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In The Mirror  作者: 市尾弘那
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第18話(4)

 電話に出る佐山を眺めながら、今の言葉を反芻する。少しだけ、くすぐったいような気がした。

「えー? 見てないですよー?」

 会場の外は、テーブルなどが設置されている部分もあるものの、溢れ返る人数には対応しきっていないらしい。階段や、建物脇の壁、果ては普通の路上にも座り込んで屋台食をつついたり、煙草をくわえている若者がいる。

「……はー。わっかりましたー。おたくも大変すね……いえいえ。困った時はお互い様ってことで。ウチのコが行方不明になった場合は、捕獲作戦に是非協力して下さい」

 ぼんやりと人々を眺める一矢の隣で、何やら不穏な言葉を吐いてみせてから、佐山はまた「おつでーす」と締めくくって電話を切った。

「……何? 今の」

 目を瞬きながら尋ねると、佐山は軽く首を回してため息をつきながら携帯を閉じた。ポケットにねじ込む顔が、渋い。

「紫乃ちゃんが脱走したそーで」

「……はあッ!?」

 『紫乃ちゃん』とは、尋ねなくとも広瀬紫乃のことだろう。

「脱走の意味がわからんのですがー……」

「ほら……紫乃ちゃんって、クロスが好きだとかって前に言ってたじゃない?」

「はあ」

「で、今日、来たがってたんだって。都内のライブって久々だし」

「はあ」

「だけど、レコーディングはあるし、大体今日ってイベントだから有象無象がうろうろしてるわけでしょ」

 辺りを見回せば、確かにあらゆるファン層が至るところにたまっている。

「紫乃ちゃんは無名じゃないんだから、今回はやめてくれって大神さんからストップ入ってたらしいんだけどね」

「脱走したと……」

「クロス見に来るつもりなら、いずれは発見するだろうけど……。一矢くんも見つけたら、俺に教えてよ」

「うん……」

 頷きながら何気なく彷徨わせた視線に、一瞬、心臓の跳ね上がる音が耳元で聞こえた気がした。

 人の合間に、視線が釘付けになる。

「あ、と……じゃあ俺、ブース覗いてくるけど、一矢くん、どうする?」

「うん……」

「え? 一緒に来る?」

「あ、いや……」

 見つけてしまったその姿に、情けないほど鼓動が速くなる。佐山に答える言葉も、どこか上の空だ。

 辺りを見回すようにゆっくりとこちらへ向かう姿は、まだ人に埋もれて距離がある。

「戻ってる?」

「うん。……戻ってる」

 掠れた言葉を押し出しながら、痛い鼓動に自分がどれほど彼女の姿を求めているのかを知った。

 深く被ったキャップと眼鏡、けれどすぐに紫乃とわかったのは、一矢の身長が佐山より頭ひとつ近く高いからだけではないだろう。

「ん。わかった。じゃあ啓一郎くんらがいたら、もうそこから動かないように押さえつけておいてね」

「はいはい……」

 何も気づかずに近づいてくる紫乃にはらはらしながら、早口で頷く。

 佐山がブース会場となっているテントに向けて歩き出すと、その背中を見届けて、一矢は人混みの中を急いだ。

 近づく紫乃が、こちらを向く。

 それから一矢の姿を見つけ、驚いたように目を丸くした。足を止める彼女に構わず近づくと、腕を引っ付かんで紫乃が元来た方向へ引き戻すように歩き出す。出会うなり挨拶の言葉をすっ飛ばした暴挙に、紫乃が一瞬絶句した。

