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In The Mirror  作者: 市尾弘那
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第16話(3)

 引きつった笑みを浮かべながら、携帯灰皿に煙草を押し付ける。カチンと蓋を閉じると、紫乃が自分の背中で両手を組み合わせながら小首を傾げて見上げた。

「女の子にいい加減にする人、好きじゃない」

「……まあ、そういう人が好きって女の子は稀でしょうなあ」

「昔の神田くんは別に友達でも何でもないから別にいーけど、今もそういう人だったら、あたしもちょっと嫌」

「……」

「でも、あたしも神田くんってそういう人なんじゃないかって思ったりしてたから、聞いてみたくなった」

 ジーンズのポケットに携帯灰皿をねじ込みながら、煙の名残を追い払うようにふうっと息を吐く。微かに、残った煙が口から昇る。

「前は、あんたの言う通り。ずっといい加減にしてた。どうせ向こうもこっちも遊び、だから何してもどうでもいいやって思ってたのは事実」

「……」

「『ケイベツするわッ』って感じ?」

「……で?」

「で。……今は」

「うん」

「やめた」

 両手をポケットに引っ掛けて、そのまま近くのフェンスに寄りかかる。遠く、下北沢の駅の方から電車の音が聞こえた。

「ずっとさあ……どうでも良かったんだ。誰か好きになんのも、好きになられんのも、嫌でさあ……。恋愛って、面倒臭ぇじゃん?」

 両眉を上げて笑う一矢に、紫乃も小さく笑う。

「楽なのでいーじゃんって気ぃしてた。だけど、駄目なんだ、何か」

「駄目?」

「楽しくねぇんだわ、これが」

「……」

「……あんたのこと、好きになってから」

 少しだけ照れ臭い。目を逸らしながら、努めて何でもないことのように言ってから頬をかく。何気なく紫乃の方を向いて、それから違和感を感じたような気がして、目を瞬いた。

「どうしたん?」

「な、何が?」

「……いや。何か、良くわかりませんが」

「……それじゃああたしもわかりませんけど」

 それはそうなのだけれど。

(――?)

 自分が感じた違和感の正体が良くわからずに首を傾げる。……紫乃が、らしくなく、動揺しているように見えた、気がした。反面、今初めて言ったわけではないのだから今更だろうと思いもする。

「ま、そんなわけで。今は広瀬サン一筋の生活を送っていると思われます」

 京子については、曖昧にしてあるとは言えあからさまな手出しをしていないのだから黙殺する。

「信じる信じないはあなた次第。……でも」

「うん?」

「神崎が何て言ったかは知らんけどさあ。あいつより、あんたの方が俺のことを知ってるはず」

「……うん」

 俯いて小さく頷いた紫乃は、短い沈黙の後に顔を上げて、いたずらっぽく歯を覗かせた。

「へへー。改心したんだ?」

「俺は別に元々悪魔でも外道でもありません」

「ヒロセの力たるや絶大。素晴らしい。ヒロセ、バンザイ」

「そこまで言われると、何か腹が立つ」

「立たない。何でそこで腹が立つかな」

 妙に威張るように言われて、言い返してやりたいと言う負けん気が頭をもたげる。今し方の殊勝と言える態度をどこかへ押し遣って、一矢は暗い夜空を仰ぎながら小さく舌を覗かせた。

「にしても、それが突っかかる態度の理由なんだとしたら〜」

「……何ですか」

「広瀬サンたら、やきもちでも妬いちゃったのかしらん」

 言いながら意地悪く笑ってみせると、勢い良く怒鳴り返すかと思いきや、意外にも紫乃は赤くなって言葉に詰まった。

(……お?)

「だッ……なッ……ばッ……」

「……。すみません。頭文字だけで何もわかりません」

「うるさいなわかってるよッ」

「言葉は他人に伝える為にあるものなので、伝わるようにお願いします」

「『誰がやきもち妬いてるのよ!! 何言ってんの!? ばっかじゃないのッ!?』」

「……大変わかりやすいです。ありがとう」

 罵倒されて礼を言いながら、体を起こす。くすくす笑ったままで、ようやく単車に腕を伸ばした。

「ほんじゃ、もう噛み付かないで下さい。……俺、あんたから軽蔑されるような生活を今は送ってないつもりなので」

「ん」

 車体を起こしてスタンドを足で押し上げる。グリップを握る一矢の背中で、紫乃の、小さな声が聞こえた。

「……もしれないけど」

「え?」

「本当は、ちょっと、やきもちだったかもしんない、けど」

「……………………………………ぇ」

 紫乃の小さな小さな声が、確かに風に乗って、聞こえた。

 どきっとして慌てて振り返ると、微かに赤くなった顔で、紫乃が鼻の頭に皺を寄せていた。

「何?」

「……いえ」

 気のせい……?

