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In The Mirror  作者: 市尾弘那
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第12話(2)

          ◆ ◇ ◆


 福岡でのライブイベントは、盛況だった。複数のバンドが出るせいもあるし、大手レコード会社ソリティアが咬んでいると言うのもあるだろう。少なくとも、Grand Cross単独ではとても集められない人数がギャラリーを埋め、自分たちを知らない人間がその大半であるとはわかっているものの、逆に言えばそれだけまとめて自分たちを見てもらえると言うのは、良い機会になったと思う。

 先に東京を出てから、ちょうど1週間。細々と車での地味な帰路で、途中路上ライブを挟みながらも東京へ帰りついたのは、時計の針が20時より少し手前の時間帯だった。

 まだ、迷っている。京子に連絡を取るべきなのだろうか。

「はーい、お疲れぇい」

 明日は、昼過ぎに出版社の取材と、その後関係各所へ挨拶回りのようなものが入っている。明後日も東京でスタジオに入る予定になっていて、とりあえずのところ当面は気楽なものだった。ブレインの前に車を停めて佐山が振り返ると、「お疲れ〜」と口々に挨拶をしながら車を降りる。

 通常ならば遠征から戻ったその足で各々の家へと帰るのだが、今日は事務所経由となっていた。5月に発売される予定のファーストシングルのサンプル盤がようやく上がり、その一部がブレインに届いているとの話が広田から佐山へ入ったからだ。メジャー流通としては初盤となるそれを、メンバーが自分の手に取ってみたいと思うのは当然の成り行きと言うものだろう。

 メンバーを下ろして車を停めに行った佐山を待ち、事務室へと足を踏み入れる。事務室の中には事務員の女性である山根の姿しかなく、ぞろぞろと入ってきた自社アーティストの面々に、山根が「お疲れ様ですー」と笑顔で出迎えてくれた。

「広田さんに何か聞いてる?クロスのサンプル」

「グッズはこの辺だと思いますよ。CDは確か……あ、これこれ」

「メンバー、あげて平気?これしかないの?」

 一矢にとってはGrand Crossと言うバンドそのものが、自分の生きた軌跡と繋がっている。Grand Crossの活動が、自分自身の生きる意味だ。それが世の中に確かなものとして出て行く、その形になっているものを目にしようとしていて、少々浮き足立つのは仕方がないだろう。

「……あ。Blowin'」

 どこにあるかわからない佐山が山根を呼び寄せて広田のデスクの辺りでごそごそとやっているのを眺めながら、少しだけどきどきするのは否めない。ぼんやりと発掘作業の完了を待っていると、不意に武人がぽつんと言った。つられて視線を向けると、如月が受付の前を通過して階段の方へ向かっていく姿が、一瞬だけ垣間見えた。

「Blowin'?」

「って言うか如月さん」

 ぼそぼそと啓一郎と武人が会話を交わすのを聞きながら、気づかれないように小さくため息を落とす。どうしたって如月の存在は、一矢にとっては複雑にならざるを得ない。

「あ、お疲れー」

「お疲れさまです……」

「何?サンプル?」

「ええ。あげちゃっていーですよね」

「もちろん」

 どこにいたのか、事務室へ入ってきた広田がデスクに近付いて来るので道を開けながら、一矢は何となく受付の窓から見える廊下を、もう一度振り返った。如月の姿は、既にない。2階のスタジオでBlowin'は何かの作業中だろうか。

 広田の出現により、ようやくサンプル盤やその他グッズのサンプル、メンバー用のグッズが目の前に展開される。受け取ったサンプル盤は、3枚。キャラメルに綺麗に包まれたCDには、『SAMPLE』と言う赤いシールが貼ってあり、胸の奥に感動を引き起こした。

(すっげぇ)

