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In The Mirror  作者: 市尾弘那
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第13話(4)

 普段、女の子を連れて行くような、いわゆる『雰囲気の良いお洒落な店』は、意図して除外する。デートで行くような店に紫乃と行くのが、何か抵抗がある。紫乃に、警戒して欲しくない。紫乃のことが好きだから会いたいのはそうなのだが、そこに重きを置くつもりはない。彼女の話を聞いてやれれば良いと思っているだけなのだから、ニュアンスが変わってしまう店は選べない。

「神田くん?」

「……ただいま店を選定中」

 しかしながら、基本的に『女の子を口説き落とす』方向で押さえている店ばかりが胸のリストに上がる。そうでなければ居酒屋になってしまう。幾らなんでも、それは一矢が少し嫌だ。中途半端な店はないものか。

(あ、あった)

 一軒だけ、何とか一矢の要望にそぐいそうな店を記憶の中から発見して、一矢は一瞬足を止めそうになった。

「選定終了」

「お疲れ様」

「今どの辺?」

 新宿駅南口を通過して西新宿の方向へ横断歩道を渡りながら、尋ねる。紫乃の答えた辺りを頭に描いて、再び口を開いた。

「そんじゃあ、そこから郵便局の方向かって」

「郵便局?ああ……うん」

「んでー、その辺いて」

「はーい。何かあの辺、良い店あるの?」

「おでんとか好き?」

「大好き」

「んじゃそれで。安心なさって下さい。別にガード下の屋台に連れて行こうってわけじゃないから」

 それはそれでも良いけどさ……と言う紫乃に笑いながら、一度通話を切る。西新宿にある一矢の知っているおでん屋は、何気にお洒落な店である。ではあるが、昔の民家をイメージした、囲炉裏などのある席も用意されており、どことなく気さくでもある。味は、かなり良い。女性同士の客などにも人気の高い店だが、密かに値段がそこそこ良かったりもすることと見つけにくい場所にあるので、混み合って待たされたと言う経験もない。

 少々懐が痛むが……虚しい目的で通りすがりの女の子に奢ってやるより、遥かに有意義と言えるだろう。

 紫乃に指示した方向へ自分も向かいながら、頭の中で続けて別の店を探し始める。万が一入れなかった場合に備えて、次の店のスタンバイくらいはしておかなければならないのである。全く、身についた習性とは恐ろしい。

「お疲れッ」

 ややして、進行方向の先に紫乃の姿を見つけた。ほぼ同時に紫乃もこちらに気がつく。ひらひらと片手を振る紫乃の姿に、優しい気持ちになっていく自分を感じた。会えるだけで嬉しいなど、一体いつぶりの感情なのだろう。

「お疲れ。そっち」

 そんな自分をどう扱って良いかわからず、なぜか紫乃に対してぞんざいな態度になる。とは言え、今更とも言えるから、紫乃は何も気にしないように「ん」と頷いてそれに従った。

「腹減ってる?」

「減ってる」

「そりゃあ良うございました……。混んでねーといーんだけどな」

「混んでるお店?」

「場合もある。……と、平気そうか?」

 そっけない石造りの階段を降りて、やや入り組んだドアを開ける。中を覗くと席に空きはありそうで、ちょうどレジの中にいた店員が顔を上げた。

「いらっしゃいませー。お席ございますよー」

「2名」

「はーい。2名様、ご来店でーす」

 とりあえず店員に案内されて、囲炉裏間近の座敷テーブルに腰を落ち着ける。店の中は程よく暗さがあり、明るめのオレンジ色の間接照明がぽつぽつと壁や床に見受けられる。雰囲気はもちろん悪くはないが、通路に俵が積んであったり、巨大な木桶のオブジェがあったりと、くだけた空気もかもし出している。これならば「いかにも口説こうとしています」と言う警戒を呼び起こさずに済むだろうし、隣のテーブルが会社員らしき風情の男性2人組みと言うのも無難な感じだった。カップルよりは、わりと同性同士の姿が多い店でもある。

「あ、何かあったかい感じ、このお店」

「お気に召しましたでしょうか」

「こういうとこに女の子を連れ込むわけだ」

「連れ込むってちょっと違くないかい……。残念ながらここは、基本的には男同士で飲みに来る」

「えッ?そうなのッ?……ちょっと待って。何かあたし、突っ込みたい、今」

「どうぞ」

「あたしの性別は?」

「知らん」

 海ほたるでの会話をなぞるように言葉を交わし、笑いながら、安堵した。……これで良い。今はまだ、関係の進展を望んでいるわけじゃない。友達で構わない。彼女が一矢の気持ちに遠慮をして、自分の心情を吐露出来なくなる方が、嫌だ。

