんのよと、鈴木は野次を飛ばしたが、さして気にならなかった。

 

 車内で、お喋りに興じていたところ、綿貫があるクイズを出した。

「実は、私には妹がいるんですが、名前をユミといいます。それではユミとはどのような漢字を書くのでしょうか?」

 ある意味難問である。由美、裕美、祐実、優美……書き出せばきりがないだろう。

「わかんないな。ヒント頂戴」

 と鈴木が言った。

「そうですね。姉と私の、妹というのが、一つのヒントです」

 それはヒントと言えるのか甚だ疑問である。当然誰も答えられるはずもない。誰も何も言わないので、綿貫は第二のヒントを出した。

「姉は、四月生まれで、私は七月生まれで、ユミは十月生まれです」

 季節に関係した名前ということなのだろうか。綿貫は続けて、三つ目のヒントを出した。

「私の名前は、ひらがなで書きますが、漢字を当てようと思ったら、蒴果さくかと書きます。萩原朔太郎はぎわらさくたろうの朔に草冠を付けて、果実の果で蒴果です。『さくか』が『さっか』になって、『さっか』が『さやか』になったんです」

 俺はてっきりもっと別な漢字を想像していたんだが。

「清らかのさやかじゃないんだな」

「そういう意味もかけてありますよ。さすが美山さんです」

 お褒めに与り恐悦至極。

 ヒントは以上ですが、と綿貫は言った。これで当てるなど、ほとんど、運の領域じゃないかと思う。

「駄目、私全然わかんない」

 鈴木は、早々にリタイアした。

「私漢字はあまり得意じゃなくて」

 外国人であるキティは少々、分が悪い。

「僕も漢字は苦手だな」

 くだらない雑学をため込む、雄大はもっと日本人としての素養を身につけてほしい。

 というわけで、皆、俺の顔を覗き込む。

 自信はなかったが、俺は答えを口にした。

「実を結ぶと書いて、結実じゃないか」

「美山さん正解です。お見事」

 と綿貫が言うと、鈴木は随分と悔しそうに、なんであんたに分かるのよ、と言った。

「美山さん、どういうことですか?」

 キティは俺がどうしてわかったのか知りたがった。

 綿貫がヒントと言って出したのだから、考える材料はそれしかない。一つ目の、萌さんと綿貫、の妹が結実である、というヒントは、とりあえず置いておこう。二つ目、萌が四月生まれで、さやかは七月生まれ、そして結実が十月生まれ。最初に予想したように、彼女らの名前は季節に関連付けられて命名されたものだ。そして三つ目のヒント、さやかを漢字で書くとしたら『蒴果さくか』と書くという。蒴果とは綿の実のことである。

 以上のことから、結実が二人の妹であるということを付け加えて考えてみると、春に綿の芽が『萌』えて、夏に、子房である『蒴果』ができて、そして秋に、収穫、つまり『実を結ぶ』というように、彼女らの苗字に関連深い、綿の一年を三姉妹で表現した形になる。

 こんなことは、ひらめきによるところが大きいし、綿貫家が繊維産業で興隆し、そして、綿貫の父親が言葉遊びが好きなんだという、事実を知らない(俺は綿貫の父親に会ったことがあった)、キティ並びに、鈴木と雄大にはちょっと難しい問題だったろう。

 キティは話を聞くと、至極感心したようだった。俺はなんだか照れくさくなって、「たまたまだ」と言った。


 山道をくだって、田んぼ道に差し掛かったところ、キティが何かに気づいたように小さく声を上げた。

「あっ」

「どうした」

「何か光るものが飛んでいました」

「火の玉?」

「なんだか、虫のような」

 キティは雄大のボケを華麗にスルーする。

「遅れ蛍じゃないか」

「ほんとですか!お姉ちゃん車止めて」

 綿貫がそういって、萌さんは車を止める。

 俺たちは車から、下りて、よく目を凝らしてみた。近くには小川が流れているらしく水の音が聞こえる。

「あっ、いた」

 雄大が声を上げた。

 たしかに、蛍が何匹も宙を舞っていた。遅れボタルがこんなにいるとは珍しい。

 雄大はもっと近づこうと思ったらしく沢に降りて行った。

「お前よく、車の中から見つけられたな」

 キティに向かってそういった。キティはふふふっと笑って返す。

 その時である。大きな水の音がした。

「ちょっと雄君何やってんの!」

 鈴木が悲鳴に近い声を上げる。

 どうやら、雄大が沢に落ちたらしい。虫を追って川に落ちるとは、小学生かよ。すると横で、キティが笑っているのが聞こえた。

「ちょっと、キティちゃん笑わないでよ」

 雄大が情けない声を上げる。

「いえすみません」

 何がそんなにおかしいのだろうか。

「どうしたんだ」

「いえ、昔のことを思い出したんです。私もああやって、虫を追いかけて川に落ちたことがあって」

「へえ、お前もそんなことしてたんだな」

「ええ、家の近くの公園で、そこは中央を大きめの川が流れているんですけど、教会の鐘が鳴るまでよく遊んでいました。確かドラゴンフライを追いかけて川に落ちたんだと思います。そこを石橋の上を通りかかったジェームズが川に飛び込んで助けてくれたんです」

「ジェームズって」

「その時はまだ、家で雇ってはいませんでした。父がそのことに感激して、職を探していた彼に、私のボディガードをするよう頼んだのです」

 その話を聞いてあのいかつい大男を少し好きになった気がした。

 

 びしょ濡れになった雄大を見た萌さんの顔は、暗くてよくわからなかったがおそらく、不愉快な顔をしていたはずである。タオルを投げつけ、早く拭けといい、それでも湿っていた雄大の体をバスタオルでぐるぐる巻きにしてから、愛知へと戻った。


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