路地裏の口裂け女
それは一週間ほど前、学校から帰ってくる途中のこと。俺は人気のない路地裏を通って帰っていた。俗に言う近道だ。あまり褒められたことではないのだが、今回は目をつぶっておいてほしい。まあ、俺は路地裏を通って近道をしていたわけだが、夕暮れの路地裏はとてつもなく不気味だった。日の入りも大分近くなり、外はかなり暗くなってきている。その上、路地裏には街灯もなく、建物の影になっているのも相まって、路地裏はとても暗かったのだ。その上、その日の前日は雨が振っていたので、空気も湿っていて、生暖かい。そんなときの路地裏は、なんとも気味の悪いところだった。
そんな不気味な路地裏を歩いていると、向こう側に一人の女性が立っているのを見つけた。真っ黒な長い髪、目が覚めるほどに真っ赤なロングコート、マスクで隠された口元。まるで口裂け女だな、。そう俺は感じたが、その時は大して気に留めなかった。しかし、女性の前を通り過ぎようとしたとき、俺は彼女に声をかけられてしまった。
「……でしょうか?」
女性はぼそぼそと囁くように尋ねてきたので、俺は最後の方しか聞き取れなく、答えに困ってしまった。しかし、ずっと黙りこくっているのも良くない。せめて相槌だけでも打っておこう。そう判断した俺は、「あー、はい、はい。」と適当に相槌を打った。すると、女性はニタリと笑い、マスクを外し、上ずった声でこう言った。
「そう……でも、これでも私は綺麗でしょうか?」
マスクの下にあったのは、耳まで裂けた真っ赤な口。そう、彼女は本当に口裂け女だったのだ。そのことに気がついた俺は、今まで歩いて来た道を一目散に駆け戻った。
俺は走った。人気のない真っ暗な路地裏を、後ろを振り返らずに前だけを向いて、全速力で走った。後ろからはカカカというヒールを履いた人のの足音が信じられないほどの速さで聞こえてくる。どうやら、口裂け女は俺を追って来ているらしい。ヒールの靴音を聞いた俺は腕を、足を更に激しく動かして逃げた。
しかし、一向に路地裏の出口が見えない。おかしい。来た時はこんなに長くなかったはずなのに。それに、後ろから聞こえて来るヒールの走る音も段々近くなって来ている。距離は確実に縮まってきている。
「殺される。」
思わずそんな言葉がこぼれる。だが、それは決して嘘ではない、本当のこと。そう俺は信じて疑わなかった。俺も更に手足を激しく動かして逃げた。もし奴に捕まったら殺される。俺の頭の中はそのことでいっぱいだった。
それから俺は、長い間逃げ続けた。3分、30分、もしかすると3日くらいは逃げ続けていたかもしれない。流石に疲れてきた。息が苦しい。体が重い。ふと、そう思った時、俺の頬を何か冷たく、鋭い物がかすめた。そして、それと同時に、頬から生温かいものが流れ出してきた。
奴はもう、すぐそこまで来ている。もうだめだ、俺の長い逃亡も無駄に終わるんだ。そんな思いが頭をよぎったとき、向こうで道がT字に分かれているのを見つけた。そのとき、俺はある作戦をひらめいた。これなら、もしかすると。俺は何も考えずに、その作戦を実行することにした。
俺は持てる力の全てを使って、限界の限界まで走る速度を速めた。ちぎれて飛んで行きそうなくらいに手足を激しく動かして走った。負けじとスピードを上げて追いかけてくる口裂け女。十字路が近づいてきた。しかしそんなことはお構い無しに俺は走り続ける。十字路に指しかかる。そこで俺は体を横に投げ出した。それから投げ出された体が地面に打ちつけられるまで、時間は一秒ともかからなかった。そしてそこで、俺の意識は途絶えた。
それから、俺が意識を取り戻したとき、口裂け女の姿はもう、どこにもなく、T字路の壁に人型に焼け焦げたあとが残っているだけだった。どうやら、作戦は上手くいったらしい。俺は助かったのだ。良かった、本当によかった。俺はそんなことを思いながら、全力で地面に打ちつけたせいで痛む体を立ち上がらせ、もう二度と近道はしないと心に誓ったのだった。