 軽く頭を振る。

 鼓動が速く、紫乃の呟きのような声がまだ、耳に残っているような気がする。

「何か、言いました?」

「……言ったかもね」

「……何て?」

「忘れた」

「健忘症かよ。何だよ。何?」

「何でも。ほらッ、送って送ってッ」

「送られる分際で偉そうな奴だなオマエ……」

 ぱしぱしと背中を叩かれて急かされ、仕方なく単車にエンジンをかける。

 けれど、紫乃をバックシートに乗せて目黒へ向かう間中、先ほどのことが頭から離れない。

 と言って、タンデムで走っている状態で聞き直せるわけがない。聞き直しても、果たして答えてくれるだろうか。……答えてくれない方に1万円賭ける。

(気になるじゃねえええかよおおおお)

「タチ悪ぃ女……」

 信号待ちで思わずぼそりと言うと、紫乃が後ろから「何か言ったですかー」とのんきに尋ねてくる声が聞こえた。

「別に……」

 再び単車を走らせながら、考えるほどに鼓動が速くなる。しがみ付いている紫乃には、伝わってしまっているのだろうか。

 服越しに伝わる紫乃の温もりが、存在が……聞こえた気がする先ほどの言葉が、想いをまた深めようとする。

(好きだ……)

 どうしても、彼女が好きだ。

 何もかもが気持ちをかきたてて、考えてはいけないと思うのに、彼女が自分のものではないことがもどかしく思えてくる。

(だから考えるなつーのに……)

 そこを突き詰めて考えれば、結局のところ、辿り着く答えはひとつしかない。紫乃を好きだと認めた時からずっと、禁じている願望だ。……彼女に振り向いて欲しいと、思い始めてしまう。

(駄目だってば)

 無理なことは望むものではない。

(『やきもち』って……どうして?)

 けれど、紫乃が自分を好きだとは思えない。そう、それはない。ないはずだ。

(……………………………………だあああああッ。タチ悪ぃッッッ!!)

 つくづくと、悩ませてくれる。

 紫乃の家のそばまで来て速度を落とすと、バックシートのタチの悪い女がのほほんと「やっぱ単車って電車より楽〜」と呟くのが聞こえた。

「それは良ぅございました……」

 もう、家は間近だ。

 短くても紫乃のそばにいられれば楽しいと思い、間もなく終わりを告げると思えば切ない。

 また、誘ったら応じてくれるだろうか。

(調子に乗りすぎ……って……あ? あれ……)

 迷いながら紫乃の家のそばまで来て、単車を停止しようとした一矢は、思わず固まった。

 と言って、そのまま通過するわけにはもちろんいかないので、仕方なく停止をする。ヘッドライトが照らした通りの先に、見覚えのある車が停まっているのが、見えた。

(神崎……)

「あれぇ? カンちゃん」

 まだ低く唸り続けるエンジン音の合間に、一矢の背中越しから顔を出した紫乃が声を上げた。紫乃の姿を見つけて、神崎が車を降りてくる。ドアを閉めるバタンと言う音が、単車のエンジン音に重なった。

「どしたのぉ?」

 一矢と神崎の間に、妙な空気が流れる。

 紫乃だけが、呑気な声で単車のバックシートから下りた。

「別に。用があったんだよ。お前、電話しても出ねぇし」

「あ、ほんとー? ごめーん。気づかなかったー。家、行く?」

「たりめぇだろ。こんなとこで立ち話って、どこの主婦だよ」

「……。主婦はこんな時間には井戸端会議はしないと思う」

 会話を聞いているだけで、心が動揺する。

 紫乃にとっての神崎の存在がどう位置するものなのか、見せ付けられているような気分になった。

(だからッ……わかってた、ことだろッ……)

 元彼だ。同じバンドのメンバーで、中学からの付き合いだ。一緒に暮らしていた間柄だ。

 今更、部屋に入るくらいどうと言うことでもないのだろう。紫乃にしても、神崎にしても。

 けれどそれは、神崎が圧倒的に強い立場にいることを示している。

「……んじゃ、俺、帰りますわ」

 わかっていても、改めて教えられたいことではない。

 僅かに苛立った胸の内を誤魔化すように、切らないままのエンジンを軽くふかした。神崎の方へ歩きかけていた紫乃が、振り返った。

「あ、うん。ありがとね」

「……」

「あの……ま、わかったから」

 そう付け足す紫乃に、一矢はシールドを押し上げて、笑みを返してみせた。

「うん……。なら、いい」

「ん。……おやすみ。またね」

 ――またね。

 その言葉に、一瞬返答に詰まった。

 つまらないこと、ささやかなこと、けれどその言葉は、『次』を示す言葉だ。

 それが特別なことではなくても、単に事務所で遭遇するようなことを示しているのだとしても、奇妙に、嬉しい言葉だった。

「うん。……またな」

 また、2人で会いたい。

 欲が膨らんでいくのがわかる。

 神崎の方へ駆け寄る背中を眺め、込み上げる想いを飲み込んでいると、神崎が薄暗がりの中で微かに目を細めるのが見えた。

 そして。

「んじゃな、神田クン」

 目を細めたまま、微かに笑う。

 次の瞬間、ぐいっと紫乃の肩を抱き寄せた。

(なッ……)

 恐らく、紫乃にとっては何気ない程度に軽く、けれど一矢には……見せ付けるように。

(……のやろぉ……)

 それから軽く紫乃の肩を前に押しやるようにして、もう一矢を顧みることなく階段を上って行った。

 階段を上ったところで紫乃がもう一度、一矢に軽く手を振ったが、やがてその姿も神崎に押し遣られて見えなくなる。

(くっそ……)

 顔を顰めて、単車のグリップを握った。

(…………くっそぉぉぉぉ……ッ……)

 胸に込み上げる焦燥感――このままじゃ、嫌だ。

 あいつに、負けたくない。

 軽く唇を噛んで、胸に詰まる何かを流し込むように、大きく息をついた。

 ……どうしたい?

 これから、先。

 このままで、いいのか?

 嫌なら、どうしたいんだ?

 ――やきもちだったかもしんない、けど

 少し照れ臭そうな声、拗ねたような紫乃の顔。

 ――んじゃな、神田クン。

 勝ち誇ったような神崎の捨て台詞。

 単車をスタートさせながら、階段の向こうに消えていった2人の後ろ姿が、脳裏を離れなかった。






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