第13話(3)
紫乃に対してそうであるように、京子に対して通りすがりのゲームのように考えられなくなって来ているから、本当の自分の姿が出始めている。
「なあに?」
「俺の、どこがいーの?」
京子がきょとんと目を瞬く。
「遊ぶんでも何でも……俺じゃなくても、京子だったら他にいくらでも遊んでくれる、もっと良い奴、いるじゃん?」
「やだな、何?それ」
「ただの、遊び相手だとしても。……何で俺?」
尋ねる一矢に、京子は口を閉ざしたままで顔を前に向けた。口を開く前に、繋いだ片手に僅かに、きゅっと力が籠もった。
「あなたのことを、知りたいと思ったから」
「……」
「一矢が、好きだから」
こちらを見ずに、前に視線を向けたままで言う京子の横顔から、泣き出しそうなほどの懸命さが漂ってくる。言葉のない一矢に、京子が慌てて顔を上げた。
「あ、そんな深刻な意味じゃないけど。ちょっと、興味を持ったって言うか」
「……」
「か、軽いノリよ。軽いノリなんだけど。そんな、全然、気にしなくて良いんだけど」
付け足すほどに、却って先ほどの言葉のリアルさが増す。
「俺、そんなに面白いこと、してやれないよ」
「別に面白いことを期待してるわけじゃないわ。……って言うか、楽しいもの」
「え?」
「一矢といると。わたし、楽しいもの」
そう言って白い歯を覗かせた京子の笑顔は、純粋な気持ちが滲み出ているように見えた。
(本当に……?)
気持ちが、揺れ始める。
次第に、京子の想いが確かなものだと、納得し始める自分がいる。
「だから、会いたいだけ」
「あんなことがあって?」
「言ったでしょ。一矢は自分の好きにすれば良いんだって」
「……」
「だからまた、今度はゆっくり遊ぼうね」
好きなのは、紫乃――それは変わらない。変えられない。
想ってくれれば、そばにいてくれるのが誰でも良いと言うわけじゃない。
それはわかっている。わかっては、いる、けれど。
「うん……そうだね」
けれど、京子の気持ちを突き放すことが、もう……出来そうにない。
◆ ◇ ◆
ファースト・シングルのサンプルが上がり、遅ればせながらGrand CrossはPVの撮影に入っていた。
昨日、市ヶ谷にある、レコード会社ソリティア所有のスタジオで撮影の大半を終わらせ、翌日は朝から新宿中央公園で残りのカットの撮影である。
とは言っても啓一郎を除く他のメンバーの撮りは昨日のうちにほぼ終了していて、今日の撮影は概ね啓一郎に限られる。ヴォーカルの露出度が高いのだから、その分仕事が増えるのも仕方がない。
必要なカットの撮りをさっさと済ませると、和希と武人はそれぞれ学校へ向かうべく早々にいなくなった。和希に関しては、本日が大学の卒業式である。一矢は取り立ててこんな朝っぱらから行かなければならないところがあるわけでもないので、啓一郎だけ残していくのも可哀想だし、何となく付き合っている。
「あ、じゃあさあ、啓一郎くん、こういうポーズとってみてよ」
「は!?こうですか?」
「そうそう。……何か不自然だなあ。もっとこう……手が……」
「こんな?」
「あ、そのままそのまま。で、ちょっと眩しそうな顔して」
「……眩しくないし」
「え?」
「いいえ〜何でも〜。眩しそうな顔ですねえええ」
何やら大変そうである。一矢は見ているだけなので、楽なものだ。
「おっけー。じゃあ、次行こうかあ。病院の辺りでいーよね」
「もう少し日が翳って来てからの方が良いんじゃないかなあ……」
「じゃあ休憩挟もう、休憩〜。2時間くらい待とうかー」
そんなに待つのか、である。一度家に帰れる。
「お疲れ」
「代わって」
「無理」
「俺も無理」
げっそりと戻って来た啓一郎のぼやきに笑いながら答える。新宿中央公園は道路を挟んで左右に跨っているのだが、現在撮影はその橋のところで行われていたので、一矢は橋の縁石に腰を下ろしてそれを眺めていた。隣にすとんと啓一郎が腰を下ろす。
「眠ぃ。帰りてぇ」
「あんた、この後夜も打ち合わせあるんでしょーが」
「働けど働けど……うぅぅぅぅ」
「はいはい。可哀想にねえ」
ぐるぐる唸っている啓一郎の頭をぱすぱすと撫でてやりながら、他人ごとのように言う。そんな2人の方へ、映像スタッフと何やら話していた佐山が歩いて来るのが見えた。
