第3話(1)
店に入る時にはそんな気配もなかったくせに、たかだか5分程度費やしただけで店を出る頃には大粒の雨が降り始めていた。このままだと土砂降りになりそうだ。表に停めた一矢の単車がみるみる雨に濡れていく。
「……どうする」
尋ねる一矢に対する答えはない。武人は無言のままだ。無理もない。
ベース録りを終えることは、出来なかった。
広田は、とにかくドラムとベースと言うリズム録りをきっちりしてからでなければギターだのキーボードだのの上ものを録るのが嫌らしい。ベースが形にならないので今日のレコーディングはそのまま打ち切り、以降、一矢と武人は妃名がいそうな――あるいは、親から解放された家出少女が行きたくなりそうな場所を片っ端から当たっている。当たってはいるが、東京は広い。
一矢が妃名を探すのに協力するとは言っても、一矢は妃名の顔を知らない。だから手分けするなどの協力の仕方は出来ないが、武人と違って単車がある。移動が短時間で済む分効率は良くなるだろう。夜遊びばかりしているせいで無駄な知り合いも多い。
けれどそうは言っても、知らない人間を捜すのに限界はある。『らしき人物』を耳に挟めばかけずり回ったが、その全てが空振りに終わった。
この店に来たのも、一矢のクラブ友達が妃名らしき風体の女の子ががらが悪そうなのに話しかけられていたと聞いたからだが、一矢たちが到着した頃には影も形もなかった。
大体、聞く限り、妃名はこれといって特徴がある容姿ではない。東京にゴマンといる程度の容姿の持ち主で、きりがない。武人が妃名の交友関係の連絡先を知らないことが痛い。
「……とりあえず『listen』でも行くか」
雨粒を降り落とす夜空を睨みながら呟く。ちょうど混み始める頃合いだろうか。雨宿りをするにはちょうど良いのだけれど。
一矢の言葉に武人はあくまで無反応だった。気が気ではないのだろう。この店で話を聞いたのは失敗だったかな、という気がしている。
東京――特に新宿の歌舞伎町周辺や池袋などでは、家出少女相手に妙な仕事を斡旋するような筋の人間がいる。映画や小説の世界ではない。現実、いるのだ。一矢の知人の中でもそういったことに手を染めた経験がある者もいないではない。
多分、ここで女の子に声を掛けていた男たちと言うのはその手合いだろう。店員に話を聞いた限りではそんな感じがする。もっと地方からの本格的な家出少女だと言う気がしたから妃名ではないだろうけれど、そんな話を聞いてしまったせいで妃名がそんなことに巻き込まれていないとは言い切れない、との思いを一層深めてしまったらしい。悪かったと思う。
「たーけと」
「……え、あ、はい……」
「雨宿りがてら休憩。このままじゃお前が体を壊す」
1月の雨は空気の温度をどんどん奪い去り、夜気はまるで針のように肌を刺した。吐く息の白さは尋常ではない。
武人をバックシートに乗せて、雨の井の頭通りを疾走する。『listen』の裏手に単車を駐車した時には完全な濡れ鼠だった。すぐに止みそうな雨ではあるが、これ以上この大粒の雨に曝されては風邪をひく。駆け足の天気だろうが待っていられない。
「武人、走れッ」
武人を促して駆け込んだ店は、やはり混み始める時間帯だった。ざっと見る限りカウンターもロフト席も、そしてもちろんテーブル席も埋まっているように見える。手伝わされているらしい明弘とテルが、一矢の姿に目を丸くした。
「手伝いに来たの?」
「今日は客。どっかあいてない?」
「奥のテーブル席、あいてるよ」
「らっき。貸して。あとついでにタオル」
一矢の言葉に明弘がカウンターの内側を探る。投げつけた新しいタオルを受け取って、それを武人の頭に被せながら自分は素手で濡れた髪をかきあげた。奥の壁際に腰を落ち着ける。指先がかじかんで冷たい。くわえた煙草に火をつけようとするが、震える指先がライターをうまく使えない。