 誰もが知っているような大企業が手がけた、自分たちのCD。

 これが、この先――春を過ぎて5月の終わりには、全国の店舗に並ぶことになる。

 メンバーの各々が一通りはしゃぎ、一通り感動に浸りながら事務室を出て行くと、見送るように後をついて来た佐山が口を開いた。

「じゃあ今日はこれでお疲れさま。明日13時半に潜沢さんだから、忘れないようにね。迎えに行くから。武人くん、寝坊しないで学校行くんだよ」

「ふわーい」

「送ってこーか?」

「俺いーや。寄り道してくから。さーちゃん、どうせまだここで仕事してくんでしょ?」

「俺も、いーや。……さーちゃん、リハスタか会議室って空いてる?」

 帰る為に出口へ向けかけた足を止めて、啓一郎がふと佐山を振り返った。佐山が腕を伸ばして受付の窓を開けながら、首を傾げる。

「さあ?何?今から仕事すんの?頑張るねー」

「ぢゃなくてー。空いてたらそこでコレ聴いて帰る!!今聴きたい!!大音量で聴きたい!!」

「あ、それ俺も行く」

 せっかくなので啓一郎につき合わせてもらうことにして一矢が言うと、使用表を覗き込んでいた佐山が顔を上げて天井を振り仰いだ。

「あいてるみたいだよ、上。会議室の方」

「んじゃ俺ら行くね」

「お疲れっすー」

「あ、うん。お疲れー」

 和希と武人が並んで出て行くのを見送って、佐山とも改めて別れると、啓一郎と並んで階段を上がっていく。それぞれがそれぞれの手の中にあるCDに視線を落としながら、未だ感慨を引き摺って会議室の方へ向かった。

「凄いね……」

「……うん。出来ちゃったんだなぁ……」

「これ、クィーンズとかに並ぶんだよ」

 ぼそぼそと言葉を交わしながら階段を上がりきると、正面のスタジオには人がいるようだった。先ほど如月が上がって行ったと言うことは、Blowin'が使用しているのだろう。そんなふうに思いながら、空いているはずの会議室の方へ足を向ける。会議室からも明かりが漏れているようだと言うことに気がついて何気なく視線を向け、一矢はそのまま凍り付いた。足を止める。並んだ啓一郎も、足を止めた。

 視線を背けようと思うのに、逸らすことが出来ない。そのくせ頭が、視界の入力してくる情報を拒絶する。逸らせない視線に一矢は、体ごと引き離すことにして無言のままで踵を返した。

 何も言わずに来たばかりの道を戻っていく一矢を、啓一郎が追いかけて来る。

「おい……」

 会議室の中にいたのは、如月と紫乃だった。

 こちらに背中を向ける如月、正面に立って俯く紫乃は、泣いているように見えた。

「いや、やっぱほら、『おつでーす』なんつって声かけられる雰囲気じゃないでしょー」

 意識して軽い口調を心がけるが、硬さが残った。その意味を正しく見抜いた啓一郎が、どこか気まずさを孕ませて呟く。

「広瀬だったのか……」

「……ま、そーゆーことざんす」

 今更伏せても仕方あるまい。大体既に本人にさえ告げてしまっているのだ。啓一郎に知られて困る理由など、何もない。

 あっさり肯定して階段を降りていく一矢に、啓一郎が無言で続く。先に帰った和希たちと無意味なタイムラグを置いて、一矢と啓一郎は事務所を出た。しばらく黙って駅へ向かう間、一矢はぼんやりと2人の姿を脳裏に蘇らせていた。

 紫乃は多分、泣いていたような気がする。

 どうしたのだろう。何があったのだろう。なぜ如月が、あの場にいたのだろう。

 また如月の存在が紫乃の想いをかき立てているだろうことに苛立ち、苛立つ自分を微かに自嘲する。――わかりきっていたのではなかったか。そうと知りながら、受け入れることに決めたはずだろう。如月を好きな紫乃の気持ちごと認めて、その上で彼女のことが、好きなのだから。

 そうは思うものの、苦い思いがこみ上げる。波立つ胸の内を押さえようと暗い夜空を仰ぐ一矢の隣で、啓一郎が何か言いたそうな顔をしていることに気がついた。視線を落として笑ってみせる。

「こっち向いてくれるよう頑張るとかつっても、相手が如月さんじゃあなあって気ぃしたりして」

 以前、啓一郎が「頑張ってみるしかない」と言っていたことを思い出して言うと、冗談めかして付け足した。

「随分ランクダウン」

「そーゆー言い方は良くない」

 途端、間髪入れずに啓一郎が一矢の頭を平手で叩いた。……そう言ってくれるのは、嬉しい。その気持ちは嬉しいとは思う。

 けれど実際問題……事実だと言う気がする。

 容姿だ性格だと言う比較は、一矢にはわからない。女性ではないのだから、女性にとって如月のそういう個性がどのように映るのかなどわかるはずがない。けれど、一矢の視点から純粋に比較出来るものがある。立場であり、社会的地位のようなものだ。経済力であり、ミュージシャンとしてのランクだ。

