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In The Mirror  作者: 市尾弘那
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第17話(4)

          ◆ ◇ ◆


 紫乃だ、と思った。

 そう思ってから、ここはどこだっけと考える。

 辺りを見回して、それが海ほたるだと気がついた。以前、紫乃と一度だけ来たことがある場所だ。

 どうしてこんなところにいるのか良くわからなかったが、とりあえずそれはそれで、何となく納得をした。海ほたるだから、紫乃がいるのだ。

 辺りは暗い。夜らしい。あの時もそう、夜だった。

「あたし、如月さんが好きなの」

 海に面したデッキの手摺りに両手を掛ける紫乃の長い髪が、風に大きく揺れている。

 その背中をぼんやりと見つめる一矢の前で、紫乃がくるりとこちらを向いた。

 冷たい風が、寒くないのだろうかと見当違いなことを考えた。風から庇ってやらなければ。寒いに違いない。

 そう思うのに、体が動かない。何も出来ず立ち竦む一矢の前で、振り返った紫乃が大きな瞳から涙を零した。

「どうしても好き。どうしても如月さんが好きなの」

「だから、俺がそばにいてやるんだよ」

 不意に、紫乃の隣に神崎が現れた。神崎が、紫乃の肩を抱く。

「俺だったら、こいつのこと、わかってやれるから」

 何か言い返したい。

 けれど、声が出ない。

「お前には、わかってやれないよ」

「でもあたし、やきもちだったかもしれない」

 2人がそれぞれ、全くかみ合ってないことを口にする。それから神崎が、目を細めて、笑った。

「んじゃな。神田クン」

 紫乃の肩を抱いたまま、一矢に笑みを残してデッキを歩いていく。その場から動くことも声を出すことも出来ないまま見送っていると、建物の中に入った2人の後ろ姿が、ガラスのドア越しに見えた。

 それを見て、まずいと思う。

 この先は、見たくない。見てはいけないものが待っている。

 けれど動かない体は視線を定め続け、ガラスの向こうで立ち止まった2人が顔を近づける後ろ姿が見えた。

 そんなものを見るのは、一度で十分だ。二度も三度も、見たいものじゃ……。


(――ッ……)

 ガンッと大きな音がして、握り締めた拳がベッドボードに当たった。

 激痛と共に訪れた目覚めに、思わずぶつけた拳を片手で押さえて、声もなく蹲る。

(……いっっっっってぇぇぇぇ……)

 あんな夢にしてこんな目覚め、ろくなものではない。

(なっっっっさっけねえなあ〜……もう……)

 我がことながら情けなさ過ぎて涙が出る。痛む片手を押さえつけたままベッドにしばらく蹲ると、やがてごろんと寝返りを打った。

 そのまま、天井を眺めてぼんやりとする。

 恋愛は、こんなに悩むものだったのだろうか。

 かつては、真面目に想いを寄せたりしたことも、ないではない。

 けれどここしばらく……数年単位でそんな思いをしていなかったので、やや免疫不足なのだろうか。

(夢の中ならせめて、違うこと、言えよな……)

