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In The Mirror  作者: 市尾弘那
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第1話(2)

 視界の隅で苦笑を浮かべたままの武人をとらえたまま、女性客に言い返す。それから武人の表情が微妙に浮かないことに気がついた。寄りかかっていたカウンターから体を起こす。

「テルさん」

「うん?」

「んじゃあ俺、そろそろ帰るわ」

「え?もう?早いじゃない」

「うん。野暮用」

 どうせちゃんと雇われているわけではないのだ。お互いラフな関係である。勤務時間なども決まっているわけではない。テルは何も文句は言わない。

「あ、そう?次いつ来られそう?」

「別にいつでもー。どっか来て欲しいとこあるー?」

 上着に袖を通してポケットに煙草を突っ込みながら尋ねる。思い出して着信を確認してみると、確かに武人からの着信履歴が残っていた。

「うーん。取り立てては……あ、あった、来週の金曜、新年会入ってるからさ、大した規模じゃないけどちょっと手伝ってよ」

「あーい。おっけーぃ。んじゃあ……武人、行くぞ」

「えー。武人くんは置いて行きなさいよぉ」

 カクテルのグラスもきっちり空にしている武人をせっつくと、女性客の方からクレームが飛んだ。

「さすがに生け贄には出来ないでしょー?」

「生け贄ぇーッ!?」

「んじゃあテルさん、おつかれ」

「おつかれー」

 女性客が武人を制止する声を振り切って外へ出る。真冬の、刺すような冷たい空気が肌にしみた。代わりに煙草とアルコールで籠もった店内とは違う澄んだ空気が肺に流れ込む。

「一矢さん、この後用事なの?」

 下北沢の裏道にあるこの店の周辺はどちらかと言えば暗い。夜空に星を探しながら単車を停めた裏手に向かう一矢の後を武人がついてくる。

「ないよ。何で?」

「だって野暮用……」

「ああ」

 お前が真に受けてどうする、と思う。

「いーや、別にぃ?お前をあそこに置いておくと、魔女にエキスを吸われそうだったから」

 その言い方に武人が笑った。

「ひっどいなー。綺麗だったじゃない。一矢さん、女の人なら何でもいーんじゃないの?」

 その言葉にかくっと膝を折る。

「……武人。認識を改めませんか」

「改めません」

 いやにきっぱりと言い切って武人はくすくすと笑った。停めた単車に近づいて車体を起こす。

「一矢さん、今日泊めて下さいね」

「いーよ」

 居心地が良いのか、武人は良く一矢の部屋に転がり込む。一矢としては別に困ることはないし、武人の親も優等生の息子を信用してかとやかく言うようなことはないようだった。学校も今は冬休みだし、問題は何もない。

「どしたん?何かあったん?」

「何がです?」

「何となく」

 メットを渡しながら何気なく尋ねる。口を開きかけた武人は、だが小さく苦笑をして軽く顔を横に振った。

「いや、何でも。……女の子って難しいですね」

「何言ってんだか。うまくいってんでしょ?」

「どうかな。うまくいかせたいとは思ってますよ」

「そう言やクリスマスは?会った?」

「……何言ってんです。クリスマスは一矢さんだって一緒にスタジオに籠もりっ放しだったでしょうが」

 ぼそっと言って、作ったような笑顔で顔を上げる。そのまま武人は、気分を変えるように明るい口調で話題を転換した。

「ま、何かあったら愚痴るんで聞いてください。……安全運転でお願いしますね」


          ◆ ◇ ◆


 ひとりでいることに苦痛を覚えるようになったのは、いつからだったのだろう。

 小さな頃は、友達がいなかった。

 ひとりでいることには、慣れているはずだった。

 けれど、その頃には、家族がいた。

 無償で愛してくれる存在。――そう、思っていた存在。


 ダカダカダカダカッ。

 早くついたスタジオで思いつくままにドラムを叩いていると、不意に視界の隅で防音扉が押し開けられた。小柄な青年が中を覗き込むようにして立っている。明弘に『コザル』と形容された啓一郎だ。

「……ありえねー」

 出会い頭に失礼な挨拶だ。

「啓ちゃん。挨拶は『おはよう』でしょ?」

 ドラムを叩く手を止めてしらっと言ってやると、啓一郎は両手をだぼだぼのカーゴパンツのポケットに突っ込みながら中に入ってきた。行儀悪く足でドアを閉める。

「だって一矢が俺より先にいるなんて」

「あ・さ・が・え・り」

 時々対バンするバンドAQUA MUSEのドラマー淳奈の部屋から直行だ。元々は単にドラム話で盛り上がっていただけだったのだが、元来の軽さも相まっていつの間にかそんな関係になってしまった。

