第14話(4)
少し迷って、尋ねてみる。
「広瀬サンの調子はどうですか」
「ヒロセサンノチョウシ? ああ、紫乃か」
一矢の問いに、武藤はいささか複雑な表情を浮かべて小さくため息をついた。
「どやろな。あんま、良うないかも」
「何で」
「やっぱ家のことが気になっとんのとちゃうん?」
「お母様?」
レジの方へ足を向けながら問い返す一矢に、一緒になってついて来ながら武藤が一瞬言葉に詰まった。
「……何や。知っとったんかい」
「まあ……先日伺いまして」
「そか。ま、そうやろな。あんまし、良くないんちゃう?」
「……ふうん」
「あと、しょーもないこと、悩んでんねやな」
「……」
敢えて追及するのを避けて、一矢は口を噤んだ。
恐らくは、先日紫乃自身が言っていた、「自分はエゴイストだ」と言うようなことを、まだ気にしているのだろう。
そう考えて、小さくため息をつく。
と、途中で新発売のDVDに引っ掛かって足を止めた武藤がふと、付け足した。
「紫乃も来んで。じき」
「は?」
つられて足を止める。武藤はDVDのパッケージを引っ張り出しながら、続けた。
「今、そこのコンビニに寄ってんねん。神崎と。買い物終わったらすぐ来るやろ」
「……」
神崎も一緒なのか、とため息をつきたくなる自分の頬を、軽く叩いた。メンバーなのだからいて当然だし、「寄りを戻せば良い」と思うのならば尚のこと気にしても仕方がないだろう。
「神田くーん、レジお願いー」
「はーい」
呼ばれて再び歩き出すと、数人、客が並んでいるのが見えた。レジのひとつには、市原と言う少々無口な男が入っている。
「ほんじゃね」
「適当にその辺見とるわ」
武藤をその場に残し、レジへ戻る。市原がレンタルの方をさばいているので、セルのレジの方に足を向けて客の対応に努めた。
接客業は、嫌いではない。ひとりきりで黙々と何かの作業をしているよりは、ずっと気が晴れる。
「……ありがとぉございました〜」
なぜかレジと言うのは、波があるよう思う。店内をうろうろしている人間がばらばらにレジにくれば並ぶ必要もないはずなのだが、来ない時には誰も来なくて、それまでうろうろしていた人間が示し合わせたようにまとまってレジに来るのだ。
一通り客がはけたと思っていると、ちょうど自動ドアが開いて新しい客が入って来た。何気なく顔を上げる。
「いらっしゃ……って、ハセくん」
「おー。まじで働いてるよ」
「はぁ?」
クラブ仲間の長谷川だ。
先日麻布のクラブで置き去りにしてきたきりである。長谷川と一緒に入って来たのは、あの時遅れてくるはずだった渡部と言う男と久美と言う女性だった。
「一矢ぁ、久しぶりぃ」
「おぉ、久美ちゃん。渡部くんも。どしたん、揃って」
「一矢がここで働いてるのを見かけたって話を聞いて、覗きに来た」
「はぁ〜? 覗きに来るほど珍しいことしてないし」
「働いてるだけで珍しいって」
長谷川の言葉に、久美が声を上げて笑った。
「何だよ、もうクラブ来ねぇの?」
「そういうわけじゃないけど。うーん、でも減るでしょうなあ」
「つまんねーじゃん、来いよ。千佳がぼやいてたぞ」
レジカウンターに寄りかかりながら、そこに平積みしてある新譜を無意味に指先で弄んで、長谷川が笑った。
「千佳ちゃんが?」
「たまには一矢がいないと体が夜泣きするって」
べたっとレジカウンターに縋りつく。
「ハセくん……」
「うん?」
「俺、勤務中なの。少し言葉を選んで下さいます?」
「おぉ〜悪ぃ悪ぃ〜。んじゃまあ千佳に『ベッドの魔術師は休業中』って言っとくわ」
「言っとかんでえぇわ」
そんなあだ名は初めて聞いたぞ、と頭を抱えていると、長谷川たちの後ろに客の姿があることに気がついた。一矢がレジの中にいるので、市原はレジを離れて店内を歩いている。
「……と、ごめん、ハセくん。すみません、こちらのレジどぉ……」
ぞ……と言いかけて、言葉を飲み込んだ。しらっとした顔で、手にしたCDを顎に押し付けているのは神崎だった。
「あれ……お疲れさま」
「お疲れ」
「いついらしたんですか」
先日紫乃の家の前で遭遇してしまったので、何となく一方的に気まずい。
そう思いながら隣のレジへ向かって神崎からCDを受け取ると、神崎はしらっとした表情のまま、レジを離れていく長谷川たちを見送った。
「今さっき。……ふうん」
「何でしょう」
「別に」
「2500円です」
一矢の言葉に、神崎が千円札を3枚取り出した。キャッシャーから500円のつり銭を取り出すと、それを受け取りながら神崎がぼそりと言った。
「『ベッドの魔術師』ねえ……」
「あいてッ」
