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In The Mirror  作者: 市尾弘那
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第18話(2)

(何で……?)

 一矢が、自分と同じだけの重さで自分を想ってくれているなどとは思っていない。

 付き合っているのは何かの気紛れのようなものだと言う気もしている。

 けれど、それが京子であったことには、少なからず意味があると思っている。いや、せめてそう信じたい。

 スタジオの中は、スタッフが撮影の準備に追われる喧騒で満ちている。大道具がセットされていくのをぼんやりと眺めているが、その視界には何も映ってはいなかった。

 視線の先には、記憶の中の一矢の姿が見える。

「きょ〜おっこちゃん。おっはよおー」

 綺麗にブローされた髪が乱れないようにそっと項垂れながらため息をつく京子の背中が、ぽんと軽く叩かれた。

 声で飛鳥だと知り、笑みを浮かべながら振り返る。

「おはよ」

「早いね。1番乗り」

「ん? うん……ちょっと……」

 眠れなくて、と笑う京子に、飛鳥が心配げな表情を覗かせた。

「どうしたの? 何かあった?」

「ううん。そうじゃないの。何もないよ」

 京子の答えに、ほっとしたように飛鳥が隣に座る。

「そっか。……うまくいってる? その、彼さんと」

「まだ日が浅いから、わかんないけど……うん。別に、何もないよ」

 会う回数も、多くはない。

 メールはちょくちょくくれるけれど、電話は時間が合わないことも多い。

 彼女になれた嬉しさと、会えないもどかしさが、却って京子の想いを煽り、一矢への気持ちを深めた。

 今は、誰よりも近い存在でありたいと願っている。

 自分の胸の中にいつも一矢の姿があるように、彼にとってもそうでありたいと強く思う。

 ――愛されたい。

「そう? 彼、もう遊んだりしてない?」

 躊躇いがちに、心配そうに、飛鳥が首を傾げる。京子は微笑みで、それに応えた。

「してないと思う。わからないけど、でも、わかる」

「ならいーんだ。……そっかー。じゃあ、ラブラブなんだあ〜」

 ようやく安心したような冷やかし混じりの口調に、京子は笑みを飲み込んだ。

 そして、小さなため息を落とす。

「……そう、でも、ないけど」

「え? 違うのー?」

「ん、ううん、うん……」

 曖昧な京子の返答に、飛鳥が眉を顰めた。

「あの、別に本当に何もないの。何も問題はないし、優しくしてくれるし、昨日も家に行ったし」

「うん」

「……だけど」

 心の片隅にずっとある不安の塊は、何だろう。

 見ない振りをしている、目を逸らそうとしている、そしてそれを自分でわかっている。

 不安なのは、愛されている自信がないから。

 不安なのは……そばにいられるのは、今だけなのではないかと、思ってしまうから。

「あの……あのね……」

 言葉にすると現実になってしまいそうで、躊躇った。

 口に出してしまえば、目を逸らしている何かを直視することになるのが怖かった。

 けれど、京子は、言葉を押し出した。飛鳥に笑い飛ばして欲しかったのかもしれない。

「好きな人が、いるのかもしれないって……思うことがあるの……」

「……京子ちゃんじゃないの?」

「じゃなくて」

 飛鳥が、表情を止めて京子を凝視する。

「他の人……?」

「うん。……わたしじゃない、誰かが心にいるような気がして。誰かのことを、想っている気がして」

「だって、じゃあ何で京子ちゃんと付き合うのー? 考え過ぎだよー、そんなのきっとー」