 とは言え一矢は淳奈の彼氏であるつもりはないし、淳奈もそのつもりはないだろう。大体、そんなことを言っていたら一体何人の彼氏にならなければならなくなるのかわからなくなる。

「はー。そりゃお疲れさん」

 呆れたように揶揄しながら、啓一郎はすとんとスタジオの床に座り込んだ。苦笑しながら何となくそのあどけない顔を眺める。

 啓一郎とは高校からの付き合いだが、存在そのものは中学時代から知っていた。学校こそ違ったが、通っていた塾がたまたま同じだったのだ。尤も、啓一郎の方は中学時代の一矢を知らない。目立っていた啓一郎をこちらが一方的に知っていただけで、友達もおらず陰気だった自分を知らなくても道理というものだ。

 『日のあたる人生』と言うものを、啓一郎を見ていると感じる。少々コンパクトではあるが、バンドのヴォーカルとして不足のない容姿、人懐こくて明るい性格、常に人に囲まれて生きてきただろう啓一郎は、1日中家族以外の人間と会話を交わさない毎日など知らないに違いない。……いや、バンドのメンバーの誰もがそうだ。自分以外は。

 メンバーをルックスで選別した覚えはないが、なぜか自動的に自分以外は容姿、能力共に恵まれている人間ばかりのように思う。それともこれはまだどこかに残る僻み根性と言うやつだろうか。

 他のメンバーと違って、自分には出来ることは大してない。世の中には努力をしたところで何もならない『出来損ない』が存在するのだと言うことを、身をもって知ると言うのはなかなか酷である。

 中学時代、勉強も出来ず、運動も出来ず、人付き合いも出来ず、友人に恵まれることのなかった自分を変えたくてあらゆる努力をして難関進学校と言われる高校に入学するだけはしたが、そんなものは決して身についたとは言えないものだ。

 誰とも口を利かず、遊ぶ相手もおらず、暇な時間の全てを勉強に費やせば多分誰でも出来るだろう。事実、能力が追いつかずにあの頃詰め込んだ勉強の中身は既に消去されている。

 唯一自分に出来ることとして残ったものが、ドラムだった。

「こないだのライブさー」

「あー。うん」

 他のメンバーが来るまで何もする気がないらしい。床に座り込んだまま煙草を引っ張り出す啓一郎に、惰性でハットを軽く叩きながら口を開く。

「明弘、来てたらしいよ」

「え?そうなの?」

「うん」

「何だ。声かけりゃいいのに」

「かけらんなかったみたいだよ。ほら、俺らあの後すぐさ……」

「ああ……」

 Grand Crossに事務所がついたのは、そのワンマンライブのすぐ後だった。事務所――ブレインの人間に「話がしたい」とライブ後にそのまま外へと拉致されてしまったので、来てくれた客とはあまり交流を図ることが出来なかった。

「『コザル、うまくなったな』って言ってた」

「だから『コザル』って言うなって!!!!」

 むきになって思い切り怒鳴る啓一郎に、笑う。全くいちいちむきになる性格だ。素直で正直なタチだから、感情がすぐに表に出る。おかげでよそのバンドともめることもないではないが、その素直さが羨ましいと思うことは少なくなかった。

 ……ありのままの自分を曝け出せるのは、自分を受け入れてくれる人間がいることを知っているからだ。愛されて生きて来ている証拠である。自分には出来そうにない。

「おはよう。一矢、早いね」

 やがてギタリストでありバンマスでもある野沢和希が入ってきた。大人びた優しげな雰囲気の持ち主で、性格もおっとりしている。やや真面目過ぎる部分もあり、ひとつ上の癖して恋愛ごとに関してはかなり純情だ。一矢と真逆に位置すると言っても過言ではないかもしれない。

 そんな和希にも先日ようやく彼女が出来たようだ。現在バンド内で特定の彼女がいないのは、啓一郎と一矢だけである。

 一矢が見る限り啓一郎のことを少なからず想っているだろう女の子に2人ほど心当たりがあるが、本人はあまり頓着していないらしい。と言うよりは、別の女の子を見ていると言うか……。

