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In The Mirror  作者: 市尾弘那
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第12話(4)

 と言うことは、紫乃もオフだろうか。武藤が休みだからと言って、D.N.A.の看板である紫乃もオフとは限らないけれど。

 30センチほどもあるカッパのぬいぐるみを抱え込むと、とりあえず大雑把に嶋村家への行き方を説明してから、運転席の武藤に視線を向ける。

「D.N.A.がオフなん」

「そう。急遽オフになってん。今日明日は、な〜んもすることあらへん。紫乃と神崎がこっちにおらへんからな」

「……へ?」

 赤いテールランプの続く明治通りをのろのろと進みながら、武藤がちらりと一矢を見た。

「実家、帰ってんねん」

「実家?どこだっけ。長野?」

「そう。松本」

「……何でまた」

 年末年始ならわかりもするが、3月に入ろうと言うこの時期に、余りに中途半端のような気がする。目を瞬く一矢に、武藤は渋滞でブレーキをかけながら、僅かに曇った顔を見せた。

「……や。何や、俺もようわからんけど。紫乃ん家がいろいろ大変みたいやで」

「紫乃ん家が?」

 それでか、と思った。

 電話に出なかったのは通常でもいろいろ理由が考えられるが、一晩経って音沙汰なしと言うのは、少しらしくないような気がしていた。だからこそ、気持ちを伝えたことで避けられているのだろうかなどと思いはしたのだが、紫乃の性格を考えれば、それで何の前触れもなしにいきなり避けるとは思いにくかったから今ひとつ納得がいかなかった。仕事を休んで実家に飛んで帰っているのだろうから、それどころではないのだろうと思えば、合点がいく。

「んで、神崎くんは、何で」

「紫乃をな、送ってやってん」

「……」

「あいつほら、中学から一緒やん。地元もろ一緒やし、家の場所とか紫乃の家の事情とか、そういうんもみんな知ってるやろ。紫乃が実家帰る言い出したんも、もう……何時頃やったかな。昨夜の11時頃やってん。せやから神崎が車で送ってやってんねや。さっき連絡あって、明日とりあえず神崎だけ先に帰ってくるとは言っててんけどな」

「……ふうん」

 胸の内に、動揺が起こる。

 以前に聞いた紫乃の家庭環境をぼんやりと思い出しながら、一矢は膝の上のカッパの手を無意味に弄んだ。

 父親はいないと聞いた。妹が地元にいて、母親は確か入院しているのだったか具合が悪いのだったか。そんなようなことを言っていたと思う。

 だとすれば恐らく、母親の容態が良くないのだろう。きっと彼女は今、精神的につらいに違いない。

 なのに、自分は、何もしてやれない。何も知らないのだから、してやりようがない。……神崎とは、違う。

「俺はまあ、何もしてやれへんし、ぞろぞろ行っとってもしゃあないし、D.N.A.が揃って連絡つかんようになっても困るやろ」

 関係が違うのだから、悔しがったところでどうにもならない。わかっている。付き合いの長さが違い、付き合いの深さが違う。そんなことは知っている。

「せやから俺、お留守番やねん」

 それに、そう……例えばこういう場合でも下手な誰かよりは、神崎がやはり最も紫乃の気持ちを救ってやれるのだろうし、紫乃の望むことを知っているのだろう。だから、神崎と寄りを戻すのが彼女の為だと言った。そう思った気持ちに嘘があるわけじゃない。

「ほんでもな、暇やし、紫乃らがどないしとんのか気になるし、かといってほいほい連絡も出来へんし、落ち着かへんねん」

 けれど、なのに、焦る。

 焦燥が胸を焦がし、紫乃がつらいだろうと思えば飛んで行きたい気持ちが湧き上がり、けれど飛んで行ったとしたって何をしてやれるわけでもない自分を知っている。そしてそもそも、飛んで行く先を、一矢は知らない。