「ほい。それとも酒の方が良いか」
明弘が運んできてくれたホットコーヒーの湯気が、気持ちまで和らげるような気がする。一矢と武人の前にそれぞれカップを置くと、明弘は一矢の手からライターを取り上げた。火をつける。
「いや……ありがと」
「こんな雨の中、物好き」
「ついさっきまで降ってなかったやんけ。……武人、何か食うか」
武人は黙って顔を横に振る。ライターのついでに一矢の煙草を勝手に一本抜き出してくわえた明弘は、武人の表情に目を留めて首を傾げた。
「どうした、『秀才』」
まったく、あだ名をつけなければ気が済まないらしい。進学校の首席と言う成績の持ち主である武人を明弘はそう呼んでいる。『コザル』よりはましな気がするとは言え、小馬鹿にされているようで複雑ではある。だがギタリストの和希なんかはろくに面識もないくせに、明弘にかかると『王子』になってしまうので、もはやどれも五十歩百歩だろう。言われる本人はどれもこれも嬉しくないに違いない。一矢だけは、明弘がそんな習性を身につける前から知っているので難を逃れている。
「……」
明弘の問いにも、武人は僅かに目を上げただけだった。代わりに一矢が口を開く。
「いや……ちょっと武人の彼女と連絡を取りたくて」
「……取ればいーじゃん」
「取れないから困ってんでしょ」
曖昧に濁した語尾に、床にしゃがみこんでテーブルに両肘をついた明弘が「はっは〜ん」とわざとらしく頷いた。
「喧嘩でもしたか」
「……」
「……まあ、ニア」
「で家でも出ちゃった?」
「……」
図星過ぎて言葉に詰まる。明弘は何でもないと言うようにひらひらと手を振った。
「良くある良くある」
「ないって」
まったくこの男の周囲はどうなっているのか。そんなことが良くあってはたまらない。
「友達はあたってみた?2泊3日で終わるようなプチ家出、まじに受け止めてるときりがない。特に女の子だったら100%友達が行き先を知ってる。これ、絶対。今までの経験値から言って。んでベストなのは親友じゃない友達。親友は結構口が堅い。同じグループとかってのが一番口を割りやすい。聞いてみた?」
明弘の言うことはわかる。その通りだと思う。友達は多分、妃名が今どうしているかを知っているのだ。が、武人には妃名の友人の連絡先がわからない。会ったことがないとは言わないけれど、友達と連絡先を教え合うほどのつき合いにまで発展していないのだ。
「彼女の友達の連絡先とか……俺、一切知らなくて」
明日になれば学校で待ち伏せればつかまるかもしれないとも思うのだが、今日見つからなければまる2日家に帰っていないことになる。明日まで悠長に待っていられない。大体明日学校に来るとは限らない。
「ヤバい人とかに引っ掛かってたらと思うと気が気じゃなくて」
「ヤバい人?ああ……これ?」
明弘が何食わぬ顔で、人差し指を頬にすっと走らせる。
「大丈夫だろ。あの類が引っ掛ける種類のタイプ?」
「……では、ないと思うんですけど」
「なら平気だよ。あっちだって仕事だから見境なく引っ掛けるわけじゃないし、東京のコでしょ、彼女。田舎から出てきたのと違ってドコに近付いたらヤバいとかわかってんじゃないの」
「だとは……思うんですけど……」
曖昧な武人の反応に、明弘は唇を尖らせた。
「ふうん?親は?」
その問いにも、武人は無言で顔を横に振った。妃名と仲の良い人の連絡先くらい親は知っているだろうけれど、武人には教えてくれない。そして親が連絡したところで、友達が口を割るわけがない。
「あ、そう。で、さすがの『秀才』も参ってんだ」
明弘の言葉に武人が素直に頷く。明弘はテーブルに両肘をついてしゃがんだまま、考えるように宙に視線を彷徨わせた。くわえ煙草で携帯を取り出す。
「『秀才』、ガッコ、城西だったな。彼女も高校生だろ。タメ?城西?」
明弘の問いに武人は沈黙した後首を横に振った。
「……2コ上の、宝華」
