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In The Mirror  作者: 市尾弘那
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第2話(4)

 それは全くその通りだが、不安である。広田のレコーディングの仕方を身をもって体験してしまった後だからこそ、尚更。

「一矢、広田さん、どうだった?」

「鬼だった」

 背後から問いかける啓一郎に、端的な返事を返す。全く、それ以外に表現のしようがない。

「鬼……」

 声を押し殺すように吹き出す啓一郎に、思わず鼻の頭に皺を寄せて床に座り直す。

「笑いごっちゃないっしょー。アナタも地獄を味わいなさい」

「なさい言われなくても味わう予定」

「楽しみに待っているが良い」

「楽しみに待てない。……武人、平気か?」

 スタジオに入ってきた瞬間から尋常ではない武人の顔色にはさすがに気づくらしく、啓一郎も和希も先ほどからしきりと武人の心配をしていた。尤も、事情を詳しく知っているわけではないようだ。眉を顰める啓一郎の言葉に、武人が苦笑いを浮かべる。

「平気って」

「1時から鬼の相手」

「……うーん。善処はします。でも敗北は必須ですかね」

「具合とか悪くなったら、言えよ?黙って我慢してたって何にもなんないんだから」

「……うん。でもあんまり迷惑かけらんないし」

「そしたらレコーディングの日を変えてもらえばいーだけだろ。迷惑とか言う種類の話じゃねぇーよ。つまんないこと気にしてるとハゲるぞ」

 わざとだろう。どっかそっけなくあっけらかんと笑う啓一郎に、武人がまたも苦笑いを浮かべた。

「そうですね……ハゲないよう気をつけますよ」


 1時間弱の休憩を挟んで、武人がレコーディングの為にスタジオに入っていった。和希は、ドラム録りの時と同様、あちらでその様子を見るつもりらしい。武人に続いてレコスタに入っていく。

 レコーディングは、パートごとに録っていくのが普通だ。全パートを一発録りすることもないではないが、主流とは言えない。ドラム、ベース、ギターとオケを録っていき、最後にヴォーカルのレコーディングに入る。つまり自分のパート以外を録っている時は、さしてすることがない。デビュー前のバンドとくれば尚更である。

 コンビニに行ってみたり、啓一郎と下らない雑談をしながら時間を潰している間にも、正直一矢は気が気ではなかった。武人のレコーディングに時間がかかり過ぎている。

「……どう?」

 やがて暇すぎて啓一郎が寝てしまうと、しばらくレコスタでベース録りの様子を見ていた和希が戻ってきた。一矢も何度か様子を見に行ったが、武人が心配で見ていられない。結局、控え室代わりになってしまっているリハスタの方で武人の録りが終わるのを待っている。

「見てらんない」

 啓一郎が投げ出したままのバイク雑誌をぱらぱらと捲っていた一矢の問いに、和希が眉根を寄せながら軽く顔を横に振る。

「可哀想で」

「……」

「どうしたのかな。何か凄い疲れてそうってのもあるけど……どっちかって言うと集中出来てないって感じ」

 ぎゅっと防音扉を閉めて、手近なパイプ椅子にすとんと腰を下ろす。床で眠りこけてしまっている啓一郎を気遣ってか、声のトーンを落として呟く和希の言葉に返す言葉がなかった。

「あれじゃあ、自主録音だっておっけー出せないと思うな」

「うんー……」

「日を改めた方が良いんじゃないかな……」

「そんなに?」

「そんなに。俺でもおっけー出せない」

「……」

 ふうっと、和希が組んだ自分の膝に頬杖をついて、ここからでは見えないリハスタの方を振り返る。

「つまんないとこで間違えたりとかもしてるし、そもそも音そのものに勢いとか存在感とかなくなっちゃってるし、リズムは乱れちゃってるし、広田さんも言い方がどんどんキツくなってっちゃうし」

「あの人、わざとああいう言い方するんじゃないの?」

「うん。多分ね。でも今の武人には逆効果じゃないかなぁ。言われれば言われるだけ、焦って同じミスを繰り返したりしてる」

 和希の返答にため息をつきながら、開いていた雑誌を閉じて、壁にすとんと背中を預けた。今はどうにもしてやれない。プライベートがどうであれ、仕事は仕事だ。高校生とは言え、武人は正式にブレインと専属契約を交わしてしまっている。……が、正直なところ、事務所がついたことで今後どうなっていくのだろう。

