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In The Mirror  作者: 市尾弘那
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第12話(1)

「うーん……上手ギター」

「じゃあ、下手ヴォーカル」

「そうですか?俺はドラムかなあ」

「キーボード」

 九州は福岡、ソリティアの新人アーティストを集めたイベントに出演させてもらうことが決まったGrand Crossは、広島で路上とラジオを終えて翌日、そのリハーサルに臨んでいる。

 出演数が10バンドと言うだけあって1日かけてのイベントである『TINY SIGN』は、リハーサルも丸1日をかけて行われていた。

 会場内では適当にバンドごとに固まって、リハーサル中のステージを見ている。今は『えいぷりる』と言う女の子バンドがリハーサル中だった。ツインヴォーカルにツインギター、ベース、ドラム、キーボードと言う豪華な編成で、秋葉原で人気を博しているらしい彼女たちは全員どこかメイドを彷彿とさせる衣装に身を包んだ可愛らしいギャルバンである。尤も、リハーサルである今は、メイド服ではなくごく普通の服装ではあるが、可愛らしいリハーサルからも本番の仕上がりが予想できる。

「本番もよろしくお願いしまーす」

「お願いしまーす」

 リハの順番待ちで暇を持て余した男どもの集団であるGrand Crossの面々が、暇つぶしに「どれが好みか」などとつまらない品定めをしていることに気づくはずもないえいぷりるの、リハーサルが終わった。

「あー。啓一郎は上手ギターって感じだよね」

「何だよそれ」

「好きそう」

「それより和希さんの下手ヴォーカルが意外ですよね」

「意外?そう?何で?」

「だって下手ヴォーカルって羽村よりはなつみさん系。意外にそういうタイプの方が好きなんだ」

「関係ないだろ。由梨亜は別。俺は一矢がキーボードに行ったのが意外。上手ヴォーカル辺りに行くかと思った」

「意外と手堅いところが好きなんですね、一矢さん」

「武人は読み通りだな。お前の好みは俺に読まれている」

「あ、俺も予想通り」

「俺も」

「……何なんですか、あんたら」

 好き勝手言っている間に、えいぷりるは器材を抱えてGrand Crossのメンツがたまるその付近に移動してきた。こちらに向かって「おつかれさまでーす」と挨拶をくれる。

「お疲れさまです」

「お疲れさまー。……ねえねえ、えいぷりるってさあ、沖鮎知らない?沖鮎泉。ライターの」

 そのまま啓一郎が、屈託なく話しかけている。ベースの女の子が、目を瞬いて首を傾げた。

「えー?誰ー?知らないー。まおちゃん、オキアユさんて人、聞いたことあるー?」

 ベースの女の子が、すぐ隣に立つ下手ヴォーカルに声をかけた。下手ヴォーカルの彼女は『まおちゃん』と言うらしい。

「あたし、知ってるー。あれでしょ?確かライターさんでしょ」

「あ、そうそう。前にさあ、俺らの記事を良く書いてくれてたんだ」

「えーそうなんだー。凄いねー偶然ー。じゃあ東京?」

「うん。こないだ、担当がえいぷりるに変わったんだって聞いたばっかりだったから」

 そのまま話し込んでしまっている。本人には大して何のつもりがあるわけではないのだろうが、こうしてあちこちで仲良くなっているのだとすれば、彼女であるあゆなも気が気ではないだろう。

「ふうんー。どこのバンドさんー?」

「Grand Crossです。よろしく」

 『和希好みの下手ヴォーカル まおちゃん』が、和希ににっこりと尋ねる。それに柔らかく応じた和希に、『まおちゃん』とベースの女の子はGrand Crossを暇つぶしの相手に定めたらしい。そのままそこに、座り込む。

「あたし、ヴォーカルのまおでーす」

「ベースのりみでーす」

「ドラムのゆ〜なでーす」

 更に後ろからもうひとり、増える。和希が目を瞬きながら、自己紹介をした。

「ええと、ギターの野沢です。で、こっちが」

「ヴォーカルの橋谷。よろしく。そっちがドラムの一矢とベースの武人」

「え?あ、どうも……」

「よろ〜」

 見れば、大所帯のえいぷりるは途中で分裂して、啓一郎好みの上手ギターや一矢指定のキーボードなどは、こちらから数メートル離れた辺りに座っている別のバンドに引っ掛かっている。

「残念、一矢さん」

「べっつにぃ。必要があれば俺から行く」

「何?何?」

「なーんでもないでーす。いつから福岡入りしたのー?」

「昨日〜。Grand Crossさんって、リハ、何番目?」

「えーっと、これの次の次の次の次くらい?」

「素直に7番目って言いましょうよ」

 他愛ない会話を交わしている間に、次のバンドのリハがステージで始まった。その音にかき消される形で自然と会話が途切れ、視線がステージに向けられる。

「宜しくお願いしまあーっすッ」

 さすがに大手レコード会社が咬んでいるイベントに呼ばれるプロ、プロ間近な面々が集まっているこのような場で、礼儀知らずは今のところいないようだ。やたらと図体のでかいヴォーカルが威勢良く言って、曲が始まる。