「……カッパ、気に入ったんか?」

「へ?」

 無言のままの一矢にふと顔を向けた武藤が、膝にしっかり抱えたカッパと繋いだ手を意味不明にしきりと上下に振っている一矢に、目を点にした。

「あ、あ〜……そうねぇ……」

「壊さんといてや。瞳に殺される」

「壊し方がわかりません」

「お手手繋ぎすぎて腕ちぎるとかな。随分タローと仲良しになったみたいやん」

「タロー?」

「そのカッパさんや」

「……あそう」

「やらんで」

「いりません」

 妙な誤解を招いても嫌なので、カッパを膝から解放して後部シートに返してやる。それから窓枠に頬杖をついて流れる車窓の外へ目を向けると、武藤が小さく笑って話を戻した。

「ま、そんなやから。ひとりでうにうにしとんのも辛気臭いし、Grand Cross、空いてたら、遊んでもらおうと思ててん」

「空いてます」

「うん。紫乃が前に言うてたやろ。『神田くんのドラムええよ〜』って」

「……」

「聞かせてや。ってゆーか、セッションしたら、面白いやん。スタジオ、使えるんやろ」

「使えますよ」

「よしゃ。すかっとしよ」

 紫乃が帰ってくるのは明日――。

(明日……)

 夜にでももう一度、連絡を、取ってみようか。


          ◆ ◇ ◆


「お疲れぇいッ!!まじ助かったよー。ほんと、さんきゅーなあ」

「いぃえ〜……」

 既知のバンド『マーク・トウェイン』のヴォーカル阿部が、まだ汗の光る顔に笑みを浮かべて、一矢の肩をばしばしと叩いた。

 昼間はGrand Crossでスタジオに入っていたが、夜になると啓一郎と和希はバイトがある。急遽一矢の携帯に連絡の入った『ライブのヘルプ』の依頼を受けて、本番だけと言う約束で一矢はスタジオの後、他人のライブでドラムを叩いていた。場所が池袋だったので、嶋村家のスタジオから移動が楽だと言うのもある。

「俺も久々にまともなライブで叩いた気がするし」

 ぶっつけ本番のステージ、けれど阿部の期待を裏切らずには済んだらしい。満面の笑顔に、役に立てたことを感じて少し嬉しい。

「えー?だってクロスって今、プロ準備中っしょ?客なんかわんさか来るんじゃないの?」

「……世の中厳しいのだよ、阿部くん」

「んでもさあ、忙しいところ、ホント、悪かったな」

「うんにゃ。暇。結構」

「へ?……おーッ。来てくれたのかー」

 バックステージを出てギャラリーへ戻る最中で、阿部が遭遇した知人に引っかかった。それを置いて通り過ぎながら、阿部を振り返る。

「あ、そうだ、阿部っち」

「あいよッ」

「俺、多分適当に帰りますんで、お構いなく」

「え?まじで?わかった。ほんとありがとなッ。電話するわ」

「へいへい」

 ひらひらと手を振ってとりあえずはギャラリーへ戻りながら、汗で僅かに湿った前髪をかきあげた。

 Grand Crossは『プロを控えて各地を巡ってライブ中』ではあるが、しょせんは『まだアマ』である。お膝元東京の、それも一部のライブハウスならばそこそこ集客出来るとしても、それは地方では通じない。なぜなら東京の一部でしか活動をしていないGrand Crossの存在を知る人は一部しかいないわけだし、ライブに来てくれるのはそのまた一部だからである。

 ずっと東京でのライブを行わずに地方でばかりやっていれば、基本的には『壁と床相手』のライブであり、人が会場を埋め尽くしたのは先日の福岡での『お呼ばれイベント』くらいのものだ。あの中でまた数人でもGrand Crossに引っかかってくれれば良いのだが。

「一矢ぁ。今日、何でマーク・トウェインで叩いてたのぉ?」

「由利ちゃん、久しぶりぃ。阿部っちから今朝方突然泣き言をもらいまして、駆けつけました」

「うっそぉ。タケシくん、どしたって?」

「急性胃腸炎だそうです」

「ええ〜!?タケシくん、結構繊細だからつまんないこと悩んでんじゃないのお?」

「由利ちゃんくらい逞しく生きなきゃだよね」

「そうそう……って、ちょっとぉー!!……Grand Crossは最近どしてんの」

 マーク・トウェイン周辺の知り合いと適当に会話や挨拶を交わしながら缶ビールを1本空けると、22時を回って、一矢は会場を後にした。相変わらず、紫乃から折り返しの連絡がある様子はない。どうしているのかと思い、単車に跨りながら少し、逡巡する。

