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In The Mirror  作者: 市尾弘那
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第11話(3)


 あんなに可愛いコ、そうそうお目にかかれない。まだ今からなら横からかっさらうことも出来そうだ。成功すればラッキーだろう。普段の自分だったら絶対、声をかけたに違いないのに。どうせ一夜、うまく繋げれば麻美のようにコンスタントに寝る関係を築けるかもしれない。勿体無いだろう。声をかけてみて、駄目で元々なのだから。

 ……どうしたい?

(紫乃、何してんだろな……)

 声は届かないが、樹里が館本の言葉に笑うのが見える。長谷川と照森は、まるで檻に閉じ込められた動物のように2人の様子を見守っていて、一矢は更にその外、全くの他人ごととしてそんな彼らを眺めていた。

 会いたいのは、紫乃だ。

 見たいのは、紫乃の笑顔だ。

 昨夜、紫乃を海ほたるまで攫って過ごした短い時間は、楽しかった。彼女には迷惑でも、切ない痛みを感じるとしても、それでもそばにいたいと思った。

 紫乃の気持ちは、わかっている。

 そして、答えも。

(……あ〜……どうすっかな〜……)

 目を逸らし、逃げようとした。

 けれど、無駄にもがくだけで、結局感情の望む行動に押し切られた。

 このままもがいていてもきっと、同じことを繰り返すばかりではないだろうか。

 逃げることも進むことも出来ないまま、ただただ想いだけが深まっていく。

――傷ついても怒っても泣いても、好きでそばにいたいのが俺なんだから覚悟する以外にない。

――何も意思表示しないで諦めるのが出来ない気がする。……後悔、したくないし。

 だったら。

 いっそのこと、告げてしまったらどうなのだろう。

 ひとりで頭を抱えていても、空回りをしているだけだ。今までの自分の生き方に、スタンスに、既に楽しいと感じられない今、そこにしがみつくことに何の意味があるだろう。

 他人を遠ざけたかった。

 深い関わりを持つ人は、欲しくなかった。

 けれど、覚悟を決めてみても良いのかもしれない。

 振られたって、良いのだ。いや、振られてしまえば却って、もっと楽になれるのかもしれない。

 振られることは、怖くはない。最初からうまくいくと思っていないからだ。

 むしろ始まりはそこから……一矢自身が自分の気持ちを認め、伝え、紫乃と言う人と向き合おうと努力をしてみること。

 傷つくことを覚悟して彼女と言う人と向き合ってみることは、もしかするとイミテーションの中でもがく一矢の中で、何かを打破するひとつのきっかけになるかもしれない。

 うまくいくことなんか、なかったとしても。

 信頼関係は最初からそこにあるものではなく築くもの――築きたいと思うのならば、本当に欲しいと思うのならば、傷つく覚悟を本当に決めて、駄目なら駄目と腹を括って、向き合ってみても良いのかもしれない。関係を得ることが出来なくても、向き合うことで自分の中の何かを得ることが出来るのかもしれない。

 どうせもう芽生えてしまった紫乃への想いを潰しきることは、出来ない。同じもがくのならば、違うもがき方をしてみても良いのではないだろうか。

 結果論ではなく、もがくその過程に意味を見出そうとしてみても。

(……覚悟、か)

 逃げられないなら、見つめてみるしかないだろう。

 自分と言う人間を。自分がどうしたいのかを。

 ……自分が好きになった、その人の、ことを。

「ハセくん、ナカタサン」

「うおー、樹里ぃ〜。俺の元へ戻ってきてくれぇ……」

「おめぇのじゃねぇよ最初っからッ」

「盛り上がってるトコ悪いんですけど、俺、帰りますわ」

「え、帰るのか?」

「うん」

 紫乃に会いたい。

 会って、伝えたいことがある。

「樹里ちゃんオトしたら教えてねん」

 虚構の中に満足を見出せないことを認め、覚悟を決めると一矢は立ち上がった。

(どうせ、傷つくんだったら……)

 せめて自分の納得がいくように、何かの答えを見つける為に……傷つくことにしてみよう。


          ◆ ◇ ◆


 膝を抱えてリハスタの床に座り込んでいる紫乃の隣では、同じバンドのメンバーの神崎が黙々とキーボードの打ち込みを変更している。その音が繋いだアンプから出るのを聴きながら、紫乃はぼんやりとその横顔を眺めた。