「うわあ。……どんだけアグレッシヴな誘拐?」

「何すっとぼけたこと言ってんだよ。いーからこっち」

 とりあえずは、佐山の目の届かないところへ行かなければならない。

 目を白黒させる紫乃を構わず引き摺るように歩きながらも、彼女の腕を掴む片手が異様に熱を放っている気がした。熱い。指先が、ちりちりとする。

 紫乃が今ここにいると言うそれだけで、これほどに動揺するものなのか。……これほどに、会いたかったのか。

「神田くんー」

 関係者用の出入り口に辿り着いて、中に入る。そこからすぐに続く階段を上がり、プールバーのようなデッキまで来ると、一矢は更に屋内への扉を避けて屋外の階段を上がった。

 デッキは一般開放していないので、閑散としている。そこから更に続く階段など人気はなく、一矢はようやく手を放した。

「あんたねえ、見に来るなら来るで、平和に見に来なさいよ」

「……あたし、暴力的だった?」

「んなことは言っとらんがッ!! 連行命令がうちのマネージャーに下されてるとなると、あんまり平和とは言えない」

 状況を簡潔に説明すると、紫乃は「ありゃー」と小声で呟いて舌を覗かせた。

「ばれたかー」

 のんきな言葉に、ため息をつく。

 それはまあ、命を狙われているわけではないのだけれど。

「あんたねえ……もちっと自分の立場を考えて、だなあ……」

「だーって。別に平気じゃん? あたし、電車とかだって平気で乗るよ?」

 誰もが知っているアーティストと言うにはまだ足りないかもしれないが、それでもランキングでいきなり上位に入ったり高視聴率の音楽番組に出たりしていれば、ヴォーカルである彼女の顔は売れる。音楽好きばかりが集まる今日のようなイベントでは、新宿の雑踏とはまた話が異なる。

 軽い頭痛を覚えて、顰め面で無言のまま壁に背中を預けると、そんな一矢に唇を僅かに尖らせた紫乃は言い訳をするように微かに俯いた。

「だって……久々なんだもん」

「何が」

「クロスのライブって」

「……そりゃあまあ、そんだけ見たいと思ってもらえれば、こっちとしてはありがたい限りではありますが」

 ふうっと改めてため息をつくと、一矢はそのままずるーっと階段に座り込んだ。風に乗って、これから一矢たちが演るはずの野外ステージから音が届く。

「俺ねえ、ウチのマネージャーに個人的な恩がありまして」

「個人的な恩?」

「そう。そんな彼から『紫乃ちゃん見つけたら俺に教えてよ』言われてまして」

「ちょっとぉ。教えるんじゃないでしょーねー」

 むうっと眉を吊り上げて一矢の正面にしゃがみ込んだ紫乃は、眼鏡を外しながら睨みつけた。

「迷うところ。……まあ、あんたのことを教えなかったくらいで大惨事になるわけではないので、許されるだろうとは思いますが」

「よし」

「よしって……」

 偉そうなんだよ、と軽く頭を叩いてやると、紫乃はしゃがみ込んだまま頭を抱えて「うぎゅう……」と呟いた。

「ま、ウチのマネージャーには連行要請がいってるから、ステージ見てくんだったらその前に見つからないよう気をつけるんだな。ステージ始まっちゃってからだったら、いくらなんでももう平気だよ。多分」

「そう?」

「そりゃそうだろ。ウチのマネージャーもそこまで鬼じゃない。緊急なんじゃなけりゃ、そこまで来たら諦めるだろ」

「そか」

「ほんじゃな」

 これ以上、心を引き戻されてはたまらない。忠告するだけしてやると、その場を去るつもりで一矢は立ち上がった。目を伏せてジーンズを叩きながら階段を下りかける。その片足を、しゃがみ込んだままの紫乃が、軽く引っ張った。