 ……家には、帰っているのだろうか。部屋に明かりがついていれば、家に帰っているのだろう。だとしても疲れているだろうから、何も話せなくても良い。ただ紫乃が、心配だ。少なくとも帰ってきているのならば、何があったとしても大事には至らなかったと言うことなのだろうと思える。

 2度も3度も電話を重ねてかけるのは気が引けるから、せめてそのくらいしか、彼女の今を推し量ることが出来ない。待ち伏せしようと言うわけではないのだから、通過して明かりを確かめるくらい許されても良いだろう。

(行ってみよう)

 そう決めて、単車のエンジンをかける。目黒へ向けて走りながら、何してんだか……と胸中で自嘲的な声が聞こえた。

 紫乃は多分、『家族』と言うものに深い思い入れを持っている。ならば母親の容態が良くないのだと仮定すると、気が気ではないだろう。失うかもしれない恐怖と戦っているはずだ。そう思えば、落ち着いていられない。何もしてやれないことなど、知っている。神崎がいれば十分だ、わかっている。無駄な心配、けれどじっとしていられない。――泣いて、ないか……?

 無意味と知りながら、迷ったままで、目黒に到着する。そのまま紫乃のアパートまで単車を走らせ、単車を停止してからシールドを押し上げると、落胆が心に陰を落とした。

 紫乃の部屋には、明かりはなかった。

 一時的に単車を停めて、ため息をつく。無言のまま、冷たい窓に視線を向けて、目を伏せた。

 まだ、帰っていないらしい。

 母親の容態は、良くないのだろうか。

 帰れない状態なのだろうか。

 それとも、もう帰っていて、眠ってしまっている?

 気にはなるけれど、連絡を取る気になれない。

 やや未練がましく、少しその場で明かりの点らない窓を見つめ、それからもう一度ため息をつくと一矢はエンジンをかけた。走り出そうかと思い、前方から対向車のライトが近づいてくることに気がつく。暗い路地は狭く、単車とは言えすれ違うのは気を使うので、その車が通過するのを待つことにして一矢はその場で待った。みるみる大きくなるヘッドライトの眩しさに目を細める。と、近づいてきた車が不意に速度を落とした。停車の雰囲気に目を瞬いていると、案の定、車が一矢のほんの僅か前辺りで停止する。ライトが消え、何となく見守っている前で車から降りて来たのは、神崎だった。

(……やべぇ)

 そのことに気がついて、内心軽く舌打ちをする。実際問題としては神崎は紫乃の何であるわけではないのだから文句を言われる筋合いではないが……「何してんの?」と聞かれると、やはり少々気まずい。

「あれ。神田、だっけ」

「………………あ〜……え〜……そうですねえ……」

 せめてメットのシールドを下ろしておけば、一矢の単車など知らないだろう神崎にばれることはなかっただろうに。自分の迂闊さを呪いながらも今更否定出来ずに、渋々と肯定する。神崎はきょとんと一矢を見遣ってから、無言のままで車の後部シートのドアを開けた。旅行バッグのようなものを取り出すと、バタンとドアを閉めて片手で荷物を持ったまま一矢の方をちらりと見る。

「で、何してんの」

「はあ。車が通過してから俺も出発しようかなあとか思って待ってたんですが、車が停まっちゃったってな感じです」

 想像通りの質問に、微妙にずらした回答を口にする。物問いたげな視線を一矢に投げて、神崎はアパートの方へ歩き出した。

「紫乃なら、いないぜ」

「……そのようですね」

「紫乃に何か用か」

 その言葉に、微かに反発心が湧き起こる。『元彼』かもしれないが、今は『彼氏』ではない。紫乃への用事を神崎に伝えなければならない理由はないはずである。神崎が今でも紫乃のことを好きなのだろうと武藤が言っていたことが、脳裏に過ぎった。