「何だよ『秀才』、宝華の年上なんかたぶらかしてんの?やるじゃん」
それから小声で「宝華か……宝華ね……」と繰り返すように呟く。迷うような目つきをしてから、おもむろに携帯を操作した。
どこに電話をしているのか、やがて相手が電話に出たらしい。考えるような顔つきが笑顔に変わる。
「……うぃーっす。お疲れーぃ。……あぁ?うるせぇよ。たまには顔出せ。……ああ。うん。そうそうそう。……はあ!?次会ったら殺すって言っといて」
何やらおもむろに話がそれているようだ。テーブルに頬杖をついて煙草を灰皿に押しつけながら明弘の物騒なセリフを聞く。
「……んでさあ、俺、用事があって電話してるわけ。じゃなきゃかけるかよ……あーもう、混ぜっ返すな。あのさ、お前の友達でさ、宝華のコ、いたじゃん。宝華女子……うん、そう。前に俺も会った。……あのコの連絡先、教えてよ。え?……あーちょい待ち」
何か繋がりがつきそうである。明弘は急にがばっと立ち上がるとカウンターの方へ足を向けた。レジ下をのぞき込んで、ペンと紙を取り出す。電話の相手が何か言うのを書き付けると戻ってきた。それを一矢たちのテーブルの上に投げ出す。電話番号らしきミミズがのたうっている。
「さんきゅー。……へいへい、わかったよ、わーかーりーまーしーたー。んじゃあなあッ」
なんだか不満げに通話を切る。それから先ほど書き付けていたメモを取り上げ、今度はそこに連絡を取るらしい。番号をプッシュする。
「……あ?んだ、これ?ゼロ……ロクか?……きったなくて読めねえーよッ」
知ったことではない。呆れたように見るその前で、明弘はぶつぶつ言いながら携帯を耳に押し当てた。やがてまた、ここにいない人物と会話を始める。
「ちぃーっす。かよちゃん?……さあ。誰でしょう……」
啓一郎なんかに言わせると一矢自身「交流関係どうなってんだ?」と言うことになるらしいが、一矢から言わせれば自分なんかは序の口である。もっとおかしい人間が身近にいると、人間、感覚が次第に麻痺してくる。
「武人、コーヒー、飲めよ」
半ば呆れた気分で武人に勧めると、武人は明弘に毒気を抜かれたように微かに白い歯を覗かせた。
「……そう。鳴谷の友達。急に電話しちゃってごめんねー……」
「明弘さん、仕事中じゃないんですか」
「気にしなくていーんじゃないの?」
ようやくコーヒーに手を伸ばしながらちらりと明弘を見る武人に、一矢もぐるっと店内を見回しながら答えた。混んでいるものの、一通り出るものは出終わってしまった雰囲気だ。あと必要なものはさざめきとアルコール……アルコール類はテルだけで十分事足りるだろう。
「大体真面目にバイトって柄じゃないよ、明弘は」
電話中でも声は聞こえているらしい。会話を続けながら一矢の足を明弘が蹴る。
「……ん、あ、ちょっと待って。……『秀才』」
「はい」
「彼女の名前、何。あとクラス」
「あ、ええと、佐藤妃名です。3-D」
「佐藤妃名。3-D。……ああ、そう?うーん……あ、それでいいや。それ教えて」
何かわかりそうだ。明弘の言葉に一矢と武人は顔を見合わせて続きを待った。明弘の手が、テーブルに放り出したボールペンを拾い、メモを引き寄せる。何かを書きかけてそのまま止まった。
「……あー。はいはいはいはい。あそこね。誰?森園?どんな奴……ふうん。わかったー。んじゃそっち当たってみるわ。はいはーい。ありがとねー。また遊ぼうねー」
ようやく通話を終える。結局何も書かずに終わったメモの上にボールペンを放り出して、明弘が嘆息した。
「駄目だ、本人には直接繋がってなかったみたい」
「……あ、そう……」
「でも」
しゃがみこんだまま、明弘はボールペンを指先で振りながらちらっと目を上げた。
「彼女の友達の彼氏のバイト先がわかった」
「え」
「何か、聞けるんじゃねーの。『秀才』、井上めぐみってコ、知ってる?」
