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In The Mirror  作者: 市尾弘那
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第8話(4)

          ◆ ◇ ◆


 メンバー全員が東京出身で、東京を本拠地として最初から活動しているGrand Crossは、逆に言えば地方に弱い。

 東京が本拠地と言えば聞こえが良いが、最もチャンスが多く転がっているのが東京だと思う人間がぞくぞくと東京に集まってくるのだし、冷静に考えれば東京は転がっているチャンス以上にライバルの数の方が圧倒的に多いのである。

 いくらチャンスが全国のどこより多く転がっていたとしたって、それを争奪するライバルの数が増えれば倍率は当然上がるわけで、ならば少ないチャンスでもライバルも少ない地方である程度伸し上がってから上京する方が近道ではないかと思ったりもする。

 ともかくも地方に弱いGrand Crossは、東京と往復しながらではあるがちゃくちゃくと地方でのライブをこなしている。

 こなしてはいるが、そもそも名前を知られていないのだから、来る人間は、儚い。

 壁相手のライブを続け、ようやく人間相手にライブをやったと思ったらつまらない揉め事に巻き込まれてバケツの水でも被った日には、さすがに気力も萎えようと言うものである。

 先日の啓一郎の話では、ソリティアの姿勢も何だか弱気のようだし、LUNATIC SHELTERと言う同じ時期にデビューを予定している別のバンドのファンから睨まれている様子でもあるし、何やら雲行きの怪しい未来に暗澹として疲れ果てた体で自宅に戻ってみれば、誰もいない冷え冷えとした空気が一層、一矢のテンションを落とし込んだ。

 晴美が秋菜に攫われるように帰ってから、この部屋にちゃんと帰ってくるのは、初めてだ。短い『擬似家族』生活は、やはり却って宜しくなかった。人のいる空間の温もりと言うものを思い出してしまったせいでこの部屋に戻るのが一層気が重く、地方に出ている時以外は、知人の女の子の部屋に泊まったり、朝までクラブで遊んだりして着替えの為に戻るだけだった。

 また、ひとりに慣れるのに少し時間を要しそうだ。

 灯りだけがついたリビングの大きな窓の向こうに、相変わらず変わり映えのしない渋谷の夜景が広がっている。晴美が張り付いていた後ろ姿を思い出した。

 誰もいない冷え切った部屋に足を踏み入れて深々とため息をつくと、静寂を嫌ってテレビのスイッチをオンにする。ブラインドを下ろそうとして、何気なく顔を向けたテレビの画面に思わず凍りついた。

「こんばんは。Blowin'です」

 毎週深夜にやっている、CDのランキング番組だ。その週のヒットチャートランキングのPVを曲の解説と共に流し、アーティストによってはコメント映像と演奏を収録して流したりもする。

「2月の18日に発売した9枚目のシングル『WILD CARD』がウィークリーチャートの3位に入ったと言うことで、本当にありがとうございます……」

 ヴォーカルの遠野のコメントを聞きながら、画面の中で無表情に座っている如月の姿に視線が釘付けになった。

 全く、何と言うタイミングだろう。

 地方で客のいないライブを繰り返して疲れ果てて帰ってみれば、一方では全国ネットでベストスリーのランクイン・コメントだ。比較せずにいられない相手なだけに、比較にならないことを痛感してしまう。

 紫乃が振られていることは、わかっている。わかっているが、そうだとしたって紫乃の視線が如月からこちらに移ることは考えられないと思わざるを得ないではないか。

(面倒臭ぇ……)

 軽く舌打ちをして、テレビを切った。再び戻った静寂の中、紫乃の、泣いた顔や笑った顔……そして、怒った顔が脳裏に過ぎる。

(……気がつかなきゃ、良かったのに)

 『マジメニレンアイ』など、性じゃない。誰でも良い、どうでも良い――そうでなければ、ならない。

 下ろし掛けたブラインドをそのまま放り出して、とりあえずシャワーを浴びる。それからしばらく、缶ビールと煙草を片手に、ぼんやりとした。ぼんやりとしたまま、そっと頬に指先を伸ばす。

 思い切り平手打ちをされたとは言っても、漫画でもあるまいし手形が残るほど紫乃が怪力のわけではない。当初は火照りを残してはいたが、跡など既にどこにもないし、痛みもない。

 けれど、心に残った痛みだけが、健在だ。

 複雑な気持ちは、いくつもの理由が絡み合っているのだろう。

――そばにいられるたびに好きな気持ちが育っちゃって……

 未だ、紫乃の心には如月がいる。彼女が出来たからと言って、そうあっさり忘れはしないだろう。今も紫乃は、如月のことが好きなのだ。

 そう思えば、自分と如月を比較せずにはいられない。先ほどのテレビと相まって、いつか見たBlowin'のディスコグラフィーやバイオグラフィーを思い出す。

 女の子から見てかっこ良いだの悪いだのと言うのは、主観としては良くわからない。

 ただ、「凄ぇんだろな」と言うのは、感じる。紆余曲折はあっただろうが、少なくともBlowin'は今、地位を確立しているメジャーアーティストだ。そこまで伸し上がるには、それなりの実力も努力も苦労もあっただろう。それを為し、未だ推し進める実力があると言うことだ。バンドだからひとりの力ではないだろうが、力のひとつであることには違いないし、楽曲の提供者がほぼ如月であることを考えても如月の存在はBlowin'が今の地位を確立する過程で小さくはないはずだ。