 椅子に座っている和希は、床に直接座り込んでいる一矢より頭が高い位置にある。それを見上げながら口を開いた。

「和希はさ、どう思ってる?」

「何が?」

「メジャー。……ブレインって、事務所」

「基本的なトコ、突くね。……俺は、使えるんだから使ってやろうと思ってるよ」

 和希の前髪は、一房だけ特徴的な赤いメッシュが入っている。やや伸び気味の前髪をさらっとかき上げて、和希は整った顔に微笑を浮かべた。

「どういう世界なのか、正直良くわからないじゃない、俺らは。今までアマチュアで、自分たちだけでやってきてんだからさ。だから、何らかの形でいろいろ勉強にはなるんじゃないかな。ちゃんとこういうとこに1度は所属してみるのも。自分たちだけでは出来ることと出来ないことがたくさんあるんだし。相互利用でしょ。向こうにとっても数いるアーティストのひとつでしかないんだから。当たればラッキー、外れればハイお疲れ。……そうならないよう当たればいいけど、それは努力でどうなるもんでもない。だから、安穏と任せっ放しにするつもりはないよ。もしも干されたとしたら、その時に自分たちの手でまた何とか出来る、そのノウハウをつける良いチャンスなんだろうなと思ってる」

 客観的に語る和希の言葉に、思いがけずに目を丸くした。

「それって」

「うん」

「……自分らで事務所作るとかってそういう話、してる?」

「そうなるかな」

 息を飲む一矢の前で、和希はさらりと笑った。ちょっとそれは一矢の想像の範疇を超えている。

「別に、事務所を作りたいって話じゃない。このまま乗っていければそれが一番良いに決まってる。だけどこの先どうなるかなんか誰にもわからないでしょ?だったらそういう手段も視野に含めて勉強して考えて人脈を作るに越したことはない」

「良くそんな先のこと考えてんね」

「真面目に音楽でやってこうって思うんなら、ビジネスだからね。それも、甘いビジネスじゃない。こっちは人生かかっちゃってんだから」

 つくづく自分とは人間の種類が違う。ついつい感心しながら煙草を取り出しかけて、その中身が空になっていることに気がついた。

「あ」

「俺のあげようか?」

 偶然であるが、啓一郎、和希、一矢は同じ銘柄の煙草を吸っている。自分のシャツの胸ポケットを漁る和希を制止して一矢は立ち上がった。

「や、買ってくる。どうせ後で買わなきゃなんないんだしー……下の自販機に売ってたっしょ?」

「ああ、そうだね」

「んだから……あれ?」

 空のパッケージを握り潰しながらリハスタのドアの方へふと顔を向けると、中を覗き込むようにしてすぐに引っ込んだ人影に気がついた。スタジオの廊下沿いの壁には窓があり、防音扉にも二重構造の覗き窓がついている。

「ん?」

「今、誰か覗いてましたけろ」

「覗き?」

「……その言い方だとニュアンスが変わっちゃうんれすけろー」

 首を傾げた一矢につられて扉に目を向ける和希の言葉に呆れた返事を返しながらドアへ向かう。開けてみると、そこに立っていたのは京子だった。

「どうしたの」

 最初に事務所に来た時以来、初めての遭遇である。遭遇と言うよりは、スタジオを覗き込んでいたのだから意図的に来たのだろうが。

「誰かに用事?それともここを使う予定?」

 ドアを開けたまま尋ねる一矢に、赤くなった京子がぶんぶんと顔を横に振った。

「……何の用事もなく覗いてたの?」

 またも京子が勢い良く顔を横に振る。さらさらの髪がその勢いに乗せて宙を振り回された。

「どうしたの?」

 背後から椅子に座ったままの和希が尋ねる。振り返ってそれに肩を竦めると、ともかくも煙草を買いに出ることにした。

「うーん。んじゃあまあ、行ってきますわー。あ、和希のもいる?」

「俺はいいや。行ってらっしゃい」

 防音扉を閉めると、京子は無言で一矢を見上げた。何か言いたいことがありそうだとはこの前も感じたが、今日ここに来たのも多分そういうことなんだろう。

「Opheriaの京子ちゃん。……正解?」

 この前佐山から仕入れた情報を確認してみる。尋ねながら微かに顔を向ける一矢に、京子が驚いたように顔を跳ね上げた。

「どうして」

「聞いた。この前会った後に。……俺に、何かあるんでしょ?」

「……」

「何?」

「あ、あのッ……」

 スタジオの前で立ち話も何だ。京子を促して階段の方へ向かいながら、にやーっと意地の悪い笑みを浮かべる。

「『あの夜』のことでも聞きたいの?」

「……ッ」

 図星のようだ。一矢の後ろに続きかけていた京子が、言葉に詰まったように足を止めた。構わずに階段の方へ足を向ける一矢を慌てて追いかけてくる。

「あなたなんでしょ?」

「そうですよー。『SWING』の階段で泥酔してた女の子を保護して差し上げたのは」

「……」

「……覚えてないの?」

 下りかけた階段で足を止めて振り返ると、ようやく追いついて並んだ京子がまだ赤い顔のままで頷いた。こうしてみると、結構な長身だ。あの時はぐてーっとしていたのでそこまで良く覚えていない。

