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In The Mirror  作者: 市尾弘那
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第17話(2)

 紫乃の言葉に、京子がほっとしたように微笑む。

「良かった」

「京子ちゃーん。何飲むぅ〜?」

「あ、わたし、微糖のコーヒーで」

「おっけ〜ぃ。買っちゃうよぉ〜」

 飛鳥に答えると、京子は再び紫乃に向き直った。

 どこか恥らうような笑顔が、いやに幸せそうに見えた。

(や、違うか……)

 幸せ、なのか……。

「でもね、あのね、ちゃんと付き合うから……きっと、大丈夫だから……」

「うん……」

「だからね、心配してくれて、ありがとう。心配しなくて、大丈夫って……言わなきゃって……」

「うん……」

「良かった。会えて」

「うん……」

 頷きながら、心の片隅で首を傾げる。

 どうしたのだろう、自分は。

 いやに、ショックを受けているような気がする。

(受けてないって、別に)

 内心、言ってはみるものの、頭の一部がどこか麻痺しているような衝撃は、ショックを受けている状態としか思えない。

(だって、何で?)

「あ、じ、じゃあ、それだけだから……あの、じゃあ、またね、紫乃ちゃん」

「あ、うん」

「紫乃ちゃん、お疲れさま〜」

 飛鳥の柔らかな声と、その背中を弾むように追う京子の姿が、事務所の外へと消えていく。

 2人に向けて振っていた片手を止めると、すとんと力が抜けた。

(付き合う、んだ……)

 先日、「一矢が遊んでる」と言う話を神崎から聞いて、僅かに嫉妬心が湧いたのを思い出した。

 一矢のことを好きだ嫌いだではなく、「あたしのこと好きだって言いつつ、そういう感じなわけだ?」と言う誰にでもある程度の独占欲……だと、思った。

 きっと、今度のそれも、似たようなものだろう。

(付き合うことに、したんだ……)

 自分のことを好きだと言ってくれていたはずの人がよそを向いてしまうから、ちょっと寂しい――その程度のもののはずで、そうでなければならない。

「良かったじゃん、京子ちゃん……」

 そのわりには、衝撃が大きいような気がする。――いや、そんなことはないだろう。こういうものなのだ、多分。

「良かったじゃん、神田くん……」

 だけど。

(もう、2人で遊んじゃ、まずいよね)

 一矢の手を借りずに、ひとりで、立ち直らなければ……。


          ◆ ◇ ◆


「かぁずやぁ」

 東京を出て、1週間。

 山梨の地方ラジオ収録と2本の路上を終えて夜、宿の部屋で啓一郎が床に転がっている。

「あ?」

 ――わたしと……付き合ってくれるって、言ってるの?

 ――うん。……いーよ

 あの日の自分の行動が正しかったのか、良くわからない。

「俺の声ぇ、東京に戻るまで、持つかなあ?」

 床に仰向けに転がったまま、椅子に座った一矢を見上げる啓一郎が、あどけない顔で腕を伸ばした。垂れ下がる一矢の髪を、ちょいちょいと引っ張る。

「伸びたね。お前。髪」

「ああ、うん、そうねえ……。切っちゃおうかなあ」

「あ、俺もねえ、切ろうかどうしようか迷ってる最中」

「ああそう? 切るの?」

 肘掛けに頬杖をついて見下ろすと、啓一郎は自分の茶色い前髪をつまみ上げて目線を上げた。

「んー。てかさあー、ぱっつんぱっつんに短くしたら、オトコマエになっかもしんねえじゃんッ!?」

 幼少のみならず、中学の頃まで女の子と間違えられると言う経験を持つ啓一郎は、とにかく「可愛い」ことに屈辱を覚えているらしい。さすがにこの年で間違われることはもうないだろうが、男性らしく逞しい外見には到底及ばない。

 それはそれで異性から需要のある外見ではあるのだから、可もなく不可もないと言う無個性な自分などに比べればよほどましだろうに。

「どうですかねえ」

「すっぱりベリーショートにして、髭とか生やしたら男らしい?」

「……。やりたきゃやれば良いけど、何となく顔と整合性が取れてないような気がする」

「……。何、『顔との整合性』とかゆー不可思議な表現」

「思い切って坊主にするとか」

「坊主にしたら、ハクが出る?」

「うーーーーん。……一休さん?」

 寝転がったままの啓一郎の足が、がすっと一矢の座る椅子の脚を蹴飛ばした。

「全然ハクねえじゃんッ!! 超平和じゃんッ!! 超みんなに愛されキャラじゃん!?」

「いいじゃないですか。屏風のトラを退治して下さい」

「俺にトンチはねえのッ!! お前が先にやれよボーズッ」

「もーすぐ夏れすから涼しそうれすねえ……。メンバー全員でやる?」

「……インパクト、あり過ぎじゃね?」

「んー、まあねえ……。そこまで切んのはやだなあ、でも。単に邪魔臭くなってるだけ……」

「毛がなくなりゃ磨くだけで済むぞ」

「いつかなくなった時の楽しみに取っとくことにする。……そういや、Blowin'の藤谷さんて、前は俺より長かったよね。あの人もすぱっといったよね」

「ああ……いきなし短髪んなったね、そう言や」

 話題が逸れていく。啓一郎の喉の話ではなかったのだろうか。

 何気なく言葉を交わしながら、時折啓一郎が喉を押さえて小さな咳をした。

「一矢」

「あ?」

「お前、何かちょっと元気ない? 気のせい?」

「……」

 なぜこういうところだけやたらと鋭いのだろう。

 一瞬言葉に詰まるが、語る気にはなれずにへろっと舌を出した。

「夏ばてを先取り」

「先取るなよそんなもの。五月病をクリアしてからにしろ」

「んじゃあ、五月病にしとく」

「馬鹿オマエ無気力とか言ったらそこの窓から吊るすぞッ」

「……吊るすことで俺をどうしたいの?」

「気合を叩き込んでるの」

 啓一郎も気づかなかったはずはないが、話す気がないことも同時に察したのだろう。追及はしなかった。言葉に出さずとも、言いたくない気持ちを理解してくれるのがありがたい。

