第14話(3)
「おつー」
無意味に携帯を睨み付けながら自分に言い聞かせていると、一矢が店に入ってくるのが見えた。窓際の京子を見つけて、ひらひらと片手を振りながらこちらへ向かって来る。
「あ、俺ブレンド」
「かしこまりました」
通過途中にオーダーを済ませて間近まで来た一矢は、京子にそつない笑みを浮かべたままで向かいの席に腰を下ろした。
「すっげぇつまんないこと言って良い?」
座るなり、一矢が笑う。
何から口にしようか迷っていた京子は、きょとんと目を見開いて頷いた。
「何?」
「ラジオゲストやってる俺より、明らかに京子の方が『芸能人』だった」
「ええ?」
「なんて思ったら、収録中からおかしくて」
くすくす笑う一矢に、京子は意味がわからずに首を傾げた。
「え? どういうこと?」
「いやいや……オーラってあるんですな……」
「オーラ?」
「だって京子、ああして他の人と比べると、明らかに目立つんだもん」
「え、え? ど、どこか変?」
当然だが、京子には自分を客観視する機会などない。思わずおろおろしていると、運ばれて来たブレンドのカップを受け取りながら、一矢がまた笑った。
「とゆー話ではなく。何だろ。ハクがある、んだろな、多分」
「そう?」
「うん。俺は非の打ち所のない一般人なので」
「……わたしだって、大して変わらないと思うけど」
「んなことないよ。華あるんだなー、やっぱし。見直しました」
華がある――そう言われれば、嬉しくないはずもない。少なくとも、連れて歩くのが迷惑と言うことにはならないだろう。そう思えば、安心する。
「そんなこと、ないけど……」
「いやいや。ところで、どしたん?」
「え?」
「見に来たってわけじゃないっしょ?」
そう聞かれると、「見に来た」と言い難いではないか。
「えぇと、事務所を移るって話、あったでしょ?」
「ああ。うん」
「その事務所がね、近くにあって。……それで」
「へー。そうなんだ。行って来たの?」
「うん」
「どんなトコだった? ……って、京子、この後仕事は? 俺、何も考えずに待たせちゃったけど」
砂糖もミルクも入れずに無意味にブレンドをスプーンでぐるぐると掻き混ぜていた一矢は、今頃気がついたように目を丸くした。その表情が可愛く見えて、小さく吹き出す。
「おしまい。Opheriaの仕事は、減ってるんだもの」
「ふうん。じゃあ良かったって言うわけにもいかんなあ……」
「ううん。良いの」
そこからしばらくは、他愛のない話をする。
先日などは少しぎこちなさがあったような気もするが、今日はそんな空気を感じずに済むことに、京子は安堵していた。
何とか、疎遠にならずに済みそうである。
「……そんで、必ず風呂入る時に『おえ〜ッ』って響くのってすっげえ怖くない?」
「怖い。何してるの?歯磨き?」
「まだ確認出来てません。最初は『おいおい、ここのおっさん死んじゃうんじゃないの?』って思ってたんだけど、人間って慣れるもんのようです」
「慣れちゃった?」
「慣れちゃった。その声を聞くと、『ああ、今日も元気に風呂入ってんだな、生きてんだな、今23時なんだな』って思う。そこで俺は彼の生存と時間を確認する」
「あははは。変だよそれ〜」
「そして、『ああ、俺は家に帰って来たんだな』と思う」
「その声を聞くと落ち着くんだ」
「落ち着くと言うか落ち着かないと言うか……。大体、廊下に響き渡るってどんだけの声量だよって気が……。癖なんだろうなあ、あれ。京子の癖って何?」
「え? わたし?」
「じゃんけんする時って何から出す?」
「ええ? えーと、パーかな……」
「そゆのも意外と癖だよね。京子の近所とか、変な人住んでない? 今のところって昔から住んでるんだっけ?」
「うん。そう」
「実家? いくつから住んでるの?」
こうして話していると、一矢はやはり女性慣れしているのだろうなと言う気がしみじみとする。
つくづくと女性サイドに余計な気を使わせないのだ。京子のように何を話題にすれば良いか困ってしまう人間相手にも、一方的に一矢が何かを話し続けるのではなく、必ず京子から何かを引き出す。さりげない質問から始まって、笑いを絡めながらそれを何気なく広げていく手腕に長けているのだろうと思う。
「……それでそういうの、聴くようになって……あ、そうだ」
一矢に引き出されるままに話をしていた京子は、ふと思い出してバッグを漁った。手帳の間に挟んでおいた雑誌の切れ端を取り出して、テーブルに広げる。
「ん? 何?」
「あのね……一矢が、こういうの、好きかなあって思って取っておいたの」
「?」
日本のメジャーバンドのドラマーと、アメリカのドラマーが招待されて開催されるセミナーのようなものの告知だった。
なぜそんなものを取っておいたのかと言うと、先日一矢の部屋に行った時に揃っていたCDのバンドのドラマーが、招待されている人物だったからである。
京子は、元々それほど音楽に精通しているわけではない。一矢の部屋にあったCDも大半は知らないもので、後になって、一矢の好きなものなのなら調べてみようと思い立って調べている間に、偶然わかったことだ。
「あ。え? 来日するんだ」
「うん……あんまり良くわからないんだけど、バンドで来るんじゃなくて、この人だけで来るみたい」
「凄ぇ、これ、キャパ2,500とかなんですけど」
「セミナーみたいな感じらしいから……武道館とかだと多分、意味がわからないからじゃないかなあ」
