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In The Mirror  作者: 市尾弘那
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第12話(3)

 啓一郎も先ほどの光景が、引っ掛かっているのだろう。視線はジャケットに落としたままで問われ、顔を向けた一矢はその視線をコンポへ流しながら「さあねえ……」と呟いて、煙草を咥えた。

「どうもしようがありません」

「何でだよ。俺、頑張れって言ったのに」

「言っておられましたが」

「こっち向かせてみなきゃ話になんねーって言ったじゃん」

「こっちを向くとは思えませんので、やる気がいまいち盛り上がりませんな」

「盛り上げろよ自分で」

 一矢の減らず口に、「あーッ」と呻いて髪を掻き混ぜると、啓一郎がため息をついた。

「お前、時々じれったい」

 無言で、咥えた煙草に火をつける。ローテーブルの上の灰皿をこちらに押し遣りながら、啓一郎がテーブルに頬杖をついた。

「よくさあ、自分の人生の主役は自分って言うけどさ、あれって本当だと思うんだよ、俺」

 唐突に何を言い出したのかがわからずに、目を上げる。啓一郎は一矢の視線に気づいているのかいないのか、彷徨う視線を缶ビールの上に定めて続けた。

「だけどお前、自分の中でも脇役になろうとしているように見える」

「……」

「自分の人生は、自分が主役じゃん?それって権利で義務じゃん?俺の人生、俺のもんじゃん?」

「はあ」

「だから俺は、俺が1番俺のことを認めてやるわけ。俺が俺のことを1番に考えてやるわけ」

「……うん」

「んで、ついでに、それだけじゃつまんないから、他人様の人生でも出来るだけ主要キャストになりたいわけ」

 それではただの目立ちたがり屋である。

 思わず軽く吹き出すと、啓一郎がじとっと横目で一矢を睨んだ。

「だけどお前、自分の人生ん中でも、お前自身を脇役に追い込もうとしてるみたい」

「……そうですか?」

「そうですよ。もっと自分にわがままでも、いーんじゃねーの?」

「……」

「ストイック。結構。自分に脇役を押し付けてる」

「そんなこと、ないけど?」

「だって俺、お前が強引に自分の我を押し通そうとしてるとこって、見たことねーもん」

「……」

 言葉をなくす一矢を見遣って、啓一郎は床の上に放り出してあった煙草のパッケージを引き寄せながら、壁に背中を預けた。

「そりゃあわがまま放題ってわけには、いくわけねーけどさ。でも、抑え過ぎるのも考え過ぎるのも、限度問題だろ?」

「……」

「自分のやりたいこと、自分にやらせてやんなきゃ、自分が可哀想じゃん」

「……」

「望む結果が得られるかどうかは、知らないけどさ。そんなん、人間ひとりで生きてるわけじゃないんだし、思う通りになることの方が、きっと少ない。……だけど、せめて望む結果が得られるように頑張ってみるだけでも大事じゃねーの?」

「……俺さあ」

 啓一郎の言葉を受けて、一矢も真面目に言葉を探した。

「紫乃が好きだとは思って……本当言うと、それを認めんのが嫌で、やめちゃおって思ってた」

「うん」

「だけどやってみたら、これが出来ねーんだわ」

 顰め面の一矢の言葉に、啓一郎が笑った。

「『やめちゃお』でやめれたら、誰も苦労しねーし」

「まさしくおっしゃるとーりで。……出来ねーんさ。だから、やめるのをやめようって最近になって思って、紫乃が好きだと思うことはまず自分で認めて……」

「うん」

「だけど、俺、それでどうしたいのかが自分で良くわからない」

「何だよそれ。こっち、向いて欲しいんじゃねーの?」

 真っ当な言葉に、一矢は小さく笑顔を覗かせた。目を伏せて、頷く。

「そうなのかもね。そう……なれば、いいんだろうなあとは、思うんだろうな。だけど俺は、あいつが誰を好きなのかを知ってるし、どれだけ好きなのかもわかってるつもりだし、前にも言ったけど俺は彼女がいつか夢見る未来は確実に用意してあげられないし、俺なら幸せにしてやれるとは言えないし」