 今の段階で、Grand Crossと比較することが間違っているとはわかっている。そもそもデビューさえしていない。比較になるはずがない。比べるのはまだ、早い。

 けれど、どうして比べずにいられるだろうか。『地位を確立したアーティスト』がどういうことか――それは、多くの人間にその実力を認められた人間だと言うことに他ならない。そんな相手に、太刀打ち出来ると思えない。明らかに自分より優れているだろうと思える人間を相手取って、こちら側を向かせることなど出来るはずがない。

 そもそも、自分は、どうしたいのだろう。

 紫乃に対して、特別な感情を抱き始めていることは認めよう。嫌でも何でも、気づいてしまったものは仕方がない。

 けれどそれで、どうしたいのだろうか。

 付き合いたいのか。誰とも特定の関係を築くつもりなどないはずの、自分が?紫乃を彼女として?

(あいつ、今、どうしてんのかな……)

 そばにいたい、と言う意味なら、もしかするとそうなのかもしれない。

 今にして思えば、紫乃の言葉や態度に対してムキになった理由が少しわかったような気がする。最初から、紫乃に対しては、ゲームではなかった。偽りの笑顔と言葉を紫乃に対して作り上げたことがなかったのだ。だから、偽らない素の自分の姿が出た。いちいち本音で相手をしているから、他の女の子たちに対するように適当に感情をあしらってしまうことが、出来なかったのだろう。

(……冗談じゃねー)

 望むことは、裏切られることだ。

 期待の裏には、失望がある。

 特定の誰かの存在を望みたくはない。

 なのにどうして、紫乃に……それも、寄りによって勝ち目のない相手を想っている紫乃になど惹かれてしまったのだろう。

 そもそも恋愛なんて、仮に叶えられているように見える日が来たとしたって、いつかは裏切られるのだ。こちらが裏切るのかもしれない。男も女も、笑顔の裏で何をしているかなど知れたものではないだろう。それなのに「愛してる」など、滑稽なことこの上ない茶番劇だ。

 互いに不特定と思って遊んで来ているだけに、女性の裏の素顔を嫌と言うほど見て来ている。彼氏には決して見せることのない素顔だ。「今の彼氏と結婚したいの」と言いながら一矢と寝る……そんな姿を見て、どうして信じられるだろう。

 本気になれば、独占したくなるに決まっている。他の男に触れさせたくないと思うに違いない。明弘のようには、恐らく自分は考えられない。そこから始まる愛憎の駆け引きなど、考えるだけでぞっとする。

 紫乃が如月に振られていたとしたって、紫乃のそばにはもうひとり、神崎と言う人間がいる。

 武藤に「誰よりも紫乃のことを知っている」と言わせる存在だ。

 目の当たりにした2人の空気感は、確かに互いの存在を自然のものとして受け入れている空気と感じたし、紫乃を誰よりも理解するメンバーである神崎が未だに紫乃を想っているのならば、武藤の期待通り元の鞘に納まるのが最も自然な流れだろう。

 けれど、このまま紫乃に対する気持ちが深くなってしまえば、神崎に対する複雑な感情もまた深みに嵌まるのがわかりきっている。そうなるのが、嫌だった。

「……」

 顔を顰めて、窓の外に視線を向けた。そして、鏡のように窓に映し込まれた自分の姿に視線を移す。

 どことなく、陰気な陰が取れないような気がする。それは、窓に映った自分だろうか。それともこちら側の自分がそうだから、向こうもそう映るのだろうか。

 くしゃりと髪をかき上げると、窓の――鏡の中の自分も、同じ仕草を真似た。こうして眺めていると、ふとどちらが本物なのだろうなどと馬鹿なことを思った。

 ……考え過ぎ、なのかもしれない。

 好きだと思うのなら、それで良いのかもしれない。

 裏があるのが当たり前なら、そういうものだと思えば良い。裏切ろうが裏切られようが、知ったことではないと開き直ってしまえば良いのだ。なのにこれほど抵抗があるのはきっと、結局のところ信じたくなってしまう自分を知っているからだろう。

 自分と言う存在を、心の底から受け入れて欲しい。認めて欲しい。

 そしてそれとは裏腹に、認められるはずがないと囁く自分が見える。

 結局のところ、怖いだけなのだとわかっている。心許せば、跳ね返る傷が深くなる。自分でさえ自分を肯定出来ないとくれば、傷を受けることが前提になってしまう。

 だから、見えないものを信じることが、出来ない。

 いつになっても、上手く生きられないような気がする。上手く生きられないのは、自分が鏡の中の偽者だからかもしれない。それとも逆だろうか。鏡の中に、本来の自分を押し込めて、偽りの自分がこうして生きている。本当の……弱気で、卑屈で、陰気な自分が、鏡の中から出て来られずに救いを求めて泣いているような気がした。