「お疲れ」
「疲れた」
「頑張ってよ。まだ6時間も経ってないでしょ?」
撮影がスタートしたのは、朝の7時半である。その間、撮られ、メイクや衣装を変えさせられ、待たされ、歩かされ、また撮られ、肉体的にはともかく、精神的に啓一郎は疲労しているらしい。
「今から2時間、あくみたいだからさ、休憩してきて良いよ。適当に」
「適当につったって」
何をせぇと言うのか、と言う感じであるが。
「でも、モニター見てると、かなりかっこ良い感じで撮れてるよ。大丈夫だよ、啓一郎くん。あれで騙せるって」
「騙すって何だよッ」
「いやいや、商品はヴィジュアルも大事な要素のひとつだからね。カメラ映り良いね。俺はマネージャーとしてとても安心した」
「すっっっげえ、マネージャーと思えない発言……」
佐山の言葉にけらけら笑っている一矢を肘でどついて、啓一郎は自分の顔を撫でながら佐山を見上げた。
「あ、そうだ。俺、顔、一度落として来て良い?」
「……ちゃんと拾ってきてね」
「誰がその辺に落としてくるつったよッ。メイクだよ、メ・イ・クッ」
全く良いコンビだ。
思い切り怒鳴る啓一郎に一矢も佐山も吹き出しつつ、佐山がひらひらと片手を振る。
「いいと思うよ。どうせ2時間も空いちゃったら、顔、作り直しだし」
「だよね。うしッ。一矢、行くぞッ」
「どこへ?」
「どっか」
「あんた、顔、落とすんじゃなかったの?」
「あ、そうだ。村山さーんッ」
薄いとは言え、PVを撮影するにあたって、メイクと言うものをされる。それを落として貰う為に、一度撤収モードに入っているスタッフの方へ駆け戻っていく啓一郎の背中をまだ笑いを残したまま眺めていると、佐山がすとんと隣に腰を下ろした。
「さーちゃんは、どうすんの?」
「俺?事務所に……あ、やめた。今から営業活動行ってきますわ。どうせだから。この近辺にね、俺の知っているコンテンツ会社があってさ」
「ふぇ〜?一緒行こうか?」
一矢の言葉に、佐山が苦笑して顔を横に振った。
「啓一郎くん、見ててあげて」
「そんな、小さな子供じゃないんだから」
「んでも、結構ストレスたまってるみたいだしさー」
「……まあね」
どうしたって、啓一郎に被さる仕事は多い。元々人前に立つのが嫌いなタイプではないから楽しんでいる部分もあるだろうが、それでも記事やらコメントのようなものを書かされたり、イベントのコメントを覚えさせられたりと、意に染まない仕事も少なくはないだろう。
ついでに言えば、自分の容姿にコンプレックスを持っているらしい啓一郎は、写真だの映像だのと言う画像媒体への露出を余り好まない。PV撮影など、ストレスの極みかもしれない。コンプレックスを持つような容姿ではないと思うのだが、本人には本人なりにいろいろと思うところがあるのだろう。
「一矢くんだけでも残ってくれてて良かったよ」
「だって俺、暇だもん」
「まあ、2人と違って学校行くわけじゃないもんね。けどほら、またこうやって時間空いちゃったりとかしてさ、一矢くんと時間潰すのと、俺と一緒に営業に拉致されるのとじゃストレスが大分違うじゃない」
「そりゃそうかもしれんけど」
「一矢ぁーッ。ゲーセン行こうぜ、ゲーセンッ」
父親のような佐山の発言にくすくす笑っていると、メイクを落としてもらったらしい啓一郎が駆け戻って来るのが見えた。2時間の休憩と、ひとりではなく一矢がいることで、何やら解放されたような顔をしている。
「はあ!?ゲーセンッ!?どこにあんだよそんなもん」
「こっから駅までなんて、すぐだろすぐッ。2時間もあんだから、余裕だよッ。良いよね、さーちゃん」
「はいはい。好きにしなさい」
「西口ッ。一矢、早くッ」
「あ〜もう〜。お子様ねえ、けぇちゃんたら……」
ママさんのような口ぶりで言いながら立ち上がる一矢に、佐山も笑って立ち上がった。
「ちゃんと2時間したらここに戻って来るように気をつけてやって」
「俺は保護者かい」
「か〜ず〜やあッ。おっそい」
「へいへい」
いつかは、こういう時間にそんな時間の潰し方が出来なくなる日も来るだろうか。
ふらっとゲーセンなんかで、メンバー同士で対戦ゲームなんかやっていられないような環境に。
まだまだ先は長くとも、いつかは誰もが知っているようなそんな高見に――Blowin'に、負けないところへ。