「おでん、おでん」

「盛り合わせとかにすると、凄ぇの来るよ」

「う〜……単品行く?」

「の方が無難と思いますけどねえ……」

「大根ッ」

「ここの大根、驚くよ。楽しみにしといて」

「驚く大根ってナニ……」

 適当にオーダーを決めながら、気が休まるのを感じていく。他の女の子相手では、こうはいかない。言動のひとつひとつをポイントに換算する自分がいる。プラスとマイナスから弾き出される勝率。……紫乃に対して、そういう計算を働かせることが不思議とない。好きだと自覚した、今でもだ。だからだろう。そばにいることが、安心する。

 オーダーを済ませて、とりあえずは運ばれて来たビールを口に運ぶ。但し、今日は余り酒を飲まないつもりでいた。いくら紫乃に対して「何を望んでいるわけじゃない」と言ったって、こちらは男である。酔ってくることで、何らかの欲求が込み上げないとは限らない。理性的でいるに越したことはない。怖がられてしまっては洒落にならないのだから。

「クロスって今日、何してたの?」

 ビールのグラスに口をつけて「うまー」と呟くおっさんのような様子が逆に可愛く見えて、つい小さく笑う。

「何?」

「何でも。今日?俺ら?PV」

「あ、撮ったんだー。どこで?どこで?」

「物凄く安価に中央公園と西新宿付近」

「安ッ」

「『安ッ』とか言うな。昨日はスタジオだよちゃんと」

「モデルさんとか使った?」

「メンバーだけ」

「安ッ」

「だから言うな」

 グラスを持ち上げながら、ぺしっと頭を叩く。素直に叩かれながら、紫乃が笑った。和やかな空気が、嬉しい。

 けれど、このままいられるとも……思っているわけじゃない。

「どんな感じ?どんな感じ?」

「啓一郎がゲーセンで暴れる感じ」

「……ごめん、全然わかんないらしいよ」

「だから……」

 適当に答えかけたところで、オーダーしたおでんが運ばれて来る。言葉を途切れさせると、置かれた皿に、紫乃の歓声が上がった。

「うわぉ。すごッ」

「だから言ったっしょー?『驚く大根』って」

「でかッ」

「取り分けて差し上げよう」

 そう言って紫乃の取り皿を引き寄せると、紫乃があたふたと言った。

「え、い、いいよ、あたしがやるよ?」

「どこから見ても不器用そうなあんたにはとてもこんな繊細な作業は任せられない」

「……殺す」

 一応は紫乃も、他の女の子と同じように「あたしがやらなきゃ」と気にしたりするのだろうか。けれど実際問題、危なくて仕方がないような気がする。笑いながら巨大なタワーのようなおでんの大根を切り分けてやって、取った皿を押し遣ってやると、紫乃が今し方の殺意を忘れたようにころっと笑顔になった。

「おいしそう」

「まじでめちゃくちゃうまいから、食ってみって」

「いただきまーす」

 そうしている間に他の料理も運ばれて来る。ようやくテーブルの上が落ち着いて、おでんを口に運んだ紫乃が顔を輝かせた。

「おいしッ」

「任せろ」

「神田くんが作ったみたいに言うかな」

「言論の自由」

「それは言論じゃなくて詐称」

 しばらくは、料理をつまみながらの他愛ない会話が続いた。話題をいちいち考えなくても、紫乃との会話がテンポが良く、かつ、気楽で、素直に楽しかった。

「ねえ、神田くんさあ」

 一通り胃袋が満足したらしい紫乃がテーブルに両肘で頬杖をついて、少しだけ眠そうなとろんとした目付きでそう口を開いたのは、お互い2杯目のビールのグラスが空になった頃だった。