「んでもさあ、お前、あの人に勝てると思う?」

 ぽつっと尋ねると、啓一郎が唸るように沈黙をした。ちらりと視線を落とすと、啓一郎は顔を顰めて少し前の地面を睨みつけて隣を歩きながら沈黙を保ち、やがて、思いついたように顔を上げた。

「和希なら勝てるかもしんない」

「そんな更に別の対象を挙げられても」

 自分をフォローしようとしていたのではなかったのか。思わず小さく吹き出すと、啓一郎はぺろっと舌を出して空を仰いだ。その視線を、一矢へ移す。

「でも大体彼女いるんでしょ」

「はは……まあね」

 それはその通りなのだが、一矢にとって問題なのは如月の気持ちではない。彼女がいても未だ変わることのない、紫乃の気持ちだ。

「だけど、あの人好きになった紫乃が、俺みたいなの好きになると思えない」

 繰り返し、如月と自分を比較してしまう。見てしまったBlowin'のディスコグラフィーが蘇る。

「あいつが今でも如月さんのこと凄い好きなんだろうなってのは知ってるし、比較されたら勝ち目ねーもん」

 殊更、何気ない口調で言う一矢に、啓一郎は唇を尖らせるようにしながらしばし沈黙をして、不意に足を止めた。

「比べるなとは言わないさ」

 その、強い口調に、一矢も足を止めて振り返る。啓一郎が真っ直ぐ視線を向けながら、言葉を続けた。

「でも比べるなら、マイナスにただ無駄に比べるなよ」

「……」

「尊敬出来る点があるなら見習うのもいーけど、俺は、相手とは違う自分を伸ばす方がいーと思うけどな」

 『相手とは違う自分』……。

 無言のままの一矢に、啓一郎が再び足を動かして一矢を抜かすと、ムキになったように言い募りながら振り返った。

「それでこっち向いてくんなくたってしょーがねーじゃん。相手にだって好みがあるんだから。それは別に優劣の問題じゃなく、カレーよりピザが好きって話だろ。へこむには決まってるけど、自分を否定するような理由にはなんねーよ」

「前向きねー。啓ちゃんは」

 啓一郎らしい言葉のような気がして、少しだけ泣きたくなった。羨ましいと思うのは、こういう時だ。誰に与えられるでもなく、啓一郎は自分で考え方の転換の仕方を知っている。自分の存在を肯定する為の考え方を、自然に身につけているように見える。それこそが、一矢の持っていない啓一郎の強さだろう。

「……馬鹿にすんなよ?」

「してましぇん」

 どこか苦い笑みを浮かべながら、誤魔化すように啓一郎の頭をぽんぽんと撫でて抜かしていくと、啓一郎が噛み付いてきた。それに肩を竦めて見せながら、空を仰ぐ。

 優劣の問題ではなく、趣味の問題――比較することに、意味はない。比較するならば、見習って良さを自分に取り込む為のステップにしなければならない。なぜなら、如月にはない一矢の個性が、あるはずなのだから。

 啓一郎の言いたいことはわかる。その通りなのだろうとも、思う。一矢には、一矢にしかない、一矢らしさがあるのは確かだろう。けれど――それを、誇れるものとして見つけ出せない場合は、どうしたら良いのだろう。言い換えれば、『自分らしい個性』は『自分にしかない魅力』と言うものなのだろうが、自分の中からそれを見つけ出すことが、どうしても出来ないのだ。

「……お前、どーする?この後」

 そんなことを思いながら黙って歩く一矢に、やはりそれきり黙った啓一郎がふっと思いついたように尋ねた。それに目を瞬いて、顔を向ける。

「えー?どうも?」

「俺さー、多分この後あゆなと会うけど、一緒にメシくらい食ってこーよ」

「……それ、あゆなちゃん、怒ったりしない?」

「あいつはいっつも怒ってる」

 その言い草に、つい、笑いが零れた。元々仲の良い友達だった啓一郎とあゆなは、付き合い始めてから改めて関係を築き直す必要がない。いや、ないと言えばそれは嘘なのだろうが、それまでにある程度の土台を作り上げてきているから、既存の気安さがあるのだろう。

 けれど、『友達関係』から『恋人関係』に進んでしまえば、それはそれでまた、何かが違う。啓一郎とあゆなが友達同士のままならばともかく、恋人関係になっている今、第3者である一矢がせっかく2人で過ごせる時間を邪魔して良いとは思えない。

