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In The Mirror  作者: 市尾弘那
37/83

第10話(3)

「もしもし……」

 紫乃の声が、暗い廃墟の闇に小さく響く。

「俺。一矢」

「わかってます。今、どこいんの?」

「渋谷。電話しろって何?」

「……………………………………うーん」

「何だよ……」

 携帯で話しながら、ドアの前を離れる。行きと同じように狭い庭を横切って門を乗り越えると、単車を停めたところまで歩いて、すぐそばの壁に寄りかかった。

「お話をしてみようかと思って」

「……………………………………何それ」

「うまくまとまってないんだけどー……」

「京子のお話?」

「それもある」

「あ、そう。で、俺はあんたに説教されなきゃならんわけね」

「遠まわしに言えばそうなるのかもしんないけどー……」

 何だか歯切れが悪い。

 以前と違って、怒り狂っていると言う感じではなさそうである。

「顔見て話そうよ」

「また殴られるのはお断りなんですが」

「殴らないよ、多分」

「多分?」

「話の流れでわかんないけどー」

「こら」

 見えないとわかりつつ、つい目を細めてぼそっと突っ込むと、紫乃が小さく笑った。

「……京子の話なら、基本的に君はもう関係ないでしょ」

 やや間を置いて、ぽつっと言う。紫乃が沈黙した。嫌われてしまいたいのか、諦めてしまいたくないのか、揺れる気持ちに一矢も沈黙を保つ。やがて紫乃が押し殺すような声を出した。

「だったら……」

「……」

「だったら、どうしてあんなこと言ったの!?関係ないと思うなら、口を挟んで欲しくないと思うなら、あんなことあたしに言わないで!!」

「……」

「あたしは京子ちゃんの友達だもんッ。放っておくわけに、いかないじゃない!!放っておけるわけがないじゃない!!どうしてあたしに、あんなこと言ったの!?」

「……どうすれば良い?」

 電話口で怒鳴る紫乃に、一矢は静かに尋ねた。

「え?」

「俺。今から。顔見てお話すんでしょ。殴るんなら、殴ってもいーよ。お前、今どこいんの」

 淡々と尋ねる一矢の声に、一瞬無言に陥った紫乃は短く「目黒」と答えた。

「家?」

「家」

「ふうん……わかった」

 ポケットを漁る。片手で単車のキーを鳴らしながら、壁に預けた背中を起こした。

「今からそっち、行くわ。待ってて」


 紫乃の家の場所は、前に一度送って行ったからわかっている。

 単車を走らせて目黒のボロアパートに辿り着くと、既に紫乃が外で待っていた。その前に単車を停めて、メットのシールドを押し上げる。

「コンバンワ」

「……何のんきな挨拶くれてるかな」

「挨拶は大事でしょー。良く俺、こっちに戻ってるってわかったね」

「さっき池袋で啓一郎くんに遭遇したもん。スタジオ終わりって言ってたから」

「あ、そう。啓一郎、まだ池袋なんかうろうろしてたの?……乗る?後ろ」

「どこに攫ってく気」

「顔見てお話って、ここで立ち話?それともお部屋に上げてくれるの?」

「上げるわけないでしょ!!」

 にやーっと笑った一矢の言葉に噛み付くように言い返すと、紫乃は「んじゃちょっと待ってて」と言い残して一度部屋に戻った。装備を整えて出直してくると、一矢から半ヘルを受け取る。

「どこ、行くの」

「どこでもー。でもなあ。その辺の店で殴られるのはちょっと嫌だからー」

「殴るなんて言ってないじゃん……」

「わかんないじゃん。……海」

「はあ!?」

「海行こ、海」

「何であんたと海なんか行かなきゃなんないのさー」

「殴り放題だよ」

「……別にあたし、ヤキ入れようとしてるわけじゃないんだけど」

 似たようなもんでしょ、と笑って舌を出すと、紫乃も小さくため息をついて大人しく後ろに跨った。遠慮がちに一矢の腰の辺りに手を伸ばすので、無理矢理しっかりしがみ付かせる。

「ぎゃあ」

「あんねえ、俺にしがみ付きたくないのはわからんでもないけど、落とすよ。ぽろって」

「やめて」

「だったらちゃんと掴まって」

 諦めてしっかりと一矢の体に紫乃がしがみ付いたのを確認して、単車を発進させた。この季節、海なんて地獄のように寒いだろうとは思うが、冬の海はそれはそれで割りと好きだったりもする。付き合わされる紫乃はたまったものではないだろうが、そうそう付き合ってもらえるわけでもないだろうから良いだろう。

