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In The Mirror  作者: 市尾弘那
39/83

第11話(2)

「ええ〜?俺も行かなきゃ駄目?」

「たりめえだろッ。ってゆーかお前が1番アブナイのッ」

「啓ちゃん、モーニングコール、よろしく」

「ふざけんな。そんな気持ち悪いこと誰がするかッ」

 6時半にブレインと言うことは、最低でも6時には家を出たいところである。

 啓一郎ではないが、うんざりした気分になりながら後ろで束ねた長い髪の尻尾を無意味にふりふりしていると、立ち直ったらしい啓一郎がジャケットをきちんと着直して、茶色がかった髪をくしゃくしゃと掻き混ぜた。

「ま、いーや……そんじゃ、明日ね……」

「ほいほい。お疲れ」

「あ、お疲れー」

 啓一郎がスタジオの防音扉を開けて出て行くと、一矢もドラムセットの脇に放り出してあった上着を拾い上げた。もう一度時計を見る。良く行く六本木のクラブと同じ系列のクラブが、先日新しくオープンした。明弘が今日顔を出すと言っていたし、そこのスタッフにも声をかけられているので顔を出そうかと迷っていたのだが、この時間だったらまだ「行って速攻帰らないと明日起きられな〜い」と言うことにはならなくて済みそうだ。

(行ってみっか)

 そう決めて上着を身につけ、何となく財布と携帯を確かめると、武人と並んでスピーカを睨みつけている和希の背中に声をかける。

「ほんじゃあ、俺も今日は上がりますわ」

「あ、一矢さん、どっか行くの?」

「クラブ〜」

「あ、そ。行ってらっしゃい」

「お疲れー」

 和希と武人の言葉を背中に受けて、上着のポケットから単車のキーを取り出しながらスタジオを出る。短い通路を抜けて外に出ると、途端に冷たい空気が一矢の体を包んだ。

(うひ〜……さびぃ……)

 心の中で呟いてから、昨夜、海ほたるで紫乃が同じようなセリフを言っていたのを思い出した。途端、ずきんと微かに胸が疼いた。

 ……どうしてだろう。

 繰り返し、自分に投げかけた疑問が、また浮上する。

 どうして、紫乃のことが、好きなのだろう。

 特別に美人なわけではない。特別に目を惹く何かがあるわけではない。特に何かをしてもらったわけでもない。せいぜい言うのならば、泣き言を聞いてやって、家まで送ってやって、殴られてやったくらいである。感謝出来る事象がない。

(俺って物好き……)

 つい眉間に皺を寄せて苦笑を浮かべながら単車のロックを解除して、手押しで裏門へと向かった。明弘はもうクラブにいるだろうかとふと考えていると、門の外から声がすることに気がついた。

(あれ?まだいんのか)

 啓一郎の声だ。それとあわせて、誰か女性の声が聞こえる。じゃれているような雰囲気に目を瞬きながら嶋村家の敷地を出ると、そこにいたのは啓一郎とその友人であるはずの北川あゆなだった。

「お疲れー。……と、あれー?」

 あゆなと目が合う。

 あゆなはこれまでにも度々Grand Crossのライブに来てくれているし、何度かみんなで飲みに行ったりもしている。身内に近いファンと言うか、むしろ友達が応援してくれていると言うような感じだ。

 そして、美保の他にもうひとり、一矢から見て啓一郎に好意を寄せているのだろうと認識している人物でもある。

「何だ。あゆなちゃん?」

「お疲れ」

「どしたの?」

 あゆなは、啓一郎と仲が良い。それは知っている。かなり仲が良いはずだ。啓一郎が風邪でぶっ倒れていた時に部屋に様子を見に行ってやると、啓一郎ではなくてあゆなが一矢のチャイムに答えるくらい、仲が良い。

 それはわかってはいたが、こうして練習終わりのスタジオの外に迎えに来ているとなると……どういうわけだろう。むしろ中まで入って来てしまうのであれば、まだわかるのだが。先ほど啓一郎が曖昧に濁したのも、妙と言えば妙だ。今更隠す理由がない。

