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In The Mirror  作者: 市尾弘那
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第13話(5)

「勝手な奴……」

「何でッ」

「だってそれって、『良いことは自分の努力、悪いことは何かのせい』みたいに聞こえますが」

「でもそう思っときゃ努力しがいもあるってもんじゃん」

 紫乃はなぜだか威張るように座ったまま両手を腰に当てて、それから改めて煙草のパッケージから煙草を1本抜き出した。

「頑張れば良いことに繋がんの。絶対、そうなの。だから神田くんはきっと頑張ったんだなあって思ったの」

「……そりゃどうも」

「はっきり言って、逆境じゃん?そゆの。……あたし、遠慮なく言い過ぎ?」

「別に。お構いなく」

「逆境ん中で、頑張って夢掴むのって、何かちょっとかっこいいじゃん?」

 火をつけた煙草を指に挟んでテーブルに肘をつきながら、紫乃がこっちを見てにこっと笑った。その言葉と笑顔に、少し、どきっとした。

 咄嗟に言葉の出ない一矢に構わず、紫乃が「それに」と続ける。

「さっきの言葉、結構好き」

「は?」

「『誰にだって事情がある』『ただ、それが俺の環境』」

「……好きと言われる意味がわかりません」

「だって、周囲と違うトコがあると、悲劇のヒロインになりたがるじゃない」

 ふうっと煙を吐きながら、紫乃が微かに目を伏せた。テーブルに対して半ば横向きのように肘をつきながら、首を傾げる。

「俺は男なのでヒロインにはなれませんわ〜ん」

「そうだけど。自分が一番不幸な気がしちゃったりするじゃん」

「……まあね」

「だけど、実は結構みんないろいろ大変だったりするんだろうし、そんなのわかんないじゃん。……何か、そゆのなしに、ドライに自分の現実って言い切っちゃう辺りがさ」

「はあ」

「ちょっとだけ、かっこいいぜ♪」

 冗談めかして言った紫乃が、目を細めた。

 照れ臭い。実際のところ、浮いたり沈んだりもするし、他人を羨ましく思うことはある。卑屈になりもする。家庭環境については今は大して考えることはないが、それでも悩みはしたし、傷つきもした。いや、恐らくは未だに巣食う傷のひとつだ。だからこそ愛情に飢えるのだろうし、人が怖いくせに人のそばにいたいのだろう。歪んでいる自分の傷……それは確かにあるけれど、けれどそれをひけらかすことも、そこに甘えることも、したくはない。

 誰しも悩みはあるのだし、大変なのは別に、自分だけではないのだから。

 そうした中で自分が導き出してきた答えのひとつを、紫乃がそう言ってくれるのならば。

「……俺に惚れんなよ」

 もがいてでも生きてきた意味があるだろうか。

 生きる意味を求めて何とか歩いてきた甲斐が、あるだろうか。

 照れ隠しに、誤魔化すようにへろっと舌を出すと、紫乃が吹き出して舌を出し返した。

「惚れねーよ」

 一矢の気持ちを知っているくせに、あっさりと言ってくれる。それが却って、楽でもある。

「何だよ、惚れとけよ、ついでだから」

「ついでって何」

「褒めついで」

「それで惚れてちゃきりがない。……あーッ。ビールないじゃん」

「今頃気づいたの?」

「おかわり」

「まだ飲むのかよ……」

 煙草を咥えて火をつける一矢と入れ違うように灰皿に吸っていた煙草を押し付けた紫乃は、通りすがりの店員に片手を振り上げた。

「すみませぇんッ。ビール、2つッ」

「はーいッ。ありがとうございまーすッ」

「お願いしますー」

「……何勝手に俺の分まで頼んでんだよ」

 小さな小さなクレームに、紫乃がブイサインのように指を2本立てた片手を突き出した。

「まだ2杯。宵の口」

「あんた、酔ったらタチ悪そう」

「愚痴でも何でも聞いてくれんでしょ?」

 誘った時の一矢の言葉を突きつけられて、うっと言葉に詰まる。それは確かに言ったが、どこまでも飲んでやると言った覚えはないのだが……。

 反論を口にする前に、紫乃がブイサインをしたままで、にこっと笑って覗き込むように顔を上げた。

「2杯程度で白旗なんか、上げさせないよ」


          ◆ ◇ ◆


「……ら、ら、ら〜……きょお〜の、あ、な〜たのぉ……」

「うるせぇ、酔っ払い」

 少し前を機嫌良さそうに歩く紫乃が、ややふらつく足取りで小さく鼻歌のようにD.N.A.の曲を口ずさんでいる。仮にもプロのヴォーカリストが自分のオリジナル曲を歌っているのだからありがたいのかもしれないが、こうもただの酔っ払いではありがたみに欠ける。