「し、知ってます。妃名さんと仲が良い……」
「じゃあそれ、当たってみるんだな」
ひらひらとボールペンを振ったままで、明弘はにっと笑って続けた。
「新宿東口パチンコ屋ラスベガス、森園。20代の背の高い茶髪。耳にでっかいリングピアス。少なくともそのめぐみちゃんと連絡は、取れるだろ。……早く行った方がいーな。パチンコ屋は11時閉店だ」
明弘の言葉に、一矢と武人は息を飲んでがたっと立ち上がった。
◆ ◇ ◆
(うぉ〜……体が痛ぇ……)
翌朝、レコーディングの続きの為に事務所を訪れた一矢は、節々が痛む体を軽く自分で叩きながら階段を上がっていた。
武人も会ったことがあるという妃名の友人、めぐみの彼氏の森園は、21歳の今風の若者だった。一矢とは同い年である。通り雨がやみ、閉店間際のパチンコ屋に駆け込んで近くの店員に森園を呼んでもらうと、最初は愛想良く笑って用件を尋ねた森園は、めぐみの名前を出すと急に構えた。何か恋愛絡みで因縁でもつけられると思ったのだろう。
けれど、用事があるのがめぐみ本人ではなく友人の妃名であることを丁寧に告げると、急に態度が緩和した。
「ああ、妃名ちゃん。知ってる知ってる。お嬢っぽいコでしょ。……え?彼氏?あ、悪い」
「いえ……」
「あれ、何で彼氏が妃名ちゃんのこと探してんの。連絡つかないの?」
良く言えば気さく、悪く言えば軽いのだろう。一旦警戒を解いてしまえばあまり深く考えずに森園は自分の知っていることを口にした。
「ちょっと今、喧嘩中で。妃名さんって、携帯とか持ってないから」
「ああ。めぐみがそんなこと言ってたな。あの家、うるせぇんでしょ」
「はあ……」
「ちょっと……あと20分待ってくれる?俺、めぐみに連絡つけてみるから。あいつん家、今親が旅行中でいないらしーんだよね。もしかすると妃名ちゃん、いるんじゃねぇかなあ」
そう言ってバイト終わりまで待っていた一矢と武人の前で、森園はめぐみに連絡を取ってくれた。森園の読み通り、そこに転がり込んでいる妃名の無事を、ようやく確認することが出来たのである。
森園の案内でめぐみの家に辿り着いた時には、既に0時を回っていた。妃名は逃げることはせず、大人しく武人の到着を待っていた。
「妃名さん……」
「……」
「探した……良かった……」
安堵の吐息を漏らして妃名を抱き締める武人に、妃名も満足をしたようだ。
万事解決――本当に、良かったのだろうか。別れ際に武人が一矢に言ったセリフが、妙に印象に残っている。
「おはよー」
スタジオのドアを開けると、パイプ椅子に座る和希の小難しい顔と、床に座る啓一郎の複雑な顔に出逢ってしまった。思わず動きを止めて目を瞬く。
「おっそい」
「んなことないっしょー?……何和希、難しい顔してんの」
時間を見ると10時5分過ぎである。大体、一矢自身の録りは昨日終わっている。今日は武人から始まるはずで、一矢自身の出番が回ってくるのはカップリングの『KICK BACK!』の録りに入ってからである。
「武人、どした?もうやってる?」
防音扉を閉めて、来る途中で買ってきたペットボトルを取り出しながら尋ねると、啓一郎がそれに答えて頷いた。どうやらもうレコスタに入っているようだ。
「やってる。……武人別れたんだって?」
「ええ?」
初めて聞くらしい和希の反応に、複雑な表情で頷く。昨夜、探し回って見つけ出した妃名と会って――そして、武人が出した結論だった。やや距離を置いて、とは言え、その現場に自分もいたので知らないわけがない。
「の割に、やけに明るくなってレコスタに入ってったけど」
「ああ、うんー……」
妃名は、2日間、めぐみの家にいたようだ。家出の理由は至極簡単……武人の関心を引きたかっただけだろう。「もっとこっちを見て欲しい」――その気持ちはわからなくはないが、やり過ぎだ。
「俺は、妃名さんと、もっとちゃんと理解しあっていければ良いと思ったけど……」