(ま、啓ちゃんも複雑だわなー)

 多分。

 はっきり聞いたわけではないが、啓一郎が好意を寄せているのは和希の彼女になってしまった女の子だろう。何を言ってあげられるわけでもないので、何も聞かない。

「んでさ、何度こいつのリアレンジすりゃいいわけ?」

「んなこと言ったって……しょうがないじゃん。それが条件だって言うんだし」

「もう俺からは何も搾り取れない」

「駄目。脳味噌使い果たしちゃっても良いから、いいアレンジを提案して」

「……俺、ここで使い切っちゃうとまだこの先長い人生どうしたらいいの」

 肩にかけていたギターケースを床に下ろして中身を引っ張り出している和希の足元で、啓一郎がごちゃごちゃとぼやいている。ドラムセット間際の壁に背中を預けてくるくると片手でスティックを回している一矢に、不意に啓一郎の目線が向いた。

「一矢ッ」

「あいあーい」

「何無関係なカオしてんだよッ」

「いやぁ、きっと啓ちゃんが素晴らしいアイディアを出してくれるに違いない」

「あほぬかせ。全員強制参加だッ」

 ……多分、自分はそれでも幸せなのだろう。

 何も出来ない自分が唯一出来ると思えるドラムでやっていく……その、足がかりだけは掴むことが出来たのだから。


          ◆ ◇ ◆


「一矢。コーヒー飲む?」

「うん」

 年も明けて1月。来週から本格的に、メジャーデビューへの準備が開始される。

 『夜のオトモダチ』である本郷麻美の部屋で目覚めた一矢は、上半身裸のままベッドの上でそのまま伸びをした。

「麻美さん」

「んー?」

 小さなキッチンで2人分のコーヒーを入れる麻美の後ろ姿が見える。パジャマの上だけを引っ掛けた姿で、すらりとした綺麗な足が伸びていた。

 元々モデルをやっていたと言う麻美とは六本木のクラブで知り合った。例に漏れずナンパである。

 綺麗な顔の割りに気が強く口も悪いが、面倒見が良く何となく続いていた。付き合っている意識がないのは淳奈と同様だ。ただし麻美は一矢より年上で、性格的にも社会的にも完全に自立しているので、淳奈より一層割り切っている感があり居心地が良い。もしかすると今遊んでいる女の子たちの中で、1番コンスタントに会っているのは麻美かもしれない。

「ついでにリモコン取って」

「そんくらい自分で取りなさいよー。ぐずッ」

 悪態を吐きながら麻美がコーヒーカップを手に戻ってくる。カップをひとつ一矢に手渡すと、腕を伸ばしてテーブルの上のリモコンを手に取った。一矢に向けて放り投げ、自分はベッドの横の床にすとんと座り込む。

「ありがとー。……ぐずって」

「テレビなんか見たいの?今の時期、お正月番組ばっかりでつまんないわよ」

「んー」

 生返事をしながらカップを口に運び、テレビをつけた。

「仕事っていつから?」

「明日から」

「え?明日って土曜日じゃないの?」

「そうだけど。新年会があるらしいのよ」

 麻美は現在、モデルを辞めて大手外資系企業の社長秘書をやっている。恐らく社長が出席するそのパーティに、華として同行せざるをえないのだろう。

「たいへーん」

「働く女は大変なのよ……」

「……何か言われてる俺、今、ヒモの気分」

「養わないわよッ」

 ぴしゃりと言う麻美に、へろーっと舌を出してカップをナイトテーブルに置いた。ころんとベッドにまた転がる。麻美の言う通り、テレビ番組は面白いものをやっていないようだ。

「一矢はいつから動きがあるの?」

「俺ぇ?表立った動きなんか当分ないんじゃないの?」

「表立たない動きは?」

 こちらに背を向けてベッドに寄りかかったまま、麻美はテレビの画面に目を向けて尋ねた。何となく片手で麻美の髪を弄りながら天井を見上げる。

「来週からスタジオに本格的に入るって聞いててー……その前にぽつぽつと、事務所行って挨拶とか」

「ふうん?早く売れてよ」

「そんな無茶な」

「売れたらあんたの変な写真、いっぱいネットオークションで売ったげる」

「……持ってないでしょ」

「撮り放題じゃないの」

 言ってから麻美は、続きを言う前に自分で吹き出した。笑いを残したまま、続きを口にする。


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