 出演バンドとスタッフしかいない会場は、音の反響が本番より凄い。吸音材である人間が増えれば、今より音量はもっとまとまって、もっと小さく感じられる。

 鳴り響く大音量に会話を遮られたまま黙ってリハに目を向けながら、一矢はぼんやりと紫乃のことを考えていた。

 紫乃には、自分の気持ちを伝えた。彼女に言った通り、そのことで彼女に何かを求めているわけではない。如月から一矢へ視線が向くとは、今もやっぱり、どうしても思えない。

 ただ、伝えることで、何かが少し、楽になったような気がする。

 妙な悩み方をしなくても良くなったような気がして、それが少しだけ一矢を楽にさせていた。

 彼女への気持ちを、自分の中だけで抹消しようとしていたからこその葛藤は、彼女に告げてしまった今、もう意味がない。だからもう、そんな葛藤は必要ない。嫌われて自分の中の感情ごと彼女を遠ざけてしまおうと言う、感情と裏腹の行動を強いる必要は別にないのだ。余計なことは考えずに、自分の望むことを見つめれば良い。そういう傷の負い方を、自分は選んだのだから。

 うまくいくかいかないか――大切なのは、そこではない。自分が彼女を好きだと思う、そのことそのものが大切なことなのだ。想うことそのものに、意味がある。想う気持ちを受け入れることで自分の中に見つけられる何かこそが、大切な何かだろう。和希の言葉が、そう思わせてくれた。

 彼女に何かを求めるのではなく、自分が彼女に何をしてやりたいか。自分がどうしたいのか。まずは、それを考えることから始めてみよう。

 そんなことをぼんやりと考えながらステージを眺めていると、携帯が鳴った。取り出して視線を落とすと、表示された名前に、電話に出ることを躊躇した。……京子だ。

 通話ボタンに指を乗せたまま、迷う。どうしたのだろう。泣かせたまま放っておいて、今更何を言えば良いのだろうか。

 けれど、このまま無視をするのは、きっと一層後味が悪い。手の中で振動を続ける携帯に、立ち上がって外へ出る。

 ライブスペースから、雑然とした出入り口ホールへ抜けて更に外へ出ると、昼下がりの明るい光に一瞬目が眩んだ。外光の届かない建物に籠もっていると、今が昼間だと言うことをつい忘れる。

「……もしもし」

 迷いを残しながら着信を受けると、電話の向こうで京子もまた迷うように、短い沈黙を挟んだ。

「一矢……?」

「うん。……どしたん」

 すとんと建物を出てすぐの階段に、腰を下ろす。尋ねる声は、多分どこか浮かないものになった。嫌われようと思ったのに、ここで完全に無視出来ないのは、甘さだろうか。けれど、傷つけたことを自分でわかりきっているのに、追い打ちをかけるような真似がどうして出来るだろう。彼女が自分に言いたいことがあるなら、せめて聞くべきだと言う気がしてならない。

「あのね。……今、どこ?」

「今?福岡」

 少したどたどしく尋ねる京子に、一矢は短く答えた。京子が黙る。

「福岡……そう」

「うん」

 それきり、しばし黙ってしまう京子に、一矢も沈黙で応えた。一矢に近づくのをやめた方が京子の為だとは、今でも思う。電話を無視することは出来なかったけれど、優しくするべきではないと言う気がする。だから敢えて、言葉は探さなかった。

「……あのね」

 やがて京子が、ようやく言葉の続きを口にする。

「会えないかな、と思ったの」

「……………………は?」

 思わず、ひどく間の抜けた声が出た。構わずに京子が頷く。

「うん。あのね、会って、話してくれないかなって思ったの」

「……」

 あんなふうな傷つけ方をされて尚、一矢に会いたいと思えることが、信じられなかった。

「何の為に?」

「聞きたいことと、言いたいことが、あったから」

「……」

 言いたいことと言うのは、彼女に対する一矢の態度への文句だろう。そう思うのだが、聞きたいことと言うのがわからない。いずれにしても、今日明日は福岡にいるのだから、「じゃあ今日の夜」と言うわけにもいかない。

「何?」

 敢えてそっけない一矢の問いに、京子は逡巡したようにまた少し黙った。それから、小さなため息を漏らすのが電話越しに聞こえる。やがて、意を決したように、京子が密やかに口を開いた。

「一矢、わたしのこと、怒ってる?」

「……俺が?」

 言っている意味を理解出来ずに、一矢はぽつんと問い返した。逆ではないのだろうか。京子が一矢を怒っているのならばともかく、一矢が京子を怒る理由がない。けれど京子は、「うん」と小さく頷いた。