「ささやかな用事れす。お言付け願うほどではございませんので、お気遣いなく」

「あ、そ。んじゃ帰った方が良いと思うぜ。紫乃、今日は帰って来ねーから」

「……」

 さっさと帰れと言わんばかりのその態度にカチンと来つつ、一矢は微かにエンジンをふかした。神崎が片手にバッグを持ったままでアパートの階段を上っていく。片手の中で、部屋の鍵らしきものが光るのが見えた。

「そんじゃ帰りますわ。お疲れ様」

「……お疲れ」

 その会話を最後に、神崎の姿が階段を上がって見えなくなる。こんなところで神崎のお出迎えをしていても何の意味もないのは確かであるし、今度こそ本当に単車を発進させようとして、ポケットの振動に気がついた。取り出してみて、一瞬で今の苛立ちを消去しながら、電話に出る。

「神田くん……?」

 紫乃の、どこか頼りない声に、胸が痛んだ。らしくない細い声。一矢に噛み付いてくる元気な声の方が……紫乃らしいのに。

「うん……」

「今、平気?」

「平気」

 答えながら、何となく神崎の姿が消えていった方に目を向ける。紫乃の部屋に、明かりが点るのが見えた。

「今、お前ん家の前だったりする」

「え?」

 紫乃が驚いたような声を出した。大きな目を瞬いている顔が浮かぶ。

「あたしん家の前?ごめん、用事だった?あたし、今……」

「知ってる。松本なんだろ。……帰ってんのかなって思っただけ。深い意味はない」

「……そう?」

「うん。……神崎くんに遭遇してしまいましたが」

 電話の向こうで、紫乃が小さく、複雑そうに笑った。

「車だからって、あたしの荷物、持って帰ったから」

「あ、そう。……まあ、何でも良いんですけど」

「電話、出られなくてごめんね」

「それは別に構いませんが。と言うか、気にさせて却って悪かった」

「ううん」

 元気のない声が心配を煽る。何を言って良いのか躊躇って、それから口を開いた。

「あんた、いつ帰んの?」

「え?……明日の、朝。明日は、仕事があるから」

「ああそう……新幹線?」

「うん」

「じゃあさ……」

 迷惑にはなりたくない。

 そう思う気持ちが、言葉を詰まらせる。

 けれど心配で、放っておきたくはない。

 迷った末に、一度飲み込んだ言葉を、改めて口にする。

「ご迷惑でなければ、お出迎えして良い?」

「……お出迎えと言うほどご大層な帰還じゃないんだけど」

「うーん、敢えて言うなら『あっしー』くんで」

「それって既に『絶滅危惧種』じゃないの?」

「……それこそそんな大仰なもんではなく、ただの『死語』でしょう」

 眉根を寄せた一矢の返答に、紫乃がくすくすと笑った。儚い声を出しているから、少しでも笑顔を覗かせてくれれば嬉しい。元気付けてやれるわけでも、励ましてやれるわけでもないけれど。

「単に、俺が行きたいだけ。神崎くんに荷物押し付けたんなら、身軽なんでしょ。それとも巨大なスーツケースでも持ってんの?」

「リュックだけ」

「だったら、そのまんま仕事行くんなら、ご指定の場所までお送りしますが」

「ブレインだよ」

「俺もどうせ行かなきゃならん場所ですな……。てなわけで、いかがですか」

「いいの?仕事じゃないの?面倒臭くない?」

「俺の仕事はお昼過ぎスタートれす。面倒臭かったら言い出してません。あなたの断わりを待ってわざわざ献身的なセリフを口にするほど歪んでないんですが」

 再び紫乃が、笑った。笑ってくれただけでも、こうして言葉を交わせた意味があるような気がする。

「言ったでしょ。あんたが好きだって。単に俺が会いたいだけ」

「……ありがとう」

 僅かな沈黙を挟んで答えた紫乃の言葉とほぼ同時に、視界の隅で、紫乃の部屋の明かりが、消えた。











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