思い切りレジカウンターに膝をぶつけて、呻く。そこへひょこんと、これまたいつ来たのやら、紫乃が顔を覗かせた。
「おつー。……何苦しんでんの」
「……おつ……何でも……」
「こんなとこで働いてていーの」
「は?」
打った膝をさすりながら顔を上げると、神崎が無表情のままで続けた。
「『チカチャン』が『夜泣き』すんじゃん?」
ガタンッ。
「……神田くん。さっきから何してんの」
「別に……」
レジの下の棚からコインカウンターを叩き落した一矢に、紫乃が呆れたような声を投げた。憮然とそれに答えながら、神崎を思わず睨む。
「何? 『チカチャン』が『夜泣き』って」
「さっき……」
「どうもありがとうございましたッッッ」
何やら神崎が余計なことを口走りそうなので、思い切りでかい声で遮りながら、まだカウンターの上に置きっ放しのCDを神崎の前に突き出す。一矢の様子に紫乃は目を白黒させ、神崎は言葉を飲み込んだままCDの入った袋を受け取った。涼しい顔で一矢を見返す。
(このやろ〜……)
神崎は、一矢をライバルと定めたのだろう、恐らく。
「あ、カンちゃん、何買ったの?」
どうせここで遮ったところで、店から出てしまえば神崎が紫乃に余分なことを言うのを止めることは出来ない。妙な誤解が生じたらどうしてくれる、である。いや、誤解だと胸を張って言えない辺りが苦しいところではあるが。
「え? お前、さっき聴きたいって言ってたじゃん」
「あ、嘘ー。買ってくれたんだー。じじの車ん中で聴こうよ」
あっさりと話が逸れたことにほっとしていると、紫乃が無邪気な顔で一矢を見上げた。
「偉いねー。ちゃんと働くことにしたんだ」
「そこを偉いと褒められると、今までの俺がゴミ人間みたいなんですが」
「うーん、ニア? だらだら人間?」
「るさい」
けらけらと笑う紫乃に言い返している間に、神崎がふいっとカウンターを離れる。
「あれ。カンちゃん、もう行くの?」
「うん。武藤の車に乗ってる。……んじゃあな、『ベッドの魔術師』」
「どおおおおおもッッッ」
「『チカチャン』によろしく」
「はいはい、いつかねッッッ」
こちらに背中を向けてひらひらと片手を振りながら店を出て行く神崎の背中に、引きつった笑顔で怒鳴り返すと、紫乃が目を瞬いた。
「『マジシャン』? 『チカチャン』て? さっきも言ってたけど」
「別に」
(……のやろぉ〜……)
先日まで「神崎と寄りを戻せば一番紫乃の為なんじゃないか」と思っていた自分が馬鹿みたいである。
紫乃が神崎と寄りなど戻したら、癪に障って仕方がないではないか。
神崎が、一矢を敵視したのは明らかだろう。先日紫乃の家の前で遭遇したせいか、紫乃から何かを漏れ聞いたのかは知らないが、誰にでもあんな態度を取っているとすれば性格が悪いとしか思えない。一矢だからと言うことなのであれば、紫乃の中での評価を下げる為の言動――それ以外に、心当たりがない。
「あ、そうだ」
「紫乃〜。神崎、もう車乗ってんで〜」
「わかってるー。今行くー」
「ほなな、一矢。頑張れぇ」
まだ店内をうろうろしていたらしい武藤が紫乃の後ろを通過して店を出て行くと、紫乃は改めて一矢に向き直って、カウンターに身を乗り出した。
「今度さ、その、バーの方にも遊びに行って良い?」
「え? 俺がメシ作ってるトコ?」
「うん。じじが場所、知ってるんでしょ?」
「知ってるよ。……良い、けど」
「ぅわ〜い」
一矢の返事に、紫乃がまた無邪気な笑顔を覗かせる。素直な笑みに、どきりとした。
「神田くんの手料理食べに行こう〜っと」
「何か変じゃないですか、それ」
「だってじじが、うまいって言ってたもん」
「ああ、そう……」
答えながら、少し、照れ臭い。
はしゃぐ姿が可愛らしく、一矢の働く店に遊びに来たいと言ってくれる気持ちが嬉しかった。
特別ではなくとも、少しずつ……距離が縮まっているような気が、してしまう。
「んじゃあ倍払い……はやめて、奢ってやるよ」
「ホント? やった、行こ、絶対行こ」
「凄ぇヨコシマな感じ」
「タダメシは主要アイテム」
びしっと人差し指を一矢に突きつけて、紫乃はカウンターから離れるように身を翻した。
「じゃあね、またね」
「うん。……待ってるよ」
笑顔を残して紫乃が店を出て行くと、何となく両手を握って小さく「よっしゃ」と呟く。
神崎が、一矢に対して、少し攻撃的になっていることは何となくわかった。
さっきの態度が神崎の意思表示なのだとすれば、こちらが2人の復縁を祈ってやるなど、馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
――前言撤回だ。
誰が紫乃と神崎の応援など、してやるものか。