(あいつってホント、全然わかんない……)

 昨夜の、海ほたるに人を突然拉致した一矢の顔を思い浮かべる。

 ああして無邪気に笑っている顔を見ていると、一層どういう奴なのかがわからなくなった。

 紫乃から見ている分には、別段嫌な奴ではないのだ。多少はひねくれた口を利いたり、わざと意地の悪い態度を取ったりはするものの、それは嫌な奴と言うよりは「ガキッッ」と言いたくなる範囲のものである。小学生の男の子がスカートめくりをしてみたり、人が座る前に椅子を引っ張ってみたり、何かその類と近いような程度のような気がする。

(嫌われようと思ったって、何で?)

 その答えは曖昧に避けたまま、一矢は答えてはくれなかった。

 紫乃は、まだ京子には連絡を取っていない。一矢の部屋から『泣いて帰った』と言うあの日、何があったのかを紫乃は知らないし、京子に言うべき言葉が何なのかも良くわからず、泣いてるのかなと思うと心配にはなるが、元々それほど親しいわけでもない紫乃がどの程度京子の傷に触れて良いのかも今ひとつ読めない。

 突然電話をするのもそれはそれで妙な気がするし、かと言って一矢に聞いたとは言いにくい。

(あー、もうー、どうしようー……)

 膝を抱えてそこに頭を乗せると、不意に飛鳥の顔が浮かんだ。

 紫乃が想う如月の彼女になってしまった飛鳥は、今の紫乃にとっては複雑な人物ではあるけれど、京子と確か仲が良かったような気がする。それとなく彼女に電話をしてみようか。

「紫乃。流すぞ。聴けよ」

「あ、うん」

 神崎が打ち込み作業を終えたらしい。その言葉にはっと顔を上げると、神崎はちらっと一瞬紫乃を横目で見て、視線をキーボードに戻した。再生キーを叩くと、今し方神崎が打ち込んだばかりの音と、既存の音が混ざり合って、流れ始めた。

――神崎とは、戻れないわけ?

 不意に、神崎の横顔を見ていて、一矢の言葉が脳裏を過ぎる。

 まさか一矢から神崎とのことを言われるとは思いも寄らなかったから、驚いた。一矢は曖昧に濁しはしたけれど、どうせ言ったのは武藤だろうと思う。別に紫乃も隠していることでもないし、過去の話なのだし、一矢が知っていたところで構いはしないのだが。

(そうなんだよなあ……)

 そう思ってから、しみじみと武藤のことを思い出す。

 意外なほど、武藤は一矢のことを気に入っている。元々武藤は人懐こいし、他人に壁を作る人ではないからわからない話ではないが、何となく「ふうん」と思う。たった数度会っただけで、武藤は一矢と言う人間を認めていると言うことだ。それは、極めて大好きなのかと言うとまたわからないが、少なくとも武藤から見て嫌な奴ではないと言うことだろう。同性から見て『人でなし』の神経を持ち合わせている男とは友達をしたくはないだろうし、であれば武藤から見て一矢は真っ当であると言うことになる。

 いや、紫乃から見たって、優しくはあるのだ。気を使ってくれる。泣いている紫乃に、手を貸そうとしてくれる。「神崎云々」の発言も、その一環だろう。一矢は、紫乃のことを心配してくれているのだ。

 海ほたるで、何も言わずに紫乃を風から庇ってくれていたことに、紫乃は気づいていた。

 なのに、平然と京子を泣かす。

 嫌われようと思ったと言う、その、意図が見えない。

「……紫乃?」

「えッ!?え、あ、何!?」

 考え込んでいた紫乃の思考を、横から割り込んだ神崎の声が現実に引き戻す。

 はっと顔を上げると、神崎がほぼ無表情にこちらを見ていた。

「お前、聴いてる?」

「聴いてない」

「……せめて『ごめんね』とかそういうクッション言葉を使うことを学習しろ」

 あっさり答えた紫乃に、神崎がぼそっと言った。それから流していた打ち込みを、一度ストップさせる。

「お前が打ち込み変えろって言ったんだろが」

「うん。頭がすっ飛んでた」

「もっかい頭から流すから、今度こそ聴け」

 言葉を交わしながら、もぞもぞと姿勢を変えて小さく舌を出す。出しながら、少しだけ、複雑な気がした。

 神崎とは既に、終わっている。一矢に言った通りだ。最初の頃こそ多少ぎこちない空気はあったものの、今ではそれさえも姿を消して、お互いにバンドのメンバーとしてそして付き合いの長い友人として振る舞うことが、板についてきたと思う。……思っている。