 きょとんと啓一郎とあゆなを見比べると、啓一郎が少しバツが悪そうに前髪をくしゃくしゃと掻き混ぜて、それからポケットに両手を突っ込んだ。少々口篭りながら、言葉を探すように視線を彷徨わせる。

「あー……あゆなと、待ち合わせてて」

「は?待ち合わせ?」

「まぁ……。メシ行こうって言ってて」

「……」

 啓一郎の家に行くくらいだから、食事に行ったりするのも別に今更だろう。

 にも関わらず、その歯切れの悪い、どこか気恥ずかしげな雰囲気に、ピンと来た。突き当たった考えに、驚いて目を丸くする。

「え?あれ?って、は?」

 一矢が察したらしいことを、啓一郎もわかったらしい。もごもごと口篭るようにして、照れたようなふてたような顔で、話を打ち切ろうとする。

「まあ、そーゆーことで」

「……いつの間に」

「……さて?」

 付き合っていたとは知らなかった。

 いや、この様子を見る限りでは、ごくごくごくごく最近の話なのだろう。

「へぇ〜」

 にやにやと冷やかすように呟くと、啓一郎が噛み付くように一矢を睨み上げた。あゆなは恥ずかしそうな顔をしたままで、そっぽを向いて黙っている。

「……何だよ」

「……何よ」

 2人に同時に言われて、一矢はにやにやと笑いながら単車を道路へ押し出した。押し出しながら、和希は知っていたのではないだろうかと言う気がした。

 昨日の和希の言葉――意思を伝えてくれる誰かを見つめてみるってのも、ひとつの選択なんだなあって最近気がついた、俺。

 あれは、由梨亜を想っていた啓一郎が、あゆなの気持ちに応えてやったことを示していたのではないだろうか。

(なるほろね……)

 そういうことだったのかと思いながら、とりあえず単車に跨ってエンジンをかける。会える時間がさほどあるわけではないだろうから、余り時間を取らせてしまってはあゆなが可哀想だろう。邪魔者はさっさと消えてあげるに限るのである。

「いぃえ〜?そんじゃ、短い逢瀬をごゆっくり。……ほんじゃぁね〜」

「とっとと帰れッ」

 ひらひらと片手を振って告げる一矢の背中を、啓一郎の怒鳴り声が追いかけて来た。くすくす笑いながら夜道を麻布の方へ向かって走り出す。

 走り出しながら、ふと、気になった。

 啓一郎は、どういう心理状態で、あゆなの気持ちを受け入れることに決めたのだろう。

 2人が付き合っているのだとすれば、先に想いを抱いたのは間違いなくあゆなだ。一矢から見ていてもあゆなはずっと啓一郎のことが好きだったのだろうと言う気がしたし、啓一郎が好きだったのは、間違いなく由梨亜なのだから。

 だとしたら、どういう心境の変化が起こったのだろう。今は、どういうつもりであゆなといるのだろうか。啓一郎の中で、由梨亜への自分の想いと言うのはどのように処理されたのだろう。

 受け入れてもらうことの出来なかった恋心は、自分の意志と時間の力によって、次第に磨耗していく。いや、していかなければならない。

 いつかは紫乃も、如月への苦しい想いから解き放たれることもあるだろう。

 その時、彼女は、どうするのだろうか。

 とりとめのないことを考えながら、事前に聞いていた麻布のクラブ付近まで来ると、時間貸しの駐車場を探す。そこから七面坂の方向に少し歩いて環状三号線より手前の道沿いに、そのクラブ『Beat Cafe』を見つけて中に入ると、受付をしている人間が既に知っている人間だった。

「何だ。ぶちょーさんが受付やってんの?」

 本名は知らない。一矢が良く行く六本木のクラブ『marvelous』の店員だ。その由来は知らないが、スタッフや客に関わらず『ぶちょー』と呼ばれている。

「お。やっぱり嗅ぎ付けてきやがったな?」

「嗅ぎ付けて来たんじゃなくて、ミッキーさんに『顔を出さなかったら家に火をつける』と脅されまして」

「何だよ、ミッキーさん、やるなあ……」

「感心してないでお説教しておいて戴けません?ミッキーさんが灯油缶持って俺ん家の周囲をうろうろしてるんじゃないかと思うと、危なくておちおち寝てられないんれすけろ」

 共通の知人であるDJを挨拶代わりに槍玉に挙げながら、金を支払おうと財布を引っ張り出すと、『ぶちょー』に止められた。

「いーよ、今日は」

「何?フリーパスの日なの?太っ腹〜」

「ちゃう。けど一矢、今日、初だから」

「ここ?」

「そう。だから次から自腹で足繁くいらしてねん」

「考えとく」

 フリーチケット代わりの、チェーンに通されたコインを受け取って、それをぐるぐると適当に手首に巻きつけながら入り口へ向かう一矢の返答に、『ぶちょー』が苦笑いを浮かべた。