 目的地を勝手に定めて目黒駅前からJR線沿いに品川方面へと走らせる。双方、何らの意図があるわけではないとは言え、一矢の腰に回された紫乃の腕が、背中に感じる紫乃の触れるおでこが、胸に切なさをかきたてた。加速する鼓動……温もりさえ愛しくなる。彼女の胸の内にある一矢への感情は、一矢とは裏腹なものだとわかっているのに。

「ねえッ」

 信号待ちで停止した単車に、紫乃が背中から声を上げた。

「はい〜?」

「ドコ向かってんの!?」

「う〜み〜」

「それはわかってんのッ」

 ばしっと紫乃が一矢の背中を殴った。笑いながら、ちらりと振り返る。

「いてぇな」

「海ってどこ」

「ついてからのお楽しみ〜」

「はあッ?あんまり遠くまで攫わないでよッ?」

 紫乃の反論をふかしたエンジン音で掻き消す。また紫乃の手が背中を叩くのを感じて笑いながら、動き出した車の流れに一矢も単車を走らせた。そのまま国道を辿り、大井インターチェンジで首都高速に乗ると、そのまま川崎方面へと向かう。次第に海の香りが近付いてきて、平日の夜も遅いせいか道路を走る車の姿は少なく、快適だった。アクアラインへと差し掛かったトンネルでも車の姿は見当たらず、せっかく海を渡る道だと言うのに紫乃に景色を楽しませてあげられないのは残念だ。これが木更津方面からならば海の上を走る道を楽しめたのだが、さすがにこんな時間から意味不明に都内から千葉へ回ってアクアラインを渡るわけには行かない。

 10キロあまりの長いトンネルを抜ける。そこはもう東京湾の真ん中で、すぐに海ほたるである。3階の駐車場に単車を停車すると、それまでしがみ付いていた紫乃がずるっと力を抜いた。

「……あんたって」

「何れすか」

「こんなとこ来なきゃお話出来ないの!?」

「だって俺、アクアラインを通過したことはあっても海ほたるって降りたことなかったんだもん」

「……」

 紫乃が無言でがっくりと項垂れた。ヘルメットを外してそれぞれ単車を降りると、勝手にすたすたと歩き出す一矢の背中を紫乃が追いかけてくる。

「あのねえ」

「アクアラインって、夜通ると綺麗なんだよね」

「……何しに通過するの」

「いや別に。木更津までのただのツーリング。昼は昼で気持ち良いけど、どっちにしても高いからあんまり来られない」

「じゃあデートで来ればいーじゃんよ……」

 エレベーターの前で足を止めて、ボタンを押す。ちらっと紫乃を振り返ってから、目線をフロアランプに戻した。ドアが開く。

「んじゃあデートってことにしましょう」

「いーやーでーすー」

「そんなに強調するな」

「あたし、怒ってるんだってば」

「へいへい」

 上昇するエレベーターの中で、紫乃は無言だった。その横顔を無言で見下ろして、少し迷う。迷いながら、口を開いた。

「……だってどうせ、寝れてないんでしょ」

「……」

「寝れてんの?」

 紫乃が無言で顔を上げると、がくんとエレベーターが止まった。ドアが開く。返事を待たずにすたすたと出て行くと、紫乃がまたも慌てて追いかけて来た。

「あれ、ここどこ?」

「あたしに聞かないでくれる?……海ほたるって、何だっけ」

「さあ。海とか見えるんじゃないの?ここはどう考えても展望出来るようには見えない」

 ゲームセンター風の店があるフロアに出てしまった。他の店は閉店しているのか、人気もなくて何やらがらんとした感がある。何も考えずにフロアボタンを押したので、読み違えたらしい。エスカレーターを発見して足を向ける。一矢より数段下のエスカレーターに足を乗せて、紫乃が見上げた。

「あたしが眠れないのと、こんなトコまで拉致ってんのと、何か関係あるの?」

「テンション上げといた方が、帰ってバタンって眠れそう。あんなボロアパートの前でぼそぼそ話してるよりは、気分転換になりません?」

「ボロアパートって言わないで」

「じゃあ高級マンション」

「……どうしよう、あたし殺したくなってきた」

「殺してぇ〜ん」

 へらへら言いながら軽い足取りで長いエスカレーターを逃げるように上っていく一矢の背中を、紫乃の怒鳴り声が追いかけて来た。

「まじ殺すッ。『殺して』言うなら逃げるなッ」

「いや〜ん、あのヒト殺人鬼〜♪」

 どしどしと紫乃の気配が追って来る。思わず笑い出しながらエスカレーターを逃げ上がっていくと、今度は確かに展望フロアに出たようだった。ドアの外のデッキは、幻想的に青く発光している。足を止めた一矢に追いついた紫乃が、外に目を留めて目を見開いた。

