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In The Mirror  作者: 市尾弘那
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第11話(4)

 渋谷駅も間近と言うところまで来て、躊躇いながらも結局、一矢へ向けて発信した。ともかくも電話があったのだから、かけてみることにしよう。

 それに……。

 無意識のどこかで、一矢と話をしたいような気が、してもいた。一矢のくれる言葉は確かに紫乃の、痛む如月への想いを少し癒してくれるし、気遣いが心を温かくする。交わす会話は、紫乃の気を紛らわせてくれることを、既に紫乃は知っていた。先ほど、如月への想いが流させた涙は、まだ視界を滲ませている。

 発信する電子音を、しばらく黙って聞く。しかし一矢が電話に出る気配はない。

(……?)

 留守電に変わるだろうかと思う一瞬手前で、ようやく一矢に繋がった。

「あ、もしも……」

「ぬおッ……あんたも狙いすましたようにタイミングの悪い人やねえ……」

 いきなりご挨拶である。

「はあ?」

「ちょっと待って……ぬぉぉぉ……うあ、逃げるなこら……」

「……」

 電話越しに何やらごそごそと音が聞こえ、沈黙して向こうの気配を探る。何をしているのかさっぱり見当がつかないが、時折一矢の呟きが遠くなったり近くなったりしながら、こちらへ戻ってきてくれるのを待った。

 やがて一矢が、電話口に戻って来る。

「お待たせ致しました」

「何?どうしたの?何かしてた?」

「ちょうど煙草を自販機で購入して、俺の両手が煙草と財布でテンパってるところに、あんたから電話が来た」

「……あ、そう」

「うぉぉ。俺のポケットが泣きたいくらいデブになった……だせぇ」

「いくつ買ったのよ」

「5個」

 いきなりペースに巻き込まれて、かけた時にはまだ収まりきれていなかった涙がすっかり引いたことには気がつかず、紫乃は呆れた声を出した。

「そんなまとめて買わなくたって」

「大人買い?」

「……大人買いって言うんだったらカートン5箱買うくらいしなよ、せめて。たかだか5個じゃ大人とは言わない」

「カートンは自販機で売ってましぇん。大体カートン5箱って、俺の財政から言わせれば難易度高い」

「だから大人買いなんでしょ」

 呻く一矢にくすくす笑いながら、渋谷駅の改札より少し手前で足を止める。

「で、何?電話、どうしたの?」

「うん、悪いね。折り返して戴きまして。ちょっとあんたに、話したいことが出来まして」

「あたしに?珍しいね」

「今、どこ?」

「渋谷。……何?話したいことって」

 問い返すと、一矢が電話の向こう側で「何ぃ?渋谷ぁ?家にいりゃあ良かった……」と呟くのが聞こえた。それを聞いて、一矢の家が渋谷にあると京子に聞いていたことを思い出す。

「神田くんはどこにいるですか?」

「俺?今、目黒」

「はあ?目黒?」

「そう。……今からお帰り?それともお出かけ?」

「お帰り」

 必然的に紫乃は今から電車に乗って、目黒へ向かうことになる。

「なら良かった」

「話したいことって何?」

 もう一度問い直すと、一矢が電話口で一瞬押し黙った。それからぼそっと口を開く。

「……ま。顔見てお話しませんか」

「……そりゃいーけど」

 昨日の紫乃のセリフを真似て言う一矢に目を瞬きながら、首を傾げる。

 紫乃の方は京子のことであれこれ言いたいことが出るものだから、一矢に話があると言うような場が幾度かあったが、逆に一矢の方から話があるなどと言われるのは初めてのことである。それだけに、一矢が紫乃に話したいと思うような内容が思いつけない。

 とりあえず、目黒駅前のロータリーの隅っこにいると言うので、駅に着いたらそっちへ行くことにして通話を切る。改札の中に入って、改めて首を傾げてから、ホームへ続く階段を上った。

 紫乃の知り合いに、VIRGIN BLUEと言うユニットの来杉司きすぎ つかさと言う男がいる。

 以前仕事絡みの打ち上げで初めて口を利いたのだが、いわゆる都会的な風貌の持ち主で、どこか夜の匂いを体に纏わりつかせているような男だった。

 打ち上げが終わって帰ると言う時に、不意に来杉が紫乃のことを送ってやると言い出し、深く考えもせずに紫乃は来杉の車に連れて行かれ、そのままそこでいきなり、押し倒された。

 思わずその腹に思い切り膝蹴りを食らわせてことなきを得たが、後に、来杉は女性に手が早く、ファンの中にもグルーピーのような者がいて、女性を物のように考えては捨てると言うような話を聞いた。