「……」

「だって俺、笑ってて欲しいんだ」

 啓一郎が無言で一矢を見つめる。それに笑い返した表情は、もしかすると少し、頼りないものになったかもしれない。

「あいつが泣くのが嫌で、つらそうなのが嫌で、だけど俺の方を向いてもらったら笑顔でいさせてやれるかって言うとそんな自信はないから、あいつをわかってやれる誰かの方を見て幸せになるんなら、それがベストなんじゃないかなって思ったりもしちゃうんだよ」

「……」

「想う人が振り向いてくれなくて泣いて眠れなくて、それに俺が何かしてやれるのなら何でもしてやるけど、それって俺の方を向いてくれるよう努力するのとはちょっと違ってて……何だろう、うまく言えないんだけどさ。元気なのが『らしい』気がするから、元気でいられるように……それには俺じゃあ、役不足のような気もしたり。だから、本音言えばそりゃあ俺のことを好きになってくれれば嬉しいのかもしれないけど、笑顔で幸せでいて欲しいって思う方の本音からすれば、俺はそれをオススメ出来ないもん」

 だから素直に『付き合いたいから努力する』と言うようにも、考えられない。

 自分と付き合ってもらえるよう努力することは、彼女が笑顔で幸せにいることを祈る気持ちとは的外れな行動になる気がしてならない。

 なぜなら、どうしても一矢は自分自身のことを自分で好きになれず、認められないからだ。好きな相手が、認められない人間と幸せになることを願うことは出来ないし、一矢にとって厄介なのは、それが『自分自身』であることなのだろう。

 ただ、彼女のことを好きな自分の気持ちは受け入れたし、笑顔でいてくれるなら何でもしてやりたいと思う。

 この先、もしかするとやっぱりどうしても付き合いたいと思うようになるのかもしれないし、自分自身、彼女のそばにいられたらとは今でも当然思わないわけじゃない。けれどとりあえず当面、今の望みは、紫乃が元気になってくれるように何か出来ればそれで良いような気もする。何かしてやれるのなら、その僅かな時間だけそばにいることが出来れば、それで自分も当面は満足出来るような気がする。

 ほとんど吸わないままの煙草の先で灰皿の中をなぞる一矢に、短い沈黙を挟んだ啓一郎が、そのままずるーっと壁に背中をもたせかけてだらしなく姿勢を崩した。

「……お前って、本当にストイックな奴」

「何で?」

「こっち向いてくれなくてもいーから、広瀬が笑顔でいられればそれでいーわけだ?」

「嫉妬もするだろうし、あいつが好きになる相手に苛立ったりとかもすると思うよ。別にストイックなわけじゃない。あいつが、そばにいて幸せでいられるのが俺であれば、それが俺にとっても一番良いに決まってんじゃん。……だけど今はまだ、そんなとこまで望んでないってだけ」

「ふうん?」

「そういうこと望む前に、俺はそもそも、俺自身の整理をつけなきゃなんない気がして」

「女の整理?」

 予想外の角度から、しかし鋭いと言えば言える突込みに、今度は一矢がずるりと壁に深く背中を預けた。

「……そこ?」

「だーってお前、遊び呆けたままで好きな女だけ手に入れようったって、そりゃあムシの良い話だもん」

「んなこたぁ思ってませんけろ……」

 がっくりと頭を垂れる一矢に、啓一郎がけらけらと笑った。そのまま床に寝そべって両肘をつき、足をぱたぱたさせながら一矢を見上げる。

「んでも、ちゃんとしなきゃだろ。好きな女、出来たんなら」

「……あ〜。そうねえ……そうですかねえ……」

「ま、好きにすりゃあいーけどさ」

 投げたくせに簡単に放り出す啓一郎を睨むように見下ろしながら、一矢は立てた片膝に肘をついて、片手を前髪に突っ込んだ。

 遊んでいる女の子が複数いるとは言っても、コンスタントに会うような人は決まっている。そしていずれも、彼女のわけではないしフランクな関係に過ぎないのだから、何とでもなるだろう。

 問題になるのは、やはり。

(京子か……)