「うわー。すっごい。綺麗」

「海は黒一色やな……」

「この時間に真っ青だったらびっくりじゃないの?え、凄〜い」

 今し方まで殺人鬼だった紫乃は、ころっと態度を変えて足早に外へ向かった。その背中に苦笑して、後に続く。

「うひーッ。さぶッ……」

「2月れすからねぇ。でもまあ2月も終わりですし」

「何の慰めにもなんないよッ」

「じゃあゲーセンで遊ぶ?」

「何しに来たの……。せっかくだから、見てく」

 そう言って、紫乃がデッキへと飛び出て行った。海上のせいもあるのか、刺すように冷たい風は強く、青っぽい光に彩られた紫乃の背中で長い髪が激しく煽られている。

「紫乃、そっち、階段」

「わかってますー」

「転げ落ちんなよ」

「子供じゃないんだからー」

 デッキの少し先は階段になっていた。階段にもぽつりぽつりと青いライトが向けられている。階段を降りると直接海に面したデッキになっているようだ。ベンチがある。青一色ではなく、ところどころにある暖色のライトがまた、綺麗だった。

「うあ〜でもまじ寒〜」

「こんな季節に東京湾のド真ん中に来るとは、あんたも酔狂やねぇ……」

 階段を降りる紫乃に続きながら言うと、紫乃が振り返って睨んだ。

「攫ったのはあんたでしょ」

 デッキの方にも余り人の姿はない。奥のベンチの方に微かに見える人影はカップルだろうか。……向こうから見れば、こちらもカップルに見えるのだろうか。

「あれって、川崎?」

 黒い景色の果てに広がる灯りを、紫乃が指差す。

「そ。川崎。……後はゆりかもめとかあの辺?」

「あ、そっちの方も見えるの?」

「方向的には見えてなきゃおかしいんですが。……あんた、方向音痴?」

「……う」

 隣に並んで、吹き付ける強風からさりげなく紫乃の体を庇いながらしらっと尋ねると、紫乃が言葉に詰まった。唇を尖らせて一矢を見上げると、そのまま視線を遠い夜景に移す。

「意外と、人がいないんだね」

「平日だしね。時間も時間だし。いるのは女の子連れ込んでミョ〜な雰囲気に持って行こうとしているカップルくらい……」

 一矢の言葉に、紫乃がずざっと後退した。海に目を向けたままへろへろと舌を出してみせる。

「それと、ほぼ男同士に等しい同僚くらいか」

「……待って。物凄くいろいろ聞きたいことが出来たみたい、あたし」

「どうぞ?」

「あたしの性別は?」

「知らない」

「やっぱ殺す……」

 またも紫乃がばしっと一矢の背中を叩く。手摺りに体を持たせかけてくすくす笑いながら、一応否定をしてあげることにした。

「嘘嘘。立派に女の子です」

「フォロー見え見えだから別に言わなくて良い」

「……本当だよ」

「……」

 全く、本当に女に見えないのであれば、こんなつまらないことを悩まなくて済んだはずなのに。

 痛んだ胸が掠れさせた言葉に、紫乃がそっと首を傾げるのが視界の隅で見えた。それ以上何も言わない一矢に、紫乃も無言で海に視線を戻す。

「……あんたさあ」

 横殴りの風が、痛い。けれど、横幅はないものの身長や肩幅が多少なりともある一矢の体は、一応は紫乃の風除けに役立っているようだ。先ほどよりは幾分か寒そうな様子を見せない紫乃にほっとしながら、一矢は長い沈黙を破った。