「うあッ……このこんにゃく、俺サマの胃袋に収まらないつもりだな?ちょこざいな」

「何十年前の悪役よ……。神田くんて言葉の選定が何か独特だよね」

「……『ちょこざいな』は俺が作った言葉ではありませんが」

「わかってるよんなことッ。神田くんが作ったんだったら『選定が独特』って話じゃなくて『発想が斬新』になっちゃうじゃないよ。……『ちょこざい』って何?」

「知らん。国語辞典にお尋ねしてくらさい」

「それは『お調べ』ってゆーんだよ」

「……んで?」

 思い切り逸れていく話に、何とかこんにゃくを口の中にしまい込みながら、話を戻してやる。すっかり何を言おうとしたのか忘れたらしい紫乃が目を瞬いた。

「何だっけ」

「知りません。『神田くんさあ』……何?」

「ああ……」

 先ほどの自身の言葉を繰り返されて、ようやく言おうとしたことを思い出したらしい。くだけきっていた顔に、やや複雑な表情が戻る。

「親の訃報でも行かないって……何で?」

「ああ、それ」

「差し支えなければ、だけど……」

 遠慮するような様子がらしくなく見えて、笑った。

「俺は別に差し支えございませんが。あんまり陰気な顔、しないでね」

「え?」

「要は仲が悪いんです。死んでも、悲しんでやるのが癪なくらい」

「……そんなに、仲、悪いの?」

「離散するくらい」

 紫乃の顔が、驚きで凍り付いた。その表情にくすりと笑う。

「ヘンな顔」

「何言うかな。……え、離散……って」

「おばはんはどこ行っちゃったのか、知りません。おっさんはその辺にいますが、身内のおばはんと住んでますんで、まあ他人に近いですな」

 煙草をくわえて火をつける。あくまで軽い口調で言うが、明るくなる話題ではない。だからこそ普段は話すのを嫌っているが、紫乃にならば言っても良いような気がした。――知っていて欲しいのかもしれない。いろいろな意味で。

「んでも、お父さんはその辺ってことは、連絡は取ってんの?」

「うーん。取ってるとも取ってないとも、何とも中途半端と申し上げましょーか」

「何それ」

「基本的に、口座に金が振り込まれるんで生きてるんでしょうな。そのくらい」

「それって連絡に入る?」

「入れてくんなきゃ音信不通になってまう」

 ふわふわと上がる煙を視線で辿りながらそう笑うと、紫乃は複雑な顔で唇を尖らせた。

「それだけ?」

「それだけ。まあおっさんにしてみても、俺が自分の血を引いてるんだか良くわからんので、あんまり可愛がる気にもならないんでしょう」

 紫乃が無言で見開いた目を上げた。

「実際、似てねーもん。俺と父親らしきおっさん。でもまあ、大学卒業の年齢までは家賃と多少の生活費は面倒見るっておっしゃられたので、遠慮なく高額の家賃を搾り取ってます」

 ちらりと紫乃に視線を向ける。

「22万の家賃の正体。高2の頭からの数年間、親から受けるはずだった学費、生活費……」

「……」

「……愛情の代償」

「……」

「何つってな。そこまでセンチメンタルじゃねーけど」

 体を起こして煙草を灰皿に押しつけると、一矢は腕を伸ばして紫乃の額を弾いた。

「だから、陰気な顔、すんなってば。ガキじゃあるまいし、別に何とも思ってねーよ?俺。その環境について」

「嘘だあ……」

「嘘じゃねーし。誰にだっていろんな事情があるんだろうから、別に俺が可哀想だとは思わないし、俺にだけ事情アリとは思ってないし、もっと幸せはあるんだろうけど、もっと不幸だってある。比較する気にもなれんし、しても意味がない。ただ、それが俺の環境。そんだけ」

 あっさり言った一矢に、無言でその顔を眺めていた紫乃が、テーブルの上の自分の煙草を引き寄せてため息をついた。

「ふうん……神田くんって、意外と頑張り屋さんなんだ」

「……今の俺の話のどの辺りで、俺、頑張ってました?」

 テーブルに片手でついた頬杖をかくんと滑らせる一矢に、紫乃が笑う。

「だって。お家、いろいろ大変じゃん。少なくとも、ありがちじゃないじゃん」

「あ〜……まあ、同じ環境の人にはお会いしたことはありませんけろ」

「そんでもさ、ちゃんと真っ当に生きて夢叶えてるのって、自分の努力がなければ出来ないんじゃないの?」

 真っ当に生きているかどうかはともかくとして、紫乃の言葉が何か少し、意外だった。そう言う言葉が返ってくるのは、予想外だ。

 同情的でもなく、卑下するでもなく、家庭環境や背景ではなく一矢自身への、言葉。言っても仕方ない環境への無意味な感想ではなく、一矢自身の姿への評価。……そこに、視線を向けて意味を見出そうとしてくれることが、嬉しい。

「何か、一生懸命真面目に生きて来てるんじゃん?頑張ってるその結果が、5月のファーストシングルじゃん?」

「……」

「だから、ちょっと見直してみた」

「……運が良かったんじゃないの」

 真っ向から認められて、何か少し照れ臭い。ぼそっとそっけなく言うと、紫乃が真っ直ぐ一矢を見つめてびしっと言った。

「そういう環境の人は、運が良いとは言わない」

「何て遠慮ないことお」

「いーじゃん。運に頼って生きたって、しょーがないっしょお?自分で良いことを引き寄せたことを、結果論として『運が良かった』って言うだけのことで……」

「って話だと、俺、やっぱ運良く生きたってことになりません?」

「あれ?そうなる?」

「なる。んじゃあ、運が悪かったことに関しては?」

「災難。以上」

 思わず吹き出す。

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