第15話(2)
「おおッ。知っとるんやッ。俺も知ってんで。Grand Crossのギタリストさんやろ?」
「そう。野沢です」
「こいつが騒いでるやん。『和希さ〜ん』言うて」
「じーじッ」
けらけら笑う武藤に、紫乃が怒鳴った。それを何食わぬ顔でやり過ごしてから、武藤が一矢と和希を見比べる。
「お揃いでどしたん? どこ行くん?」
「仕事終わりでメシ食って帰ろうと思ってたトコれす」
「ほんま? せやったらみんなで行こうや。なあ、紫乃」
「うん」
武藤の言葉に、振り返って頷いた紫乃は改めて一矢と和希に顔を戻した。
「あたしたちもごはん行こうかって言ってたから」
「俺は別に構わないけど……」
「俺? ぜぇんぜん」
「ほな、ちょいそこで待っとって。車出すから。紫乃、早よ乗り」
「あ、うん」
足を止めたままで紫乃が武藤のインスパイアに乗り込むのを見ていると、ふと前方の女の子たちがこちらを見ていることに気がついた。「関係者の関係者」と推測し、下手をすれば有名人かもしれないと思って見ているのだろうが、生憎とこちらの顔など誰も知りはしない。
和希と顔を見合わせて苦笑いをしている間に、関係者駐車場から武藤の車が出て来た。歩道を横切る状態で一時停止をしているので、手早く中に滑り込む。
……と、ぬいぐるみの山と鉢合わせた。
「……武藤くん」
「何や。無理矢理乗れ」
「タローくんが俺の進路を妨害しております」
「無理矢理乗れってば」
言われた通り和希と共に後部座席へ無理矢理乗ってドアを閉めると、自分の座る場所を確保している間に武藤が車の流れに乗った。ぬいぐるみの山に埋もれて、和希が目を白黒させている。
「凄いことになってる……」
「凄いことになってるんです。まあ、武藤くんの趣味だと思って大目に見てあげて下さい」
「俺の趣味ちゃうわッ」
運転席から、武藤の笑い混じりのクレームが返って来た。紫乃が、何も知らない和希に補足説明をする。
「あのね、じじの彼女さんがぬいぐるみ集めてるんです」
「なるほど……しっかし、凄いね、これ。4人乗りじゃないよね」
「それな、全部名前あんねん……」
武藤が和希にぬいぐるみへの彼女の愛情を説明するのを聞き流しながら、助手席で笑う紫乃の横顔をぼんやりと眺める。
今日も神崎はいない。……Opheriaのライブだろうか。
紫乃の横顔は元気がない。どう譲歩しても、元気いっぱいとは言えない。……どうしたのだろう。
「何食いたいー?」
「わかめー」
「……何食いたいか聞いて『わかめ』ってピンポイントで来る女、初めて見るわ」
「何で? わかめって髪の毛にいーんだよ」
「そう言う問題ちゃうわ。後ろのお2人さんは? 何や、後ろ暑苦しいなあ」
「それ、俺たちの責任?」
「半分はそやろ。2人ともタッパあるせいやろな」
「違うでしょ……」
母親に何かあったのだろうか。
それとも如月がどうかしたのだろうか。
別の問題?
紫乃が元気なさそうに見えると、気になって仕方がない。
「俺も和希もあんまり遅くなれないし、武藤くんも車だしってことで、ま、軽くでお願いします」
「そやな。俺も後で瞳、迎えに行かなあかんねん。六本木」
「そりゃまた面倒臭いところまで。何で六本木?」
「言うてなかったっけ? 瞳、六本木の夜のお姉さんやねん」
がつッ。
思わず頭を寄りかかっていた窓にぶつけた。
「夜のお姉さん……?」
「あ、行き過ぎんなよ? キャバや、キャバ。キャバクラで働いとんねん。そんでな、今日早番で22時頃には終わるから、俺、迎えに行く言うててん」
「なるほろ……」
一矢の知り合いにも働いている女性は何人かいるし、それと付き合っている男も何人かいる。だがまさか、武藤の彼女がそうだとは。
意外と言えば意外で、何となく武藤の懐の広さを痛感した。
水商売をするのが悪いとは無論言わない。けれど、「女性である」ことを売り物にするその商売は当然客層が男であり、サービス手段は擬似恋愛に近いものとも言える。どこまでサービスの幅を広げるかは女性に寄るが、いずれにしても男性客に「女性として」気に入られなければ商売は成り立たない。
男がどういう生き物かと言えば、気に入った女性には何らかの形で触れたくなる。金を払っていると思えば、それがえげつなくなる客もいるだろう。
よって、大抵の男性は自分の好きな相手が水商売をするのを好まない。独占欲と言う奴だ。他の男に触れられるのは、やはり嫌なのである。
――あんたもそうなわけ?