「ぬわ。……危ないんですけろ」

「あたし、それまでここにひとりでいるの?」

「知りまへんがな、そんなことまで。……全く手のかかる……」

 そっけなく呟くと、紫乃が鼻の頭に皺を寄せた。

「いーじゃんよ。自分は手のかからない可愛い彼女を見つけたんだから」

「……」

 紫乃が、京子と一矢が付き合っていることを知っているのはおかしくない。いや、知っているだろうとは思っていた。否定をするつもりもない。

 けれど、心が微かに疼く。

「さすがご存知で」

「ご存知じゃないわけないでしょ。……良かったじゃん」

 そう言った紫乃はにこやかな笑顔を見せていて、勝手と知りながら複雑な気持ちにさせた。そういうお前はどうなんだよ、と聞きたい気もしたが、言葉を飲み込む。

「はい。……アナタを悩ませてやりたくなる前に、道が外れたみたいで。めでたしめでたし」

「何、他人ごとのように言ってるかな。……幸せなんでしょ」

 答えたくない。

 一矢は、足を止めたその場で再び、紫乃に向き直った。

「あんたは?」

「え?」

「如月さんを、忘れられて来ましたか」

 だからこそ神崎と寄りを戻したのか。それとも、それを期待してなのか。

 いずれにしても聞いたところで耳が痛いだけだとわかっているのに聞いてしまう自分を、自虐的だと少し笑えた。

 紫乃が、寂しげな笑顔を覗かせる。

「まだ、綺麗に思い出とは……いかないけど」

「ふうん?」

「でもきっと、ちょこっとずつ……ようやく、理解出来てきてる気はするよ」

「理解?」

「うん。……振られたんだってこと。彼には、彼女がいるんだってこと。感情の方でも、少しずつ納得して来てると思うんだ。……これって、立ち直り始めてるってことだよね」

「……そうなんじゃないですか」

「うん。……その、代わりに……」

 視線を逸らしてどこか遠い目をしてみせた紫乃の言葉の後半は、掻き消されそうに小さかった。続く言葉の予想が出来ず、首を傾げる。

「『その代わりに』?」

「……ううん。何でもないんだけど」

 けれど紫乃が言葉を濁してしまったので、仕方なく自分で言葉を見つけようとしてみる。『その代わりに』――如月の代わりに、紫乃の心に触れる誰かがいると言うことだろうか。考えるまでもなくそれは神崎だろうと判断し、考えなければ良かったと思った。

 思わず、胸の痛みに黙り込む。

 紫乃は紫乃で、何を思っているのか黙ったままだった。

 日が沈み始めた春の空は、遠く鮮やかな夕焼けを見せている。近付く夜に冷え始めた空気が、静かに2人の間を通り抜けた。

「……何だかなー」

「え?」

 突然、独り言のように呟いた紫乃の言葉に、意味がわからず問い返す。

 紫乃が、どこか困ったような笑みを浮かべて顔を上げた。

「あたしって、駄目な奴」

「何だよ今更」

「……待て。『今更』はないよね?」

「そいつは失礼。……何で?」

「本当に失礼だよ……。さあね。何でかな」

 よいしょ、とオバサンのように小さく呟き、ようやく紫乃が立ち上がる。片手で眼鏡を弄びながら一矢を見上げる笑顔は、いやに切なく儚いものに見えた。長い髪が、舞って広がる。

「あたしは、恋愛が下手みたい」

「上手な奴なんていないんじゃないの」

「……ん。そうだね。あたしだけじゃ、ないよね」

 言いたいことを掴みかねて、一矢は口を閉ざした。何を言っても見当外れになりそうだ。紫乃の言葉を待っていると、紫乃は再び視線を遠い空へ向けて寂しげに笑った。

「だったら、いつかはあたしも上手いこといくかな」

「……?」

 どうも、おかしい。

 神崎と、寄りを戻したわけではないのだろうか。『あのキス』の後、何かすれ違うようなことが起きたのだろうか。

「何かあったのか?」

「……ううん」

 けれど紫乃は、答えない。

 問い質すのも躊躇われて、一矢は婉曲的な言葉を口にした。

「まあ……何かあったら言いなさいね。聞くだけは聞いてやらんでもないので」

 冗談めかした軽い口調、いつものノリのはずだが、その言葉は本心だった。距離を置かなければと思う反面、どうしても彼女が困っていたら放っておけない自分がいる。してやれることなど、どうせ限られているのだから。

 けれど返ってきた言葉は、一矢以上に距離を置こうとするような言葉だった。

「ううん……平気。さんきゅーだよ。でも、大丈夫」

 紫乃が一矢に視線を戻し、白い歯を覗かせた。

「大丈夫。……神田くんは、京子ちゃんを大事にしてあげてね……」


          ◆ ◇ ◆


「いらっしゃいまー……」

 レジカウンターの内側で、新しいDVDにタグを貼り付けているとドアが開いた。

 顔を上げながら声を掛けかけて、「いらっしゃらないで下さい」に変更したくなる。

 一矢の働くレンタルショップに入って来たのは、神崎だった。

「……せ」

 まさか本当にセリフを変えるわけにはいかないので、最後はひっそりと小さく呟きながらげんなりする。こいつの顔だけは、見たくない。






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