「んじゃあそれ返せ」

「いやん。来る来る。……あ、そだ。明ちゃん、見た?」

「今日?今日は知らねえなあ。昨日見たよ」

 昨日かよ、と軽く眉を上げる。だったら多分、今日は来ないだろう。どこにいるのだろうか。『listen』にいるのか、はたまたその他のバーやクラブか、渋谷でナンパか。

 別に明弘に会わなければならない理由もないので「あ、そう。らじゃ〜」と返事を返すと、『ぶちょー』が思い出したように付け足した。

「あ、んでも、ハッセーとかナカタサンとかさっき来てたよ。ってか、さっき来たばっかだから、まだその辺手近なトコをうろうろしてんじゃねえ?」

「見つけられないほど広いの?中」

「……まあ、教室程度のものですよ」

 嫌な例えだなあと笑いながら扉を開けると、そこはすぐにバースペースになっていた。やや照明の落とされたゆったりとした空間になっている。その奥に吹き抜けの階段があり、クラブフロアーにも壁際にテーブルやソファが設置されていて、色とりどりの照明が人の姿を舐め回しながら床や壁を駆け回っていた。

 響く低音に指先で軽くリズムを取りながら、階段の上に立ったままフロアを見回す。と、階段を降りてすぐのところに『ぶちょー』の言っていた『ハッセー』と『ナカタサン』の姿を見つけた。向こうもこちらに気づき、「おお〜」と声を上げるのが素振りでわかった。

 『ハッセー』は長谷川、『ナカタサン』は照森てるもりと言う名前だったと思う。照森は自称有名サッカー選手似と言うことで、名前と全く関係のない呼び名で呼ばれているようだ。2人とも、下の名前は知らない。連絡先も知らない。ただ、クラブで知り合って、顔を合わせれば一緒にいると言うような程度の知り合いだ。一矢には、その類の知り合いが多過ぎた。

「一矢、久しぶりじゃねえ?」

「あ、そうかも。ハセくんと会うのっていつぶりだっけ?どっか元麻布のバーで偶然会ったよね?」

「会った会った!!あれだろ、俺がチトセ連れてた時……」

「だっけ?あれ?アイちゃんじゃなかったっけ」

「え?アイだっけか?……え、馬鹿、違ぇよ、チトセだろ?」

 本人にでさえ定かでないものを、浅い友人に過ぎない一矢が明確に覚えているはずもない。苦笑いしながら階段を側まで降りきると、DJがブース越しにしゃべる声が聞こえてきた。

「今日、トニーさん?」

「そう」

「ミッキーさんは?」

「今日あっちいんじゃねえの?『marvelous』」

「あ、何だ。せっかく放火の恐怖から逃れられると思ったのに」

「放火?何?」

「何でもない。ふうん」

 照森が一矢の座るスペースを作ってくれたので、その隣に腰を下ろしながら、照明の回るフロアにぼんやりと目を向けて煙草を取り出した。

「珍しいね。ハセくんとナカタサンの2人だけ?」

「今は。後で渡部とノリスケが合流するっつってるけど、わかんねぇ」

「ふーん」

「一矢、明弘は?ミズノとかアツシは今日一緒じゃねぇの?」

「明弘は昨日来たって、さっきぶちょーに聞いた。ミズくんとアツシは最近知らない」

「あ、そう。あれは?前にマスコットみたいなの連れてたじゃん」

「マスコット?」

「何つったっけ?高校生?」

 言われて考えた一矢は、それが武人のことだと気づいて吹き出した。前に3,4回、武人を連れて行きつけのクラブにいくつか行った時に、長谷川とは確かに遭遇した覚えがある。だが、いつも武人をクラブに引きずり回しているわけではない。