「啓さん」

「何だよ、その、何か不自然なの」

「あんた、まぢで喉やばいんじゃない? 明日とかパスして休ませたら?」

 一矢の言葉に、啓一郎は喉を押さえたまま「けほけほ」と軽くせき込んで顔をしかめた。

「やーなこったあ。観光しに来てんじゃねーえっつの」

「んなこたわかっとりますが。一番大事な、週末のハコライブん時に潰れたら笑うよ」

「多分笑いごとじゃねえと思う、その場合」

 その通りである。

「だから笑えねえんだから、明日はやめとけっつってんの。明日ってええと……福島で路上やりつつ山形へ移動? だったらもう福島すっ飛ばして山形に移動しようよ。俺、さーちゃんに掛け合う」

「でぇぇ……やっといた方がいーって。1本でも多くッ。……けほんッ」

「馬鹿言え。週末にイベントのハコライブだぞ。それで声出なかったら一層話になんねーよ。さーちゃんだったら多分、イチもニもなく『うん』て言うよ」

 東京を離れての2週間遠征は、ちょくちょく足を止めては路上をやったりハコライブをやったりしている。日によっては3本路上をやったりしているので、佐山は計画当初、顰め面だった。もちろん、一番心配しているのは啓一郎の喉である。

 男の癖にいやに可愛らしい咳をしてみせる啓一郎を、足蹴にしつつ立ち上がる。「ぐへえ」と大袈裟に床に潰れた啓一郎を残して佐山を探しに部屋を出ると、廊下の奥に武人の姿が見えた。

「あ、一矢さん、どこ行くの?」

 風呂上りの武人は、まだ上気した顔で頭にタオルを乗せている。

「明日の路上パスさせてってさーちゃんに交渉に行くところ」

「え? 何で?」

 親指で喉を示す。一矢には喉を気遣う必要がないから、武人も啓一郎のことだと察したらしい。「ああ」と頷いた。

「最後の後半、ちょい渋い声になりつつありましたもんね」

「ちと立て続けに歌い過ぎなんだよ。自分の楽器は『人間の喉』だってわかってねーんだから。あの単細胞」

 一矢の言い草に、武人が片手でタオルの端を掴みながらくすくす笑った。

「あー、だったら俺、今日ここに泊まった意味がなくなりますねー」

「いーじゃん、別に。明日は土曜でしょ」

「ん。まあこっちに泊まった方が安上がりなのかな、事務所的には……。日本て凄いですよねー。こんなぶっ壊れそうな宿でも、大浴場ですもんねー」

「『大』浴場だった?」

「……『小浴場』って日本語、あるんですか?」

「その場合はただの『浴場』になるんでないの? 和希ドコ行ったん? 部屋?」

「その辺散歩してくるって出てっちゃったみたい」

「あ、そう」

 部屋へ戻る武人と一緒に、佐山の泊まる隣の部屋をノックする。

 通常、高校に通わなければならない武人だけは新幹線で東京へ戻ることが許されており、東京に仕事を残す佐山も付き添う形でちょくちょく帰っているのだが、本日は5人フルで宿泊になっている。新幹線や特急電車よりも、そちらの方が安く上がるらしい。

 けれど、さすがに5人で一部屋は狭すぎるので、2人と3人に分かれている。部屋割りは公平にじゃんけんで決定し、勝者となった啓一郎と一矢が少しでも広く使える「2人一部屋」をゲットした。

 雑談交じりに啓一郎の様子を報告し、血相を変えた佐山が隣の部屋へ押し入っていくのを見送ると、一矢はそのまま階段へ足を向けた。この宿へ来る途中にコンビニがあったような気がする。散歩がてらコーヒーでも買いに行ってみようと思いつつ、ポケットの中で携帯電話を弄ぶ。

 複雑な思いが、脳裏を過ぎる。

(あいつ、何してんのかなー……)

 つい紫乃のことを考えて、軽く頭を振った。思い出せば苦い思いをするだけなのだから、考えないようにしている。勝手なものだ。自分自身であれば『たかだかキス』なのに、好きな相手となるとそこにずっしりと重みがある。馬鹿馬鹿しい話だ。そう、たかがキス、それで子供が出来るわけじゃないだろう。

(そういう問題じゃねえって……)

 なぜこれほど差異が出るのか、わかっている。

 彼女は、一矢のような感覚でキスが出来る人ではないと、知っているからだ。

 そこには、それなりの意味がある。唇を許した相手に、心も許すと……心を委ねると、恐らくはそこまでの意味がある。一矢が手近な相手と唇を重ねるのとは、根本的にワケが違う。

(つーか、今更じゃん? 前付き合ってたんじゃん? 前、一緒に住んでたじゃん? だったら今更……キスどころか……)

 思いかけて、足を止める。

(……………………………………くっっっっそおおおおおお)

 考えてみれば、逆に癪なだけである。こちらは手に触れたことさえないと言うのに。

(や、あると言えばあるか……)

 但しそれは通常の表現をすれば「殴られた」になるわけだが。

(……)

 何の救いにもなっていない。

 過ぎる紫乃の笑顔が、また、息を詰まらせる。

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