 付き合い始めたのは中2の時だった。20歳の頃まで、かれこれ6年ほど付き合っていた。既にどきどきするなどと言うこともなかったし、一緒にいることが当たり前すぎる空気感は、紫乃にとってはもう家族のようなものだ。

 一矢の言う通り、如月のことを忘れる為に最も手っ取り早い手段は、そばにいてくれる人を見つけることなのかもしれないとは思う。それは往々にして失恋の傷を癒す為に選択されることは多いし、と言うことはやはり、有効な手段なのだろう。

 人の恋心と言う奴は実に狭量な感情で、あちこちにばら撒くことが出来る感情ではない。

 心の中に、自分が想うその人の為のスペースが用意され、そこに恋心と言う感情が全部詰め込まれる。

 もしもそばにいてくれる誰かがいるのだとすれば、好意を持ってくれるその人の為の場所を自分の心に用意し、自分で少しずつ『好きな人』のスペースに詰め込まれた恋心を『そばにいてくれる人』のスペースへと引越しする作業をしていくのだろう。

 その速度は人に寄りけりだろうが、行き先のない恋心をただ置いて消えてゆくのを待つのではなく、移す先を用意してから移していくのだから、やはり遥かに楽なのかもしれないと思う。

 そして、神崎であれば、紫乃も文句がないのも確かだ。

 その人となりは良く知っている。口も態度も悪いが、それも含めて紫乃は神崎と言う人間を受け入れているし、かつては自然に恋心を抱きもしたのだから。

 けれど、残念なことに、紫乃の心に用意されている神崎のスペースには、既に別の感情が居座っている。

 『過去の恋』であり、『バンドのメンバー』であり、『誰よりわかってくれる友人』であり、『家族のようなもの』と言う感情だ。

 それを今更『恋心』に置き換えることなど、出来そうにない。

「また聴いてねえし」

「あ、ばれた?」

「ばれたじゃねえ。やる気を出せ」

 どうしても違う方向に頭がすっ飛んでしまう紫乃に、神崎が顰め面で再び再生音源をストップさせると、その合間を縫って何か小さな振動音のようなものが聞こえた。思わずきょとんと神崎と顔を見合わせる。