不意に、麻美の声が聞こえた。
――付き合った彼女とかに。束縛しようとか思うタイプ?
(どうだろうなぁ……)
今まで一応「彼女」と言える関係だった相手には、何ひとつ束縛と言える言動はなかったように思える。いわゆる放任主義、好きにすればと言う扱いだ。それを喜ぶ相手もいれば、不満に感じる相手もいただろうが、それが一矢の付き合い方なのだから仕方がない。逆に、こちらに干渉されるのもまた、好まなかった。
独占欲が働くほどの相手がいなかったと言うことなのだろう。
今だったら、果たして自分は、どうするのだろう。
(……面倒臭ぇ)
一瞬考えかけて、一矢はすぐにその考えを放棄した。
考えるだけ、無駄だ。
紫乃と付き合うようなことなど、恐らくは、ないのだろうから。
最初に席を立ったのは、和希だった。
21時に渋谷にある由梨亜のバイト先に辿り着きたいのだろうから、20時も残り15分と言うところで和希が帰り、続いて21時半を過ぎて武藤が帰り支度を整え始めた。
「紫乃と一矢、どないする?」
一矢にしても良い時間である。以前は仕事で度々帰らないこともあったのだから今更だろうとは言え、やはり中学生の女の子をひとりで夜中まで放っておくのは可哀想である。
このまま残れば図らずも紫乃と2人になれるのだかららっきーではあるが、生憎とそこまで外道ではない。
じゃあ解散……と言いかけて、先に紫乃が口を開いた。
「神田くん、この後何かあるの?」
「え? 俺?」
何かあるのかと聞かれれば……何もないわけだが。
「帰るだけですが」
「じゃあもうちょっと、つきあってよ」
紫乃の方から誘われるとは思ってもおらず、つい目を丸くして返答に詰まる。一矢と紫乃は居残り組と見て取った武藤が、席を立った。
「ほんなら俺、行くで。紫乃、飲み過ぎて一矢に迷惑かけたらあかんよ」
「ん。明日、10時でいんだっけ」
「おう。遅れんなよ。ほなな、一矢。たまにはお前からも連絡せぇ」
武藤が精算の立て替えを紫乃に頼んでいなくなると、一矢は改めて向かいの紫乃に顔を向けた。
「……どしたん」
「何が?」
会った時は、元気がないように見えた。
食事の間は、逆に不自然なくらいのハイテンションだった。
そして今は、落ちたテンションを悟らせまいと、無理矢理の笑顔を作っているように見える。
大好きな和希と初めてごはんを食べに来たとはしゃいだ紫乃の周辺にハートマークが乱れ飛んでいたのは確かであるが、それでも「自然とそうなっている」と言うよりは、「無理矢理いつもの自分ならやるだろうことを押し付けている」ような気がした。
残った理由は、何だろう。一矢に話したいことがあるのか、もしくは誰でも良いからひとりになりたくなかったか。
恐らく、後者だろう。
「どしたって? ……どっか、飲みに行こうよ」
武藤は車だし、和希もこの後デートを控えていると言うことで、選んだ店は飲み屋ではなく食事メインだ。「わかめが食べたい」などと言うわけのわからない紫乃の要望を満たす為に、和食総菜屋である。ビールの他に焼酎なども置いてあったが、和希と武藤に遠慮をして、一矢も紫乃も喉を潤す程度にビールをグラスに一杯もらっただけだ。
「飲みたいの?」
「ん? ……んん……」
「歯切れが悪いですなぁ……」
「んー……。……はは」
「……」
「……帰りたくない……」
元気のない、作った笑顔を張り付かせて、紫乃が少しだけ顔を俯けた。紫乃の言葉が一矢の心に動揺を誘う。
「んじゃあ軽くその辺のホテルでも」
「馬鹿。そう言う意味じゃない」
敢えて突っ込むことで虚しい期待の排除に努めておいて笑うと、煙草をくわえながら紫乃に改めて尋ねた。
「ひとりになりたくないってか」
「……」
「ライブで何かあったん? それともお家?」
紫乃と武藤が見に行っていたライブがOpheriaのものだとは、先ほど聞いた。ワンマンではなく対バンだったらしい。