 結局、調子の上がってきた紫乃にそれこそ付き合わされるように、気がつけばビールをジョッキで8杯もあけてしまった。紫乃は6杯だっただろうか。さすがに、自分も紫乃も、酔っている。

 今日は紫乃は、途中で寝るようなことはなかった。いる人間が2人しかいないせいもあるかもしれない。その為か、前に武藤が言っていたように「寝て、起きたらリセット」と言う状態にはならず、つまりリセットされていない。

「あ〜。楽しかったあ」

「……そう?」

 答えながら、余り紫乃に近付くのはやめておこう、と思う。少々理性の緩い今、紫乃に何らかの真似をしたくならないとは言えない。

 5時間も居座ったおでん屋をようやく出て、2人が向かっているのは、駅ではない。紫乃が「お散歩をする」と言い張るので、頼りない足取りでふらふらと、昼間撮影をしていた中央公園の方まで戻って来てしまっている。同じように「散歩しよう」と言った京子とは、先日手を繋いで歩いたことを思い出した。何に対してだか、少し後ろめたい気分がする。

「じゃあ、またそのうち、お誘いしても良いですか」

 少し前を歩く紫乃が、一矢の言葉に黙る。ゆっくりとその背中について歩きながら答えを待っていると、紫乃が前を向いたままで、答えを逸らした。

「神田くんさあ」

「はい」

「あのさあ」

「はいはい」

「……京子ちゃんと、何が、あったの?」

「……」

 思わず足を止める。

 その気配に気づいたように、紫乃も振り返って足を止めた。酔っている紫乃の、どこかぼやっとしたような顔つきでは、その胸中の本当のところは何も読めない。

「……何って?」

「泣かせたんでしょ?」

「……」

 無言で視線を逸らし、再び足を動かす一矢に、紫乃が勝手に目を丸くした。

「あ、えっちなことしちゃったんだ」

「してねー」

 ばすっと通りすがりにその頭を叩く。紫乃がぶたれたところを押さえながら、恨みがましい目で睨んで追いかけて来た。

「だってじゃあ、何で『あんな時間に』『神田くんの部屋から』泣いて帰ったのさ〜」

「言ったろ。嫌われようと思ったんだって。嫌われるように仕向けたら、泣いちゃった」

「……」

「それに……」

 真っ直ぐ歩いて来た2人は、横断歩道で足を止めた。いつも思うが、この辺りは人気も車通りも余りない。同じ新宿でも、東側とは偉い違いである。通過する車のない道路で虚しく信号待ちをしながら、隣に並んだ紫乃を見下ろす。

「あんたのことが好きなのに、あんたの友達にそういう真似が出来るほど、神経太くない」

「……」

「どうせするなら無関係の人にしとく」

 一矢の言葉に紫乃が一瞬深刻な顔をして見上げたので、おどけるように付け足すと、紫乃が背中を殴った。

「不誠実」

「どうせね。だからあんたにも俺のことをオススメしてはおらんでしょ」

 歩行者の信号が、青に変わる。どこに向かっているのだか良くわからないが、とりあえずそれを渡って歩き出しながら言うと、紫乃が複雑な目つきをした。

「答えはいらないって言われたから、あたし、答えを用意してないよ」

「いーですよ。言ったじゃん。考えなくて良いって」

「難しい、神田くんの言ってること」

「そう?何で?」

「だって……」

 複雑なままの沈黙を挟んで、紫乃が言葉を続けた。

「だって、あたしなら、好きだったら答えが欲しくなる」

「……」

「それで、振られちゃったけど」

「今はさあ」

 少し歩くと、また信号にぶつかった。この信号を越えると、中央公園だ。赤信号に再度足を止めて、紫乃の手を繋ぎたくなる自分を抑える為に、ジャケットのポケットに両手を突っ込んだ。

「こうして話してられたら、それでいーんだ、俺」

「……」

「たまにこうやってメシでも付き合ってくれれば。それは別に、友達としてで良くって、単に俺があんたに会いたいのもあるだろうけど、あんたにとってストレスのハケ口のひとつにでもなれりゃいーかなって思ってるだけで」