 要は、紫乃のことが好きなわけではなく、手近にいた若い女が紫乃だけだったからだろう。

 そういう種類の人間がいることは知っている。来杉が身に纏う夜の匂いは、そういう行動や考えが滲み出ているからだろう。

 そして紫乃から見て、一矢もどこかそういう夜の匂いを身に纏っているようにも見える。

 正確なところは、わからない。

 スタッフにパイプ椅子を投げつけたりするような、いわゆるどこかすれた感じの来杉と比較すれば、少なくとも友人としての立場だけから見れば優しさを感じる言動がある分、同じではないかもしれない。けれど女性への振る舞いが大差ないのだとすれば、紫乃にとってそれは『男として最低』に分類される。

 京子に対してそういう行動があったのだとすれば、それはやはり友人として許せることでもない。

 未だどこか不透明な一矢と言う人間に対するスタンスを自分の中で定めることが出来ず、紫乃はため息をついてホームに滑り込んで来た電車に乗った。

 目黒までは、渋谷から2駅だ。さして時間をかけずに目黒で山手線を降りると、一矢がいると言った東口の方へ足を向ける。幅の狭いバス通りにすぐに面している西口と違い、こちらはぱっと広くロータリーが広がっているが、紫乃の印象ではどこか華やかさに欠けていてそこはかとなく暗い気がする。

 本人の申告通りの場所に、停めた単車に僅かに体を寄りかからせてぼーっと紫乃を待つ一矢の姿を見つけて、駆け寄る。一矢は近づく紫乃に気づく様子もなく、ぼんやりと少し先の地面を眺めていた。

「神田くん」

「……ああ。お疲れ」

「お疲れぃ。……ねえ、こんなとこで何してんの?」

 どうして目黒になどいたのだろう。素朴にそう思って尋ねると、一矢はしらっと紫乃を見返した。

「あんたを待つって言いませんでしたっけ、俺」

「言ったけどッ。そうじゃなくて!!そもそも目黒で何してたのって話!!」

「ああ……」

 それね、と一矢は僅かに口篭るような素振りを見せた。

「あんたと連絡が取れるのを待ってましたんで」

「……え?」

 その言葉でふと、一矢から最初に電話がかかってきた時間を思い出す。かれこれ1時間半近く前になるのではないだろうか。

「電話がかかってきた時から?」

「……んー?ああ、まあ、そうねー……」

「……」

「あんたが今日どういう予定でいるのかわからんかったんで、家の方、行って見ようかとか思わなくもなかったんですが、それって怖い気もして」

「別に神田くんがいたところで怖くないですけど」

「そうかぁ?明るいとこならいーけど、あんな薄暗がりのボロアパートのそばにぼーっと突っ立ってたら怖いわ気持ち悪いわだろ。ストーカーみてぇじゃん、何か」

「……だからボロアパートって言わないで」

 そう言えば。

 一矢は20何万のマンションに住んでいるのだったか。

 ふとそんなことを思い出した。別段『おぼっちゃま』と言う風情ではないのに、どんな背景があるのだろう。本人のみならず、背景まで不透明な男である。

「ま、ともかく、ついでだから送っちゃるから、乗りなさい」

 紫乃がそんなことを考えているとは知らずに、一矢が単車のシートを開けて半ヘルを取り出した。

「え、いーよ?だって送ってもらうほどの距離じゃないし。それより話、何?」

 尋ねると、一矢はちらっと周囲に目をやった。それからかぽんと紫乃の頭に半ヘルを被せる。

「乗ってくれた方が親切」

「は?」

「いくら何でもそこまで神経太くないわ、俺」

「はあ?」

「お前ん家んトコの方が話しやすいっつってんの。乗って下さい」

「……はい」

 何やら押し切られた形で一矢の単車のバックシートに跨る。目黒駅から歩いて15分程度の距離にある紫乃のアパートまでは、単車で5分少々だった。あっと言う間に到着し、一矢がエンジンを切ると単車を降りる。