一矢の問いにしばし無言でいた紫乃は、僅かに口を開きかけてから、顔を軽く横に振った。
「ううん。何も。単に飲み足りないだけ」
テーブルに頬杖をついて煙草をくわえたまま、「ほぉ〜……」と思う。そんな頼りない表情を見せておいて何を言う、である。
とは言え、本人がそう言うものをそれ以上突っ込むつもりはないのだが……。
「んじゃあさあ」
「うん?」
「……」
「……」
「……」
「……何」
「深い意味はないんで、聞くと同時にマッハで攻撃とかやめて欲しいんですけど」
「へ? な……」
「俺ん家、来る?」
口に出してみれば、さすがに少しどきっとした。
文字面をなぞれば、なかなか凄いことを言ってはいる。
案の定、紫乃はぎょっとしたように一矢を見返した。
「はあ?」
「いやだから、変な意味じゃなく。俺、今、ひとりじゃないんで」
「え? どゆこと?」
「あのねえ……帰りたくないとおっしゃられれば、お付き合いさせて戴きたいのはやまやまなんですが」
好きな女の誘いと従妹であれば、針はもちろん好きな女に傾くと言うものだ。けれど、一応こちらは成人しているのだし、親の代わりとまではいかなくとも保護者として預かっていると言う認識はある。仕事ならば仕方がないが、プライベートで放置しておくのは、やはり気が引けるのだ。
「前に、俺って従妹を預かってたの、覚えてます?」
「え? うん。中学生の女の子だっけ?」
「正解。それがね、今またおるんですわ」
「え、そうなの?」
紫乃が大きな瞳を瞬いた。
「そうなんです。なのでー、俺、今日は遅くなれんのよ」
「ああ……そうなんだ。じゃあ悪かったね。何か。いーよ、帰……」
「だから。逆に言えば今は俺ん家って2人きりにはなり得ないし、ひとりになりたくないんだったら、晴美の相手でもしてやってよ」
紫乃が驚いた顔のままで、一矢を見つめた。
「中学生の女の子の相手は、おぃさんにはしんどいですわー」
「おぃさんて……」
「ちと、電話してみる?」
尋ねながら、紫乃の返事を待たずに携帯を取り出す。自宅の番号を入力して少し待つと、やがて受話器が外れる音がした。
「はーい、神田でーす」
「だから俺ん家の電話に出るなっつーに」
「一矢くん?」
「そーです」
「じゃあ何でかけるのさー」
一矢の言動の矛盾をふてくされた声で指摘してから、晴美はころっと声のトーンを変えた。
「んで、もう帰ってくる?」
「今から帰りますが。おねーさんをひとり、連れて行って良い?」
一矢の言葉に、晴美が一瞬黙った。
「一矢くんの彼女? きゃー、えっちー」
「あほ。あんたがいたら出来ることも出来んわ」
大概、教育上良いとは言えないセリフを吐く一矢の頭を、向かいの席から紫乃がはたいた。
「友達だよ友達。家なき子」
「ありますッ」
紫乃が怒鳴るのを聞き流して、一矢は晴美に向かって続けた。
「可哀想だから、遊んであげてくらさい」
やがて通話を切った一矢は、携帯をしまいながら紫乃に改めて、言った。
「そんじゃあウチの従妹をお任せしますわ。……少しは気分転換に、なりそーでしょ」
◆ ◇ ◆
眺めていたテレビのリモコンを引き寄せ、チャンネルを変える。
どれもこれも大して興味を引かれずに結局電源を落とすと、家の中は静かだった。
紫乃は結局、晴美に懐かれて同室に泊まり込む羽目になっている。先ほどまでは微かに2人の話す声や楽しそうな晴美の笑い声がテレビ音声の合間に聞こえて来ていたが、いつの間にやら寝静まってしまったようだ。
けれど、人の気配がする。
普段は自分以外の人間のいない部屋で、静かとは言え他人の気配を複数感じるのは、何か奇妙ではあった。
そのまま無言で、開け放したブラインドの向こうに沈む渋谷の街に目を向ける。
晴美がこの窓から見える景色が好きなので、晴美がいる間はブラインドを下ろすことが出来なかった。どこからか覗かれるような高さでもないので、大人しく指示に従っている。