「……」

「さっき、楽しいって言ってくれたじゃん?」

 中央公園を囲うように植えられている木がさわさわと枝を揺らすのに目を細めていた一矢は、そこで紫乃を見下ろした。紫乃はまだ、複雑な顔で一矢を見上げている。

「うん」

「だったら、それってちょっとはお役立ちでしょ?」

「うん……」

「そしたらそれで良い。……ま、『少なくとも今んトコは』って注釈はつけさせてもらうけど」

 その言葉に、紫乃が「うッ」と言葉に詰まるように、どこか困るように、目を丸くして口をへの字にした。意地悪く笑いを落とす。

「俺もいつまでじぇんとるめ〜んでいられるかしらね〜」

「……『メン』って複数形じゃないの」

「そこ突っ込むところじゃない」

 青に変わった信号を渡る。中央公園に入ったところで、そこに住んでおられるたくさんの方々の安眠を妨げることになりそうなので、何となく左に道を折れながら、今の笑いを飲み込んで、真面目に続けた。

「でも俺、あんたに警戒されたり、悩まれたりする方が、嫌なんだ。俺にとっては、あんたが如月さんのこととかお母様のこととか、そういう悩みから脱してくれる方が重要で」

「……」

「泣かないでくれる方が、しっかり食って寝てくれる方が、大事なことで」

 そこまで言って、「今日は良く食ってたな」と苦笑した。紫乃が唇を尖らせる。

「おいしかったんだもん」

「そゆ方が良い。だけど、我慢して言えないで家でひとりで泣かれるともっと嫌だから、俺で聞けることなら何でも聞いてやりたいと思ってる。……如月さんのことを、好きな気持ちについてでも」

 一矢のことは、その後で良い。何より一矢自身がまだ、どうしたいのか良くわかっていないのだから。

 ただ、紫乃に気持ちをさっさと伝えたのは、こういうことを全て婉曲せずに直接的に伝えることが出来るからだ。――「会いたい」「話したい」と思う気持ちも含めて。隠していないのだから、誤魔化す必要も理由を用意する必然もない。

 好きだから――それが、一矢から紫乃へのアクションの全ての理由になる。

「ま、俺のことで悩ませたくなったら、その時そう言うよ」

「悩ませたくなったらって、何か凄く嫌だ」

「……そうねえ。何かアナタを悩ませることが目的にあるみたいねえ」

「だしょ?それって、どうよ?」

 相手によっては、ぎこちなくなってもおかしくない会話……けれど、それさえも含めてこうして本音で話すことが出来るのが、不思議な気がする。

 中央公園沿いに都庁方面へとゆっくり歩きながら、一矢はふと、紫乃へひとつ謝罪と弁明をしなければならないことに気がついた。

「広瀬サン」

「何?」

「あんたさ……俺のこと、まだ、怒ってる?」

「……」

 なし崩しに、紫乃に一矢が引っ叩かれたことが、曖昧に磨耗しようとしている。なし崩しているのは概ね一矢の態度が原因だろうが、表面に出て来ないだけでそれがずっと彼女の中で引っ掛かっているのだとすれば、それはやはり、一矢にとっても気掛かりとなる。

 尋ねた一矢の言葉に、紫乃は吐息と共に小さな返事を返した。

「わかんない」

「悪かったよ」

「……」

「京子に対して」

 紫乃が無言で一矢を見上げた。

「あんたに言って良い言葉じゃなかったことは、わかってる。京子に対して失礼だってこともわかってる」

「……」

「だけど、あんたに京子のことをあれこれ言われるのが、嫌だった」

「……」

「だから喧嘩腰になった。……ごめん」

 足を止めて、紫乃を見下ろす。紫乃も無言で、一矢を見返していた。それからややして視線を逸らすと、再びゆっくり歩き出す。

「本気じゃ、なかった?」

「え?」

「『泣いたって知ったことじゃない』って。……本音じゃなかった?」

 そう問われると、わからない。京子の気持ち自体を、気づいてはいたものの大したものじゃないと思っていた。その頃と言う話で言えば、それで泣いたところでたかが知れているだろうと言う気がしていたのも、事実だ。泣くことで、目が覚めればそれに越したことはないだろうと。

 けれど、今は……もっと、もう少し、京子の気持ちを切実なものとして受け止め始めている今としては――……。

―― 一矢が、好きだから

(……)

「……泣かれるのは、嫌だな……」

 もしも本当に、それほどに切実に想ってくれているのだとすれば……。

 京子を傷つけた時にはきっと、あの夜以上の自己嫌悪が跳ね返ることだろう。

「そう……」

 それぞれが、それぞれの考えに沈む中、ぽつんと答えた紫乃の気持ちまでは、感じ取ることが出来なかった。











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