「神崎くんと付き合ってたんでしょ」

「……えッ?」

 驚いて顔を上げる紫乃を、横目で見る。

「何でそれ」

「どこからともなく。……神崎とは、戻れないわけ?」

「……」

「余計なこと言ってますけど」

 紫乃が無言で暗い海を見詰めた。デッキの後ろの方で、カップルの女の笑い声が微かに聞こえる。波の音、風の音、木製のデッキが微かに軋む。

「戻れない」

「……それが、あんたにとって、一番良い選択なんじゃないの?」

「……」

 無言の紫乃が、微かに顔を歪めるのが見えた。

「カンちゃんとは、終わったの」

「終わらせたのはあなたでしょ」

「そうだけど。……やだな、何でそんなことまで知ってんのかな」

「いろいろと。あんた、神崎くんとまとまった方が、幸せになれるんじゃないですか。元々付き合ってたんだ。今も嫌ってるようには見えなかった。……安眠出来るんでないでしょーか」

 言いながら、密かに胸が痛む。そんな心情を一切表に出すことはせずに淡々と言う一矢の言葉に、紫乃が顔を上げた。

「嫌いじゃないよ。好きだよ。だけど恋愛としての関係は、もう終わったの。済んだの」

「でも如月さん忘れたいんだったら、誰かそばにいてくれる人を見つけるのが手っ取り早いんじゃない。それが神崎なら、文句ないんじゃないの?」

「……そうかもしれない」

 煽られる紫乃の長い髪が、時折手摺りにかけた一矢の手に触れる。それだけのことなのに、その度に心が惑わされるような気がする。……揺れる。

「そばにいてくれる人を見つける、かぁ……」

「別に無理にとは言いませんが」

「……うーん。そうだよね。だけどそう簡単に見つかるものでもないし」

「そう?」

「そりゃあ神田くんはいろんな女の子と遊んでるのかもしれないけどー?でも、あたしって、あんまり女っぽくないし、もてるわけじゃないし」

 友達にならわりとすぐになれるんだけどなあ、と紫乃は頼りない顔で笑った。

「それに、あたしの気持ちがまだ、動かないんだもん……」

「……」

「……」

「和希とかー」

「あんねえ……そりゃあ好きですけどッ。ファンはファン。別問題。大体和希さんって彼女いるじゃないよー」

「あれ?何で知ってんの?」

「何でも」

 歯を見せてにーっと笑って見せた紫乃は、そのまま少し、黙って一矢を見ていた。その視線に、顔を向ける。

「……照れますな」

「あんたってあほ?」

「う〜ん。肯定するにやぶさかではございません……」

 おどけて答える一矢に、小さくため息をついた紫乃は、「ほんっとわっかんない」と海に向かって呟いた。

「何が」

「……心配、してくれるじゃん」

「……」

「あたし、眠れなかったりとか、泣いてたりとか。……そういうの、こうやって気にしてくれるし元気付けようとしてくれんのにさ」

「……」

「……どうして京子ちゃんにはそういうひどいこと、平気で出来るのか、全然わかんない」

 無言で、返答を避ける。

 言葉のない一矢に、紫乃が再び口を開いた。

「友達のあたしにはそうやってしてくれんのに、優しく出来んのに、恋愛になると不誠実に見える。何だか良くわかんない。……京子ちゃんのことが、嫌いなわけじゃないんでしょう?」

「嫌いじゃないよ」

「じゃあ、どうして傷つけるようなこと、わざとすんの?」

 紫乃の口調には、以前と違って責めるような色はなかった。ただ、淡々と疑問を口にしているだけのように見える。答えを探して手摺りに頬杖を付き掛けた一矢は、その瞬間遮るものがなくなった風が一瞬紫乃に強く吹きつけたことに気がついて、もう一度体を起こした。

「……嫌われようと思ったから」

「誰に?京子ちゃん?」

「あんたにも京子にも」

 一矢の回答は、紫乃の中で予想していなかったもののようだ。目を丸くして、口を噤む。

「……どうして」

 紫乃にこれ以上、惹かれるのが嫌だからだ。

 京子に好意を持たれることを、そして傷つけることをどうでも良いと言い切れなくなりそうだからだ。

 手っ取り早く、まとめて投げ出したかった。

 けれど、既に深みに嵌まろうとしている気がする。

 引き返せなくなりつつあるような気がする。

 理性の強いる行動を、感情が裏切ることが、その証拠のような気が。

 こうして過ごす僅かな時間がまた心を煽ることを知っていながら、感情に理性が抵抗出来ない。

「さあ……」

 傷から逃げてばかりいたけれど、もう一度、傷を受ける覚悟をしなければいけないのかもしれない。

 どんなに抵抗しようとしても。

 起こす行動は自己嫌悪を跳ね返すばかりだ。

「どうしてだろうね……」

 どんなに頑張っても、紫乃を想う自分の気持ちから、逃れる方法がわからない。


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