 ああは言われたものの、他の女の子と同じように京子と『遊ぶ』のは、無理な話だ。どうしたって一矢には京子がその種の女の子には見えないし、何より紫乃と友達である彼女とそんな関係を築くわけにはいかないではないか。けれど、自分自身が『不特定多数との交際』を匂わせてしまい、京子が開き直ってそれを受け入れる気でいる以上、ここで拒絶をするのもまた、「京子だけが駄目なのだ」と思わせかねないような気がして、一矢にとってはかわしにくい。

(……ど〜〜〜〜ぉぉぉすっかなあぁぁぁ……)

 いずれにしても、京子と連絡を取って会ってみる必要が、あるだろう。


          ◆ ◇ ◆


 昨日、遅れて到着したあゆなが夕食を作ってくれて、それを頂くだけ頂いて啓一郎の部屋から退散した後、帰り道で、しばらく迷って、紫乃に電話をかけてみた。

 けれど、忙しかったのか、避けられているのか……紫乃は電話には出ず、そして翌日の夜である未だに、紫乃からメールなり着信なりがあった様子はない。

(嫌われたかな……?)

 唐突な一矢の告白は、彼女を驚かせてしまっただろうか。いや、驚きはしただろうが……そのせいで、避けられたりしているのだろうか。

 それとも……。

(どうしたんだろな……)

 如月と、何かあったのだろうか。

 どうしても気になる。

 関係各所への挨拶回りが終わり、啓一郎と和希は既に帰っている。2人とも、この後にバイトを控えていると言うことで、一矢だけは特に用事もないことだし、つまらない書類絡みの用件で佐山に事務所まで拉致された。

「はい、これで間違いなし」

「すんませんね、余計な手間をかけて」

「本当に、こういう書類出す時は間違いないかチェックしてよ」

「以降、後ろ向きに検討致します」

「前を向いて。頼むから」

 ぱしっと軽く頭を叩かれながら、ささやかな記入ミスをした書類の書き直しを終えて、座っていた椅子から立ち上がる。

「さーちゃん、今からまだ仕事?」

「そう。君らを売りに出す為に鋭意努力中」

「うーん……そう言われると売り払われるみたい……」

「良い買い手を探しておくから、安心しておいて。あ、送ろうか」

「うんにゃ。へ〜き」

 事務室のドアへ足を向ける一矢の背中を、佐山の声が追いかけてくる。笑いながら「お疲れぇ」と事務室のドアを開き、外に出た瞬間、ぎくっとした。

「……お疲れ様です」

 一矢の声に、ゴトンと自動販売機の音が重なった。

「ああ。お疲れ」

 自販機で、如月が煙草を購入しているところだった。

 一矢にとっては複雑な人物であっても、如月にとってはそうではない。大して何の感情も浮かばない顔で煙草を取り出すと、それを片手で弄びながら階段の方へと向かって行く。つくづく、Blowin'は事務所にいることが多い。独占出来るスタジオがこの内部にあると言うことは、Grand Crossにとっての嶋村家のスタジオのようなものだろうから、必然的にここに通い詰めざるを得ないのだろう。

 後ろ手で事務室のドアを閉めながら、何となくその背中を見送る。あの日どうして紫乃が泣いていたのか、聞きたいけれど、聞けるわけがない。

「きっさらっぎさんッ」

 言いたいことが喉まで出掛かりながら、階段を上り始めたその背中を見送っていると、不意に上の方から女の子の明るい声が聞こえてきた。つい視線を向けると、如月とは逆に階段を降りてくるような形で、Opheriaの飛鳥が階段の手摺りから体を少し乗り出しているのが見えた。

「何」

「今、如月さんって録りとかやってるわけじゃないんでしょ?」

「ないよ」

「あのね、そしたらね、こないだの曲の〜……」

 何かを言いかけて、飛鳥の視線がふとこちらへ向く。ぼーっと眺めている一矢に気がついたらしく、言葉を途切れさせて、手摺りから階下へ乗り出すような妙な姿勢のまま、にこっと笑顔で頭を下げた。慌てて頭を下げると、ちらりと、如月がこちらを振り返った。

「で?」

「あ、だからこないだの曲のね、ギターで教えて欲しいとこあって」

「どこ」

 そのまま如月の声と背中が、階段の踊り場を境に一矢の視界から消える。同時に飛鳥の声も、2階へと戻って行った。そこまで見送ってからようやく肩の力を抜いて、事務所の外へ向けて歩き出す。