 わかっている。飛鳥は、京子の味方だ。一矢のことも良く知っているわけではないし、京子の味方をしようとするから、肯定的な言葉しかきっと出ては来ない。

 けれど、わかっていても、その言葉が欲しかった。

「考え過ぎ、かな?」

「どうしてそんなふうに思ったの?」

「え……と……」

 問われて、自分の心の中を探す。

 どうして――だって、ずっと、寂しそうに見える。京子のそばにいるのに。

 笑顔を覗かせる。話題も振ってくれる。けれど……けれど、ずっと、寂しそうだ……。

 言葉にすると、切なさで涙がにじみそうな気がした。彼女なのに、これほど切ないなんて……。

 唇を微かに噛んで押し黙る京子に、飛鳥が首を傾げてから視線を逸らした。スチール撮りの準備をしているスタッフたちの方を見詰めながら、言葉を選ぶように口を開く。

「あのね、見当違いだったらごめんねなんだけど……」

「うん……?」

「あたしも、まだ付き合い始めたばっかりじゃない?」

「うん」

 同じ事務所の先輩である如月のそっけない横顔を思い出す。いつも冷たく見えて近付きにくい彼とは、京子は挨拶しか交わしたことがない。

「良くね、不安になるんだー」

「どうして……?」

 飛鳥と如月が付き合い始めた詳しい経緯までは、京子は知らない。

 けれど、2人でいる姿や、飛鳥の様子を見ている限りでは、とても大切に想い合っているように感じている。

 まさか飛鳥がそんなふうに言うとは思わず、驚いて続きを待っていると、飛鳥は少しバツが悪そうに笑った。

「どこか行っちゃいそうで」

「……まさか」

「だって、どうしてあたしと付き合ってくれたのか、良くわかんないんだもん」

「……」

「きさ……あの人はさー、言葉足らずで、何も言ってくれなくて、会いたいのってあたしだけなんじゃないかなーって思ったりして。……だけどね」

「うん」

「一緒にいると、気のせいかなって思えるし」

「……」

「だけど、離れると不安になるの。そばにいない時は、怖くて怖くてしょーがないよ。でも、信じてるもん」

 一生懸命話す飛鳥の横顔は、本当にひとりの時には不安を抱えているのだろうと言う気がした。

 言葉足らずの彼……如月のことを思い出せば、それはしみじみと理解出来るような気もする。好きだの愛してるだの、そうそう言ってくれるタイプには思い難い。

「一緒にいると、ずっと一緒にいられる気がする。だから、ひとりの時の不安は、気のせいなんだと思うんだ」

「……」

「だからきっと、京子ちゃんも、大丈夫だよ」

 一生懸命励まそうとしてくれているのは、良くわかった。

 そして……飛鳥はやはり、とても幸せなのだということも。

 京子は、違う。そばにいれば寂しさが増し、ひとりになれば不安に押し潰されそうだ。

 如月とは多分違う。……一矢は、どこを、見ているのだろう。

「うん……そうだね」

 けれど、飛鳥の気持ちを無駄にはしたくなかった。懸命に笑みを作る京子に、飛鳥がまだ心配そうな表情を残して覗き込む。

「好きだとさ、余計なこといっぱい考えちゃう。京子ちゃんの不安も、きっとそうなんだと思うな」

「そう、かな……」

「ふらふらしている彼を『付き合おう』って気にさせたのは、京子ちゃんなんだよ。もっと、自信持って」

「ありがとう……」

 飛鳥の言うように、これはただの考えすぎによる不安なのだろうか。

 違和感を拭いきれないまま、やがてOpheriaのメンバーが集まり、スタジオでの撮影と屋外での撮影を終える。日が暮れた頃に事務所へと戻り、今後のことを打ち合わせたいから少し待っていてくれと言う広田の言葉で、京子はひとり、ロビーで広田の手が空くのを待っていた。