「どうして?」

「だって……わたし、一矢の気に障ることを言ったみたいだから」

「……」

 それを聞いて、ようやく理解した。あの時一矢が、「その手の同情をされるのが一番嫌いだ」と言ったことを指しているのだろう。それを気にしていることに気がついて、一矢は微かに笑った。あの程度、京子が気にすることではない。言った言葉は事実ではあるが、けれど京子の言葉は同情と言うよりは優しさだとわかってはいるし、図星だっただけだ。何より、一矢が彼女に負わせただろう傷に比べれば、一矢を気遣う京子の言葉を怒る筋合いでもない。

「別に。怒ってないよ」

「そう……?」

「怒る理由がない」

 電話越しに、京子がほっとしたような気配を感じる。そのまま無言の一矢に、京子が重ねるように尋ねた。

「じゃあ、一矢、わたしのこと……嫌い?」

「え?」

「一矢は、わたしのこと、嫌い?」

「……」

 京子の聞きたいことが今ひとつわからなくて、困惑しながら眉を顰めた。どう答えるべきだろう。嫌いか――嫌いだとは、言えない。嫌いなわけではない。自分を最低であると思わせて京子から離れていくようには何とか振舞うことが出来ても、彼女自身を否定する種類の言葉を吐くのは、嫌だと思う。それは、彼女の存在に傷を付けるような気がする。

「嫌いじゃ、ないけど……」

「話をするのも嫌だとか、顔を見るのも嫌だとか……思う?」

「思わないよ」

「だったら」

 一矢の回答に、京子が微かに震える声で、精一杯強く装って言うのがわかった。赤らんだ顔で目を伏せる京子の顔が、見えるような気がする。

「……帰ってきたら、会って」

「京子」

「わたし、あの時言ったわ。……わたしとだけ付き合ってくれなくても構わない。他の女の子と遊んでても、それでもいいって」

 何?と思わず、黙って目を見開く。

「一矢が何してても、何も言わないわ。わたしのこと、嫌いじゃないって言った。顔を見るのも嫌なわけじゃないんでしょう?だったら、他の女の子と遊ぶのと同じだわ。わたしとも、同じように軽いノリで会えばいいわ。それとも、嫌?」

「だってそれは……」

「嫌?」

 京子がこういう態度に出るとは、完全に予想外だ。今度は、言葉を探さないのではなく、言葉が浮かばずに、詰まった。それからようやく、言葉を見つけ出す。

「京子は、そういうのが出来る人じゃないでしょ?」

「それは、一矢が決めることじゃないわ」

「……」

「一矢は、今まで通りでいればいいじゃない。気が向いたら会えばいい、他の女の子と遊びたかったら遊べばいい。遊んだりする女の子の中に、わたしがいるだけ。わたしは別に一矢の彼女じゃないから、何も言わないわ。泣いたりもしないわ。平気だもの。それとも、気楽に遊ぶ相手にさえ、わたしは嫌?」

「そういうわけじゃ……」

「だったら、問題ないじゃない」

 どういうつもりなのだろう。

 京子は、適当に遊べる種類の女の子ではない……はずだ。誰とでも寝る男に抱かれて平然としていられる人ではないだろうから、自分が好きだと思った相手がそういう男だったら、手の平を返して離れていくだろうと思った。そうであるべきだとも、思った。そうして彼女は、手遅れにならないうちに自分みたいな男からは手を引いて、いずれは真っ当な神経を持った男と真っ当な恋愛をすれば良い。けれど……何なのだ、この、予想外の状態は。

「あの、京子……?」

「なぁに?」

「俺、最低だよ?京子のこと放って、他の女の子と泊まったりするよ?」

「だから、わかってるわ。そうすればいいじゃないの」

「……」

「言ってるじゃない。あなたの彼女にしてくれって言ってるわけじゃないわ。それで別に、泣くわけじゃないわ。何か、駄目なの?」

「……」

「『男女の要素を孕んだ、ただの友達』……そういうことでしょ?」

 京子と言う人を、見誤っていたのだろうか。

 意外と、そういうフランクなことを受け入れられる種類の人だったのだろうか。

(まさか)

 とてもそうだとは思えない。ではどういうことなのか……それでも良いからそばにいたいと、決めたのか?

(……まさか)

 京子が、一矢の思うような女の子なのだとすれば、それは相当覚悟を決めているに違いない。彼女の気持ちを錯覚や思い込みと決め付けた自分自身が、間違いだったのだろうか。それほどに、一矢のことを、想って……?そんなはずは……。

「一矢?」

「え、あ、うん、はい」

「やだな、何?どうしたの?」

「いや……あの……」

「ともかく、福岡から帰ってきたら、ごはん、食べに行こうね。また、電話するね」

「はい……」

「じゃあね。仕事、頑張ってね」

「うん……」

 どこか、彼女を掴みきれないままで、通話が切れた。東京にいるだろう京子との繋がりが途切れ、福岡に意識を引き戻されながら携帯を見つめる。彼女がこれ以上一矢から傷を受けないように遠ざけようと思ったけれど、それは一矢が決めることではないと京子本人に言われてしまった。そう言われれば、それはその通りなのだが。

(どうすりゃいーんだ……?)

 京子は、一体、何を考えているのだろう。






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