妃名を腕の中から解放して、しばらくその両肩に手を置いたまま黙って俯いていた武人が、掠れた声で最初に口にしたのはその言葉だった。
2日間、妃名の両親から責められながら妃名を探して駆けずり回っていた武人の顔には濃い疲労が浮かんでいたと思うが、それを見て妃名はどう思ったのだろう。彼女ではないから、一矢にはわからない。わかりたいとも、思わない。
振り回された武人は、見つかった妃名を責める言葉は一言も口にしなかった。
「努力、したいと、思ったけど……」
俯けたまま掠れた声を押し出す武人に、妃名もさすがにやりすぎたと感じたのか、言葉の続きの予想がついたのか、暗闇でもわかるほどにはっきりと妃名の顔色が変わっていったのを覚えている。
「多分、俺は、これからも妃名さんの望むようにはきっとしてあげられない。きっと、泣かせるばっかりになっちゃうんだろうな……」
そこまで言ってようやく顔を上げた武人が、どんな表情をしていたのかは、少し離れた後方で単車を支えたまま待っていた一矢には見えなかった。ただ、向かい合うように立つ妃名の顔が強張っていった。
「方宮くん、わたし……」
「せっかく好きになってくれて、俺といることで本当は楽しい想いをさせてあげたかったけど、泣かせるばっかりでごめんね」
「待って」
「だけど俺にはこれ以上、どうにもしてあげられない」
掠れた声のまま、けれどはっきり告げた武人の言葉に、妃名が泣き出した。口を挟む権利も何もないので一矢は黙ってそれを見ていたが、口を挟んだのはめぐみだった。森園はわけがわからないと言うように一矢と同様距離をとって黙って見ているだけだった。
めぐみは、泣くだけの妃名を庇うように、妃名がどれだけ武人を好きかを横合いから懸命に語って聞かせたが、武人は終始無言でそれを聞くだけだった。それから変わることのない結論を、妃名に告げた。
「短い間だったけど、ありがとう。……元気で」
散々振り回されたのは武人の方だろうに、結局一言も責める言葉を口にしなかった武人は、妃名と別れて家まで送り届けた一矢に寂しげな笑顔でこう言った。
――付き合うんだったら、俺自身もそうだけど、何より相手が一緒にいることで幸せになってくれなきゃ、意味がない
――俺にはこの先もきっと彼女の望むものを与えてあげることは出来ないのに、それがわかっているのに、それでも続けようとするのはもう俺自身のエゴでしかないでしょう
――望むものを与えてあげられない俺には、彼女を幸せにしてあげることは出来ないです……
その言葉が、なぜか結構印象に残っている。恋愛はギブアンドテイクだ。一矢が聞く限りでは武人と妃名は、妃名が求めるばかりで武人に与えることをしていなかったのではないかと思うが、武人自身はさしてそうは思っていないらしい。ストレスも不満もあっただろうが、それでも妃名の望む通りにしてあげたいと思っていたことは、最後の言葉で、わかった。
――……意外と俺、妃名さんのこと、好きだったのかもしれないですね。ふがいないな、俺。……結構、キツイや……
普段、余り感情的になることのない武人だけに、その言葉をどんな気持ちで言ったのかと思えば複雑だ。もう少し彼女が武人に対して思いやりを持ってくれたのだったら、結論はまた、違ったかもしれなかったのに。最初はささやかな亀裂だったのだろうに、多分双方が亀裂を埋めようとして逆に割いてしまっていったのだろう。望むと望まざるとに関わらず。
終わりにすると、武人自身が出した結論なのだから、あとはもう何とか立ち直ってもらうしかない。多かれ少なかれ、誰もが通り過ぎることだ。武人は考え方の転換もうまいし、決まった結論に対してうじうじ引き摺る性格でもないから、明るくなってレコスタに入っていったのなら、その辺りはきっと……心配はないだろう。
まったく……誰も彼もが大変だ。武人のみならず――自分以外は。