「……おっしゃる通り。まあでもバンドで来るわけじゃないんなら、コアな奴しか来ないもんな。でも……」
目を丸くして告知に視線を落としていた一矢が、そのまま視線を京子に向けた。
「何で、これ? 俺がこの人好きだって、良くわかりましたな……」
「う、うん……あの、部屋にCDがたくさんあったから。そうなのかなあって……思って」
と言っても、後で改めて調べなければバンド名とこのドラマーとが結びつくことはなかっただろう。そこを突っ込まれると少し恥ずかしい気がしたのだが、一矢は素直に「へえ〜」と破顔して、再び紙に視線を落とした。
「うん。好き。へえ、こんなのやってんだ。行けんのかな」
「良かったらわたし、申し込んでおこうか?」
「まじで? 頼んでも良いの?」
「うん」
いつも見せる姿より、完全に無防備で無邪気に見える姿が嬉しかった。調べてみて良かった、と京子も嬉しくなる。
「この人のドラム、かっこいいの?」
「かっこいーよー。あ、そうか。この前ってこれ、かけてないんだよね。今度貸そうか?……って、貸されても困るか」
「ううん。聴いてみたい。CD、買ってみようかなって思ったままになってるの」
「んじゃあ今度貸してあげます。まじで行きてーなー、これ。こんな間近で見れる機会ってそうそうないもんなあ」
「まだ申込開始してないから、きっと大丈夫だよ。取れたら、すぐ連絡するね」
「宜しくお願いします」
普段の姿は、優しく見えても、どことなく壁を感じる。
誰に対してもきっと、同じだけの笑顔を同じだけの優しさで向けて見せるのだという気がする。
けれど、今見せているどこか子供のような姿は、なかなか見られないもののようなに思えた。好きなものについて話している、素直な笑顔のような気がした。
それは、京子に対する何らかの感情ではないことはわかっている。
わかっては、いるけれど。
「じゃあ、楽しみに待っててね」
けれどこれは、確実に、次の約束へと繋がっていくだろう。
◆ ◇ ◆
相手の好みをリサーチして、それについて調べることは、正攻法として基本中の基本である。
話題として振れば相手は当然喜ぶし、自分の好きなことについてなら人は喜んで話すものだ。そうして話していれば楽しいのはもちろんだし、楽しい時間を過ごしたと言う印象は、話し相手への好印象へと自動的に繋がるものである。
ストレートな戦略としてはかなり効果的な手段であり、一矢自身も良く使う手段である。
が。
(なるほどなぁ……)
その定義は事実であるらしいと言うことを、身をもって知った。
恐らく京子自身には、そこまで姑息な意図はなかったろうと思う。
であれば尚のこと、「素直に一矢が好きなものに興味を持った」のならば、一層嬉しく感じてしまうではないか。そういう気持ちを可愛いと感じてしまう自分に、頭痛を覚える。
「神田くん、これ、あっちの棚に戻してもらえる?」
「はいはーい……」
店長の奈良木にビデオテープのごっそり入った大きなカゴを渡され、一矢はため息混じりに立ち上がった。
何をしているかと言うと、アルバイトである。
この度、めでたく『真っ当にアルバイト』を開始することに決めた。
いずれにしても、このまま父親からの支援が続くわけではないし、音楽だけで一本立ちなど早々出来るものでもないし、だらだら生きていく生活に終止符を打とうとの決意である。
始めたバイトは、渋谷にある小規模なレンタルビデオショップだった。以前に比べてレンタル店は苦しい状況に追い込まれているが、DVDのレンタルやCDのセル、ゲームソフトの中古販売などを並行することによって、一部ではまだ辛うじて頑張っている。
「おー。働いとんなぁ」
一矢がアルバイトを見つけるにあたっての最大の功労者の声が、背後から聞こえた。返却されて来たテープを棚に戻していた一矢が振り返ると、案の定、そこにいたのは武藤だった。
「おつ」
「どや、調子は」
「何の?」
「ここのオシゴト」
「まぁ、良いんでないですか。エロビデオも気兼ねなく借り放題ってことで」
再び棚に向き直って、腕に抱えたビデオやDVDを戻しながらあっさり答えると、武藤がけたけたと笑った。
武藤はつい先日まで、この店でバイトをしていたらしい。D.N.A.のファーストシングルが思いがけず売上を伸ばしているので、とりあえずのところはバイトをやめて、そっちに気合を入れる為に辞めたと言う。その後釜として同じ事務所の一矢が入る辺り、何やら虚しいものを感じないでもない。
「ええな。お前タッパあるから上の方の棚もそんな苦にならんやん。……深夜なら時給も結構悪くないやろ」
「そうれすね。ウチのヴォーカルも深夜はちょこちょこバイトしてるし、夜間に働けるのは助かりますわ」
「そんな忙しないしな。……あ、それ、そっちちゃうで。こっちや。こっちの棚……ほら、あっこ」
「え? ああ」
「おーい、武藤ー」
一矢の背後でくだを撒いている武藤に気づいたらしい奈良木が、レジカウンターから武藤を呼んだ。軽く肩を竦めて、振り返る。
「おつかれっすー」
「何邪魔してんだ。暇なら手伝ってけよ」
「いやぁ、忙しい」
「嘘つけ。お前んトコのCD、撤収するぞ」
「あ、何てことを。平積みにしといてや。セルで」
一通り返却物を棚に戻し終えると、武藤を見下ろして一矢は首を傾げた。
「そんでおにーさんは何しに来たの? 手伝いに来たの? エロビデオ借りに来たの?」
「一矢の様子を見に来たんやん。どうせスタジオからの帰りやねん」
「あ、そう」
スタジオからの帰り……では、紫乃もいたのだろう。