 すると、紫乃が来た。

「あ……京子ちゃん」

 一瞬ぎこちない笑みを浮かべるが、京子はそれに気がつかずに曇りない笑顔を向けた。

「紫乃ちゃん。おはよう」

「おはよ。どしたのー? こんなところで。珍しーい」

 片手に煙草を持っている。

 京子の座るソファの向かいに腰を下ろしてパッケージから1本抜き出す紫乃を眺め、どこか翳りがあるような気がして内心首を傾げた。

「紫乃ちゃん、疲れてる?」

「え? あたし? うぅん……まあ、疲れてるっちゃ疲れてるけど、そんなでも。何で?」

「ううん。何となく。最近どう?」

 紫乃が、「はは……」と曖昧に笑った。

「まあ、適当に。仕事が忙しいよー。忙しくて最近、ライブを見に行ったりもしてないよー。遊びたいよー」

「ふふ。忙しいのは良いことでしょ」

「うー」

 唸る紫乃に笑っていると、紫乃はくわえた煙草に火をつけてから、やや伺うような目付きを見せた。きょとんとしている京子に、にや〜っとした笑みを作り、口を開く。

「京子ちゃんこそどーですか」

「え? 最近?」

「『彼氏』サンといー感じですか」

「や、やだ、紫乃ちゃんてば」

 誰もいないのはわかっているが、思わず辺りを見回す。それから、赤くなった頬を撫でた。

「ま、まあ……その、何となく」

 曖昧に答えると、冷やかすような笑みを張り付かせたままで、紫乃が続けた。

「意地悪されて困ってないですか」

「意地悪? ううん、そんなこと……」

 あいつ口も態度も悪いからなー、と紫乃が独り言のように呟く。その言葉が、京子の心にこつんと引っ掛かった。

「……そう?」

「そんなことない? ひねくれてるって言うか、逆に言いたい放題と言うか……からかってばっかだし」

 煙草の灰を灰皿に落とす紫乃の仕草を眺めながら、京子は一矢の態度を思い返してみた。

 からかうようなことを口にすることはある。けれどそうしょっちゅうでもなければ、それほど口が悪いと言うようなこともないような気がする。

「そう、かな」

「あ。何だ、京子ちゃんには優しいんだー」

「ち、ち、ち、違うわよ……」

 また冷やかすように言われ、それから胸の片隅がちくりと痛んだ。

 いつだかラジオの公開収録を見に行った時を思い出す。あの時見ていた姿と、京子の前で見せる姿に大きな違いはなかった。……今も。

(……)

 心に広がり始めた不安の雲を追い払うように、軽く頭を振る。そんなことはない。気にすることではない。自分は彼の『彼女』だ。最も近い場所にいるはずの存在だ。

 先日、一矢の昔からの友人だと言う明弘に紹介だってしてくれたではないか。

「でも、そっか。優しいなら、良かったね」

「うん……。あのね、今度わたし、一人暮らししようかなーって思ってて」

「へ?」

 紫乃が驚いたように頓狂な声を上げる。

「京子ちゃんって実家だったっけ」

「うん」

「えー。何で出るのー? 実家にいられるなら実家の方が楽でいいよー」

「あはは。大変?」

「だってあたし、家事嫌いー」

 顰め面で言う紫乃に、不安が掻き消された。くすくすと笑っていると、紫乃が話を戻した。

「ごめん。んで?」

「うん。それでね、いろいろ必要なものとか見てみようと思ったら、自分の要らないものをくれるって言ってくれたりして。凄く優しい」

 ほんの僅か、紫乃の表情に複雑なものがよぎる。けれどすぐに、何事もなかったかのような笑顔に変わった。

「おっと。太っ腹。優しいじゃん」

「うん」

「さては京子ちゃんが家を出たら自分が入り浸るつもりだな」

 その言葉を聞いて、京子はますます赤くなった。紫乃が何食わぬ顔で続ける。

「どうせなら一緒に住んじゃえばいーのに」

 それは、実は京子も一瞬考えたことではあった。

 京子が家を出れば、どうせ互いに一人暮らしになるのだ。そして一矢は、引っ越しを考えている。ならば一緒に暮らしてしまう方が効率的で経済的である。……とは、口実であるが。

「ででも、言えない、そんなこと」

「何で? 一人暮らし長そうだし、便利そう」






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