 普段ろくに夢など見もしないくせに夢に見るほど、叶いもしない相手に焦がれている自分に、嫌気が差した。

 起き抜けからひどく疲れた気がするが、いつまでもここに転がっているわけにはいかない。

 睨んでいた天井から視線を逸らし、一矢はベッドから起きあがった。

 ――仕事に行かなければ。


 Grand Crossは当面、『とにかくスタジオに籠もる』に尽きる。

 曲を作るのでも詰めるのでもなく、ひたすら練習、練習、練習である。

 スタジオを終えて嶋村家を後にすると、一矢は電車で明弘と待ち合わせた新宿へ向かった。

 元春にああ宣言した手前、引っ越すことの算段をつけなければならない。

 持つべきものは、悪友だ。明弘のろくでもない知識をアテにして、一矢は相談をしてみるつもりでいた。

 山手線を、新宿で降りる。ちょうど明弘からの着信があって、話しながら改札を抜けると明弘が携帯を前触れなく切断した。一矢の姿を見つけたのだろう。

「んで、不動産にでも行ってみっか?」

 挨拶を飛ばして、用件に入りながら歩き出す。地上へ続く階段を上がりながら、明弘の背中に問いかけた。

「何か良い心当たり、あるん?」

「んー。みっつ」

「どんな?」

 外は既に暗い。どことなく春の香を乗せた空気を吸い込みながら答えを待つ。

「ひとつはぁ、水商売のねぇちゃんに斡旋してる寮の管理をしてる奴がいるんだよ。今空き部屋が結構あるって言ってたから、誤魔化しきくかもしんねぇ」

「……なるほど。じゃあ俺は、綺麗なおねぇさんに囲まれてうはうはなわけですな」

「たかられて搾り取られとけよ」

「搾り取るほどのものがあれば、こんな相談はしてないんですが」

「ねぇとこからだって搾り取れるもんなんだよ」

「それは俗に言うマイナスとか言う奴じゃ……」

「相手にとってはプラスだろ?」

 有名ブランドの看板の前で、明弘が足を止める。

「ただまあ、バレればもちろんスジの奴が出てくるだろうなあ」

「俺、生命の危機にされされながら生きるのは、ちょっとばっかし嫌なんですけど」

「何贅沢言ってんだよ」

 生命の危険に晒されずに生きることは『贅沢』だろうか。そんな馬鹿な、である。

「大体そういうとこって、男子禁制ってやつじゃないの?」

「そう。出入りするだけでスリリングだろ?」

「却下」

 仮住まいとは言え、家を出入りするのにスリルなど味わいたくはない。

「あとはー……ゲストハウスってテもあるんだよな」

「何、ゲストハウスって」

「外人向けの宿泊施設だけど、短期でも長期でも滞在可能で」

「……俺、一応国籍は日本なんれすが」

「最後まで聞けよ。日本人でも条件次第では入居可能だ」

「へえ」

「俺の知ってる奴が入ってる。敷金礼金だとか保証人だとかいらねえから、お前でも入れんじゃねえの?」

「ふうん……なるほどねえ……」

「今んトコって、いつまでいられるんだっけ?」

「5月いっぱい」

 契約書を確認してみると、退去にあたっては1ヶ月以上前の申告と当月分までの家賃が必要だった。

 今から申告しても5月分の家賃までは取られるし、であれば退去は5月と言うことになる。

 4月の終わりに徴収される5月分の家賃は元春に払わせるつもりはなかったから、これは何としても自力で搾り出さなければならない。更に退去すると言うことは、別の住居を確保しなければならない。どこにそんな金があるのか、である。

 加えて言えば、一矢にとって最大の問題は、保証人制度である。

 入居するに当たって、真っ当な住居であれば保証人が必要なのは、常識だ。

 手を貸してくれそうな人物と言えば久我朋久だが、従兄でしかない彼にそんな大役を押し付けるのは気が引ける。

「やーっぱ事務所に相談してみようかなあ……」

 佐山に相談してみるのが、最も確実かもしれない。

「最後の家賃何とかしなきゃなんねぇしなあ。手っ取り早く稼げるのって何があんだろ……」

「携帯の売買」

「……電気屋さんでキャンペーンですか?」

「誰がそんな平和なの勧めたよ。所有者が偽造されてる携帯の売買だろ。結構良いカネになるらしーぜ」

「……どうしても俺に犯罪をさせたいの?」

 手っ取り早く稼ぎたいと一矢が言うから、明弘の思考回路ではそうなってしまうとわかってはいるが。

 深々とため息をついてみせると、明弘が喉の奥で噛み殺すように笑った。

「まあ、カネはねーけど、住むトコって話なら、しばらくは俺ん家置いてやってもいーけどな」

「さんきゅ……」

「かこさんもテルさんも、まじ困ったら相談しろって言ってたぜ」

「うん……」

 自分はやはり、恵まれているのだろう。

 大して何をしてやれるわけでもない自分のことを、こうして心配して、手を貸してくれようと言う人が何人もいるのだから。

「まあ、一番楽なのは、オンナんトコ転々とすることじゃねぇの? しねぇの?」

 明弘らしい発想に、一矢は「はは……」と小さく笑った。

 それから首を横に振って、先を促す。

「んで、もうひとつは?」

 犯罪絡みでなければ良いのだが。

 何かを偽造してどうこうとか、戸籍を買ってうんたらとか、ネットカフェを転々とか言われたらどうしようなどと思っていると、明弘あっさりとまともなことを口にした。

「不動産屋だよ」

「……それはー……身元を問わない代わりにやばい仕事を斡旋するとかー……」

「何捻ってんだよ、そんなんじゃねぇよ、普通の不動産屋だよ」

 嫌そうな顔をしてみせてから、明弘が歩き出す。

「かこさんのツレが、不動産屋やってんだ。昔ちょくちょくライブの助っ人やったから結構可愛がってくれてんだ。別に大して安くなったりはしねーだろうけど、多少は融通利かせてくれんじゃねぇか?」

 それから、横に並んだ一矢を見上げた。

「時間、あんだろ? 今からちょっと行ってみようぜ」

「あ、うん……」

 頷いて、時計を見る。19時半。

「21時頃には終わるかな」

「そりゃあノリによるんじゃねーか。『はい、却下ー』っつったら5分かかんねぇし、盛り上がったら2時間くれーかかるかもしんねーし。……何で?」

「あー……いやー……」

 京子と、会う約束をしている。

 何となく言葉に詰まって、それから、問いに答えた。

「ちょいと約束がありますので」

「あんだよ、またオンナかよ」

 生憎と、明弘が思うような女性とはここしばらくお会いしていない。

「まあ、女のコ。……彼女」

「へえー、あーそうー……ってはあ!?」

 一瞬素直に頷いた明弘は、意味が繋がるのにかかったタイムラグを置いて素っ頓狂な声を上げた。

「何だよ、彼女って。いつそんなもん作ったんだよ? 広瀬紫乃ぷーとつき合えたのか?」

「……何よ。『広瀬紫乃ぷー』って」

「何となく『ちゃん』付けする気にならねーから」

「紫乃じゃないよ」

 明弘が黙って一矢に視線を向けるのを感じた。

 感じながらも、そちらを見ることが、出来なかった。

「だってお前……」

「とーにーかーくー」

 何か言おうとした明弘の言葉を遮る。それで、何かを察したらしい明弘は物言いたげな顔つきをしていたが、やがて、小さく息をついた。

「……ま。別に、いーけど」

 何が起こったのかなど、詳しく話す必要はどこにもない。

 笑顔に似た表情を作り上げて、一矢は明弘に顔を向けた。

「良かったら、後で紹介してやるよ。……とりあえずは、不動産屋さんで、お願いシマス」












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