 如月と飛鳥が付き合っているらしいとは、聞いている。が、2人でいるところを目の当たりにするのは初めてで、それがまた複雑な気持ちを一層煽る。

 うまくいっているのだろうか。あの様子では、問題ないのだろう。端から見ていても今の僅かな会話で如月の言葉が余りに少ない為に『べたべた』には到底見えないが、それでも意外と雰囲気は悪くないように見えた。そしてその向こうに、紫乃の泣き顔が被る。

 佐山の車で1日動いていたせいで、今日は単車ではない。真っ直ぐ帰るにはまだ早い時間帯ではあるし、嶋村家のスタジオでドラムでも叩いて帰ろうかと思いつつ、事務所の敷地から外へ出て新宿駅へ向かって歩きながら、ジャケットのポケットの中で、携帯を弄ぶ。

 もう一度電話をしてみたいとは思うものの、しつこいような気もしてかけにくい。

(夜はまだ寒ぃな〜)

 2月も残り1日とは言え、まだ春とは言えないようだ。吐く息に残る白さに目を向けながら躊躇っていると、手の中で携帯が鳴った。

「うわ」

 小さくひとりごちながら、携帯を引っ張り出す。紫乃だろうかと期待せずにいられなかったが、着信表示は武藤のものだった。失礼ながら僅かに落胆して、着信に応えてボタンを押す。

「はいはい」

「一矢ぁ?お疲れぃ」

「お疲れ」

「今、平気?」

「うん。どしたん?」

 駅に近付くにつれ、周囲が次第に明るくなっていく。ざわめきと共に人の姿が増えていき、視界が雑然としたものに変わっていく。

「前にさ、スタジオ遊びに行ってええ?って言ってたやん」

「うん」

「もし一矢、今、池袋のスタジオにおるんやったら、行かせてもらおかなー思て。忙しかったら別にえーねんけど」

「ああ……いいよ。俺、ちょうど行くつもりだし」

「あ、ほんま?仕事、終わってん?」

「うん。ひとりでドラム叩きに行こうと思ってるところだから、武藤くん来ても全然問題ない」

「ほんなら行くわ。一矢、今どこ?迎えに行ったろか?俺、車やし」

「あ、ほんとー?俺、今もうすぐ新宿駅に到着しようとしてるところ」

 答えながら、D.N.A.は何をしているんだろう、と思う。

 武藤は暇なのだろうか。忙しければこんな電話をかけては来ないだろうから、仕事はもう終わっているのだろう。紫乃はどうしたのだろうか。家だろうか。

「新宿?ブレイン?」

「から駅に向かってるところ。もうじき西口」

「ほんなら、西口のロータリーんトコ、おって。俺、家が薬王寺町やねん。帰る途中で靖国通りおるから、そのままそっち向かうわ」

「ほい」

 武藤にピックアップしてもらうことにして、通話を切ると、そのまま西口へ足を向ける。道路は混んでいなかったのか、西口に到着したのは武藤の方が先で、一矢が辿り着いた頃には歩道橋のすぐそばに既に武藤の姿があった。

「早かったね」

「おう。暇しててん。俺の車、あっち」

 武藤に促されるままに、停められていたシルバーメタリックの車に乗り込む。運転席や助手席はシンプルなものだが、後部シートにはやけにぬいぐるみがごろごろしていて、一瞬ぎょっとした。

「……武藤くんの趣味ですか」

「あほッ。ちゃうわッ。瞳の趣味やねん。めっちゃぬいぐるみ好きでな、俺の車に新しいのをどんどん持ち込みよる」

 以前に飲んだ時に聞いた、武藤の彼女の趣味らしい。助手席に乗り込んでシートベルトを締めながら、半ば呆れたような気持ちになって後部シートに手を伸ばす。

「仲のよろしいことで」

「よろしいで〜」

「その瞳ちゃんとは、今日は遊ばないの?」

「瞳、仕事やねん、今。せやから遊んでくれへん」

「それは残念。武藤くんは、お仕事は」

「俺は今日はオフやねんもん」

「オフ?」

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