「ありがと。何だか良くわかんないけど」

「すみませんね、無理に付き合わせて」

「……どうせここに帰って来なきゃなんないんだから、いーけどさ」

「そりゃそうでしょうけど」

 言いながら単車を降りて停めた一矢は、紫乃から半ヘルを受け取ってシートの下にしまうと、ちらっとこちらを見た。首を傾げて、その顔を見返す。見返しながら、少し、悩む。

 ついでだから、京子と何があったのか、聞いてみようか。

 やっぱりこれも、余計なお世話だろうか。

 昨日、「関係ない」と言われたばかりだ。そう思って口篭っていると、こちらをじっと見ている一矢の視線に気がついた。目を瞬いて首を傾げる。

「? 何?」

「俺さあ」

 一矢の言う『話』とやらだろう。

 そう気づいて続きを待つ紫乃に、一矢は躊躇うように一度、口を閉じた。それから僅かに視線を彷徨わせて、ふうっと息をつくと、紫乃を真っ直ぐ見てさりげなく、続けた。

「あんたのこと、好きみたいなんだけど」

「……………………はあ?」

 余りに何気ない口調で、「風邪でも引いたみたいなんだけど」と言うような口振りで言われて、紫乃はまさしく言っている意味が理解出来なかった。眉根を顰めて、問い返す。

「あんまり、笑えないネタみたいだけど」

 紫乃の回答に、さすがに一矢が苦笑いを浮かべた。

「別にネタじゃねえし。……ま、いーけど。それでも」

 その、自嘲を含んだような笑みに、紫乃の方も困惑をする。ネタじゃない――ならば、何なのだろう。

 完全に理解が出来ずに無言で一矢を見返すと、一矢が小さく息をついた。

「安心しろよ。別にあんたに答えを求めてるわけじゃないから」

 殊更、感情の起伏を抑えているような声で、視線を逸らしながら無表情に一矢が目を伏せた。

「……え?」

「あんたが俺をどう思ってるのかは知ってるし、あんたが誰を好きなのかも知ってるし、何をどうしたいわけじゃないから」

「……」

「ただ、知っといてもらおうと思っただけ。あんたは何も考えなくていい。少なくとも今は、何も求めてない」

「……」

「……昨日の、答えだよ」

 何を、言っているのだろう。

 好き、とか言っただろうか。誰が?誰を?……一矢が、自分を?

 まさか。だってそんな様子、全然なかった。気がつかなかった。冗談なのだろうか。だとすれば少々、タチが悪い。

 言っている意味を全く理解出来ずに置いて行かれているままで、一矢を黙って見上げた。一矢がどこか切ない表情で、苦く笑う。

「……答え?」

「嫌われようと思ったって、言ったろ」

「あ……」

「あんたのことが好きだから、だけどどうにもならないのもわかってるから、嫌われちゃえばいーんだと思った。俺は京子に応えてやることも出来ないし、まとめて嫌われちゃえば、一番良いような気がした。どうするのが一番良いのか、良くわからなかった」

 淡々と言葉を紡ぐ一矢に、言葉が出ない。まだどこか言っている意味が理解出来ないままで、紫乃はぽつっと尋ねた。

「……からかってるの?」

「そう見える?」

「だって……」

 考えたこともなかった。だからどこか現実味がない。大体そう……軽い男ではなかったのか。

「だ、誰にでも言ってるんでしょ?」

 その言葉に、一矢が口を噤む。それから小さく笑った。

「……そう思っても、いーけど」

「……」

「でも、言わないよ」

「……」

「『好きだ』って嘘は、ルール違反だって思ってるから。何を嘘ついたとしても、言わないことにしてる」

「……」

「だけど、信じてくれとも、言わない」

 その言葉が、なぜか胸を抉った。深く傷つけたような気がした。

 けれどまさか、そんなこと、簡単に信用出来ない。

「そんだけ。それ、言いに来ただけだから」

 唐突にどうしたのだろう。そう、いきなり過ぎる。何の予兆も前触れもなく……どこまで読めない男なのだろう。

 無言のままの紫乃の前で、一矢が単車に跨る。フルフェイスのヘルメットを被って、エンジンをかけた。低い唸りが夜道に響く。

「神田くん、あの」

 何か言わなければいけない気がして、慌てて口を開くが、何を言って良いかわからない。そのまま言葉の出ない紫乃に、一瞬動きを止めた一矢は、メットのシールドを押し上げて微かに笑ってみせた。

「お構いなく。さっきも言った。あんたは知っててくれればそれで良いから」

「だって」

「神崎くんと寄り戻した方が一番あんたの為なんじゃないかなってのも、本音。……別にあんたの悩みを増やしたいわけじゃないんだ」

 そう言った顔は、本当に本音を話しているように見えた。答えを求めているわけではないと言われれば、一層言葉を見つけられない。寂しげとも、冷静とも言える横顔を、戸惑ったままで見上げる。

「単に、俺自身の気持ちの区切りが欲しかっただけ。だから、お構いなく」

「……」

「ほんじゃ、おやすみ」

 困惑しきった表情のままの紫乃の頭をぽんと軽く叩くと、笑みを浮かべ直して一矢の単車が走り出した。

 それが消えるまで、呆然と見送る。テールランプの灯りが角を曲がるのと同時に、思わずすとんとその場に座り込んだ。

 遠ざかっていくバイクの音が、まだ街の遠くに微かに残り、そして喧騒に紛れて消えていく。

(何……?)

 今更のように、鼓動が速くなった。

 一矢の姿がいなくなってから、ようやく少しずつ、状況を理解してきた。

(どうしよう……)

 胸の中で、ぽつんと呟く。

 すとんと座り込んだまま、何も映っていない瞳をぼんやりと見開いて、今度は口に出して呟いた。

「どうしよう……」

――自分は、京子に、どうすれば良いのだろう。











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