「へえ〜?ふう〜ん?そう?覚えてないんだ〜?」

「い、意地が悪いのね」

「んじゃあ、ホテルで何があったかも覚えてないんだー」

「……」

 言葉に詰まったままの京子は、「いやーッやめてーッ」とでも言い出しそうな表情を飲み込んで、半ば睨むように一矢を見上げた。

「な、何があったの?」

「いやあ、凄い乱れようでした」

「ちょッ……」

「初めて見るなー。あんなふうになるコ。そりゃもう、俺を離してくれなくて。帰ろうと思っても帰れなかったし、もう、いやあ……凄かった」

 言いながら階段を下りる。京子は立ち止まったまま動かない。

「詳しく話してあげよう」

「やッ……も、もういい、聞きたくな……」

「ホテルに部屋を取って中に入った途端、『靴を脱がせろ』から始まって、冷たいものが飲みたいだの、おなかが空いただの、今からカラオケを歌いたいから付き合えだの、こんな部屋にあるえっちビデオは嫌だから『ダイ・ハード2』のビデオを借りて来いだの、プレステでゲームをやるから2コン使えだの」

「……は?」

「いやもう、あんなに『女王様』になる人は初めて見ました」

 そこまで言ってトン、と踊り場に足をつく。その勢いでくるんと振り返り、半ば耳を塞ぐようにしていた京子を見上げてからかうように笑ってみせた。

「本当に帰してくれなくて」

「……それだけ?」

「それだけって?」

「あ、う、ううん。な、何でもない」

 記憶がないなら、目が覚めた時にあんなホテルにいれば不安にもなるだろう。が、あれだけ見ず知らずの女の子に傅かされたのだから、少し意地悪を言ってみたくなっただけだ。

「安心して。何もないから」

 ようやく京子の欲しかっただろう答えを口にした一矢に、京子はそのままずるーっとそこに崩れるんじゃないかと言うくらい、肩の力を抜いた。

「な、何だ……」

「残念だった?」

「違うわよ!!……よ、良かった」

 それから咎めるような顔をして一矢を睨む。

「だったら、どうして早くそう言ってくれなかったの?この前だってあんな言い方して。あれじゃあ……」

「懲りたでしょ」

「え?」

「これに懲りて、外であんなふうにべろべろになるのはやめるでしょ?」

「……」

 無言で京子の視線が意味を問う。

「幸い、俺は泥酔している女の子に悪さするほど困ってないんでそういう真似はしませんでしたけどー。付け込む男なんか山ほどいるよ。前後不覚なら尚更、何したってバレないんだから」

「何したってって……」

「そりゃそうだよ。特にキミ、可愛いんだから、通りすがりの男にしてみりゃ『らっきー』ってもんでしょ」

 言葉を飲み込む京子に背中を向けて、再び階段を下り始める。京子がその後についてきながら、ぽつっと尋ねた。

「……どうして先に帰ったの?」

「顔合わせるのも気まずいんじゃないかと思って。記憶があるにしろないにしろ」

「それはそうだけど……おかげで随分悩んじゃったじゃないの……」

「そぉんなに俺のことが気になってしょうがなかったんだー」

「そういう意味じゃないわよ馬鹿」

 階段を下りきって、後をついてきてしまっている京子に、得意の人懐こい笑みを向ける。せっかくこうして再会したのだ。ここから先は、普通の出会いだろう。

「俺、この1月からここの事務所にお世話になるGrand Crossのドラム。一矢」

「え?……あ、わ、わたしは……Opheriaの、ギターで……」

 言いながら、ちらりと一矢に目を向ける。それから恥ずかしそうに視線を伏せて、続けた。

「京子。……大橋、京子」

「んじゃあ京子ちゃん。こうして再会したのも何かの縁。改めて素敵な関係築きましょ〜♪」

「……馬鹿ね」

 軽い調子で差し出した一矢の片手に、躊躇いを見せながらも、おずおずとそれに応えて京子の右手が差し出された。


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