「あほかよ……」

 思わず、ひとりごちて笑った。

 そんな馬鹿なことが、あるわけがない。ここにいる自分が、現実だ。上手く生きられないのなら、それは自分のせいだ。そんな考えは子供じみた思いつきで、単に何かのせいにしたいだけに過ぎない。

 無償の愛など、存在しない。

 永遠なんて、幻想だ。

 裏切ることがわかっている存在など、欲しくない。

 愛されたいなどと、望みたくはない。

(ホント、面倒臭ぇ……)

 卑屈な考えを鏡の中の自分に閉じ込め、それ以上考えることを禁じる為に、一矢は単車のキーを掴んで立ち上がった。やはりひとりで部屋にいるのは、精神衛生上宜しくない。麻美の部屋にでも行こう。

(また、「最低」って言われんのかな)

 不特定の女性の部屋へ泊まり歩く姿を見れば、また紫乃に殴られるのだろうか。

 それで良い。嫌われてしまうのが、一番手っ取り早い。

 苦い想いを飲み込んでリビングを出て行きかけ、一矢はふと足を止めた。ポケットで振動する携帯を取り出し、着信表示を見て微かに息を飲む。

(京子……)

 少しだけ迷って、通話ボタンをオンにした。部屋を出て行きかけたその場で、壁に背中を預けて座り込みながら口を開く。

「京子?」

「……一矢さ……一矢」

「うん……」

 声を聞いてみれば、ほんの僅か胸が痛んだ。罪悪感と言うやつだろうか。先日一矢が紫乃に放った言葉を耳にすれば、京子は深く傷つくだろう。

 そんなことを思って、一矢は思わず自嘲した。

 何を今更、だ。

 京子を傷つけることなど、何とも思っていないくせに。

 恋愛ごとにおける男と女の立場はフィフティ・フィフティだ。どちらが強いも弱いもない。――いや。明弘の言うように、『惚れた方が負け』なのだ。

「どうしたの?」

 座り込んだ自分の膝に肘をついて、苦笑いを押し殺しながら前髪に片手を突っ込む。京子の好意を知っている、と紫乃に言いはしたが、京子の気持ちを信じているわけではない。インプリンティングで興味を持っているだけ、それを好意だと思い込んでいるだけだ。どうせ長続きなどしはしまい。

 一矢の問いに、京子は短く黙った。それからそっと口を開く。

「あのね」

「うん?」

「今、東京に戻ってるって聞いたの」

「……誰に?」

 事務員の山根さん、と京子は小さく答えた。一矢の動向を気にしてくれているらしい。

「ふうん?うん、戻ってるよ」

「うん……あのね」

「うん」

「良かったら、軽く、ごはんでも食べに行かない……?」

 京子の誘いに、少し意外な気がした。

 紫乃は、京子に何も言わなかったのだろうか。たどたどしいながらも精一杯の京子の言葉に、一矢は軽く片眉を上げた。

「いいけど……」

「本当?」

「うん。……あのさ」

「うん?」

「……紫乃に、何も言われなかったの?」

「え……?」

 戸惑ったように、京子が黙る。

 自嘲的な気分を引き摺って、一矢は思わず小さく笑った。どこか、歪んだ気持ちになっていることを感じながら口を開く。

「俺に近付くなって、言われたんじゃない?」

「……」

 一矢の言葉に、京子はまたも沈黙した。けれどその沈黙は恐らく、肯定だ。尚も、続けた。

「友達の忠告は、聞いた方が良いかもしれないよ?」

「どうして……?」

「どうしてって……」

 そう聞かれると返答に困る。くしゃくしゃと髪を掻き混ぜながら、足を投げ出して天井を仰いだ。

「俺、ろくな奴じゃないよ」

「……」

「あんまり、関わらない方がいーんじゃない」

「……」

「京子?」

「わたし……」

 ほとんど投げやりと言える一矢の言葉に、京子が躊躇いがちに口を開いた。迷うような色を滲ませた声で、途切れた言葉の続きを口にした。

「わたしが、会いたいの」

「……」

「……会いたいと、思ってるの」

「……」

「駄目……?」

 思いがけない真っ向からの言葉に、一矢は返す言葉に詰まった。紫乃がどんなふうに京子に伝えて、京子がそれをどのように受け止めたのかはわからないが、どうやら紫乃の忠告は、無駄になりそうだ。

――最低

――あんたを、一時でもいい奴だと思ったあたしが、馬鹿だった

 ……上等だ。

「嬉しいよ」

 嫌われてしまえば良い。

「俺も、京子に会いたいと思ってたんだ」

 いっそどこまでも最低になってしまえば良いじゃないか。

「本当?」

「うん。……会おうよ」

 恋愛はしたくない。信じて裏切られるのは、ごめんだ。

 だから早く摘んでしまえば良いのだ。武人の言うように、苦しむのがわかりきっている恋愛など最初から始めなければ良い。

「じゃあ、どう……」

「ウチにおいでよ」

「え……?」

 京子の声が、息を飲んで掠れるのが聞こえた。

「迎えに行くから。……俺の部屋で、会おうよ」


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