「んじゃ、行って来ます」
「行ってらっしゃい」
自分の歩いている道に自信が持てるように……積み重ねていく努力と、積み上げていく実力で。
◆ ◇ ◆
休憩の2時間を目一杯ゲーセンで啓一郎とのゲーム対戦に燃えまくった後、更に2時間半の撮影を終えて、一矢は夕方になってPV撮影班と別れた。啓一郎と佐山はこの後、FM渋谷へ移動して打ち合わせがある。そっちは基本的には啓一郎がひとりで矢面に立っている仕事の打ち合わせなので、一矢が付き合ってもしょうがない。
(さてと……どうしようかな)
時計を見ると、間もなく18時だ。……少し、早い。一度家に帰ろうか。
そう考えて、少しだけ速くなった鼓動に吐息をついた。
今日はこの後、紫乃と待ち合わせている。
先日、東京駅からブレインへ送った時に誘った、『2人でメシにでも付き合ってよ』と言うのが、今日の約束へと繋がった。
アルバムの発売を控えているD.N.A.は、このところメディアの取材が増えているらしく、忙しいようだ。今日ならば一矢自身もPVの撮影以外の仕事があるわけではないし、D.N.A.の方も夕刻にはラジオの収録が終わって解放されるだろうと言うことで、紫乃からの連絡待ちである。
紫乃とそんなふうに事前に約束をして2人で会うのは、初めてだ。
まさか本当に応じてくれるとは思っていなかったので、動揺している自分がいる。
これまでにどれだけ女の子と2人で会っていようが、挙句の果てに何をしていようが、自分が好きだと思う人と会うとなると話は少々別らしい。
何がなくても構わないのだ。ただ会えるだけで嬉しい。会う約束をしてくれただけで、嬉しい。
「は〜あ……」
そんな自分にため息だ。
京子とはこのまま曖昧な関係がしばらく続きそうである。非常に己が優柔不断男に思えてならない。
好きなのは紫乃だと自分でわかっているのに、京子を突き放せない。結局のところそれは彼女の好意が切実に見えて、そしてそれを嬉しいと感じてしまう自分のずるさと弱さだろう。一矢と京子の状態を知れば、紫乃は怒り狂うに決まっている。わかっているのだが……どうすれば良いのだろう?
紫乃と会えることを嬉しい気持ちはあるのに、どこか自分のだらしなさに浮かない気持ちで、とりあえず暇つぶしにCD屋へと足を運ぶ。自動ドアから中に入って正面の柱に紫乃の姿を見つけて、思わずぎょっと足を止めた。D.N.A.のアルバム告知のポスターだ。モノトーンで紫乃、武藤、そして神崎の顔の一部を切り取ったデザインのクールなポスター。
それから何気なく顔を横に向けて、今度はCDの羅列されている棚を抜けた奥の壁にOpheriaのキャンペーンポスターを見つけて、ずざっと身を引く。大手音楽業界団体のキャンペーンポスターだ。『だめだよ。違法ダウンロード』と書かれている。違法な音楽配信の横行に注意を喚起する為のポスターらしいが、どうでも良いが心臓に悪い。
(嫌がらせか?)
一矢の居心地を悪くしようとしているとしか思えない。
まだ出入り口間際でがっくりと肩を落として、店内を物色する気が失せていると、携帯が鳴った。笑顔の京子に監視されている中で、紫乃からの着信を受けるのは些かいたたまれない。結局入ってそのまま回れ右をすると、外に出てから着信を受ける。
「はいはい」
「おつー。終わったよー」
「ああそう。お疲れ」
「お疲れぃッ。んで、どする。神田くん、どこ」
「俺、新宿のHMS。入った瞬間、あんたの顔に出会って回れ右したところです」
実情は少々異なるが。
一矢の言葉に、紫乃が電話口で噛み付いてきた。
「何で回れ右するかなッ。違うでしょ、取るべき行動がッ」
「取るべき行動ってナニ?」
「真っ直ぐレジカウンターに行って、『予約します』でしょ」
「今後の参考にしますわ」
くすくす笑いながら駅へ足を向けて、話を戻す。
「んで、あんたはどこ?」
「あたしは今ブレインを出たとこー」
「何だ。事務所戻ったん?」
「うん。んだからー、やっぱ新宿が良いんじゃない?」
「あー……そうねー……したら……」
答えながら、紫乃が来るだろう方向へ足を転換する。ブレインから駅へ向かってくるのだったら、西口だ。東南口にいた一矢はそのまま南口方向へ歩き出しながら、頭の中で店を検索した。