「携帯。お前じゃねーの」

「あたし?」

「俺の携帯、ここにあるもん」

「あ、そ」

 短く答えて、立ち上がる。そうしている間に振動音が途切れ、隅っこに放置してあるバッグを漁ってみると、ディスプレイがぼんやりと光っていた。視線を落として、目を瞬く。

「誰?武藤?」

「……違う。神田くん」

「は?誰それ」

 それもメールではなく、着信。

 今折り返せる状態ではないから、とりあえず携帯をバッグにしまい直して元の位置に戻りながら、神崎の言葉に答えた。

「こないだライブ来てくれたじゃん〜。Grand Crossのさ」

「ああ。何?お前、あいつのファンなの?」

「ちーがーうー。あたしがファンやってんのはギター。和希さんッ」

「あ、そ。ミーハー」

「だけど神田くんのドラム、いーよ」

「ふうん」

 余り興味もなさそうな顔ですとんと背後に置いてあった椅子に座り込むと、そのまま、神崎がちらっと紫乃に視線を投げた。

「あいつ、お前の何なの?」

「は?……うーん。友達?」

「友達なの?えっらい嫌〜な空気感だったけど」

「ちょっと喧嘩したから。でも多分友達って言っても、怒られないんじゃないかなあ」

「あそ」

 言葉を交わしながら、何の用だったのだろう、と思った。

 何か電話をもらうような心当たりがあるわけではない。それはもちろん、何か明確な用事がなければ電話をしてはいけないと言うものでもないが。

 気になったまま、けれど結局その後1時間ほど、神崎と2人で曲の制作に励みはしたものの、紫乃はどこか上の空のままで、10時半を過ぎた頃、諦めて立ち上がった。

「……カンちゃ〜ん」

「あんだよ」

「あたし、やっぱ今日、もう、帰っていい?」

「帰る?」

「うん。何か頭がどっか集中出来ない」

「いーよ。もう少ししたら武藤も来るだろうし、そしたら勝手にやって適当に帰るから」

「……。うん。そしたらそれはそれで良いけどさ、ちゃんと明日の取材には間に合ってよね」

「間に合うだろ。はまりこんだら、寝なきゃいーんだろ」

「んな無茶な」

「お疲れ」

 大して咎めるでもなくあっさり言う神崎に、紫乃はため息をついて立ち上がった。

 視線をキーボードのディスプレイに注いだままの神崎に、苦笑と共に「お疲れ」と声をかけると、スタジオを出る。階段を上がって受付のスタッフに声をかけると、外に出た。

 D.N.A.がアマチュア時代から使っているリハスタは、渋谷にある。スタッフとも気心が知れているし、融通も利くので使いやすく、未だにここのスタジオを使い続けていた。事務所に行けばタダのスタジオがあるとわかってはいるが、新人としてはなかなか居座りにくく、加えて事務所に行けば如月との遭遇率が上がる。

 会いたくない、わけではない。けれどやはり、会いたくない。

 また込み上げる想いを無理矢理飲み下し、頭を違う方向へ切り替えようとして京子と飛鳥が浮かんだ。

(あ……飛鳥ちゃんに電話……)

 してみようかなと思い、携帯を取り出すと、飛鳥の名前を画面に呼び出す。その名前を見て、少し、躊躇った。

(うまくいってるのかな)

 込み上げたままの如月への想いが、2人の寄り添う姿を脳裏に浮かび上がらせた。

 もう、しばらく如月の姿を見ていないような気がする。

 もう、随分と如月の声を聞いていないような気がする。

 忘れようと思い、会いたくないのに、会いたいと思い、忘れられない。

 ぽたり、と頬を伝った涙がディスプレイを濡らした。画面の中の飛鳥の名前が滲む。渋谷駅へ向かう足を止めて、紫乃は少しの間、涙を堪える為に佇んでいた。

 こんなことがずっと続いて、いつになったらこんなふうに泣かずに済むようになるのか、全く見当がつかない。感情の起伏が自分の予想外のところで起こり、自分で制御しきれていない。

――もっと、あなたのことを、知りたかったのに……。

 胸によぎる笑顔がまた、涙を連れて来る。一度だけ訪れたことがある彼の部屋――飛鳥は、あの部屋で眠ったりするのだろうか。嫉妬が胸を焦がす。

(駄目だあ……)

 嘆息して、飛鳥の名前を画面から消した。今電話をしても、ろくなことを言いそうにない。京子のことが気になるのだが、ともかくも気が静まってから考えよう。

 諦めて携帯をしまいかけ、ふと一矢から着信があったことを思い出した。そう言えば何の用だったのだろう。そう思ってリダイヤルを呼び出し、涙をぼろぼろと落としたままで、今度はまた別の理由で発信を躊躇う。

(……だから、怒ってんのに。あたし)

 一矢をひっぱたいたのは、まだ最近の話だ。あのライブの時こそ一矢もどこかふてくされたような素振りを見せていたが、あれ以降、一矢の方が何事もなかったかのような軽い調子なので、ついついこちらもひとりで怒っていられずにペースに巻き込まれている。

 けれど、許したわけではないのだ。あの時の一矢の、余りに京子の気持ちを思いやらない発言は、今思い出しても腹が立つ。紫乃自身に想う人がいればこそ、尚更だった。如月が見えないところであんなふうに言っていたら、と思うとそれだけで涙が出る。京子だってきっと、同じだろう。

 全く、どうしてなのだろう。他人に気遣いが出来ない奴だとは、思えないのに。他人の気持ちを思いやれないはずでは、ないと思うのに。

――取り巻く環境も、周囲の人たちも、そして自分も……絶対変わるんだわ。だから、ずっと苦しい時間が続くわけじゃない。

――幸せをひとつ見つけただけでも、無駄な恋愛じゃなかったでしょ。

 そうだ、紫乃にかけてくれた言葉は、人への優しさを忘れた種類の人間にはかけられない言葉だろう。きっといろんなことを考えている奴なのだろうと……思うのに。

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