「それは怒ってるんじゃなくて口が悪いだけでしょー?いつから付き合ってるか知らんけど、付き合い始めてからゆっくり会えてないんじゃないのー?」

 啓一郎は、自身が人懐こい性格をしているせいで、その辺りが少々無頓着のような気がする。邪魔をするのは、啓一郎はともかくあゆなが可哀想な気がして苦笑すると、啓一郎は屈託なく「うん」と頷いた。

「だったら2人でゆっくり会いたいんじゃないの?あゆなちゃんだって」

「別にメシ食うくらい、いーんじゃん?」

 屈託のないまま続けた啓一郎は、一矢を見上げてにこっと笑った。その顔に気遣いを感じて、一矢も小さな笑みを覗かせた。

 食事をしてさっさと退散すれば、あゆなも許してくれるだろうか。この後、自分の部屋へ帰る気にはなれず、と言って夜遊びをする気にもなれないから、啓一郎の申し出は素直にありがたくはある。

「いーんなら、俺は全然……」

「んじゃそーしよ。あゆなにメールしとくわ。連絡来るまでウチでコレ聴こ」

「……うん」

 改めて駅へ向かって歩き出しながら、未だ、会議室に見た紫乃と如月の姿が、脳裏に張り付いて、消えなかった。


 新宿の楽器屋で働いているあゆなは、22時に上がって啓一郎の部屋に向かうことになったらしい。あゆなが食事を作ってくれると言うので、とりあえずはコンビニで缶ビールと軽いつまみ程度を購入して、新高円寺の駅近くにある啓一郎の部屋へ向かう。

 啓一郎は、高校の時からこの部屋でひとり暮らしをしているので、一矢はこの部屋にはわりと通い慣れている。勝手知ったる他人の家、と言う態度で啓一郎の部屋に腰を落ち着けると、そこからしばらくは缶ビールを片手に自分たちのファーストシングルである『Crystal Moon』の出来映えを確かめては、あれこれとそれについての意見を交わしていた。『Crystal Moon』は、全国ネットでのCMこそ打ってはくれないものの、全国ロードショーを春に予定している映画の挿入歌になることが決定している。使用されるのももちろん、このCDと同じ音源を使用することになるので、その出来映えが気になるのは当然である。

「……あ。ここ、実はもったいなかったかもしれないれすなー」

「え?もったいなかった?」

「何か、広がり感が薄くはないですか」

「う〜〜〜〜ん。あ、声、被せた方が良かったかな」

「それ、ありだね」

「今はもうなしだろ」

「そりゃそうだけど。やってみれば良かったねー。広田さんと喧嘩してないで」

「うーるーせーえーなーあ。……これ、もっと低音出してよって言えば良かったなあ」

「確かに。ベースもうちょい前気味でお願いしますわ」

「俺に言うなよ」

「他に聞いてくれる人がいない」

 あれこれ話す間も、時折紫乃の影が、記憶に揺れる。どうしたのだろう。何があったのだろう。……なぜ、泣いていたのだろう。

(後で電話でもしてみよーか?)

 それともやはり、出過ぎだろうか。

「啓一郎さ、何であゆなちゃんと付き合うことにしたの?」

 ぱらぱらとCDのジャケットに視線を落として無意味にページを捲りながらふと尋ねると、啓一郎が大きな目をきょとんと丸くして一矢に向けた。

「は?」

「由梨亜ちゃんはもう、忘れた?」

「……」

 啓一郎が口を噤んで、きょとんと一矢に向けた視線を伏せる。

「……忘れてない」

「ふうん?」

「だけど、忘れなきゃと思ってる」

「……」

 視線を伏せたまま、どこか痛みを滲ませる横顔で、啓一郎はため息混じりに呟いた。

「あいつさあ、優しいんだよ」

「あゆなちゃん?」

「そう。ずっと友達やってて、気がつかなくって……だけど今考えてみると、あいつっていっつも凄く俺のこと大事にしてくれてたような気がする。口も態度も悪いけど、肝心なトコでは俺の気持ちを一番大切にしてくれてたような気がするんだ」

「……」

「今は俺、まだ由梨亜ちゃんのことが好きで、全然忘れられてない気がして、あいつもそれ知ってて、だから俺、あゆなに『好きだ』って言ってやれない」

「……」

「でも、大事にしようと思ってるし、好きになりたいと思ってる。……だから、付き合ってる」

 しつこいくらいに同じCDを繰り返して聴きながらそこまで答えると、今度は啓一郎が、先ほどの一矢のようにジャケットをぱらぱらめくって一矢に物問いたげな視線を投げた。

「一矢はさあ」

「あ?」

「お前、広瀬、結局どーすんの」

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