「あれは、たまたま。元々武人は、そんなにクラブ遊びしたりする方じゃない」

「ああ、そうなんだ」

「タミーと久美ちゃんも今日覗きに来るとか言ってたよ」

「……だからナカタサンは今日いるんだ」

「うるせえ」

 当たり障りのない、余り中身のない言葉を交わし、途中で立ち上がってバーカウンターへ足を向ける。テキーラサンライズのグラスを受け取ってまた元の場所に腰を落ち着けると、なぜか小さく、ため息が漏れた。

 居心地が良かったことなど、ない。それを本当に楽しんでいるのではなく、イミテーションを求めて虚構の中に身を置いている自分を知っているからだ。けれど人恋しくて、人が溢れる場所へ、こうして足を運ぶ。その場限りの友人と、一夜限りの恋が、そこでは手に入る。

 こうした場で一矢と親しくなるのは、同類ばかりだ。いや、一矢ほどに人恋しさを感じているわけではないのかもしれないが、求めてくるのはその場をただ楽しくやり過ごすことが出来るだけの儚い友人関係と、そしてゲームとしての男女関係である。

 けれど最近、そんな自分に疑問が湧き始めている。和希の言葉が、耳をついて離れない。

――傷つくことも、嫌な思いをすることも、腹決めて覚悟して、いるしかないんじゃない?

「あ、樹里」

「え?」

 一瞬ぼんやりとしていた一矢は、照森の声でふと我に返った。咥えた煙草に火を点けながら照森が指す先には、ちょうど階段を降りてこようとしている女の子の姿がある。

「ジュリ?」

「本名は知らないけど。知らない?樹里」

「知らない。俺のお友達?」

「そんなん知るかよ。お前に覚えがないんなら違うんだろ」

「可愛いって結構有名で」

 長谷川が口を挟んだ。樹里、と言うらしいその女の子は、まるでお姫様のようにフロアに視線を注ぎながら階段を降りてくる。

「へえー」

 言われてみれば、確かにかなり可愛い。ちょっとしたアイドルのようだ。もちろんこういう場で注目を集めるような女の子だから清楚さとは無縁と言えるが、それでも一度クラブに足を運べば絶え間なく男から声をかけられるだろうと予想がつく。

「わりとあちこちのクラブに行ってるらしくってさ、有名。でも声かけてもなっかなか引っ掛かってくんないとか言う噂」

「ほー」

 言っている間に、樹里が階段を下りきる。一矢たちのテーブルのすぐ間近を通過して、獲物を狙うような男どもの視線に気づいていないとは思えないが、あっさり無視して通り過ぎていく。

 長谷川が、隣から一矢を肘でつついた。

「行かないの?」

「は?何で俺?」

「一矢って、何かしらんけどナンパ、異様に上手いんだもん」

「……ありがたい称号として頂戴致します」

「樹里、行くんだったらさっさと声かけないと他の奴に取られちゃうよ……あ、あ、あれ、館本?」

「あ、やべえ、館本、樹里、行くぜ」

 長谷川と照森の会話を聞きながら、一矢はソファにすとんと腰を沈めて、樹里と呼ばれている女の子の姿を何となく目で追っていた。

 前の自分だったら、声をかけに行ったかもしれない。

 確かに、目を惹かずにいられない可愛さだ。一矢はナンパで玉砕することは大して怖くもなければ傷つきもしないから、今までならとりあえずのところはちょっかいをかけてみた……ような気も、する。

 けれど、なぜか、そんな気が起きなかった。

「あ、行った行った。……おいおい、ちょっと樹里、引っ掛かっちゃってんじゃねえの?」

「あ〜馬鹿馬鹿。館本の誘いなんて乗ったら……」

 お前らは樹里の何なんだと突っ込みを入れたくなる2人の会話に思わず吹き出しながら、赤や青のライトの中、館本と言う男に向かって笑う樹里の横顔をぼんやりと眺めた。

「あ〜、いいなあ、あれ。俺も駄目モトで行ってみれば良かったかな……」

「やるだけ無駄だろ」

 なぜだろう。

 浮かない自分の胸中に、問いかける。

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